「存在」の起源を問う「哲学」 「存在者」ではなく、「存在」それ自身を問うことの重要性を説いたのが、ハイデガーだった。 ハイデガーは云う。 「哲学するとは『なぜ一体、存在者があるのか、そしてむしろ無があるのではないのか?」と問うことである」(ハイデガー『形而上学入門』22頁) ここでハイデガーがいう「存在者」とは、人間を指すだけではない。動物や昆虫と言った生物だけを指すのでもない。人間、動物、車、様々な形で「存在」する全てである。我々は個々の「存在者」について考える。すなわち、「人間とは何か」、「犬とは何か」、「車とは何か」。しかし、そのとき、我々は「存在」そのものを自明視している。ハイデガーは、個々の「存在者」を問うのではなく、「存在」そのものを問うことが「哲学」だと定義する。 だから、ハイデガーにとって、存在の意味づけを簡単に与えてくれる宗教に基いた「宗教哲学」などというものは存在しない
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