東日本大震災から11日で2年を迎えるが、3日は約3千人の犠牲者を出した昭和三陸津波から80年の節目でもある。三陸地方では「津波石」と呼ばれる巨石が大津波で繰り返し打ち上げられてきた。被災の記憶を伝えようと保存の動きがある一方で、復興を優先するため撤去せざるを得ない現実もある。「物言わぬ津波の証人」の行方を追った。(草下健夫) 岩手県大船渡市の三陸町吉浜。民家が立ち並ぶ高台から沿岸部に下りると、津波で荒れ果てた農地が広がる。崩れ落ちた道路脇には、高さ2メートルを超える石がむき出しになっている。 「昭和八年三月三日ノ津波ニ際シ打上ゲラレタルモノ」。昭和三陸津波で運ばれた津波石だ。海岸からの移動距離は約200メートル、重さは約30トン。津波の脅威を記す文字が丁寧に彫り込まれている。 「子供の頃、よじ登ってよく遊んだものです」 地元の●木沢(はのきざわ)正雄さん(83)は、石をなでながら話す。教訓