先日の記事に、池田信夫さんからレスポンスをいただきました。「高齢者の高福祉と若者の高負担…をどこまで容認するかという世代間闘争」が、今後の政治の争点になるべきだというのは、私も同意見なのですが、しかし池田氏自身がしばしば嘆かれているように、現在の日本では当の若者たちが、(脱原発や反TPPでは盛り上がっても)そのような方向には立ち上がらない。実は、これは理念的に真逆の立場の論者から見ても同様のようで、「新自由主義的な格差社会で一番苦労するはずの不安定雇用の若年層に限って、小泉改革を支持して自分で自分の首を絞めている」式の言説が、数年前まで論壇を席巻していたことは記憶に新しいでしょう。あらゆる陣営から首尾一貫性のなさを叩かれてばかりの「若者」は、果たして思慮が足りないのでしょうか。どうして日本では、理念的な整合性を伴った構図での「改革」が貫徹されないのかを、歴史的に考えてみます。 拙著でも論じ