タグ

2011年2月6日のブックマーク (5件)

  • 外国人旅行者増よりも国際観光赤字の早期解消を

    2010年の外国人旅行者が前年比26%増の861万人まで増え、当初の目標であった1,000万人には届かなかったものの、観光庁をはじめとして、2003年以来実施している「ビジット・ジャパン・キャンペーン」における国内外での観光客招致活動を評価する声も聞かれる。しかし、この結果を額面どおり評価して良いのだろうか。  (資料出所:平成22年度観光白書) たしかに、観光客数の変化をグラフで見ると、平成15年(2003年)からはグラフの上昇角度が上がっており、自然増だと平成22年時点ではおよそ650万人程度だったと予測されるところを、政府のキャンペーンで200万人の招致に成功したという解釈も成り立つ。しかし、7年間で200万人ということは、年間約30万人しか純増できておらず、年間7,800万人の旅行者を受け入れるフランス等と比較すると議論のベースとなるケタが違っており、「観光立国」としては少々心細

    外国人旅行者増よりも国際観光赤字の早期解消を
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/02/06
    『混雑して疲れ果てるためだけに行く国内観光地のイメージを払拭し、日本人にとっても魅力的な日本の観光資源づくりが重要』『外国人旅行者に対する一般市民のホスピタリティが決定的に欠如している』
  • 日銀議事録 ゼロ金利解除の失敗に学べ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    日銀議事録 ゼロ金利解除の失敗に学べ(2月6日付・読売社説) 日銀の金融政策決定会合の議事録が公開され、2000年8月に、それまで1年半続いたゼロ金利政策を解除した際の経緯が明らかになった。 139ページの文書には、当時の速水優総裁らが景気は十分回復したとして「ゼロ金利解除ありき」の方針で会議に臨み、反対論を封じた様子が記録されている。 だが、日銀の見込みと違い、景気はその後腰折れし、日経済は格的なデフレに見舞われた。 このため、日銀は利上げからわずか半年で、ゼロ金利政策よりもさらにデフレ対策として強力な措置とされる量的金融緩和策への転換を余儀なくされた。 金融政策の迷走はなぜ起きたのか。景気に薄日の差す今こそ、議事録に刻まれた「苦い教訓」をかみしめ、今後の政策運営に生かさねばならない。 00年は金融不安が一服し、景気が一時的に回復したため、日銀はゼロ金利の解除を目指した。金利を早くプ

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/02/06
    で、そのじゃぶじゃぶ出回っているはずのカネはどこへ消えて(市場に余り回らなくなってい)るのか検証したことはあるんだろうか?(当分熟考は必要だが、それでも上記の主張にはまだ疑問が残る…)
  • 【主張】原油高騰 日本も危機感持ち対処を - MSN産経ニュース

    エジプトなど中東情勢の緊迫化で原油価格が高騰している。急激な値上がりは、回復傾向の世界経済に深刻な影響を与えかねない。対岸の火事ではなく、日も危機感をもって対処すべきだ。 エジプトのスエズ運河は、欧州向けを中心に日量200万バレル近い原油が運ばれる大動脈だが、政情不安の影響でロンドンの原油先物市場は2年4カ月ぶりに1バレル=100ドルを突破した。 5日にはエジプトでイスラエル向けの天然ガスのパイプラインが爆発炎上し、さらなる混乱の懸念も広がっている。 先進国は産油国に増産を促すなど、価格上昇をい止めるため協調姿勢を示すべきだ。原油や料などの高騰によって、世界経済が混乱した2008年の轍(てつ)を踏んではなるまい。 3年前の騒ぎを思い出してほしい。7月に原油先物相場は史上最高値の1バレル=140ドル台を記録し、料価格が高騰して途上国が料の輸出を規制するなど大きな混乱が起きた。今回も

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/02/06
    "騒乱"が起きない限り、(新)自由主義を掲げる自称保守(笑)が「危機感」を口にすることは滅多にないという好例でもありますねぇ(苦笑)
  • 【主張】建国記念の日 政府が主催し祝うべきだ - MSN産経ニュース

    11日の「建国記念の日」を前に、西岡武夫参院議長が政府主催の祝賀式典を行うべきだとする書簡を菅直人首相あてに出した。 書簡では「いやしくも国家の基精神に関する国の祝日である以上、政府が率先してこの日を祝うことは、極めて当然のことであると思われる」と記されている。 まったくその通りだ。西岡氏の主張が一刻も早く受け入れられ、政府主催の式典が実現することを強く望みたい。 「日書紀」によれば紀元前660年、初代神武天皇が橿原宮(奈良県)で即位した。現行暦に直せば2月11日にあたり、その日をもって日の国づくりが始まったのである。 神話につながる建国の物語は、その後の日歴史を連綿と生き続けた。王朝が断絶し次々交代する国がほとんどのなかで、奇跡ともいえるほどまれな例となったのは、私たちの祖先が、建国の歴史とともに一系の天皇を戴(いただ)くことに畏敬の念と誇りを持ち続けたからにほかならない。 明

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/02/06
    たまには違う切り口で紀元節を語って欲しいなぁ(笑)
  • 永田洋子死刑囚が死亡 元連合赤軍幹部 - MSN産経ニュース

    昭和46~47年にかけて起きた一連の連合赤軍事件にからむ大量リンチ事件で殺人罪などに問われ、死刑が確定している元連合赤軍幹部の永田洋子(ひろこ)死刑囚(65)が5日夜、死亡した。 永田死刑囚は脳腫瘍が悪化し、面会者が訪れても相手が判別できない状態になっていることが、元赤軍メンバーら関係者による集会で明らかになっていた。 昭和59年に手術、さらに数年前にも再手術を受け、一時、危篤にも陥っていた。その後、ほとんど視力も失っていたという。 平成5年に確定した公判判決によると、永田死刑囚は昭和46年8月から47年2月にかけて、組織を抜けた仲間2人を絞殺したほか、群馬・榛名山などの山岳アジトで“総括”と称するリンチで仲間11人を殺害、1人を死亡させた。 大量リンチ事件や「あさま山荘事件」など一連の連合赤軍事件では計16人を起訴。死刑2人、無期懲役1人、有期懲役11人、獄中自殺1人、クアラルンプール事

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/02/06
    昭和の暗黒面の一つが多くを語らずに消えた、とでも言えば満足なんでしょうかね(苦笑)