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アメリカ大統領選
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日本の漫画は尖ったアートであり社会風刺であり文学でありながら、 最高のエンタメでもあった。そのアクロバティックな表現形態が 生み出してきた作品たちのなんと多様なことか。 「MANGAはクール」 とか言っている昨今の英国の若者たちにも ぜひ読ませたい。日本のMANGAはアナーキーなのである。 生きていると、思ってもみないことが起きる。 で、マンガを読んでいると、思ってもみないことだと思っていたことが 平然と描かれていて驚く。 マンガはいつも、想像力のその先で鎮座している。 本選集は、1960年代以降半世紀にわたる日本の「現代マンガ」の 流れを新たに「発見」する試みです。マンガ表現の独自性を探り、 「本物」を選りすぐって、時代を映すマンガの魂に迫ります。 8つのテーマに基づいて、決定的な傑作、知られざる秀作を集め、 日本の社会と文化の深層をここに浮かびあがらせたいと思います。
「差別はいけない」。でも、なぜ「いけない」のかを言葉にする時、そこには独特の難しさがある。その理由を探るため差別されてきた人々の声を拾い上げる一冊。 荒井 裕樹(あらい・ゆうき):1980年東京都生まれ。二松學舍大学文学部准教授。専門は障害者文化論、日本近現代文学。東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。著書に『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)、『障害者差別を問いなおす』(ちくま新書)、『車椅子の横に立つ人――障害から見つめる「生きにくさ」』(青土社)、『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)、『凜として灯る』(現代書館)、『障害者ってだれのこと?――「わからない」からはじめよう』(平凡社)などがある。2022年、「第15回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。
類似を用いた思考、類推。それは認知活動のすべてを支える。類推を可能にする構造とはどのようなものか。心の働きの面白さへと誘う認知科学の成果。 シリーズ:ちくま学芸文庫 1,320円(税込) Cコード:0111 整理番号:ス-23-1 刊行日: 2020/03/09 ※発売日は地域・書店によって 前後する場合があります 判型:文庫判 ページ数:304 ISBN:978-4-480-09969-3 JANコード:9784480099693 購入
哲学を「西洋哲学史」の枠から解き放つこと。哲学がそもそも《越境》の武器であったことを考えてみれば、遅すぎたくらいだ。けれどもこの作業に取り組むにはこれまた法外な知的センスと労力が要る。尊敬と緊張とをもって注視しつづけたい。
「笛吹き男とはいったい何か。当時のハーメルン市がおかれていた全ヨーロッパ的な位置のなかでこれらの問題を扱うことができれば、伝説の謎解き的面白さを越え、ヨーロッパ社会史に接近するひとつの突破口となりうる。ハーメルンの人々の姿が、当時の社会を圧縮した動態として描かれてゆく。このとき阿部氏にはヨーロッパ中世史構想の柱が、方位を持って建ったのであったろう。宮田登、網野善彦、塚本学、坪井洋文氏等とともに、中世史ブームといわれるきっかけの書となった。」 (解説「泉のような明晰」より) 第一部 笛吹き男伝説の成立 笛吹き男伝説の原型 グリムのドイツ伝説集 鼠捕り男のモチーフの出現 最古の史料を求めて 失踪した日付、人数、場所 1284年6月26日の出来事 さまざまな解釈をこえて リューネブルク手書本の信憑性 ハーメルン市の成立事情 ハーメルン市内の散策 ゼデミューンデの戦とある伝説解釈 「都市の空気は自
老若男女が入り乱れる混浴の公衆浴場、庭先で行水をする女性たち、裸同然の格好で仕事をする人々…。幕末、日本を訪れた外国人たちは互いの裸に無関心な日本人に驚き、その様子をこぞって記録した。しかし急激な近代化が日本人の裸観に影響を与え、いつしか裸を不道徳なものと見なすようになる。同時代資料を丹念に読み解き、日本人の性的関心と羞恥心の変遷をたどる「裸」の日本文化史。 序章 下田公衆浴場 第1章 この国に羞恥心はないのか!?―ペリー一行らが見た混浴ニッポン 第2章 混浴は日本全国で行われていたのか―幕末維新の入浴事情 第3章 日本人にとってのはだか―現代とは異なるはだかへの接し方 第4章 弾圧されるはだか―西洋文明の複眼による裸体観の変容 第5章 複雑化する裸体観―隠すべき裸体と隠さなくてもよい裸体 第6章 五重に隠されるはだか―隠され続ける先にあるもの 終章 裸体隠蔽の限界
科学技術の発達した現代の都市社会においても、人々が強い関心を寄せつづける、妖怪・オカルトなどの「不思議な現象」。そのような心の源流にあるのは、いったい何なのだろうか。脈々と生き続ける、日本人の隠れた意識を探り当てるのに、民俗学はすぐれた力を発揮する。本書は、民俗学の入門的な知識と、学問としての流れをはじめの一歩から解説。さらには、エンガチョ、消えるタクシー客など、都市のフォークロアに適用して、身近な「怖さ」の裏にひそむ非合理的思考や神秘主義へのあこがれを読み解き、現代の民俗学の可能性を探る。
科学的手法の進展により新発見の続く考古学。 その最先端をわかりやすく伝えるとともに、 通説をそのままなぞるような水準にとどまらない挑戦的な研究を紹介する。 目次 Ⅰ旧石器・縄文時代 旧石器文化からみた現生人類の交流杉原敏之 縄文時代に農耕はあったのか中山誠二 土偶とは何か瀬口眞司 アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか瀬川拓郎 Ⅱ弥生時代 弥生文化はいつ始まったのか宮地聡一郎 弥生時代の世界観設楽博己 青銅器の祭りとはなにか北島大輔 玉から弥生・古墳時代を考える谷澤亜里 鉄から弥生・古墳時代を考える村上恭通 Ⅲ古墳時代 鏡から古墳時代社会を考える辻田淳一郎 海をめぐる世界/船と港石村智 出雲と日本海交流池淵俊一 騎馬民族論のゆくえ諫早直人 前方後円墳はなぜ巨大化したのか北條芳隆 北條芳隆(ほうじょう・よしたか)【編者/はじめに・第14講】 一九六〇年長野県生まれ。東海大学文学部教授。岡山大学法
橋本 今回、「本のあるところajiro」でトークイベントを開催することになったきっかけは、お店の方から「いつか弊店で刊行記念のイベントをしていただけないか」とメールをいただいたことにあるんです。そのメールをいただいたその日のうちに「もし福岡でトークをするのであれば、見汐麻衣さんと」と返信して、今日の会が催されることになりました。 見汐 よろしくお願いします。結構飲む人なんですね? 橋本 結構飲みます。人前で話すのは緊張するからというわけでもないんですけど、ここまでのトークは毎回お酒を飲みながら話していて、今日も飲みながらトークさせていただきます。でも、僕はまだ今日3杯目ですけど、見汐さんはもう結構飲んできたんですよね? 見汐 はい。でも、ちゃんとおしゃべりできると思います。 橋本 僕が見汐さんとトークしたいと思ったことには、いくつか理由があるんです。この『ドライブイン探訪』は、文字通りドラ
広島から沖縄へ 「メンバーにしてください」/駐車場で飲み明かす/暴走族のパシリになる/響き渡る爆音──沖縄調査一日目/ゴーパチという舞台/卑猥なウチナーグチ 拓哉との出会い 「すぐにでも結婚したい」/「名護はいいけど地元は嫌」/はじめての土地で彼女をつくる/ナンパをする理由 警官とやり合う 職務質問を受ける/警官と交渉するスキル/携帯サイト「中部狂走連盟」と写真アルバム/調査の前に信頼関係を築く 裕太たちとの出会い 「俺、解体屋しかできない」/鉛筆を「重い」と言う裕太/地元で有名な暴れん坊、太一 沖組という建築会社 沖組を立ち上げる──康夫社長の生活史/会社経営の「最強のタッグ」/ピンチを切り抜ける/「給料支払い遅れなし、定額」 沖組での仕事 初日の朝/Pコン外しと材料出し/最小限の力で資材を運ぶコツ/材料出しの二つの方法/型枠解体屋の仕事/現場監督vs.従業員/右折をめぐるバトル/朝礼で
18歳まで私はナチだった。ネオナチの家庭に生まれ育ったひとりの女性が、その思想と葛藤し、極右の世界と決別するまでを描いた迫真の手記。『シュピーゲル』ベストセラー。 ふたりの私―一八歳まで私はナチだった 私の奇妙な家族―英語はダメだ、ドイツ語で言え! 学校で―算数は戦争と同じくらい怖かった ハンガリー狂騒曲―いつだって本物のナチだったからな 秘密のキャンプで ドイツ愛国青年団―「痛い」だと?とっとと朝練へ行け! 右翼社会の男と女―お前のジャンプブーツは優しさに飢えている 仲間と過ごした日々―「寛容の日」だって?じゃあ、ぶちこわさなくちゃな 私の信条―崇拝していたのはルドルフ・ヘス ニーダーシュレージエン休暇村―父の造った「ナチスの楽園」 私、間違ってるのかな?―心が揺れたこともある。でも、やり過ごした いざ、国家民主党へ―ジャンパーを着たおじさんたち 私の大切な人‐フェーリクス―ナチにもこん
歴史にifはないと言われる。そうだろうか?「もしもあの時、?だったなら」というifの思考は、ある時代を生きた人々の、実現しなかった願望、失敗に終わった計画など、「ありえたかもしれない未来」の把握を可能にする。歴史に埋もれた「敗者」を救い出し、「未来」への視角を開く「歴史のif」。SFのP.K.ディック、歴史学のファーガソン、哲学のベンヤミン、社会学の大澤真幸らを取り上げその思考を検討し、「歴史のif」の可能性を指し示す。
『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国で2016年10月に刊行されました。当初は担当編集者も1万部はいかないと予想していたそうです。しかし1年足らずで10万部を突破することとなりました。本作は、キム・ジヨン氏(韓国における82年生まれに最も多い名前)の誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児までの半生を克明に回顧していき、女性の人生に当たり前のようにひそむ困難や差別が淡々と描かれています。そして彼女はある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したように振る舞い始め――。彼女を抑圧しつづけ、ついには精神を崩壊させた社会の構造は、日本に生きる私たちも当事者性を感じる部分が多々盛り込まれています。 韓国ではその共感性の高さから、国内だけで136万部という異例の大ベストセラーとなりました。K-POPアイドルなど影響力のある芸能人が度々話題にしたことでも注目を集めましたが、ガールズユニット、Red V
とびっきり楽しい! そして役に立つ! 論理学の基礎を1から学ぶための入門書。 日常生活や仕事で力を発揮し、あなたの味方になる 論理の力をマンガと問題演習で身に付けよう。
筑摩書房Twitter(@chikumashobo)で 2018年2月より始まった 筑摩書房の本を新旧問わず打ち放ってゆくツイート企画です。 おっ!と思ったら「いいね」でキャッチ! 感想や思い出のリプライも大歓迎。 未知の本との出会い、積読本の掘り起こしや 愛読書再読のきっかけとなりますように。
「意志が弱い」「怖い」「快楽主義者」「反社会的組織の人」…薬物依存症は、そういったステレオタイプな先入観とともに報道され、語られてきた。しかし、そのイメージは事実なのだろうか?本書は、薬物依存症にまつわる様々な誤解をとき、その真実に迫る。薬物問題は「ダメ。ゼッタイ。」や自己責任論では解決にならない。痛みを抱え孤立した「人」に向き合い、つながる機会を提供する治療・支援こそが必要なのだ。医療、そして社会はどのようにあるべきか?薬物依存症を通して探求し、提示する。 第1部 「薬物」と「依存症」(薬物依存症とはどのような病気なのか いま問題になっている薬物) 第2部 よりよい治療・回復支援を求めて(刑罰や規制で薬物問題が解決できるのか 薬物依存症からの回復―自助グループが発見したもの 精神科医療に求められるもの ほか) 第3部 孤立させない社会へ(人はなぜ薬物依存症になるのか 安心して「やめられな
1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4ヵ国統治下におかれたベルリン。 ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、 ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。 米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅立つ。 しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり―― ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。 アウグステ・ニッケル アメリカ軍の兵員食堂で働く少女。 ファイビッシュ・カフカ 泥棒。元俳優 ユーリイ・ヴァシーリエヴィチ・ドブリギン NKVD(内務人民委員部)大尉 アナトーリー・ダニーロヴィチ・ベスパールイ NKVD下級軍曹 クリストフ・ローレンツ 音楽家。毒入りの歯磨き粉で不審な死を遂げる フレデリカ・ローレンツ クリストフの妻。戦中は潜伏者を匿う活動をして
英語の知識は、政治・経済・文化などあらゆる面で世界に向け開かれた大切な窓である。英語圏の人々とまったく同等にコミュニケート出来るだけの表現力はどうしたらつくのだろうか。英語には日本語に、日本語には英語にない考え方、感じ方がある。その違いを知り、自分の言いたいことを英語で表明できるための辞典。「英和の部」では、日本人が誤解しやすいもの、英語理解のカギになるもの、頻度の高いスラング、まぎらわしい同義語を厳選し、「和英の部」では、英米人に分かりにくいニュアンスをもった語句、日本語の伝統的な表現、慣用句、俗語など
偽史・疑似科学にもとづく教育論が学校に定着しつつある。それが「江戸しぐさ」と「親学」。江戸しぐさは“江戸っ子”の行動哲学は素晴らしいと説く。親学は伝統的子育てにより、いじめや虐待から発達障害まで広く問題を解決できる、そのために親への教育が必要であると説く。国・地域・学校は連携して、子供が、国家及び社会の形成者として必要な資質を備えられるように家庭教育を支援しよう…などと教育行政に影響を与えている。これら欺瞞に満ちた教えはなぜ蔓延したのか。嘘がばれているのに、まかり通る背景にはなにがあるのか。
紀元前三〇〇〇年ごろからはじまる青銅器時代、メソポタミアから地中海東岸にかけて、豊かな文明が栄えていた。近年の発掘調査から、彼らは緊密に結ばれた高度なグローバルな文明世界を形成していたことがわかっている。だが、その文明世界は紀元前一二〇〇年ごろ、突如として消滅する。従来、この文明崩壊は、“海の民”と呼ばれる謎の集団によってもたらされたと考えられてきた。しかし、この集団の存在証拠はきわめて曖昧で、破壊の限りを尽くしたと言われるが、その痕跡は見あたらない。彼らではないとしたら、文明崩壊のほんとうの原因はなんだ プロローグ 文明の崩壊―前1177年 第1幕 武器と人について―前15世紀 第2幕 (エーゲ海版)めぐり逢い―前14世紀 第3幕 神々と国のための戦い―前13世紀 第4幕 ひとつの時代の終わり―前12世紀 第5幕 災厄の「パーフェクト・ストーム」? エピローグ 崩壊のあと
学習指導要領が改訂された。そこでは新しい時代に身につけるべき「能力」が想定され、教育内容が大きく変えられている。この背景には、教育の大衆化という事態がある。大学教育が普及することで、逆に学歴や学力といった従来型の能力指標の正当性が失われはじめたからだ。その結果、これまで抑制されていた「能力」への疑問が噴出し、“能力不安”が煽られるようになった。だが、矢継ぎ早な教育改革が目標とする抽象的な「能力」にどのような意味があるのか。本書では、気鋭の教育社会学者が、「能力」のあり方が揺らぐ現代社会を分析し、私たちが生 第1章 現代は「新しい能力」が求められる時代か? 第2章 能力を測る―未完のプロジェクト 第3章 能力は社会が定義する―能力の社会学・再考 第4章 能力は問われ続ける―メリトクラシーの再帰性 第5章 能力をめぐる社会の変容 第6章 結論:現代の能力論と向き合うために
新聞 2021.10.2 読売新聞「人生案内」で恵泉女学園大学学長の大日向雅美さんに紹介されました。 [人生案内]小1の娘 友だちづくりに苦労 新聞 2019.3.29 読売中高生新聞にてキミ本大賞1位を受賞しました 新聞 2018.10.27 日経新聞「春秋」にて紹介されました 雑誌 2018.10.2 「週刊朝日」10/12号「ベストセラー解読」にて長薗安浩さんに紹介されました 新聞 2018.10.1 産経新聞「産経抄」にて紹介されました 新聞 2018.9.30 朝日中高生新聞で紹介されました リリース 2018.9.21 オリコン週間“本”ランキングで7位にランクインしました WEB 2018.9.19 NHK NEWS WEBで紹介されました 新聞 2018.9.16 静岡新聞「気になる本」にて紹介されました WEB 2018.9.15 本の要約サイト flier「戦略的コミュ
リーダー・フレンドリー?試し読み 日常のことばで考える パッシブにならない コミュニケーション圏の外へ タコツボ化と総合 水平の深みとパララックス のっぺりした世界に歴史性を アートの新しい活用法 1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、京都市立芸術大学理事長・学長。大阪大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長。臨床哲学・倫理学を専攻。主な著書に『モードの迷宮』『「聴く」ことの力』(以上、ちくま学芸文庫)、『現象学の視線』(講談社学術文庫)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書)など。
1961年東京都生まれ。(株)電通にてマス広告、ネット広告、コミュニケーション・デザインなどに携わった後、2011年に独立。現在はコミュニケーション・ディレクターとして、(株)ツナグ代表。コミュニティ主宰・運営として(株) 4th代表。著書に『明日の広告』、『明日のコミュニケーション』(ともにアスキー新書)、『明日のプランニング』(講談社現代新書)等多数。
敗戦直後の貧困は「食べるものすらない」という「かたち」で現れた。こうした中で、戦争により生み出された浮浪者や浮浪児の一部は炭鉱へと送られた。そこで生まれ育った若者の多くは集団就職で都会へと出ていき、その一部は「寄せ場」の労働者となった。高度経済成長により実現した大衆消費社会は多重債務問題をもたらし、バブル崩壊はホームレスを生んだ―。戦後日本の貧困の「かたち」がいかに変容したかを描き出し、今日における貧困問題の核心を衝く。
身近な食材なのに、実はわからないことだらけの肉。畜産肉のシステム化された生産や流通の過程から日本の自然が育んだバラエティ豊かな野生の獣肉まで、多数の写真とともに日本の肉食文化の奥深さを紹介する。
私がいる。生きている。 そう思える仕事がしたい。 「いい仕事」には、その人の存在まるごと入ってるんじゃないか。『自分の仕事をつくる』の6年越しの続篇である本書は、長い手紙のような思考の記録。
近著である『傘をもたない蟻たちは』(KADOKAWA)を上梓させてもらってから数カ月経った頃、とあるライブでラジオ番組の放送作家の方に再会した。その方は僕の作品を読んでくれていたようで、最新刊に関してはありがたい言葉をいくつも頂いた。そして話の流れで次回作のことを尋ねられた。 『傘をもたない蟻たちは』は、それまで一貫していた芸能界と渋谷というテーマにとらわれずに、SFやエンタメっぽいものから自分なりの文学を表現したものなど、自由な発想から作った小説集だった。それは作家としてより高みを目指したいという思いからだったが、それだけ手を広げてしまった結果、次の指針を見失ってしまった。ゆえに僕の回答はこのようなまごついたものになった。 「表現としては純文学に挑戦したい思いもあるのですが、ひとりよがりになりそうで二の足を踏んでいます。エンタメ性を保持したまま文学的な作品が書けるようにならないと、この先
イギリスの中等学校を卒業し、すぐに就職する労働階級の生徒のなかで、「荒れている」「落ちこぼれ」の少年たち=『野郎ども』。彼らのいだく学校・職業観はいかなるものか?学校はどのような進路指導をしているのか?彼らの形づくる反学校の文化―自律性と創造性の点で、たてまえの文化とはっきり一線を画している独自の文化―を生活誌的な記述によって詳細にたどり、現実を鋭く見抜く洞察力をもちながらも、労働階級の文化が既存の社会体制を再生産してしまう逆説的な仕組みに光をあてる。学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐす、先駆
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