しばらく前に「日本論をやる」という意味のことをちょっと書いた。だが、僕にとって「日本論」とは、日本にあるものについて書くというよりも、逆に日本にないものについて書くことだ。むろん、これまでは日本にあるもので十分に事足りた。そもそも、日本は歴史的に見ても明らかに特殊な国であり、またその特殊さが長く一種のアドバンテージになっていたからである。しかし、いまその優位を無条件で肯定できると考えるのは、いささかお気楽な態度だろう。 実際、いまの日本文化は表面上、ちょっとした空白期になっている。たとえば、ついこのあいだまでいわゆる「アキバ系」の表現が日本を騒がせていた。そして、一部ではそこに、国際競争力を備えた日本の新しい文化産業があると期待されていた。ところが、メディアや産業界がどう捉えているかは別にして、新興の「アキバ系」文化は――ライトノベルにせよノベルゲームにせよ――、現実には手持ちのカードを