「信長は病気のふりをして、いっさい外へ出なかった。『御兄弟の間なのですから、信行(信勝)殿は見舞いに行った方がよいでしょう』と、母(土田御前)と柴田勝家が勧めたので、信行は清洲へ見舞いに出かけた。(弘治3年/1557)十一月二日、信長は清洲城北櫓天守次の間で、(家臣に)信行を殺害させた」 織田信長の伝記『信長公記』が記した、信長が弟・信行(信勝)を粛清する場面だ。『信長公記』では「信行のぶゆき」と表記されているが、他の史料では「信勝のぶかつ」と書かれていることが多く、また『豊臣兄弟!』の役名も「織田信勝」となっているため、ここでは以下「信勝」で統一する。 『豊臣兄弟!』1月25日放送回では、信勝に背後から斬りかかって殺害したのは柴田勝家だった。これは『信長公記』に載っている話をベースに脚色したものだ。『信長公記』では、男色に耽り始めた信勝が宿老の勝家を遠ざけたため、居場所を失った勝家が信長