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〇吉見俊哉『敗者としての東京:巨大都市の隠れた地層を読む』(筑摩選書) 筑摩書房 2023.2 はじめに2020年春からのコロナ禍によって、都心の空室率の上昇、人口の転出増、商業地の地価下落など、1980年代以来、数十年間にわたって東京が歩んできた方向(=福祉国家から新自由主義へ、効率化のための一極集中)を反転させる可能性が垣間見えることが示される。本書は、これまで明らかに近代化の「勝者」として歩んできた東京を「敗者」の眼差しから捉えなおそうとする試みである。 そのために本書は、遠景・中景・近景の三つの視点を用意する。「遠景」は地球史的な視座で、縄文時代の南関東の「多島海的風景」を想像するところから始まる。やがて朝鮮半島からの渡来人たちが東京湾岸から上陸し、土着の縄文人と遭遇してクレオール化する。古代から中世へ、東国勢力は徐々に力をつけ、大和朝廷に対する自立性を獲得していく。こういう東国の
〇常光徹『魔除けの民俗学:家・道具・災害の俗信』(角川選書) 角川書店 2019.7 最近あまりこのジャンルを読んでいなかったけれど、民俗学という学問は大好きだ。本書は、家屋敷・生活道具・自然災害にまつわる伝承を俗信の視点から読み解いたもの。俗信とは、予兆・占い・禁忌・呪い(まじない)に関する知識や生活技術である。 はじめに家屋敷に関する俗信として、屋根、棟(屋根の一番高いところ)、破風、軒(のき)、床下などに関するものが取り上げられている。これらは境界性を帯びた空間であることから、人の死や出産にかかわる俗信が多い。難産のときのまじないに、石臼や甑(こしき)を屋根から落とすというのは聞いたことがあったが、正確には屋根の棟を越えさせる動作が重要なのだ。ところが、平徳子が安徳天皇を出産する際、甑を北から南へ棟を越して落とすべきところ、北側に落として騒動になったことが「山槐記」に記録されていると
〇原田実『オカルト化する日本の教育:江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』(ちくま新書) 筑摩書房 2018.6 「江戸しぐさ」と「親学」という、あやしい教育論の噂は聞いていたので、表題から見て批判的な立場にあるらしい本書で、少し知識を仕入れてみようと思った。 「江戸しぐさ」とは、江戸時代、全国から江戸に集まってきた人たちが、おたがい仲良く平和に暮らしていけるように生み出した生活習慣のことで、具体的な動作として「肩引き」「こぶし浮かせ」「傘かしげ」などがあると言われている。著者の調査によれば、「江戸しぐさ」という語の初出は1981年で、企業の社員研修や経営指導を行っていた芝三光(1928-99)という人物が作り出したものだが、90年代からジャーナリストの越川禮子によって徐々に広まり、2014年には文部科学省が配布した『私たちの道徳 小学五・六年生用』に掲載されるに至った。 私は、かつて東
〇九州国立博物館 テレビ西日本開局60周年記念 特別展『王羲之と日本の書』(2018年2月10日~4月8日) 書聖・王羲之(303-361、異説あり)を「日本の書の母胎」として捉え、日本列島で千年以上にわたり伝え育まれてきた書の文化の真髄を、これぞという逸品を通して紹介する特別展。展示室では、大宰府ゆかりの菅原道真(渡唐天神像がモデル)と王義之そのひとがキャラ化されていて、要所要所で分かりやすく作品を解説していて楽しい。 冒頭には王義之の書跡。と言っても真跡は伝わらないので、王義之にあこがれた人々が伝え残した摸本の数々である。三の丸尚蔵館の『葬乱帖』は17行もあって緩急の変化をじっくり味わうことができる。九博所蔵の『妹至帖』は2行しかないが、軽やかで優美。個人蔵(?)の『大報帖』には「小野道風朝臣」という江戸時代の極め札がついているのが面白い。『定武蘭亭序』は複数の拓本が出ていたが、やっぱ
〇井波律子『中国名言集:一日一言』(岩波現代文庫) 岩波書店 2017.11 私は電車やバスでの移動中に本を読むのが大好きだ。ところが今は職住が接近しているので、毎日10分程度(片道)しか電車に乗らない。そのため、読書量がすっかり減ってしまっている。さて本書は、もと京都新聞に連載された記事で、中国の名言から三百六十六を選び、1年366日(2月29日もある)に配して解説を加えたものである。1日1言、100~150字くらいの解説がつき、発言者の肖像など豊富な挿絵もあって飽きない。1言1ページの体裁をとっているので、どこを開いて読んでもよく、前後の連接を気にする必要もない。こういう本は、ふだんまとまった読書時間が5分と取れない私のような社会人にとって、たいへんありがたいものだ。 中国の名言は(俗諺もそうだが)具体的な事物を用いた表現が多い。「巧婦も無米の炊を為し難し」なんて、当たり前すぎて笑って
〇吉田裕『日本軍兵士:アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書) 中央公論新社 2017.12 本書は、アジア・太平洋戦争を三つの問題意識を意識しながら、戦争の現実を描き出したものである。一つ目は戦後歴史学を問い直すこと。具体的には、戦後歴史学が主に開戦までの経緯と終戦後の占領政策に着目し、戦争それ自体に手をつけなかったこと(門外漢には分かりにくいが、これは「戦史」という別分野の対象とされる)への反省である。二つ目は「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること。三つ目は「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすること、と冒頭に述べられている。 多くの部隊史や兵士の回想記に基づく内容は、微に入り細に入り、具体的である。日本軍が兵站を軽視した結果、膨大な戦病死者と餓死者を生んだこと、技術力の絶対的な優劣を認めず、「日本精神」を過信し続けたことなど、基本的には聞いてきたとおり
〇原田信男『義経伝説と為朝伝説:日本史の北と南』(岩波新書) 岩波書店 2017.12 『平治物語』や『平家物語』に名前を残す源義経と『保元物語』で知られる源為朝。著者はかつて、ある地名辞典の編集に携わったとき、義経伝説が北海道・東北に多いのに対し、為朝伝説が伊豆を除けば九州に集中し沖縄に及んでいることに気づいた。二つの英雄伝説の成長と変容は、「日本の中央政権が列島の北と南を自らの領域として覆いつくしていく歴史過程」と見事にシンクロしているという。 まず義経について。日本の中央政権がアイヌ民族を蝦夷(えぞ)として意識し始めたのは12世紀頃である。義経伝説が北海道と結びつくのは中世後期で、室町期(14-15世紀)に成立した御伽草子『御曹子島渡』では、義経は蝦夷地に赴き「かねひら大王」が有する「大日の法」という兵法書を手に入れて、平家を滅ぼしたと語られている。16世紀に和人の蝦夷地進出が本格化
〇小島毅『儒教が支えた明治維新』 晶文社 2017.11 私は『論語』が好きで、中国史も日本史もひととおり学んできたつもりだったが、あーなるほど、こういう歴史の見方があるのかあと教えられるところが多くて面白かった。内容は、著者がこの10年間に発表した文章や講演のアンソロジーで構成されている。タイトルに直接かかわる「明治維新」(近代日本)と儒教を論じたのは第1章。その前段として、近世における儒教の受容についても論じる。江戸時代初期の好学大名たちは、朱子学の道徳修治論を信条とし、忠義の対象を殿様個人から組織へ、さらに公共へと変えていくことで、武士の文明開化を図った。その後裔に「朱子学的な能吏」大久保利通、伊藤博文がいる。 一方、靖国神社である。靖国の祭神をさす「英霊」という言葉は藤田東湖の詩に由来し、その先には文天祥の詩があり、英霊の正体は朱子学でいう「気」であると考えられる。また、靖国神社を
○梅林秀行『京都の凸凹を歩く:名所と聖地に秘められた高低差の謎』 青幻舎 2017.5 『京都の凸凹を歩く:高低差に隠された古都の秘密』からちょうど1年。嬉しいことに続編が刊行された。今回、取り上げられているのは「嵐山」「金額寺」「吉田山」「御所東」「源氏物語ゆかりの地(五条大橋西詰)」「伏見城」である。「嵐山」と「伏見城」は、NHK「ブラタモリ」でも紹介されたので、それ以外の章がとりわけ目新しく、興味深かった。 まず「金閣寺」である。室町時代前期、足利義満が造営した邸宅「北山殿」がもとになっていると言われているが、実はそれ以前、鎌倉時代前期、西園寺家が造営した「北山第」があった。鎌倉時代には、すでに想像以上の規模で人工地形の造成が行われていたと見られている。 金閣は鏡湖池の南岸から眺めるのがベストビューと考えられている。ところが、実は鏡湖池のさらに南には「南池」と呼ばれる庭園が広がってい
〇内田隆三『乱歩と正史:人はなぜ死の夢を見るのか』(講談社選書メチエ) 講談社 2017.7 江戸川乱歩(1894-1965)と横溝正史(1902-1981)という二人の作家を軸にして、日本における本格探偵小説の創造の過程を明らかにする。この創造の過程は、第一次世界大戦後の乱歩による創作探偵小説の試みのあと、戦争の試練を経て、第二次大戦後の正史の試みに引き継がれる、というのが本書の冒頭に示される見取り図である。 分量的には乱歩に関する記述のほうが多い。著者は、どちらかといえば乱歩のほうが好きなんだな、ということはなんとなく感じた。著者は乱歩の数多い作品群を(1)「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」などの純探偵小説(本格物)、(2)「魔術師」「吸血鬼」などの猟奇的な冒険譚、(3)「怪人二十面相」「少年探偵団」シリーズなどの少年物、に分類している。乱歩の作家活動は、ほぼこの順番に展開する。1920年
〇畑中章宏『21世紀の民俗学』 KADOKAWA 2017.7 21世紀に起きた(起きている)事象について、民俗学の切り口から語ったもの。著者の名前には、どこかで見覚えがあったが、思い出せないまま、読み終えた。雑誌(というかウェブマガジン?)「WIRED.jp」に連載されていた原稿だというのは、読みながら知った。本書の直前に読んだ諸星大二郎『暗黒神話』の感想を書こうと思って自分のブログを開いたら、『諸星大二郎「暗黒神話」と古代史の旅』(平凡社 太陽の地図帖、2014)に著者の畑中章宏氏の名前を見つけた。そうか、この本で出会っていたのか、と思わぬ偶然に少し驚いた。 私は、昔から民俗学という学問が好きだった。柳田国男や折口信夫はもちろん、1980年代には、宮田登とか赤坂憲雄とか小松和彦とか、歴史的・伝統的な事柄だけでなく、同時代の社会現象を民俗学的な手法でとらえなおす試みに強い共感を持っていた
○雑誌『芸術新潮』2017年3月号「秘められたミュシャ」 新潮社 2017.3 いまさらのようだが書いておく。国立新美術館の『ミュシャ展』は今週末までなので、ぎりぎりセーフと思いたい。第1特集は、世界で初めてチェコ国外で公開された連作『スラヴ叙事詩』全20点をよみとくためのガイドである。本誌を読んでから見に行こうと思っていたのだが、年度末のどさくさに忙殺されて、結局「見てから読む」ことになってしまった。しかし、それでよかったと思っている。 本誌には、「撮り下ろし」20点の写真と題材の解説に加え、『スラブ叙事詩』の舞台を書き込んだヨーロッパ地図が掲載されている。No.1「原故郷のスラブ民族」は、ウクライナ領内、ポーランドとの国境地帯になる。かと思えば、No.3「スラヴ式典礼の導入」は、現在のチェコとスロヴァキアの国境付近に興ったモラヴィア王国を描く。No.4「ブルガリア皇帝シメオン1世」は、
〇千代田図書館 『検閲官-戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔』(2017年1月23日~4月22日) 面白そうな展示をやっていると聞いたので、見てきた。千代田図書館は、一度だけ利用したことがある。九段の千代田区役所の9階と10階に入っていて、平日22時まで開館し、ビジネス支援に力を入れている図書館である。キャッチフレーズは「あなたのセカンドオフィスに」だ。そんな図書館が出版検閲をテーマにした展示というのは、なんとなく似合わない感じがしながら、行ってみた。会場は通路のようになった「展示ウォール」という一角で、10数枚のパネルとその前に設置された書棚や展示ケースで構成されていた。 戦前の日本では、明治期から「出版条例」と「新聞紙印行条例」に基づく検閲が行われていた。明治8年(1875)から内務省の所管するところとなり、警保局保安課、同図書課などを経て、昭和15年(1940)には情報局が設置さ
〇弥生美術館 『山岸凉子展「光-てらす-」-メタモルフォーゼの世界-』(2016年9月30日~12月25日) 会期終了間際のクリスマスイブに見に行ったら、驚くほどたくさんの人が来ていた。カップル、若者、初老の男性など、いろいろなお客さんがいたが、いちばん目についたのは、やはり私と同じ、1970-80年代の少女マンガに親しんだ世代の女性だった。 第1会場は、まず前半に『日出処の天子』、後半に『アラベスク』という代表作の原画を掲げる。私は、雑誌「LaLa」連載の『日出処の天子』はリアルタイムで読んでいたので懐かしい。法隆寺金堂壁画の菩薩たちや、雅楽「蘭陵王」の衣装をまとった厩戸王子など、色付きの扉絵はどれもよく覚えていたが、逃げる厩戸王子、追う蝦夷を描いた作品が、光琳の『紅梅白梅図屏風』を隠しモチーフにしているのは、初めて気づいた。80年代の少女マンガは、こんなふうに、サブカルチャーであると同
○国立科学博物館 企画展『没後100年記念 田中芳男-日本の博物館を築いた男-』(2016年8月30日~9月25日) 企画展といっても常設展エリアの展示である。確か始まっているはずだと思って行ったのだが、館内に入ってしまったら何も案内がなくて、どこでやっているのかよく分からない。慌ててスマホを取り出して「日本館地下1階、多目的室」であることを確認し、ようやく会場を見つける。 田中芳男(1838-1916)は、幕末から明治期に活躍した博物学者・植物学者。蘭方医伊藤圭介に学び、新政府の官僚として、パリやウィーンで開催された万国博覧会に参加し、内国勧業博覧会の開催を推進し、数々の著作を残し、農林水産業のさまざまな団体、東京上野の博物館や動物園の設立にも貢献した。国立科学博物館の「設立者ともいえる人物」であるところから、没後百年を記念して、田中の幅広い事蹟を紹介すると「あいさつ」にうたわれている。
○竹宮惠子『少年の名はジルベール』 小学館 2016.4 マンガ家・竹宮惠子さん(1950-)の自伝エッセイ。1970年の春、徳島大学在学中にデビューした新人マンガ家の著者が、安易に仕事を引き受け過ぎて収拾がつかなくなり、編集者に呼び出されて、東京に出てきたところから始まる。実家に電話がなかったので、隣家で編集者からの電話を受けるとか、缶詰先が八畳一間の旅館だったとか、懐かしい「昭和」の風景が怒濤のようによみがえってくる。1970年は大阪万博の年。私は少女マンガも少年マンガも大好きな小学生だった。 20歳の著者は各社の缶詰旅館を泊まり歩いて仕事を続けた。そのとき、講談社の編集部で、たまたま九州から上京していた、やはり新人マンガ家の萩尾望都と出会って、お互いが同学年だと知る。すごい! 竹宮惠子と萩尾望都が20歳ですでに出会っているなんて…。うーん、誰と誰に喩えればいいんだ? 映画か小説みたい
○森正人『戦争と広告:第二次大戦、日本の戦争広告を読み解く』(角川選書) KADOKAWA 2016.2.25 日中戦争と太平洋戦争の広告を題材に、戦争においてメディアが果たす機能を考える。ここで「広告」とは、人々にあるメッセージを知らせるメディアの意味で、本書は、博覧会や博物館における事物展示と報道雑誌における写真を主に取り上げる。これらは、絵画と異なり「本物らしさ」を強く感じさせる点が共通している。 本書には、戦時中の『アサヒグラフ』『写真週報』の誌面が多数掲載されている。中には、笑ってしまうような稚拙な合成写真もないではないが、写真作品として、かなりいいと感じたものもあった。たとえば、広大な雪山を背景に銃を構える北辺警備の兵士を鉄条網越しに捉えた写真。静謐な光景がはらむ緊張感が伝わってくる(本書139頁)。あるいは出撃のため、各自の戦闘機に向けて走り出す特攻隊員たちを背後から捉えた写
○上野友愛、岡本麻美『かわいい絵巻』 東京美術 2015.5 サントリー美術館に『宮川香山』展を見に行って(レポートはまだ書いていない)、ミュージアムショップで本書を見つけて買ってしまった。サントリー美術館の上野さんと、山口県立美術館の岡本さんという、二人の女性学芸員によって生まれた、カラー写真満載、ソフトカバーでお値段も手頃(1,800円)な絵巻鑑賞の入門書。しかも、キーワードは「かわいい」なのである。そもそも絵巻は「かわいい」のか?という疑問に対しては、巻頭で二人の対話がいちおうの回答を返してくれている。色もかたちも、リアリズムをがっちり追求するのではなく、写実に慣れた現代人からするとアンバランスに見える表現も、かわいいことがしばしばある。いわゆる「ゆるカワ」。このへんが核心だと私は思う。 しかし、そんな考察は後回しにして、とにかくページをめくって作品を見ていくと、私の好きな「かわいい
○徳川美術館 企画展示『知られざる徳川美術館コレクション-珍品・奇品・迷品-』(2016年1月5日~1月31日)+蓬左文庫 徳川美術館・蓬左文庫開館80周年記念『コレクションが語る蓬左文庫のあゆみ』(2016年1月5日~4月10日) 三連休最終日は、名古屋の徳川美術館に寄った。常設展示は、気のせいかもしれないが、初春らしく華やかな茶道具・文具・能装束などが出ているように感じた。「大名の雅び」の展示室に、琉球楽器が並んでいたのも面白かった。島津家から献上されたもので、寛政10年、島津家の家臣が尾張徳川家の江戸戸山屋敷で演奏した記録があるそうだ。細身の琵琶は「ヒイハア」、横笛は「ホンテツ」などの名称は中国読みに近い。あと『小朝拝・歳旦冬至図』という江戸期の屏風があって、「歳旦冬至」というのが、旧暦11月1日と冬至が重なることで、およそ19年に一度あり、吉祥とされる、ということを初めて知った。調
○前田健太郎『市民を雇わない国家:日本が公務員の少ない国へと至った道』 東大出版会 2014.9 昨年9月に刊行されているが、当時、書店で見かけた記憶はない。今回、近所の中規模書店に本書が並んでいたのは、11月11日に発表された第37回サントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞したためだろう。私は、むかしからこの賞が大好きなので、人文書なのに横組みという、いかにも専門書っぽい体裁にもめげず、読んでみることにした。「あとがき」によれば、著者の博士論文に加筆・修正を施したものだという。博士論文らしく、序論に全体の構成を示し、各章に「小括」が設けられているのが、理解の助けになった。 日本の公務員は多すぎる、という意見にしばしば出会う。しかし、実は日本の公務員数(人口に占める割合)は他の先進諸国に比べて極端に少ない。第1章はその事実を数字で確認する。人事院の年次報告書に示す公務員数が約400万人(2
昨年2014年10月に行われた講演を下敷きにしたもの。講演のあと、雑誌『週刊金曜日』から活字にしないかと誘われて、加筆して本書となった。以上の経緯は「2015年8月 2015年安保闘争の渦中で」と付記された「はじめに」に書かれている。 著者は1941年生まれ。1960年に東京大学に入学し、安保闘争を経験した。1962年、物理学科に進学し、大学管理法(大管法)闘争に遭遇する。大学院に進み、素粒子論の研究をしながら、ベトナム反戦運動にかかわる。1968年1月、医学部の研修医制度をめぐって東大闘争が始まり、6月、安田講堂が占拠される。講堂の雑用係をしていた著者は、10月、「東大全共闘代表」に選出される。69年1月、機動隊によって安田講堂バリケードは解除され、9月に著者は逮捕される。70年10月に保釈され、71年3月に再逮捕。再保釈後は大学に戻らず、零細なソフトウェア会社を経て、予備校の仕事をしな
○徳川美術館 開館80周年記念秋季特別展『茶の湯の名品』(2015年9月19日~11月8日)+蓬左文庫 開館80周年記念秋季特別展・日韓国交正常化50周年記念展『豊かなる朝鮮王朝の文化-交流の遺産』(2015年9月19日~11月8日) 仕事で京都に行くことになったので、無理をして、名古屋で途中下車して行くことにした。久しぶりに徳川美術館&蓬左文庫に寄りたかったのである。現在、両館では開館80周年を記念する特別展が開催されている。順路に従って、まず徳川美術館の常設展ゾーン。第1展示室には、最近、若い女性にも人気の刀剣が並ぶ。刃文の美しさを引き出すには「研ぎ」が重要なのだが、徳川の刀は江戸時代から一度も研ぎをおこなっていない、という説明が興味深かった。 特別展のテーマは「茶の湯の名品」だが、常設展からして、並々ならぬ気合が感じられ、え!こんな名品をここに出していいのか、と驚く。明の『満畦生意図
○一ノ瀬俊也『故郷はなぜ兵士を殺したか』(角川選書) 角川書店 2010.8 いわゆる靖国問題では、国家による戦死者の顕彰が「国のための死」を強要した、と論じられている。しかし、兵士の苦難と死の顕彰を担ったのは、「国」ではなく、むしろ「郷土」だった。そこで、本書は、日露戦争(1905年)から1995年の戦後50年までの間、「郷土」がいかに兵士たちを拘束し、やがて見捨てていったのかを明らかにする。 材料となるのは、戦前・戦後に各都道府県・市区町村が編纂した(したがって多少なりとも公的な)従軍者記念・顕彰誌と、前線兵士に送った慰問文・慰問誌である。著者は、これらの膨大な資料を時系列順に読み解いていく。 日露戦争直後には、愛国的感情に基づく戦死者顕彰が盛んに行われたが、大正に入り、平和な時代が続くと、戦死者の記憶は次第に風化していった。だが、第一次世界大戦後、再び日清・日露戦争の記憶が、教育的意
○中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書) 岩波書店 2015.7 本書は、今の日本政治が大きく右傾化しつつあるという立場をとる。しかし、右傾化が小泉純一郎や安倍晋三の登場で突然に始まったものとは考えない。1955年から1993年まで続いた「55年体制」を出発点に、主に1980年代から今日まで、過去30年ほどのスパンで右傾化のプロセスを分析・詳述したものである。 戦後しばらくは、米ソ冷戦を背景として、階級間妥協に基づく「国民政党」を志向する保守政治が世界のトレンドだった。日本において、こうした政治のありかたを担った自民党の姿を、著者は「旧右派連合」と呼ぶ。単純化すると、官僚派の政治家や経済官庁を中心とした「開発主義」と、党人脈が強みを発揮した「恩顧主義」(公共事業や補助金による経済成長の再分配)の連合体だった。 一方、いまの政治の主勢力を「新右派連合」と呼ぼう。キーワードは悲観的(リアリ
○三の丸尚蔵館 第69回展覧会『絵巻を愉しむ-《をくり》絵巻を中心に』(2015年7月4日~8月30日) 皇室のお宝を展示する三の丸尚蔵館で、絵巻の展覧会があると知って行って来た。小さな会場なので作品数は少ないが、貴重な名品揃いで眼福だった。まず冒頭は『彦火々出見尊絵巻』(江戸時代、17世紀)。「海幸山幸神話」と言って、いまの若者は分かるのかな? 私は子どもの頃、児童書版で読んだ記憶があるけれど。 絵巻の原本は、12世紀末に後白河院の命によって制作され、若狭国小浜の新八幡宮に伝わり、いつの頃か明通寺に移された。その後、酒井忠勝が徳川家光に献上した記録の後、行方不明になったという。明通寺にも同時期の模本があり、展示品は「明通寺本を模写し直したもの」ではないかという(図録解説)。色彩は鮮やかで、その分、やや平板な感じがするが、人物や景物の形態に乱れがなく、丁寧な模写だと思う。龍王宮の女官たちの
○橋川文三『西郷隆盛紀行』(文春学藝ライブラリー) 文藝春秋 2014.10 何度か書いているが、私は西郷隆盛という人物の魅力がよく分からない。ほうっておけばよさそうなものだが、時々、思わぬ人が西郷を礼賛しているので、どうしても気になる。たとえば、内村鑑三は「明治の維新は西郷の維新であった」と言い切り、「聖人哲人」「クロムウェル的の偉大」「日本人のうちにて、もっとも幅広きもっとも進歩的なる人」と口をきわめて褒めている。内村鑑三というのも、ちょっとアヤシイところのある人で(←ホメている)この記述を含む『代表的日本人』を、読みたい読みたいと思って探している。 中江兆民も西郷に高い評価をおく。著者いわく、兆民は、名誉や社会的地位に目もくれず、貧乏を恐れない。そのかわり、正義と信じるものには絶対に従う、そのあたりが西郷と似た性格なのではないか。それから、福沢諭吉。これは意外な気がした。西南戦争直後
○ロジャー・パルバース、四方田犬彦『こんにちは、ユダヤ人です』(河出ブックス) 河出書房新社 2014.10 私がユダヤ人について知っていることはきわめて少ないが、四方田犬彦さんがイスラエル滞在について書いた本(『心は転がる石のように』2004)が面白かったことを思い出して、本書を読んでみることにした。第1章はユダヤ人(アメリカ生まれ、オーストラリア国籍、日本在住歴50年)のパルバースさんの家族史。第2章は、イスラエル国家の歴史。第3章は、ハリウッドのユダヤ人を中心に。第4章は、三人のユダヤ人、マルクス、シェーンベルグ、フロイトについて語る。 ユダヤ人とイスラエルについて、実にたくさんのことを学んだので、第2章を中心に、時系列順に整理しておく。まず国家を持たなかった、したがって他の国に侵入して暴力をふるうことはなかった二千年のユダヤ人の歴史があり、オスマン帝国(文中ではオットマン帝国)のも
○東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく:史料が語るとっておきの42話』(中公新書) 中央公論新社 2014.12 東京大学には、学部・研究科(大学院)のほかに「附置研究所」と呼ばれる組織がある。史料編纂所は「研究所」と名乗ってこそいないけれど、この「附置研究所」のひとつである。というより、書店あるいは歴史好きの人間の印象で言えば、『大日本史料』『大日本古記録』という史料集を営々と(←この古めかしい形容詞がぴったり!)編纂し、刊行し続けている組織である。 本書は、史料編纂所に所属する42名の研究者が、それぞれの専門分野から、とっておきのトピックについて執筆した短編エッセイ(5ページ)のアンソロジーである。どこからお読みいただいても結構、というのが、所長の久留島典子先生のお言葉であるが、内容は「文書を読む、ということ」「海を越えて」「雲の上にも諸事ありき」「武芸ばかりが道にはあらず」「村の声
○永江朗『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書) ポプラ社 2014.11 本と書店の今とこれからを考える1冊。まず、マクラに語られるのは、「街の本屋」がどんどん消えているという現実。著者は講演で訪れた土佐市で、中学生が歩いて行ける距離に本屋がないことを知る。その分、市立図書館はよく利用されているという。ううむ、これって、いいことなのか嘆かわしいことなのか悩む。 今や全国的に見て、日本人にとっての最大の読書インフラは、新刊書店でなく図書館である。その背景には、図書館の(よい意味での)変化や、手っ取り早い倹約の実践もあるけれど、本を「所有するもの」から「体験/消費するもの」と考える意識の変化も大きいのではないかと分析されている。 また、街の零細書店が消えていく原因のひとつに大型書店の出店があげられる。しかし著者は、多くの読者(消費者)が大型書店の出店を歓迎している事実を冷静に受け止めて
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