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この私のgooブログ「トラッシュボックス」の記事は、BLOGOSというサイトに転載されることがある。 前回の9月7日付けの記事は、タイトルを「蓮舫議員の二重国籍疑惑はネットデマでは? 」としており、BLOGOSにもそのまま掲載されたが、BLOGOSのツイートなどでは「蓮舫氏の二重国籍は違法じゃない」と改題されて配信された。 BLOGOSに編集権があることは私も了承しており、そのこと自体については何ら異議はないが、記事への反応を見ていると、このBLOGOSが付けたタイトルから、私が、蓮舫議員は単なる二重国籍であり、かつそれは違法ではないと主張しているととらえた方もおられたようだ また、私が国籍法第16条第1項について「これはいわゆる努力義務規定であり、罰則もない」と述べたことから、罰則がないから違法ではないと主張しているととらえた方もおられたようだ。 しかし、私の前回の記事の趣旨は、それらと
蓮舫参議院議員の民進党代表選への立候補に絡んで、同議員の二重国籍疑惑を指摘するツイートやブログを昨日までにいくつか見た。 確かに、先週読んだ産経新聞のインタビューで --出身の台湾と日本との「二重国籍」でないかとの報道がある。帰化していると思うが… 「帰化じゃなくて国籍取得です」 --過去の国籍を放棄し忘れているのではないかという指摘だ 「ごめんなさい、それ分かんない。それを読んでいないから」 --国籍法が改正されて、22歳までは日本国籍があるけども、そこで選択を迫られ、残った国籍は速やかに放棄しなければいけないという規定がある。それをしているかどうかという記事が出ている。首相を目指すのであれば、仮に台湾籍があるならば、ネックになると思うが 「質問の意味が分からないけど、私は日本人です」 --台湾籍はないということでいいのか 「すいません、質問の意味が分かりません」 とあるのを読んだときに
今年2月28日付朝日新聞の4面のコラム「政治断簡」は、高橋純子・政治部次長によるこんな内容だった。 だまってトイレをつまらせろ 「だまってトイレをつまらせろ」 このところ、なにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。 ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。 ①代表団を結成し、会社側と交渉する。 ②闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。 まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。 ところが栗原さんによると、船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山
前回の記事に関連して、櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002)について気になった点をもう一つ挙げておく。 まず、『真相箱』の質問と回答を挙げておく(引用文の取り扱いについては前回と同じ)。 海軍は戦争に反対であったか 海軍は、戦争に反対であったそうですが、何故戦争を止めるように尽力しなかったのですか。 日本海軍の某将官は、次のように申しました。 『政府の戦争目的については、私の意見を述べることは誠に困難である。何故なら、そのときにも感じ、今も尚感じていることであるが、日本はその気になれば戦争を止めることが出来たからである。あの当時戦争を避けようとしたら、国家を率いて立つべき力のある聡明な人物を必要とした。』 陸海軍は政治に関与してはならぬ、政治と軍隊が、一つの中に期することから、好い結果は生れない、というのが、同将官の確信でありましたが、日本の陸軍
安部司『食品の裏側』東洋経済新報社、2005.11 書店で大きく取り上げられているのを見て購入。昨年秋の刊行だが、長期にわたって売れているようだ。かつて食品添加物の商社に勤めていたという著者による、添加物の使用の実態の内部告発的な本。 知っている話もあったが、たらこやコーヒーフレッシュのことなど初めて聞く話もあり、それなりに役に立った。 ただ、著者のスタンスには疑問も覚える。 ひとつは、これまでさんざん添加物の使用を推奨しておきながら、転向して反添加物の伝道師?のような立場になっているという点。講演をしているというが、それって当然お金取るんですよね。添加物で稼いで、反添加物でまた儲けると。結構なことで。クズ肉の再利用的な食品であるミートボールを自分の子供が食べようとするのを見て、添加物の危険性に目覚めたとか言うんだけど、うさんくさい。動機はもっと別の所にあるのでは。 ついでにミートボールに
以前にも書いたように、わが国の対英米蘭戦は資源獲得のための戦争であった。欧米諸国による植民地支配からの解放とは後付けの理屈にすぎない。 こんなことは開戦前の日米交渉の経過を考えても、開戦後の占領地におけるわが国の政策を考えても自明のことであり、いわば常識だと思うのだが、こんにちでもブログなどで戦中期のわが国のブロパガンダを真に受けたような記述を見ることがままあるのは残念だ。 古雑誌を整理していると、『文藝春秋』2009年12月号に、司馬遼太郎の「日本人の二十世紀」という論文が再録されているのを見つけた。これは同誌の通巻1000号である1994年4月号に掲載されたものが初出で、『司馬遼太郎が考えたこと15』(新潮社)にも収録されているという。 「「坂の上の雲」のあとさき」という副題が付いている。このころNHKのドラマ化などで『坂の上の雲』が見直されていたのだったか。 前述のわが国の戦争目的を
3日の朝日新聞朝刊でこんな記事を読んだ。 防衛相答弁 また迷走 「9条と自衛隊」あやふや 田中直紀防衛相がまた迷走した。2日の衆院予算委員会は、1月の内閣改造による新任5閣僚を呼んだが、野党の質問は田中氏に集中。失言の範囲は憲法や自衛隊、沖縄の問題にも広がった。 自民党の石破茂元防衛相が「自衛隊はなぜ合憲と言えるか」と問うと、田中氏は憲法9条をそのまま述べるなどの答弁。石破氏は、憲法制定時に9条案が修正され、持つことが禁じられる「戦力」が「国際紛争を解決する手段として」のものに限られると読めるようになった経緯を説明した。 のちに自衛隊発足につながる「芦田修正」で知られる内容だったが、田中氏は「その点は理解していない。拝聴しながら理解したい」。後ろの席に座っていた閣僚が、驚いて田中氏を見つめる場面もあった。 〔後略〕 これについては、7日に藤村修官房長官が記者会見で、いわゆる「芦田修正」は自
23日にYahoo!ニュースでこんな記事を見た。 <読売テレビ>在日コリアン発言で抗議 NPO法人 毎日新聞 10月22日(火)11時54分配信 読売テレビ(大阪市)が今月20日に放送した番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、出演者が在日コリアンに対する差別を助長する発言をしたとして、在日外国人の人権保障に取り組む大阪市のNPO法人「コリアNGOセンター」が22日、同社に対し、抗議した。放送倫理・番組向上機構(BPO)にも、審理を申し立てた。 番組では、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」によるヘイトスピーチ(憎悪表現)の問題が取り上げられた。パネリストで出演した作家の竹田恒泰氏が「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった」とし、「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」と話
5月29日、自民、公明、日本維新の会の3党が児童ポルノ規制法改正案を衆院に共同提出したと報じられた。 この件については、少し前に改正反対論の記事をBLOGOSで読んで、ちょっと思うところがあった。 1.定義があいまいという批判について 山口浩・駒澤大学准教授の記事「嫌いな表現を守るということ」(2013年05月24日)より。 もともと現行法は、規制の対象となる「児童ポルノ」の定義自体に問題があるとかねてより指摘されていた。特に法第2条第3項第3号に規定されるいわゆる「3号ポルノ」は、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」というきわめて曖昧な定義となっている。自分の子どもや自分自身の写真も場合によっては児童ポルノとされかねないという意味で多くの人々を法的に不安定な状態にさらすだけでなく、いわゆる着エロ(着衣状態だが「性欲を興奮させ又は刺激する」とされ
日本国憲法前文。 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従
以前、古本市で、次の本を見つけた。 聯合国最高司令部民間情報教育局編『真相箱 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戦の真相』(コズモ出版社、1946) あっ、これは! たまたま、その少し前に、この本を論じた2つの本があることを知り、気になっていた。 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002)と、 保阪正康『日本解体 『真相箱』に見るアメリカGHQの洗脳工作』(扶桑社文庫、2004)。 櫻井の本は文庫書き下ろし。 保阪の本は2003年に単行本が扶桑社から出ており、その文庫化。 時期的には櫻井の本が先行しているが、保阪の本がその二番煎じを意図したものなのかどうかはよくわからない(保阪の本には、櫻井のことは触れられていない)。 『真相箱』は、占領期にGHQが制作したラジオ番組「真相箱」の第1回から第20回を収録したもの。国民から寄せられた太平洋戦争に関する「真相
数日前にテレビでこんなニュースを聞いて、ちょっと引っかかるものがあった。 政府の教育再生実行会議は去年、学校でのいじめを巡る問題が全国で相次いだことを受けて、26日の会合でいじめや体罰への対策を盛り込んだ提言を取りまとめ、安倍総理大臣に提出しました。 これについて安倍総理大臣は「教育再生を果たすためには、子どもたちが日本に生まれたことに喜びや誇りを感じられる教育を実現する必要があり、提言は教育再生を実行する第一歩だ。スピード感を持って取り組むよう下村文部科学大臣に指示したい」と述べました。 人は、ある国に生まれたことに誇りをもてるものなのだろうか。 首相官邸のホームページにも、安倍首相はこう述べたとある。 「ただ今、本会議の第一次提言をいただきましたことに心から感謝し、一言ご挨拶申し上げます。 日本国の最重要課題である教育再生を果たすためには、まず、子供達が日本に生まれたことに喜びを感じ、
朝日新聞夕刊に長期連載中の「ニッポン人脈記」。 12月10日付けの「民主主義 ここから」第13回は、「少しずつ社会を変える」との見出しで、反原発運動を取り上げていた。 その中の一節。 「脱原発」を訴える市民集会「さようなら原発10万人集会」。7月には主催者発表で約17万人が全国から集まり、会場となった東京・代々木公園を埋め尽くした。 作家の落合恵子(67)は「私たちは決してひるみません。野田政権に訊(き)きます。あなたたちが『国民』という時、一体誰を見ているのか。今日ここにいるのが『国民』であり、市民なのです」と訴え、大きな拍手を浴びた。 こうした主張、それを容認する感覚が、私がどうしても彼らに賛同できない部分だ。 反原発運動に参加する者こそが「国民」であり、それ以外の者は「国民」ではない。 将来の脱原発を志向するにしろ、安全性を確認した上での再稼働は認めてよいのではないかと考える者は「国
5日付の当ブログの記事「皇室典範改正を断念との報を読んで」で、占領期に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家男子の皇籍復帰案にはいくつかの理由から賛同できないと述べたが、もう少し詳しく説明しておきたい。 (なお、5日付の記事が産経新聞の誤報に基づくものであったことは、8日付の当ブログ記事「政府が皇室典範改正を断念との産経報道は誤報?」で述べたとおり。) 1.血統が離れすぎていることへの違和感 これは5日付けの記事でも挙げた。 占領期に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家は、いずれも伏見宮家の血統に連なる。 そして伏見宮家とは、はるか室町時代に天皇家から分かれた血統である。 旧1宮家の皇籍復帰論者は、男系男子による継承は唯一絶対の伝統であり、現在の天皇家の男子が絶えれば、傍系からとるのが当然だと説く。しかし、これほど遠縁の皇族が即位した事例もまたない。 ちょっと検索してみたら、八木秀次が小泉政権での「
(前回の記事はこちら) 4.旧宮家の復帰だけではいずれ行き詰まる 新たな理由のもう1つは、現在の社会制度のまま、旧宮家を復帰させるだけでは、男系継承の維持は極めて困難であることに思い至ったことだ。 先に述べたように、大正9年の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」により、伏見宮系の宮家の臣籍降下はあらかじめ予定されていた。 そして、予定より早く、占領期に一斉に臣籍降下することとなったわけだが、それによって皇位継承を危惧する声が生じたとは聞かない。 何故か。 昭和天皇には、3人の弟宮があった。そして現在の今上陛下と常陸宮の2人の男児があった。1946年には三笠宮に寛仁親王が生まれている。 これだけの男性皇族がいれば、当面皇位継承には問題ない。そう考えられていたからだろう。 しかし、それから60年余りで、皇統は危機に瀕するに至った。 これは、男系継承を維持することがそうそう容易ではないことを示している
(前回の記事はこちら) 3.旧皇族の「覚悟」への疑問 今年2月29日、MSN産経ニュースに次のような記事が載った。 男系維持へ「一族として応える」 旧皇族の大半、皇籍復帰要請あれば 「正論」で明らかに 終戦直後に皇籍離脱した旧皇族の多くが、皇位の男系継承を維持するために皇籍復帰を要請されれば、「一族として応えるべきだ」とする意向を固めていることが分かった。主に現在の宮家と養子縁組することで、男系を継承することを想定している。 旧皇族の慶応大講師、竹田恒泰氏(36)が、3月1日発売の月刊「正論」4月号に寄せた論文で明らかにした。皇統問題で旧皇族の意向が文書で公表されるのは初めて。女系天皇容認につながると懸念される「女性宮家」創設を念頭に、政府が検討する皇室典範改正作業への影響は必至だ。 論文によると、竹田氏は昨年11月~2月中旬、皇位継承問題について旧皇族20人以上と意見交換。大多数が男系の
しばらく前に、MSN産経ニュースのこんな記事を見た。 絶海の尖閣に領土の証し 東京都議視察漁船に同行 2012.6.27 23:05 絶海に浮かぶ魚釣島の岩肌に荒々しく、くっきりと描かれた日の丸。それは日本の領土としての確固たる証しだった。 「国がやらないなら、都がやる」と東京都の石原慎太郎知事が打ち出した尖閣諸島(沖縄県石垣市)購入計画。その思いに呼応した都議会議員7人(民主党6人、無所属1人)が25日夜から丸1日かけ、民間団体による集団漁業活動に加わる形で実施した尖閣諸島周辺視察に同行した。乗り組んだ漁船は、国境の島々まで約20メートルに迫った。 〔後略〕 岩肌に日の丸? 何てことをするんだろう! 北朝鮮では、白頭山や金剛山といった名峰の岩肌に、体制賛美のスローガンを刻んでおり、心ある人々を嘆かせていると聞くが、日本人にも同じような輩がいるのだな。 調べてみたら、かつて尖閣諸島に灯台を
無宗ださんが、「「ジミンガー」の起源 (書くつもりのなかったこと)」という記事で、江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫版)から「一億総懺悔」についての記述を引用している。 それをきっかけに、私も『忘れたことと忘れさせられたこと』の該当箇所を読み返してみて、思うところがあったので書き留めておく。 (この記事自体にもいくつか思うところはあるが、ここでは触れない) 江藤は、占領当初、日本人にとっての最大の課題は国内分裂の回避であった、そのことは9月5日に貴衆両院で行われた東久邇首相宮の施政方針演説とそれに対する新聞の反応に明瞭に現れていると説き、まず9月6日付朝日新聞が伝えた演説内容から次の箇所を引用している(太字は江藤が強調のため傍点を振っている箇所。以下同じ)。 (前略)敗戦のよつて来る所は、もとより一にして止らず、後世史家の慎重なる研究批判に俟つべきであり、今日われわれが徒に
12日付け朝日新聞朝刊社会面に「だまされる罪 向き合う」というタイトルの記事が載っている。 「今だから 伊丹万作の伝言」というシリーズの「上」となっている。 7月29日、夕暮れ時の国会議事堂前。脱原発の声を上げ、道いっぱいに広がる人の渦に、吉村栄一さん(46)がいた。 東京在住のフリーライターで編集者。音楽家の坂本龍一さんたちと反原発イベントを企画する。昨年8月、その仲間と「いまだから読みたい本―3.11後の日本」(小学館)を出版した。きっかけは一つのエッセーだ。 「戦争責任者の問題」 昭和初期に活躍した映画監督、伊丹万作が書いた。同じ映画監督の道を歩んだ伊丹十三の父。〔中略〕「戦争責任者」は敗戦翌年の1946年8月、亡くなる1カ月前に映画雑誌に発表した。 〈だますものだけでは戦争は起(おこ)らない〉 〈だまされるということもまた一つの罪〉 戦中は結核にかかり、戦争賛美の映画こそつくらなか
先の真岡事件についての記事を書くきっかけとなった無宗ださんの記事「北方領土について思うこと」の文中、 ポツダム宣言受諾後におきた 樺太における「北のひめゆり」と言われた「真岡電話局」の九人の電話交換手の自決は 日本人の常識となるべき事件である。 という箇所で、上記のように「「北のひめゆり」と言われた「真岡電話局」の九人の電話交換手の自決」という字句にリンクが張られている。 リンク先は、「ある通信兵のおはなし」というサイトの「氷雪の門」というページ。 このサイトは、元通信兵だっという人物のメルマガを元にしており、この「氷雪の門」の回は、平成17年3月4日に配信されたのだそうだ。 ソ連侵攻時の自分の体験を交えながら、真岡事件を紹介している。 ポツダム宣言を受諾して戦争は終結したにも関わらず、ソ連軍は樺太の国境線を越えて南下を続けていました。8月20日には、樺太南端の真岡市に上陸して街を蹂躙しま
数か月前に発売された小谷野敦の『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』(青土社、2011)を読んでいると、次のような記述があった。 私はかねて、匿名での批判は卑怯であるから認めないと言っているが、おかげでいろいろな事件が起きた。私が批判されたのではない例としては、私の後輩の大学院生がウェブサイトに匿名の読書日記を開設していて、しばしば、かなり口汚く対象となる本を批判するので、私は、そういうのをやるなら匿名は良くない、と言ったものである。また、そこまでひどいのなら全部読まなければいいではないかとも言ったのだが、彼は、全部読むのが礼儀だという。全部読んで罵倒されるくらいなら途中で放り出して貰ったほうがいいくらいである。それに、批判しているのはみな大物ばかりだ、とも言うが、そうでないのもあった。すると、もしその人から問い合わせがあったら実名を名乗る、と言い、もし実名で開設したら、本
少し前に「虚構の皇国」というブログで、自民党が「国旗損壊罪」を新設すべく刑法改正案をまとめたと知った。 「国旗損壊罪」は「日の丸」フェチの極致 ついに「日の丸」フェチシズムが刑法にまで進出するのか。すさまじいリビドー政治だな。 もしも法案が成立すれば、国家的暴力装置を背景として一部の人間の性的物神崇拝が国家宗教にまで高められることになるわけで、我が神国日本も、米仏独伊にならぶ糞ったれ近代宗教国家に堕落してしまう。嗚呼、恥ずかしい国・ニッポソ! 「国旗損壊罪」刑法改正を提案へ 自民 - MSN産経ニュース 自民党は23日の法務部会で、国旗「日章旗(日の丸)」を侮辱する目的で傷つけたり汚したりした場合に刑罰を科す刑法改正案をまとめた。議員立法で今国会中の提案を目指す。 刑法には、外国国旗を損壊すれば刑罰を科す内容が盛り込まれているが、日章旗については尊重義務や罰則がない。改正案では、「国旗損
私はしばらく前まで、「ハル・ノート」が開戦を決定したのだと理解していた。 わが国は米国と戦って勝てるとは必ずしも考えていなかった。東條内閣は対米強硬派である陸軍のトップを首相に据えることにより陸軍を抑えることを意図した避戦内閣だった。 しかし米国は妥協の姿勢を見せず、さらにわが国にとって苛酷な条件である「ハル・ノート」を突きつけてきた。これを受諾することはわが国にとって座して死を待つに等しいものであると当時の指導者は考えた。わが国はやむなく開戦を決意するに至った。 概略このように考えていた。 しかし、近年、 ・須藤眞志『真珠湾〈奇襲〉論争』(講談社選書メチエ、2004) ・井口武夫『開戦神話』(中央公論新社、2008) ・別宮暖朗『誰が太平洋戦争を始めたのか』(ちくま文庫、2008) といった本を読んで、どうもこうした理解は真相と異なるのではないかと思えてきた。 「ハル・ノート」が来ても来
前から気になっていたことについて、時間ができたので書いてみる。 丸山眞男といえば、戦後民主主義をリードした政治学者。故人となった現在でもリベラル派の教祖的存在であり、毀誉褒貶が著しい。 そんな丸山の著作の中に、日本のファシズムの担い手について、以下のような有名な記述がある。 《ファシズムというものはどこにおいても運動としては小ブルジョア層を地盤としております。ドイツやイタリーにおいては典型的な中間層の運動でありまして、(中略)日本におけるファシズム運動も大ざっぱにいえば、中間層が社会的な担い手になっているということがいえます。しかしその場合に更に立ち入った分析が必要ではないかと思います。わが国の中間階級或いは小市民階級という場合に、次の二つの類型を区別しなければならないのであります。第一は、たとえば、小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学
silverfox という方の「三角点」というブログがある。昨年12月30日の「リベラル系ブログは kaetzchen 氏との関係を見直せ」という記事のことを知って以来、注目していた。 この「三角点」の過去記事に、高島俊男を批判したものがあることに最近気付いた。昨年12月8日の「「衆寡敵せず」と「合衆国」」と、同月16日の「高島俊男氏の妄言 ─序数と基数の区別がつかない日本人の誤り」の2つだ。 私は高島俊男の著書のファンだ。たばこに関する見解のように時々納得しがたいものもあるが、たいていは面白く読んできたし、影響も受けていると思う。 しかし、silverfox さんの「「衆寡敵せず」と「合衆国」」によると、高島の文は必ずしも信頼できるとは限らないという。これは私にとっては重大な問題だ。 そこで、とりあえずこの記事で取り上げられている「合衆国」の呼称の問題について、検討してみることにした。
DHさんのブログ「思い付くまま雑感文」の記事で、『朝日新聞』に以下のような記事(魚拓)が載っていたことを知る。 私は朝日の購読者なのだが、見落としていたようだ。 《最近、最高裁の法廷から消えたものがある。 傍聴席の死刑廃止運動家らが、死刑判決言い渡し直後に「人殺し!」と叫ぶ場面だ。最高裁判事らが被告の生命を奪う最終判断をした、という抗議の意味を込めていた。 その言葉を叫ぶために30年前から法廷に通った菊池さよ子さんは「死刑判決が月に何度も入るようになり、法廷は機械的に判決を出す場になった。被告との関係を一つひとつ築くのも難しくなった」と話す。「訴えれば通じるかもしれないという裁判官がいなくなった」。74~83年に在職した団藤重光さんが決定的に死刑廃止論者になった契機は、傍聴席から菊池さんが投げかけた言葉だったとされる。》 団藤は戦後の刑法学の権威。東大教授を定年退官後、最高裁判事を約9年間
ちょっと古い話だが、作家の石田衣良が『毎日新聞』で「中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい?」という質問で読者投票をとったところ、石田にとって意外なことに、「しなくてもいい」が多数を占めた。しかし仲良くするべきだと考える石田は、「サイレントマジョリティを考慮にいれて」仲良くしたほうがいいと結論づけた。そのことに批判が殺到しているという(例えば、「礼の宇宙」さん)。 毎日新聞の記事はこれだが、次の質問の結果が載ると、今回の記事は消されてしまうようなので、全文を引用しておく。 (以下引用。行の空白は適宜詰めた) ◇ふー、びっくりした この秋に2度、韓国に取材旅行にいった。日本と韓国を舞台にした恋愛小説を来年書くためだ。訪れたのは、ソウルとプサン。どちらの街も元気で勢いがある。それはたのしい取材旅行だった。ソウルは高層ビルの建築ラッシュで、プサンは国際映画祭の真っ最中。とても華やかだった
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