司法に国民の常識を反映させる「民主的」な制度として描かれている裁判員制度。しかし、これをなぜ、今、市民を直接参加させる形で、しかも強制までして実施する必要があったのか。こう問われた時に、明解な回答ができる市民の方が明らかに少ないと思います。そもそもこの点について、「必要であると思うか」という問いかけを、政府もマスコミもしないまま導入されたのが、この制度です。前記そこまでする必要性について、納得したというよりも、よく分からないまま、いつのまにか参加させられているのが現実だと思います。 仮に「民主的」と規定された制度でも、それが国民の意思を問わずに強制されることが「民主的」なのか、という矛盾を指摘することはできますが、それがゆえに、むしろここでわれわれが見逃していけないのは、むしろこの「強制」そのものに目的があったのではないか、という点です。つまり、「強制」に対する国民の耐性、その実験もしくは