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アメリカ大統領選
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本特集を企画中、Twitterのタイムライン上で、「困っている人文編集者の会」の文字が飛び込んできた。 メンバーは、書籍『東京の生活史』、『海をあげる』など、話題の本を担当する柴山浩紀さん(筑摩書房)、古典や歴史などのジャンルを担当し、なかでも忍者の本を多く出してきた麻田江里子さん(KADOKAWA)、元新聞記者で、文学、働き方、ジェンダー関連の本を多く手掛ける竹田純さん(晶文社)。 それぞれ違う出版社で働き、同世代の編集者である3人は、日々メッセンジャーで、悩みを打ち明け、お互いがつくった本を褒め合う仲だという。 そんな日々のやりとりを試しに公開してみようと、「困っている人文編集者の会」と称して、Twitterの音声配信機能であるスペースをたちあげた。3日前の告知にも関わらず、“困っている”“編集者”の話を聞きに、300人を超える人が集まったのだという。 編集者と一口にいっても、担当する
三者三様の「聞く責任」。信田さよ子さん(カウンセラー)×上間陽子さん(教育学者)×岸政彦(社会学者)さん/本『言葉を失ったあとで』刊行記念トークイベント 青山ブックセンターのオンラインイベントで、過去最高の申込数だったという、信田さよ子さんと上間陽子さんの対談集『言葉を失ったあとで』の刊行記念トークイベント。 語り手は、公認心理師・臨床心理士としてアルコール依存症、摂食障害、DVなどの当事者のカウンセリングを行ってきた信田さよ子さんと、沖縄で若年出産をした女性の調査や、自身のことを綴ったエッセイ『海をあげる』の著者で、教育学者の上間陽子さん。そして沖縄、生活史、社会調査方法論を研究テーマに、多くの人に聞き取りを行ってきた社会学者の岸政彦さんだ。 『言葉を失ったあとで』で語られたふたりの方法論に、沖縄や生活史をテーマに多くの人に聞き取りを実践してきた岸さんの方法論が重ねられた対話の中から、「
カウンセリングでも、 問題解決でなく、「聞く」ということ インタビュアーであり作家でもある尹雄大さんが、「インタビューセッション」という取り組みを始めたのは、今から約5年前。ある人から「仕事でちょっと思い悩んでいることがあるから整理をしたい。インタビューをしてもらえないか」と、依頼されたのがきっかけだったという。その後、その人の友人や、そのまた友人からと依頼が続く。そうやって、カウンセリングでもなければ、問題解決を目的にもしない、ただ話を聞くという「インタビューセッション」が生まれた。 時間は90分間。セッションを受ける人は、尹さんを前に座るか、一緒に歩きながら、ただ語るだけだ。初めて顔を合わせる人に話すには、決して短い時間ではない。私自身、セッションを受ける前は、90分間も話ができるだろうかと思った。しかし、始まってみると、気がつけば、終了時間間近まで話し続けていた。 「話す人は、自分の
“いつでも別れられる”ってすごく大事。自尊心を見失わず、生きたい場所で生きていく。 映画『あのこは貴族』監督と語る私たち。 山内マリコさんの同名小説を原作にした、映画『あのこは貴族』が2月26日(金)から公開される。東京の上流家庭に生まれ、「結婚=幸せ」と信じて疑わない榛原華子(門脇麦)と、富山出身で経済的事情により大学を中退し、挫折を経験している時岡美紀(水原希子)の、異なる二人の日常を描く。監督は、前作『グッド・ストライプス』(菊池亜希子、中島歩主演)で、新藤兼人賞 金賞を受賞した岨手由貴子(そでゆきこ)監督だ。 映画『あのこは貴族』を観て、“私たちの話”だと、誤解を恐れずに言うならば、書籍『82年生まれ、キム・ジヨン』を思い出した。だからといって、女性のための映画として観られるのはすごくもったいない。なぜなら、「階級社会」や「シスターフッド」を描きながら、それ以外のまなざしが重ねられ
稲葉俊郎さんのお名前を知ったのは、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」総合プロデューサーの中山ダイスケさん(東北芸術工科大学学長)とお話したときのことだった。「2020年の山形ビエンナーレは、お医者さんに芸術監督をお願いするんです」。気になってさらに聞いてみると、稲葉さんが多様な医療現場の最前線で活躍する現役医師であり、芸術にも造詣が深い人であることを知った。 一方でこの抜擢は、単なる異領域のかけあわせによる新味を期待したものでないこともわかってきた。むしろその逆で、「医療と芸術は根幹でつながっている」という稲葉さんの信念と、「からだに効く芸術(祭)を」という中山さんの想いが引き付けあったようだ。医療と芸術はどちらも、この世界のみえる部分・みえない部分を扱いながら、私たち一人ひとりの「いのち」に大きく関わる。その接点から見えてくる景色に惹かれ、稲葉氏にお話を伺うことになった。 「違和感
「人生のための学校」と言われたらどういう場所を想像するだろう。 デンマークにあるフォルケホイスコーレという教育機関は、しばしばそう呼ばれる。 このフォルケホイスコーレに参加した人、これから参加を考えている人に、その理由を聞くと返ってくる言葉はさまざまだ。 「上手じゃなくても、役に立たなくても、好きなものを好きって言える場所じゃないかと思ったんです」。 「失恋をきっかけに、私は何を大切に生きていきたいのか考えたくなって」。 「海外に関心があって、いろんな国の人が集まるところで学ぶのが夢だったので」 社会に求められるスキルを得るために学ぶのではなく、自分自身の内側にある幸せや関心にしたがって考え、学ぶというフォルケホイスコーレ。資格が取れるわけでも、専門性の高い学びを習得できるわけでもなく、どちらかというと“ゆるくて、のんびりとした場所”だといわれるこのデンマークの学校に、今、多くの関心が集ま
はじめてその家と出会ったのは、Instagram。正方形のなかの日々のいとなみと、風景が少しずつ変わっていく様子を見て、「この家を育ててみたい」と思った。それが修復師である河井菜摘さんと、現在暮らす鳥取県倉吉市の家との出会い。 当時京都に住んでいた河井さんは、家主が家の買い手を探していると知り、思い切って鳥取へ引っ越すことを決心する。それから、普段は鳥取をベースに、定期的に京都へ通う生活がはじまった。 河井さんは「漆」という、塗料になり接着剤になり、時には絵の具のようにも使える自然素材を用いて、修復、漆と金継ぎの教室、作品制作と、多様な活動を展開している。 修復の仕事は、時間を巻き戻すような感覚で壊れたところを直していくこと。鳥取に引っ越してからは、家を直し住みよい家に育てている。また、今年の秋からは東京にも拠点をもつ。「山と町を行き来する生活は暮らしを豊かにしてくれる」という河井さんの、
−−居心地のいいまちに暮らしたい。 きっとそれは、誰しもが望んでいること。一方で、その望みには、わたしにとって居心地の良いまち、という前提がある。手入れの行き届いた駅前の素晴らしい花壇はわたしにとってこのまちで暮らす小さな誇りだが、同じようにこのまちで暮らす「誰か」にとっては、目障りなお節介なのかもしれない。 そんな、「わたし」と「誰か」が何かの拍子で、地域活動を共にしなければならなくなったら、どうなるのだろうか。ささいな意見のすれ違いが発展し、最悪の場合「わたしにとって、居心地の悪いまち」と、なってしまうかもしれない。でははたして、「わたし」と「誰か」にとって「居心地の良いまち」とは何なのだろうか。 今回取材をさせていただいた平田オリザさんといえば、世界的に活躍する劇作家で、日本の現代演劇を確立した第一人者。その革新的な演劇スタイルを俳優たちに教えるために、独自に創出されたワークショップ
目的や用事を持たず、ときおり行きたくなる場所が2つある。ひとつは空港、そしてもうひとつが図書館だ。それらに共通するのは、“旅”の感覚をいざなってくれること。空港は誰しもが、旅を想起する場所だが、実際に旅するときはせわしなく、旅情自体を味わう暇はなかったりする。では、図書館はどうだろうか。棚から棚へ視線を流していく。すると、いくつかの本が旅に誘ってくる感覚がある。図書館は本を通じた内省の旅の港のような場所であると思う。 空港はさておき、そんな旅へといざなってくれる図書館は、日本中あらゆる場所に存在している。公益社団法人日本図書館協会の調べでは、全国の公共図書館の数は3,292館あり、その蔵書の合計冊数は、4億冊を超える。(2017年)そんな、わたしのまちにも、あなたのまちにもある図書館の主な社会的役割とは、これまで「本を通じて知りたいことを知る」ことであった。しかし、知りたいことはスマートフ
「他にも何か仕事やってるんだよね?」 職業を言うと、いつもこんな反応が返ってくるという。 神奈川県逗子市にアトリエをかまえる本間亮次さんの職業は画家だ。約8年前から絵を描くことで生計を立てている。朝起きてから寝床につく直前まで筆を走らせ、絵の具にまみれながらキャンバスと向き合う日々。絵をひたすら描き続ける寡黙なイメージのある画家だが、本間さんの場合はちょっと違う。 画家はなぜ絵だけで食べていくことがこれほどまでに難しいのか。画家の置かれている状況や、絵画を取り巻く環境と向き合い切り拓く、現代画家としての挑戦の日々を聞いた。 「あなたの仕事は、 自分を天才だと信じること」 画家は誰もが知っている職業だけど、どうやってなるのか、あるいはどうやって生計を立てているのかなど、その世界にいない人にとってはイメージしにくい職業といえるかもしれない。横浜市六浦出身の本間亮次さんは、5年ほど前から逗子のマ
vol.10 実験中のふるさと「浦安」 写真・大森克己 一時期疎遠になった高円寺に最近またよく行くようになった。 今日も自転車で出かけた。まだちょっと早い気がするけれど、路地を一つ入ると蚊取線香の匂いがしてきた。この辺は閉架が多いから蚊が多いと聞いたことがある。平日の昼間、ゆったりした、というより少しダラっとした雰囲気。 東京に出て僕が最初に懐いた町は高円寺だった。 わずかなお金でおしゃれにしたくて古着屋に行きだしたのがきっかけだった。飲み屋がいっぱいあって、昼間から人が暇そうにしてる。緩やかな坂道と商店街。お寺。古本屋。僕の欲しかった東京の風景があった。今も当時もその感じは変わらない。駅前が綺麗になったりしたけれど。この町はいつ行ってもおんなじ匂いのおばあちゃんちみたいなところがある。 大森さんは「浦安は実験中の町だよね」と言った。僕はちょっとハッとした。言われてみれば確かにそうだけれど
親子ほど年の離れた、写真家とミュージシャン。ふたりには“浦安の団地”という共通点がある。生まれた時からこの団地で育ち、今は都内で暮らす夏目さん。大森さんは、幼少期に地元関西の団地で過ごし、大学で上京。都内で写真家として活動をスタートしたのち、結婚を機に新浦安に20年以上住み続けている。 この日初対面のふたりは、JR京葉線の新浦安駅で待ち合わせをし、大森さんが運転する車で夏目さんが少年時代を過ごした場所へ出発。つぶれてしまったラーメン屋、高校の時遊んでいた場所、いつもの通り道……目にうつる景色についての細かいエピソードが始まると、懐かしい友だちとの再会さながら、ふたりの距離はぐっと近づいた。 過去から現在まで連なっている、団地への愛着と思い出。いつも意識しているものではないし、決して特別なことでもない。それでも、根っこにある団地での生活がふたりをつなぐ感覚には、少しだけ特別なものを感じた。ま
長年、「家族」や「ジェンダー」をテーマに作品を発表している写真家の長島有里枝さん。2015年10月から約半年間、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)のアーティスト・イン・レジデンス招聘作家として神戸に滞在し制作した作品は、女性の創造性や女性の持つ技術に光を当てている。その成果発表展が、7月24日で会期を終える。捨てたいのに捨てられない思い出の詰まった衣服を身にまとった神戸の女性たちを写真におさめ、その古着をパートナーの母親と共に一枚一枚つなぎ合わせ、タープを制作。展示空間の半分を締める大きなタープの下に身を置き、綿密に縫われた古着たちを眺めていると、さまざまな思いが込み上げてきた。 複雑で、曖昧で、少し窮屈で、それでもやっぱり豊かな女性の人生について、アーティストであり、母親でもある長島有里枝さんに話をうかがった。 パートナーの母親に作品制作を依頼 ほぼ面識のなかった関係から
“ぼくのいる場所はすべてローカル”がモットーの編集者、 ミズモトアキラさんが愛媛から発信するカルチャートピックス 先日、関西から来た友人を連れて、おなじみの喫茶店「田中戸」へ行ったら、三津在住の音楽家・中ムラサトコさんとバッタリ会った。 田中戸名物のかき氷を食べながら、ぼくの友達や中ムラさん、居合わせた常連のナオミさん、店主の田中くん夫妻も混じって、いつものようにくだらないおしゃべりを楽しんだ。 帰り際、中ムラさんが一枚のフライヤーをくれた。道後にある四国唯一のストリップ小屋「ニュー道後ミュージック」で、彼女が仲間のミュージシャンとともに開催する『真夏のエロの夢』というイヴェントのものだった。 中ムラさんとはこんなふうに偶然顔を合わせたときなど、短く言葉を交わし合うくらいの間柄だったけれど、音楽制作やライヴ活動のほか、子どものためのワークショップを全国各地で主宰したり、テレビドキュメンタリ
神奈川県の真鶴町は、高層マンションやショッピングモールのような商業施設はなく、昔ながらの小さな家が建ち並ぶ美しい町。そうした町並みを守った存在として『美の基準』があげられる。『美の基準』は1993年制定、翌年から施行された「まちづくり条例」だ。場所、格づけ、尺度、調和、材料、装飾と芸術、コミュニティ、眺めという8つの観点から、まちづくりを定義している。それぞれのキーワードは、平易ではありながらも、文学的とも思える言葉で表現され、読む者の想像力をかき立てる。 「豊かな植生」「静かな背戸」「終わりの所」「舞い降りる屋根」「覆う緑」「少し見える庭」「小さな人だまり」「さわれる花」など、言葉を拾っていくだけで、おおらかなまちの営みが思い浮かんでくるようだ。 まちづくり、デザインコードという言葉が躍るので、建築法のように思われることが多いが、ここに書かれていることは、住民の意識。強制もしておらず、住
大分県・別府市、最大の観光資源である「温泉」をメインに、新たな観光客を呼び込もうと奮闘している鶴田宏和さん。別府の老舗温泉旅館ホテル「ホテルニューツルタ」を拠点に、今までにないアイデアと行動力で、世界で戦える国際的な温泉リゾートを目指している……というと、壮大なプロジェクトを手がける経営者かと思うけれど、決してそれだけの人ではない。鶴田さんの行動原理は「楽しい」「おもしろい」「心地よい」こと。だから、決して無理はしない。ただ思いついたことはどんどんやる。 もともとあるすばらしい地域資源を、価値あるものにどう掘り起こすか。そのために必要な、新しい視点。そのカギを握るのは、別府の外から来た「移住者」や「外国人留学生」たちだと、鶴田さんは言う。そんな彼らとともに、新しいプロジェクトを手がけ、別府の町の魅力を再定義する。 今年で38歳、人生半分折り返し。自分がどこで、どう生きて行くかは、自分で決め
私たちが暮らす「都市」と「地域」。 その社会をとりまく状況は日に日に速度をあげ、大きく揺れながら変化しています。 地域活性、地方創生、新しい働き方、過疎化、資本主義経済…… 聞きなれた言葉、見慣れた文字が生活の中で流れていく。 あらゆる意味で“自然”と共存するには、ほど遠い世界にあるいまの暮らし。 いま、「なにか違う」「こっちのほうがおもしろそうな気がする」と察知して移動する人たちは、「地域」「地方」「田舎」とくくられる土地に行き着いている。そんな彼・彼女たちの姿を、中沢新一さんはじっと見つめています。 これからの時代に本当に必要な、いまを動かす、古くて新しい哲学。 “無意識”の動きに言葉を与える、新しい思考。 人間の暮らしの“もと”をひも解きながら、 次の時代を生き延びるための可能性を探っていきます。 「人類の、たのしい仕事」はじまり、はじまり! 構成:薮下佳代 題字:吉田勝信 第1回
行き先は、ともだちの地元。 遠くに暮らすともだちに、ひさしぶりに会いにいく。 地図も携帯電話も必要なし。 案内人のともだちの隣で、一緒に過ごした頃の話しをしながら、 ゲラゲラ笑って歩き回ろう。 はじめて訪れる土地。はじめて聞く話。相変わらずの性格。 あの子の生活がある街。 梅佳代、カメラを持ってともだちの地元に行きます。 イラスト:BIOMAN 梅佳代/写真家。1981年、石川県生まれ。2007年、写真集『うめめ』で第32回木村伊兵衛写真賞受賞。以降主な写真集に『男子』、『じいちゃんさま』、『ウメップ』、『のと』、最新刊に『名人』を刊行。共著に新明解国語辞典×梅佳代『うめ版』などがある。日常に溢れる様々な光景を独特の観察眼で捉えた作品が国内外で高い評価を得ている。
この町の人たちは、みんな何かと“忙しい”。仕事も生活も遊びも、すべてがごちゃ混ぜ。オンもオフもない、そんな暮らし。“創造的過疎地”と呼ばれることもある徳島県・神山町。この町に暮らすことは、いわゆる田舎暮らしにイメージされるようなスローライフとは、ちょっとだけ違う生き方をすることなのかもしれなくて�ーー 神山町の移住者の窓口になっているNPO法人「グリーンバレー」が、2013年に開いたコワーキングスペース「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」(以下、コンプレックス)で、町に関わりながらそれぞれのスタイルで仕事をする4人の男女に、神山町の暮らしについて話を聞いた。
「生活、暮らし、サイコ—」と話す彼女のニックネームはゴロゥちゃん。茨城で過ごした高校生の頃からみんなにそう呼ばれている。専門学校で上京し、卒業後はデザイナーとして東京で暮らしたあと、30歳を目前に鳥取の山奥へ引っ越した。作りたいものは、生活。「考えて、動き続ける、今が一番おもしろい」というゴロゥちゃんが作りたい、生活とは? 彼女の暮らしを探りに、鳥取に向かった。 移住というよりも、 ちょっと遠くへ引っ越す感覚 わたしの大体の生活リズムは、 朝、6時から8時くらいに起きる。 掃除、支度、お茶を沸かしたり、洗濯したり、朝ご飯を食べる。 そのあとは、だいたい仕事。 12時、お昼の支度をしてごはん 家で仕事、もしくは外(ミスタードーナツかモスバーガーか葡瑠満)で仕事。 買い物があれば、先にしたり(100円ショップや本屋、ホームセンターなど)。 夕方ぐらいまで仕事して、ディスカウントショップとスーパ
「メディア」のかたちは日に日に変容し、情報を発信する力、読み取る力が求められる時代。私たちはどのように声を出し、他者の声を受け取っていけばいいのか。伝える言葉を編む人たちの「現在地」から考えます。
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