先週の記事「『子どもの幸福』と『自己肯定感」をつなぐもの』(「太陽のまちから」2015年10月20日)に、たくさんの反響をいただきました。「子どもだけの話じゃないよね。大人にも言えること」「子どもの自己肯定感には、現場の先生の影響が大きい」「子どもが新しいことにチャレンジする場や人と触れ合う機会がほしい」「否定や強制ではなく、子どもたちが心豊かな人間になれるよう手助け的な助言をしていきたい」といった声が多く寄せられました。このテーマは、子育てや教育にかかわらず、「日本というシステム」の根幹に触れるものなのかもしれません。今回、もう少し掘り下げてみたいと思います。 「私は私です」、言い換えれば「自分は自分です」という単純素朴な言葉を、すっきり言い切れない人が少なからずいます。ポジティブな自己評価を人前で語ることなく、「大した者ではございません」「どこにでもいるつまらない者でございます」と自己
“携帯電話の無料通話サービスを利用して、友だちや彼氏と話もせずに携帯電話をかけっ放しにしている中高生がいる” という話が、最近ネット上で話題になった。通話状態の携帯を放置したまま、ゴソゴソという生活音だけをお互いにただ流しているというのだ。現実にかけっ放しをしている中高生がどれだけいるか、真偽のほどは定かじゃない。だが、正直「あり得るだろうな」と思った。 誰かとつながっていたい。そう思う気持ちは誰にでもある。前回取りあげた『「痴呆老人」は何を見ているか』(大井玄著、新潮新書)でも、人が幸福に生きるうえで他人との「つながり」が大きなウェイトを占めていることが示されている。 いまの世の中、「つながり」を物理的に実感させてくれるツール(ネットや携帯電話)にあふれている。「つながり」を求めずにはいられない人々は、さらなる「つながり」を求めて携帯の、パソコンの、液晶画面を注視する。その究極の現われが
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