紀元前6世紀頃。現在のイラン北西部一帯を支配していたメディア王国は、西方で急激に力を付けてきたアッシリアからの攻撃に備え、首都エクバタナの防備を固め始めた。大勢の労働者を動員して、強大な切石で築かれた高さ30メートル以上、厚さが20メートル以上ある城壁で町をぐるりと取り囲む。城壁の一角には堅固な城門を作ったが、その幅は18メートルもあり、王の軍勢が隊列を組んだまま出入りできたという。城門脇には高い塔を建てて、遠方からの敵の接近にも警戒を怠らない。 巨大な城壁を短期間で作り上げるだけの財力が、当時のメディアにはあったのだ。国は富み、国民は平和を享受していた。もちろんメディアには巨大な城壁だけでなく、それに匹敵する軍隊もあっただろう。国の指導者にとって、防衛の強化は国民の生命と財産を守るために必要不可欠なものだ。こうした軍備を誇示することが、近隣国に対する抑止力にもなる。だがあまりにも急激な防