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猛暑に注意を
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ある日、とつぜん松本零士さんから電話があった。ぬえならいざ知らず、松本さんがわたしの自宅に電話してきたのははじめてだから、びっくりした。 「今度ね」と、松本さんは言う。「アニメ研究の本がでるんだ。それの取材がきてぬえに言及したので、本を送らせるよ」
「ダーティペア」ってどういう作品と訊かれたら、とりあえず、いまドラマやアニメでふつーに使われている「うっさい」を、日本ではじめて活字にした作品と言っていただけると、うれしいです。
中島梓(栗本薫)は桁違いの作家でした。カメラのような記憶力の持主で、作品の設定、展開すべてを暗記していたので、あんな大長編を書くことができたのです。執筆中に読み返し、いま書いているキャラが2章前に死んでいたことに気づく(実話)わた… https://t.co/Y9hfNdPFsy
やばいなあと思いました。が、断るわけにもいかないので、喫茶店で会うことにしました。吉田さんは「ぬえがデザインしてくれないので、スケジュールが立たない状態です。やってもらえませんか」と言われます。わたしは事情を話し、契約書を交わしたら、すぐにでもはじめますと答えました。
西崎Pと「さらば」の交渉のため、京王プラザホテルの樹林に赴いたところからです。とりあえず一方的に条件を伝えました。ひじょうに失礼な態度ですが、断ってもらうために行っているのですから、遠慮することはできません。西崎Pは憮然とした表情で聞いていました。当然ですね。
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」、まずはいちばん無難な前段階だけ書いてみます。なぜ、ポンキッキと長浜忠夫さんの担当だったわたしがヤマトをやることになったのかまで。その先は、流れを見ながらですかねえ。(^^;
なぜかいまになって、以前投稿したコンバトラーVの超電磁ヨーヨーの件が話題になっているようでずが、この件に関してはわたしは当事者で、歴史用語でいう1次資料です。文中にコンバトラーでの「1番の思い出」とあるように、これはひじょうにたいせつな記憶です。つづく。
スタジオぬえより。 このニュースの渡辺ご夫妻は、弊社の宮武一貴とその奥様です。宮武は入院中ですが、生命に別条はございません。奥様のご冥福を心からお祈りつつ、お知らせさせていただきます。 https://t.co/2MrLbKy8mu
企画書って、死屍累々なんです。前にエッセイで書いたかもしれないけど、「ゼロテスター」が39話で終わりそうになったとき、続行したかった会社(当時は東北新社サンライズスタジオ)は最悪でも新作でその放送時間帯を確保しようと考え、手塚治虫さんに協力を依頼しました。つづく。
コンバトラーVの設定をやっていたとき、長浜さんに「メインの武器つくってよ」と言われ、和田慎二さんに電話。「スケバン刑事のヨーヨー、貸してください」と頼んだら、「サンライズのロボットに?うれしいなあ」と快諾していただいたのが1番の思い出です。それで、超電磁ヨーヨーが生まれました。
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