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アメリカ大統領選
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グーグルがメガネ型ウェアラブル・コンピューターの 研究をしているというのは、驚きの発表だった。 宇宙エレベーターなども研究しているというが‥‥ ●これひとつあればケータイもコンピューターもいらない? 前回はグーグルが始めたクルマの自動走行プロジェクトをとりあげたが、「プロジェクト・グラス」もグーグルらしくておもしろい。メガネにコンピュータを仕込んだウェアラブル・コンピューターの研究をしている。 グーグルのSNS「グーグル・プラス」にもページができていて、こう紹介されている。 「われわれは、テクノロジーはあなたのためのものであるべきだと思う。あなたが必要とするときにはそこにあり、必要でないときにはあなたの邪魔をしない。われわれはこうしたテクノロジーを打ち立てるためにプロジェクト・グラスをスタートした。しかるべき瞬間にあなたを立ち戻らせ、あなたの世界を探索し共有するのを助ける技術だ」。 サイト
邪悪にならないというグーグルの題目はうそっぱちだと 激しく怒った人物がいる。スティーブ・ジョブズだ。 ジョブズはなぜそんなに激しい怒りを抱いたのか。 ●「崇拝者」に手ひどく裏切られたジョブズ このところ創立者2人や最高幹部たちの取材を踏まえてグーグル内部を書いたスティーブン・レヴィの『グーグル ネット覇者の真実』という本をとりあげている。この本でとくにおもしろかったのは、スティーブ・ジョブズを激怒させたくだりだ。 グーグルの創立者サーベイ・ブリンとラリー・ペイジは、ジョブズを崇拝していた。大学院生のときにグーグルを創立し、会社経営に長けた人間をCEOとして迎え入れることになり、結局はソフトウェア企業ノベルのCEOをしていたエリック・シュミットに白羽の矢が立ったが、そもそもブリンとペイジのお眼鏡にかなっていた候補者はスティーブ・ジョブズただひとりだったという。アップルに戻って立て直しにかかっ
「悪いことはしない」を社是としてきたグーグルが、 「甘い誘惑」に負け始めるきっかけになったできごとが 少なくとも過去2回はあったのではないか。 ●「情報の宝の山」という誘惑 グーグルは「悪いことはしない」を社是とし、自分たちの金儲けよりも利用者のことをまず第一に考えると言ってきた。ストリートビューのように批判が殺到した場合も、根底にあったのは、こうした機能ができれば便利で喜ばれるはずだという「善意」だった。その善意がだんだんとそのまま取られなくなり、世の中と微妙な「ずれ」が生じ始めていまに到っていると前回書いた。 善意の行動がそのまま善行とはならず、結果として「悪」になるということはありうることだが、少なくともグーグル自身は、だいたいにおいて善意のもとに行動してきたと私も思う。 ただし、最高幹部を含めてグーグルのスタッフたちを長時間にわたって取材しグーグル内部のようすを描いたスティーブン・
グーグルは「悪いことはしない」を社是にしてきた。 そのグーグルがしばしば悪の権化のように非難される。 なぜそうしたことが繰り返されるのか? ●社会からずれていったグーグル ネット・ベンチャーからネットの王者に駆け上がったグーグル内部でどんなことがあったのか。今回は、グーグルの最高幹部をはじめスタッフたちに長時間にわたって密着取材しグーグル内部を描いたスティーブン・レヴィの『グーグル ネット覇者の真実』を手がかりに、そうしたことを考えてみたい。 グーグルは、「悪いことはしない」をモットーにしてきたにもかかわらず、悪いことをしていると見られることが増えてきた。たとえばわれわれのプライバシーを無視し、周囲の困惑をものともせず、ひたすら自分たちの金儲けを追及しているのではないかとときに見られる。 その原因のひとつは、まさにこの「悪いことはしない」という自負にあったように思われる。もし自分たちが悪い
新たな機能をどんどん増やし続けてきたグーグルが、 乱立を嫌って、「大掃除」をするようになってきた。 グーグル内部で何が起こっているのか。 ●グーグルに対して感じ始めた漠然とした不安 グーグルのウェブ・メール「Gメール」を使っている人は多いだろう。私も使っている。Gメールで送受信したメールはすべてグーグルのコンピューターに保存されているので、自分のパソコンにはメールをまったく保存しなくなった。最初のころは用心してメール・ソフトも使って保存していた。しかし、グーグルがクラウド・ビジネスに熱心でGメールの保存容量を拡大させていたこともあって、いつのまにかやめてしまった。メール・ソフトそのものももうほとんど使っていない。 しかし昨年9月、そんなにグーグルまかせにしていいのかと少し不安を感じ始めた。グーグルが、「グーグル・デスクトップ」をやめてしまったからだ。 グーグル・デスクトップというのは、パソ
裁判員は法律のシロウトであるにもかかわらず、 妥当な判断をしているようだ。 それならば、政治についてもシロウトにゆだねてみては? ●政治にも裁判員制度 裁判員制度に対して、シロウトの裁判員で大丈夫なのかという心配があったが、メディア報道などで知るかぎり、かなりうまくいっているようだ。 クジで選ばれた裁判員が、むずかしい事件にもきちんと判断し妥当な答えを出せるのであれば、政治についても同じことができるのではないか。たとえば消費税増税の是非 とか、これからの社会保障をどうするかなどといったことについても判断できるのではないか。 しかし、こうしたむずかしい政策について少数のシロウトが判断して、ほかの人が納得するかどうか。そのほうがむしろ問題かもしれない。多くの人に納得してもらうためには、クジで選ぶにしても、前回までとりあげた討議型世論調査のように、人口動態なども配慮して「みんなの意見」を代表して
「熟議の民主主義」と呼ばれる政治手法が模索されている。 行き詰まった政治の現状を打破するのは クジによって選ばれた「ふつうの人びと」かもしれない。 ●選挙で選ばれた政治家の主張はすべて正しいのか 大阪府知事から転身して大阪市長になった橋下徹氏は、高い人気を背景に国政レベルでも「台風の目」になりつつある。橋下氏の主張には賛成できるところもあるし、逆にどうなのかと思うところもあるが、橋下氏の発言でもっとも困惑するのは、「自分は選挙で選ばれたのだから、自分の言うことが民意だ」と、ことあるごとに繰り返している点だ。 橋下氏に投票した人も、その主張すべてに賛成したわけではないだろう。橋下氏ならば行き詰まっている現状を変えてくれるのではないかと、個々の政策の賛成・反対を超えて投票した人も多いはずだ。しかし、「自分の言うことが民意だ」という橋下氏はそうは解釈していない。政策すべて支持されたと思っている(
歌田明弘の『地球村の事件簿』 週刊アスキー連載「仮想報道」などの原稿のアーカイヴやリンクが中心です(詳しくは「プロフィール」参照)。編集部との話し合いで、週刊アスキーの原稿は発売後、次の金曜日以降に公開することになっています。つまり、実際に書いたのは公開日の2週間ほど前です。 政治家の議論がたいていおもしろくないのは、立場があらかじめ決まっているからだ。野党の政治家は、与党の言うことに反対するつもりで議論している。た とえ内心は相手の言うことがもっともだと思っても、ともかく反対する。意見が変わらないのでは議論を聞いていてもスリリングではない。国会の議論も同じで、どこの党の政治家かによって言うことが決まっている。 いまの国会を与党・民主党は「熟議の国会」などと呼んでいるそうだ。参議院で過半数割れしている現状では、与党は、野党と話し合って賛成してもらうしかない。それでそう言っているわけだが、野
一般意志2・0は、無意味なユートピア思想か、 それともすでに実現されているものなのか。 ネットに飛び交う意見から、その可能性を考えてみる。 ●無意味なユートピア思想 東浩紀氏の『一般意志2・0』について前回までの原稿を書いたあと、ネットで出ている意見をあれこれ読んでみた。『一般意志2・0』は、ネットで民意を把握し、統治に反映することを提案している。読んだなかでとくにおもしろかったものがふたつあった。 ひとつは『一般意志2・0』は、国家が暴力装置だという事実を理解していない、政治的に無意味なユートピア思想だという池田信夫氏の辛辣な批判だ。 すでに書いたように、東浩紀氏の『一般意志2・0』は前半と後半で落差がある。 前半を読むと、いまの間接民主主義に代わる直接民主主義の可能性が示されるのではないかと期待を抱くのだが、後半に示される具体的なシステムの例はニコニコ動画である。 国会の議論や審議会な
これまでの政治は、政治家や有権者の欲望によって歪められてきた。 そうでない仕組みはできないか。 いまの時代にふさわしい仕組みがあるのでは? ●選挙に代わるもの 選挙で選ばれた政治家が政治的決定をする間接民主主義への不信感が高まっている。首相を直接選挙で選ぶ公選制を求める声も強くなっている。 前回、ネットを使って民意をリアルタイムで把握し、統治に反映させることを提案した東浩紀氏の著作『一般意志2・0』をとりあげた。 フェイスブックのような実名SNSまで登場し、デジタル世界が現実世界を呑みこまんばかりになっている現在、社会の仕組みもデジタル環境に対応したものにする必要がある。そういう意味でも『一般意志2・0』は興味深いが、後半で 具体的な仕組みの例として提案されているのはニコニコ動画だ。飛び交うコメントを政治的決定に反映させるというが、意見の代表性が疑わしい。東氏も、全面的に反映させろなどとは
選挙によらずして「民意」を汲みとる、 かつてルソーが夢見た政治の可能性が このネットの時代になってほのかに見えてきた。 ●予測市場が切り開く政治 民主主義には議論が必要だ。議論もせずに決めるのは独裁的だと思われている。 しかし、いまの日本の政治は、議論ばかりでなかなか決まらない。たとえ決まったとしても、妥協に妥協を重ね、成果があがらない。あげく「いまの政治に必要なのは独裁だ」などと過激なことを言い出す人まで現れる。極論ではあるが、政治の現状を見ると共感する人もいるだろう。 東浩紀氏の『一般意志2・0』は、議論を経ない統治の可能性を検討している。 フランスの思想家ルソーは、著書『社会契約論』で、「一般意志」によって社会が統治されるべきことを説いた。 この「一般意志」というのはきわめてわかりにくい概念で、個人の意志の総和つまり世論ではない。複数の個人の意志から「相殺しあうプラスとマイナスを取り
ネット上の死は、現実の死とイコールではない。 死んでも情報発信はできる。 そんな不思議な時代がやって来つつある。 ●冗談のようで、これほどシリアスなことはないアプリ 利用者が死んだときにフェイスブックがどう対応しているかについて前回書いたが、ワイアードの記事がおもしろいフェイスブック・アプリを紹介していた。「もしも私が死んだなら(if i die)」というアプリだ。 死んだ後にフェイスブックに自動投稿してくれるアプリなのだそうだ。このアプリのサイトにアクセスしたら、雲の上に羽根が舞っている「いかにも天国」といったイラストが現われた。 Q&Aを見ると、のっけに「これは冗談ですか?」と書かれていて、笑ってしまった。 たしかに、冗談みたいなアプリだ。こう解答している。 「もしも死があなたにとって冗談なら、それならば、そうでしょう‥‥ 実際のところはこれ以上シリアスなことはないです。われわれがユー
フェイスブックは、社員の死に直面し、 独自の死者追悼の仕組みを作った。実名SNSは、 とりわけ死者と向かいあわなければならないようだ。 ●死者のことを考えるには日本のネットは若すぎる? このところ利用者が死んだときにネット企業がどう対応しているかについて書いている。 故人が遺言を残しでもしないかぎり、サービス提供者が独自に対応しなければならないわけだが、勝手にやれば問題になる。 前回書いたように、グーグルやツイッター、リンクトイン、英語版ウィキペディアなどは利用者が死んだ場合にどうするか、ヘルプページなどで明記していた。しかし不思議なことに、ヤフー・ジャパンやミクシィ、グリーなどの国産ネット企業のサイトにはこうした記述は見あたらなかった。メメント・モリ(死者を思え)のキリスト教文化圏と、死を不浄のものと考える文化圏の違いということなのか。 匿名が中心のサービスならば問題が起きにくいというこ
ネット企業は、死んだ利用者のコンテンツをどうするかについて苦慮している。 今後ネット上の死者はますます増えていくわけだが‥‥ ●年間110万人の利用者が死んでいる 自分のコンテンツがどうあつかわれるかは、死んでいく人も気になるかもしれないが、死んでしまったらどうしようもない。遺言を残しでもすれば別だが、そうでなければ生きている人にお任せするしかない。生き残った人たちのほうは、解決しなければならない問題として突きつけられる。 難問だが、幸いなことには、たいていはそうしょっちゅう向きあわなければならないことではない。しかし、サービス提供者はそうはいかない。「デザート・ニュース」の「ソーシャルメディアにおける死後の生」という記事によれば、1年間で110万人のソーシャルメディア利用者が死んでいっているそうだ。サービス提供者にとっては日常的な問題ということになる。 ネット企業はどう対処しているのだろ
「タイムライン」が全世界で本格的に導入され始めた。 利用者の一生を記録し、一覧表示できるようになり、 「永久保存」されて格好のネット墓地になる? ●フェイスブックはどうしておもしろいのか アマゾンが日本で電子書籍事業を始めるかどうかについて途中1回だけ書いたが、それをはさんで秋からずっとフェイスブックについて書いてきた。この連載は今回で714回目だが、ひとつのテーマをこんなに続けて書いたことはない。グーグルもずいぶんとりあげてきたのでトータルするとグーグルの回数のほうがまだ多いだろうが、こんなに続けてとりあげはしなかった。 そうなったのは、SNSについてけっこう早くにとりあげたものの、その後あまり興味を持てず放置していたこともある。ところが、少し調べてみると、フェイスブックはほかのSNSに比べてずっとおもしろかった。使ってみておもしろかったというよりも、「思想」がおもしろかった(こんなにと
20代の若者がメガトン級のネット企業を作りあげる などということは、日本では考えにくいが、 アメリカのベンチャーには支える優秀な人材がいる。 ●注目度をあげている華麗なキャリアのナンバー2 私のように原稿を書いている人間はフェイスブックに批判的なことを書くが、8億もの利用者がいるフェイスブックに問題があると言うのは、ネットでビジネスをしている人にとって言っても仕方がないたぐいのことかもしれない。CEOのザッカーバーグが目指すとおりフェイスブックがネットの基本的なインフラになってしまえば、自分の立っている大地に文句を言っても始まらないのと同様、イチャモンをつけても仕方がないことになる。 日本ではフェイスブックはまだそこまでは行っていないが、このまま成長を続けていくと世界レベルではますますそんな存在になっていくだろう。 こうした急成長を成し遂げたのは、第一にはもちろん創立者でCEOのザッカーバ
フェイスブックの先進国アメリカでは、数々の病理が生まれている。 「いかにも」な症状ばかりで、 日本でもまもなく「発症」するかもしれない。 ●嫉妬深くなる――フェイスブック症候群1 詳細なプロフィールを登録させるフェイスブックにはプライバシーの問題がつきまとっているが、米メディアによれば、それ以外の問題も起こっている。 ツイッターやフェイスブックでつながっている人は、会ったことがなくてもその行動や考えがわかる。こうしたネット上の知りあいは、リアルな世界の知りあいよりもずっとよく知った間柄になる。 だから以前タイトルにしたように、「フェイスブックはストーカー?」ということにもなってくるのだが、ツイートなどをずっと追いかけていると、短編小説を読んでいるような気がしてくる。どこにでもいそうなふつうの人だけど、そこには喜びも悲しみもあって共感を感じる‥‥などということもよく起こる。 リアルな人間の記
プライバシーの壁を下げて情報共有を推し進める ことについてザッカーバーグは「確信犯」だ。 米連邦取引委員会との攻防にもそうしたことが見てとれる。 ●米連邦取引委員会が指摘したフェイスブックの問題点 フェイスブックは、さすが旬のサイトということか、書いている端から次々と新たな出来事が起こる。 11月末フェイスブックは、プライバシー侵害をめぐる取り締まり当局との争いについて和解した。米連邦取引委員会(FTC)はフェイスブックの次のような問題点をあげて提訴していたが、フェイスブックは今後の対応について指摘を受け入れた。 情報共有に積極的なあまり個人情報の保護がなおざりになりがちなフェイスブックのありようはすでに指摘してきたが、政府の委員会によってあらためて列挙されると、問題の根の深さが感じられる。 1 09年12月、フェイスブックはサイトを更新し、利用者がプライベートに設定した友人リストなど
27歳の若者の手の上に何億人もの個人情報が乗っている。 驚くべきことが起こっているわけだが、 それによって世界はどうなる? ●日本上陸に成功してもしなくてもフェイスブック的世界 アメリカの若者がどんなことを思っていたとしても、日本にいるわれわれにはたいていそれほどの影響はない。しかし、その若者がウェブを根本的に変えよう としていて、実際にその力があるとなれば別だ。その若者というのは、このところ取りあげているフェイスブックの創立者でCEOのザッカーバーグだ。 フェイスブックが日本で普及するかどうかはまだわからない。しかし、ミクシィやグリーといった日本のSNSもフェイスブックの強い影響を受けている。 「フェイスブックのマネをしている」と言えば、これらSNSは怒るだろう。マネをしているのではなくて、自分たちも同じようなことを考えていて、SNSの 進化を考えるとフェイスブックと似てくるというのが
フェイスブックの創立者ザッカーバーグが、 利用者をバカな奴らだとあざ笑っていたメッセージが暴かれた。 自分は大きく変わったと言うが、ほんとうに変わったのか。 ●ウェブ3.0 フェイスブックによって実名化が進行している。ブログが普及して多くのひとが情報を発信し、それは「ウェブ2.0」と呼ばれたが、フェイスブックが引き 起こしつつある変化はウェブ3.0と呼ぶのにふさわしい。実名化によってリアルな世界とバーチャルな世界が結びつけば、ネット外の世界の革命も引き起こす。 世界8億人の利用者を得て大革命を仕掛けているのは、まだ27歳のフェイスブックのCEOザッカーバーグだ。そんな年齢の若者に世界の運命をゆだねて大丈夫なのかと不安をかきたてる事件も、これから書くように起こっている。しかし、「情報を共有するのはいいことだ」と感覚的にわかっているのは若い世代だ というのが彼の考えだ。情報の透明性の向上には老
フェイスブックの今年の開発者向けイベントは、 SF映画もどきの発表だった。 人生が簡潔に表示され、 友人・知人がいま何をしているかまでわかるという。 ●フェイスブックのプラットホーム化の歴史 フェイスブックの「いいね!」ボタンをウェブのあちこちで見るようになってずいぶん経つ気がするが、まだ1年半らしい。 さまざまなサイトに設置されている「いいね!」ボタンなどは「ソーシャル・プラグイン」と名づけられているが、昨年4月に発表された。 Windowsがパソコンのプラットホームになったように、フェイスブックは、インターネットのプラットホームになることを目指しており、着実に地歩を固めている。 フェイスブックがプラットホームという言葉を使い始めたのは07年のことだ。「フェイスブック・プラットホーム」と名づけて、フェイスブック上で外部制作者のアプリを動かせるようにした。 フェイスブックは毎年「f
透明性が高まれば高まるほど世の中はよくなるという フェイスブックの確信はどこから生まれたのだろう。 創立者の過去に、その答えがあるのではないか。 ●「グーグルの時代」の終わり? 1998年に会社を設立したグーグルは、2004年に株を上場して莫大な資金を確保し、ここ10年近くネットは「グーグルの時代」が続いてきた。グーグルが新しいことを始めるたびに大騒ぎ。ネットの枠組みをグーグルが作ってきた。帝王グーグルのもとにネットの統治が行なわれてきたわけだが、そうした「パックス・グーグル」の時代は終わろうとしているのかもしれない。 誰よりもそうしたことを感じているのはグーグル自身だろう。 グーグルのセルフ広告を引っ張ってきた女性幹部シェリル・サンドバーグを筆頭に、グーグルからフェイスブックへの人材流出が続いている。 フェイスブックの野心の大きさからいっても、グーグルが脅威を感じるのは無理もない。
フェイスブックが浸透するというのは ネット全体が実名化するということでもある。 そうした次世代のネットの誕生によって起こることは? ●ウェブ全体がフェイスブックに組みこまれていく コンピューター・ウィルスは困った存在だが、ウィルスのように広がるのは、ネットの重要な特徴だ。それがあるときは破滅的な結果を引き起こし、あるときは政治権力をひっくり返し、またあるときは、ボランティアなどの善行を広める。 フェイスブックがネットで広め始めたのは、「実名」である。ネットで情報発信する人々を、匿名の存在から実名の存在に変えていく。 情報発信を実名でするか匿名でするかはしばしばネットで熱い議論になったとはいえ、これはそんなに大きな変化なのか。 私も最初はそう思っていたが、どうもこれは世界を変えるぐらいに大きなことかもしれない。理屈を考えると、そういう気がしてくる。 他のサイトにないフェイスブックの圧倒的に優
世界最大のSNSフェイスブックと、政府の機密情報をあばくウィキリークス。 いまのネットを象徴するこのふたつの組織は、似た信念に駆られている。 ●フェイスブックうざい、消えてよし 「ツイッターやフェイスブックのようにリアルタイム性の強いソーシャル・メディアでは、自分が何をしているかが他人に筒抜けになる。なんでわざわざそんなことを伝えなきゃなんないんだ」と以前書いたが、フェイスブックについてあれこれ読むと、どうやらこうした違和感は、フェイスブックというソーシャル・メ ディアをめぐるまさに核心の疑問だったようだ。「よくある疑問」であると同時に、フェイスブックの創立者ザッカーバーグが、いまの社会に突きつけた挑戦で もある。 ザッカーバーグの思想の源には、情報の透明性についての信念がある。それはひとことで言えば、「透明になればなるほど世の中はよくなる」というものだ。 そして、好むと好まざるとにかか
なかなか本格的に立ち上がらない電子書籍をめぐって きな臭い情報戦争まで始まったかのようだ。 いろいろな思いが交錯して、電子書籍はどこへ行く? ●奇妙な日経の記事 今回もフェイスブックの話を続けるつもりだったが、電子書籍をめぐって奇妙な動きが出てきたので、今回は予定を変更して、その話を書いておこう。 日経は10月20日に一面トップで、年内にもアマゾンが日本で電子書籍事業を開始するというスクープ記事を書いた。大手出版社との契約交渉が詰めの段階になっていて、妥結がまもないことを強く匂わせる記事だった。 この話はネットでも話題になったし、記事を読んだ人は、アマゾンが日本でも電子書籍事業を開始し、アメリカのように本格的な電子書籍時代が来ると思ったにちがいない。実際、日経もそう書いていた。 「電子書籍元年」と呼ばれた昨年来、各大手紙は電子書籍に記者を配置し、ゆくえを追いかけてきた。だから日経に抜かれて
匿名志向の強い日本では、「実名登録が原則の フェイスブックは流行らない」などと言われるが、 実名登録したくなる要素がフェイスブックにはあった。 ●もともとのフェイスブックは「お見合いアルバム」 「リアルタイム性の強いソーシャル・メディアは嫌いだ」と以前書いたが、そうは言っても、フェイスブックは、CEOのザッカーバーグの言うとおり、世界を変えるかもしれない。 情報発信を匿名ですべきか実名ですべきかは、ネット誕生以来、熱い議論のマトだった。過熱した事件がしばしば起こる韓国などでは、容易に実名がわかるように立法化までした。 しかしフェイスブックでは、利用者たちが実名で情報発信をしているばかりでなく、性別や誕生日、血液型から学歴などの経歴、好きな音楽・本・映画・ゲーム、趣味等々、自分の詳細なプロフィールをみずから進んで登録している。 これまでいろいろなサイトが個人情報を得ようと苦心惨憺してきた。フ
フェイスブックは、情報過剰時代に適合しているプラットフォームだ。 そのことが、グーグルの大きな脅威になっている。 ●明かされたフェイスブックの価値基準「エッジランク」 フェイスブックはきわめてわかりにくいと以前書いたが、「わかりにくい」のではなくて、じつは「わからない」のだ。フェイスブックのプログラムが判断して決めているからだ。 たいていのソフトは最初はむずかしくても、しばらく使っているうちにわかってくる。しかし、フェイスブックの場合は、フェイスブックの機能を使っておこなった行動が、友達のページなど他人のページ(「ニュースフィード」)にも反映される。自分の関知しないところで反応が起こっている。 「知らないところで起こっているから気にならない」という人もいるかもしれないが、「起こっているらしい」と知ってしまうと、コワくなってこないか。 こんな具合なのによく世界最大のSNSにまでなったものだ。
日本はフェイスブックがトップSNSでない数少ない国だ。 CEOのザッカーバーグは、日本攻略に自信を持っているが、 ほんとうに実現するのか? ●巧妙なフェイスブックの日本戦略 フェイスブックがソーシャル・ネットワークのトップでない国はもう少なくなった。アクセスをそもそも規制している中国などは別格としても、韓国、ロシ ア、ブラジルと日本ぐらいらしい。その日本でかならず指摘されるのは、実名登録が原則というフェイスブックの特徴だ。匿名志向の強い日本では普及しないと いうわけだ。 実名登録させたうえに顔写真まで載せさせ、詳しいプロフィールも入力させる。誰だかはっきりわかるからこそ逆に安全なのだというフェイスブックの言い分には一理あると思うが、そうした理屈で、匿名志向の強い日本のネットの「壁」を超えられるかどうか。 しかし、フェイスブックもさるもの、うまい手を打ち出した。 「コネクション・サーチ」とい
ウィキリークスは、情報提供者の身を危うくする未編集の文書の公開を始めた。 これまで協力していたメディアも強く批判し始めた。 ●ネットの海に流れていた未編集の文書 今年の春、何回かウィキリークスをとりあげた最後に、ウィキリークスは技術面を支えていた人物などが辞めてしまい、混乱状態に陥り、新たな情報の受け付けもできないでいると書いた。9月になって、メディアを巻きこんだ非難合戦が始まっている。 ウィキリークスは、各国政府の批判を受けながらも機密文書の公開を続けてきた。昨年11月には、「ケーブルゲート」と名づけた25万本を超えるアメリカの外交公電の公開を始めた。公開にあたっては、各国のメディアと組んで、情報提供者などに危害が及ばないように名前を伏せるなど文書を編集して公開してきた。 当初ウィキリークスと組んだメディアは、英ガーディアンや独シュピーゲル、米ニューヨークタイムズなど限られたメディアだっ
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