その活動はWebやテレビなどでも取り上げられ、昨年には西日本出版社から同館スタッフ・戸村文彦さんの著書『まちの映画館 踊るマサラシネマ』も刊行された。今ではマサラ上映の「聖地」とまで呼ばれるようになったサンサン劇場だが、過去には閉館寸前まで追い込まれた時期もある。 毎日のように空回し(無観客上映)が当たり前で、常にコストカットに頭を悩ませていた。そんな映画館が、どのようにして「聖地」と呼ばれる場所へと変貌を遂げたのか。そのヒントは、戸村さんがこれまで乗り越えてきた数々の試練に隠されていた。 最初の赴任先が水没、映画館がプールに 子どもの頃から映画が好きで、大学時代には映画館でのアルバイトも経験。しかし卒業後は就職氷河期のあおりを受けてフリーターをしていた。ある日、求人情報誌でサンサン劇場の募集を見つけ、現場経験があることから応募。めでたく採用にはなったが、赴任先の映画館は塚口ではなく、神戸