日本労働年鑑 第26集 1954年版 The Labour Year Book of Japan 1954 第三部 労働政策 第三編 労働組合・共産党・大衆運動対策 外国人登録法の制定 主として朝鮮人対策である外国人登録法は第一三国会で成立し、四月二八日公布されたが、その制定の理由を政府は次のとおり説明した(四月三日参議院外務・法務委員会における政府委員の説明。) 現行の外国人登録令は、昭和二十二年五月ポツダム勅令として終戦後における最初の外国人管理法規として制定実施せられたものであります。その後昭和二十六年一一月出入国管理令の施行に伴い、一般外国人の出入国については管理令の適用を受けることとなり従って外国人登録令は一般外国人の登録関係と朝鮮人及び台湾人の出入国の規則とがその内容をなすに至りました。 平和条約発効後においては、朝鮮人及び台湾人は、日本の国籍を離脱し、外国人として出入国管理令
札幌市で1952年に白鳥一雄警部(当時36歳)が射殺された「白鳥事件」を考える集いが27日、同市中央区であった。事件前の謀議に加わり殺人ほう助罪で57年に有罪判決を受けた元北海道大学生、高安知彦さん(82)=同市西区=が講演、「白鳥事件は政治テロ。殺人事件に変わりはない。幼稚な考えで標的にしてしまい、白鳥警部やご遺族に申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪した。高安さんが公の場で事件を語るのは初めて。 高安さんは50年春に北大入学後、共産党に入党し、党が軍事路線を掲げた51年秋に地下組織に参加。白鳥警部については「無届けデモなどで警官隊を指揮し、党員で顔を知らない者はいなかった」と証言した。 事件から1年半後に逮捕。獄中で党を離れ、党の関与を全面自供し、57年に懲役3年、執行猶予3年の判決が確定した。「一緒に地下活動した仲間は良いやつ。結果的に裏切ることになる。こんなにつらいことがあるかと思っ
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