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ドラクエ3
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人間には、科学的な知や、言語で表現できる知を越えた暗黙的な知がそなわっていることを明確に指摘した古典的な書物。この知は言語で語ることができず、しかも言語化された知の背景となり、これをもたらすことができるもの、科学的な発見をもたらし、研究の指針を教えてくれるものである。 たとえばぼくたちは相手の顔をみて、そのときの相手の気分をほとんど読み取ることができるし、一瞬の表情の変化で、相手の気持ちの変化を読み取ることができる。算数のできる馬「賢いハンス」は、出題者が無意識のうちに発するしぐさで、算数の正しい答えをだすことができたという。動物たちは、ぼくたちの表情を読み取る能力に長けている。ぼくたちはその能力をあまり活用していない。それは客観的な知識や言語に表現された知識に頼りすぎているからではないか。 著者は、ぼくたちがどのようにして他者の表情を解読し、多数の人々の顔を見分けることができるのか、どの
【書評】『遠近法の精神史』佐藤忠良、中村雄二郎、小山清男 若桑みどり、中原佑介、神吉敬三、平凡社、一九九二年 遠近法の歴史を古代からピカソの時代まで、豊富な絵画の実例を使って考察した書物。一連の連続講義の形で、それぞれの専門分野について、遠近法をさまざまなアプローチで考察する。たのしく読める一冊だ。 彫刻家の佐藤忠良は、目と手というテーマで、自作の彫刻、海外の彫刻家の作品、子供たちの作品を見せながら、巧みな話芸で語る。あまり遠近法とは関係ない(笑)が、作品のまなざしの力がよくわかってよい。 哲学者の中村雄二郎は、絵画の遠近法の話しをしながら、「ルネサンスと人間の目の誕生」というテーマで語る。少し雑談(笑)。触覚の中世から視覚のルネサンスへ、北欧的な客観的な科学の視線の知から、南欧的な演劇的な知へという図式的な講演になる。 美術史家の小山清男は、「遠近法の成立」で、古代の遠近法の「魚の骨」の
○自己の配慮が無視され、「汝自身を知れ」が重視された理由 さてフーコーはこの概念の重要性と、それがてがかり、導きの糸としてどのような意味をもつかを説明した後で、西洋の哲学史においてこの自己の配慮の概念がまったく無視された理由を考察する。自己の配慮の方が土台であるのに、「汝自身を知れ」という格言ばかりが重視されたのはなぜだろうか。 まずフーコーは「表面的な」(笑)理由から始める。それは自己の配慮のさまざまな定式化が、ポリスの政治、公的なものの重視という伝統からそれ、暗く、メランコリックに聞こえるからだという。そのために自己の配慮についてよく検討してみるという作業が行われなかったのだという。現在では自己の配慮がエゴイズムのように聞こえるとしても、以前は極端に厳格な道徳に対する積極的な原理としての意味をもっていたことをフーコーは強調する。 さらにフーコーは、この自己の配慮という原則がキリスト教の
○今年の講義の目的 フーコーは新しい講義を始めるにあたって、例年のように前年の講義を振り返ることから始める。「昨年は、主体性と真理の関係のテーマについて歴史的な考察を始めようとしました。そしてこの問題を研究するために、特権的な例として、古代における性的な行動と性的な快楽の体制、アフロディージアの体制を検討したわけです」(3-4)。 アフロディージアについてはフーコーの『快楽の活用』に詳しい。「アフロディージアとはある種の形式の快楽を与えてくれる行為や身振りや接触である」(53)。フーコーにとってアフロディージアは性にまつわる人間の「経験」の総体のようなものとして捉えられていることに注意しよう。キリスト教の時代には、これはchair(肉)という言葉で表現されるものに相当し、近代ではセクシュアリテという概念が登場した。フーコーにとってはこの三つの概念は、「倫理的な実質」となるものである(この概
『真理という謎』などの著作もある分析哲学のダメットが書いた哲学の言語論的な転回についての歴史的な考察の書物。主眼は、フレーゲとフッサールがほぼ同時期に同じような問いに動かされていたのに、なぜ分析哲学と現象学という大きな対立する流れに分岐していったかという問いにある。 著者はこれをライン川とドナウ川にたとえる。「互いにすぐ多角に源を発し、しばらくはほぼ平行して流れたが、ついにはまったく違う方向へと分かれ、別々の海へと注ぐ。それでは、なぜそういうことになったのか」(32)。 いくつか注目すべき指摘をあげておく。フレーゲは1890年までは、意味と意味されるものをまったく区別していない。両方を「内容」と呼び、文のうちに空虚な単称名辞が出現している場合には、その文は内容を欠くと考えた。しかし1891年からは、内容を意義と指示にわけるようになる(46)。ところで英語の書物で困るのは、フレーゲのジンとベ
精神の現象学 金子武蔵訳 ; 上巻, 下巻. -- 岩波書店, 1971. -- (ヘーゲル全集 ; 4-5)
ホームページ 哲学の系譜 ポリロゴス27号 ポリロゴス通信 1976年度のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義『社会を守れ』 (中山 元) 第一二回:生の権力 第一一回:国家についての新しいディスクールの登場 第十回:秩序を形成する革命 第九回:科学と哲学-一八世紀の知の空間 第八回:戦争と平和 第七回:ブーランヴィリエの新しさ 第六回:歴史のディスクールの新しい主体 第五回:ディスクールの戦い 第四回:人種のディスクール 第三回:戦争のディスクール 第ニ回:主体と権力 第一回:権力分析のモデル メルロ=ポンティ『知覚の現象学』を読む(中山 元) 第六回:現象学的な方法の功罪 第五回:身体の存在論 第四回:幻影肢の問題性 第三回:メルロ=ポンティの現象野の方法論 第ニ回:メルロ=ポンティの「純粋感性論批判」 第一回:メルロ=ポンティと現象学
コレージュ・ド・フランスにおけるフーコー(中山 元) フーコー・センターの利用法(中山 元) フーコーを読むために(二木 麻里+中山 元) フーコー研究文献(中山 元) フーコー著作目録 (Michael Karskens氏作成。RTFファイルです。掲載を許可された氏に感謝します) フーコーのテクスト Parrhesiast Camille Duchene氏作成のフーコー・ページ。パレーシアの概念を検討しています。過去のパレーシア講演の全文が読めます。お勧め。 What Is Enlightenment? フーコーの「啓蒙とは何か」の英訳です。 Michel Foucault: The Culture of the Self フーコーの「自己への配慮」の講演です。バークリー校での1983年4月12日4月19日の録音。英語です。 Foucault repond a Sartre Quinza
モースの古典となった『贈与論』。レヴィ=ストロースやバタイユを初めとして、おおくの思想家に影響と考えるヒントを与えた重要な書物である。すでに何度も論じられているが、まだ読むたびに新しい発見があるのはさすがだ。 現代の世界は資本主義の経済原則で覆い尽くされているかにみえるが、モースは原始社会の贈与の慣行を詳しく考察しながら、古代社会や原始社会で機能しているもっと別の原則を探りだす。モースは文化人類学のさまざまな調査を網羅的に調べながら、こうした社会では、貨幣を使った交換の原則ではおさまらない慣行が多数存在すること、なかでも贈与が経済的な領域をこえた重要な原則として機能していることを明らかにするのである。 こうした贈与は、マリノフスキーが探りだしたように、生を組織し、贈与されたものをもつ人々の生活の楽しみとまでなるものであり、生活必需品や嗜好品の交換と考えてはならないのである。宝は交換されるこ
ハート/ネグリの『帝国』の序文がフランス語で読めます。 リベラシン紙の書評です。 Le Monde掲載の書評もあります。
★人種の戦いのディスクールの位置[1/28-2] 伝統的な歴史のディスクールに対抗するこの反歴史のディスクールは、まずそれまでの中世のローマ的な伝統に対する異議の申し立てという形を取った。フーコーはここでデュメジルの神話論に依拠しながら、インド=ヨーロッパ語族とローマの社会構造が、主権者の第一機能、戦士の第二機能、繁栄と豊穣の第三機能に分割される形で形成されていたとすると、新しい歴史のディスクールはこのような三分法ではなく、「われわれ」と「彼ら」という二分法で形成されていることを指摘する。主権者と臣民、富んだものと貧しいもの、侵略者と被征服者との対立が、それまでの安定した社会構造を転換させる批判的なディスクールを持ち込むのである。 フーコーはここにおいて、インド=ヨーロッパ語族の歴史性の終焉が始まると考える。これは中世のかなり遅くの時期まで続いていた「ラテン中世」的な伝統概念の終焉であり、
2005年2月12日 【書評】ジャン=ピエール ボー『盗まれた手の事件―肉体の法制史』法政大学出版局、二〇〇四年 ルジャンドルの弟子のボーが法律の歴史のもとづいて、人間の身体の物質性を否認し、人間を人格、ペルソナとしてみるローマ法的な人格論が、生命医学の発展とともに完全に破産していることを示す。ときに論点が飛ぶが、とても刺激的な書物だ。糞便は廃棄物として捨てるのが当然なのに、血はそうではない。その背景にありキリスト教の伝統的な感性をえぐりだす。目次はつぎのとおり。判決―フィクション 体、この厄介なもの 終末…まえもって ローマ的シヴィリテが法の非肉体化を求めるということ 人格、その演出家による創造物 体、有形な物―見いだせない明白な事実について 狂気とグロテスクに関する逸話 ゲルマン人には角が生えているのか 肉体の教会法的定義―権利の対象 肉体の教会法的定義―手当ての対象 公衆衛生の起源
インタビュー:フーコーのテクストを読むために 質問する人:二木 麻里 答える人 :中山 元 二木: あの、はっきり言ってフーコーは取っつきにくいという声があるんですが。 中山: やっぱり? このあいだ四苦八苦して『フーコー入門』という本を書いたんですが、この本ではフーコーの一つの読みかたを提示したかったんです。でもやはりフーコーというのは、膨大な知識量を背景にした作品が多いこともあって、入りにくいところはあるかもしれない。『入門』でも、なんとかフーコーの良さをわかりやすく伝えたかったんですが、編集者さんに「まだ難しい、まだ難しい」って言われまして……。いっしょうけんめい書き直したんですが。 二木: どうでしょう。フーコーを読みたいという方に、文献を紹介してみては? 中山: それはいいですね。フーコーのどんな著作を読んだらいいか、考えてみましょう。そうすれば少しは楽に読めるかもしれない。歴史
レヴィナスにおける哲学と宗教 --レヴィナス「神と哲学」を読む (中山 元) レヴィナスにおいて、哲学と宗教がどのような関係にあるかを考えるには、『超越と知解可能性』の他に、この「神と哲学」が重要な位置をしめている。この論文は『観念に来れる神』に収められているものだが、まだ邦訳がないので、さまざまな問題を考えながら読んでみたいと思う。 ★存在論神学批判 一九七五年に発表されたこの論文は、アリストテレスを意識した「哲学しないためには、また哲学しなければならない」という文で始まっている。哲学の必要性を再確認するこの文章は、明らかにデリダのレヴィナス批判に呼応したものである。 デリダは「暴力の形而上学」の最後近くで、「一人のギリシア人」の言葉として、この「哲学しないとしても、やはり哲学しなければならない」というアリストテレスの『形而上学』の言葉を引用して、レヴィナスの「幻想」を批判した。デリダの
今回は、最近注目されているアガンベンが、1978年のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義『安全保障、領土、人口』に基づいて、テロと安全保障について考察している興味深い一文を紹介しよう。9月20日のフランクフルター・アルゲマイネ紙掲載である。原文はイタリア語。911事件については一言も言及されていないが、そのメッセージは明らかだろう。ぼくはアガンベンとかなり近いスタンスをとっているので、共感できる文章だ。入手しにくいテクストなので、こっそりと原文をリンクしておく。FAZにはないしょだぜ(笑)。 ==================== 秘密の共犯関係----安全保障とテロリズムについて (ジョルジォ・アガンベン) 安全保障が国の政治学の中心的な概念となったのは最近のことではなく、近代国家の誕生の時期にまでさかのぼる。ホッブスがすでに、安全性の保障と恐怖を対立させ、人間が社会を構成するのは安
やっと邦訳がでたホネットの政治哲学の注目書。承認論をめぐっては、ホネットはその後もフェミニズストたちなどとも論争を重ねている。ハーバーマスの強い影響下のうちではありながら、ホネットが承認論を初めて本格的に展開した書物だけに、興味深い。 ハーバーマスの初期ヘーゲル論を引継ぎながら、ホネットはイエナ体系構想の時代のヘーゲルの理論に、三つのレベルでの承認論をみいだす。特別な他者との愛、第三者との法、第三者との連帯である。ヘーゲルの『精神現象学』では承認論が主奴論となって、原初的な承認論がもっていた豊穣な理論がやせてしまうとホネットは考える。 ヘーゲルがホッブスの理論に依拠して自然法の枠組みで承認を考えるとき、たがいに相手を否定するコンフリクトのうちに主体はおかれるが、ヘーゲルはホッブスとは違って、愛の関係のうちにしか、主体とその承認が起こりえないと考える。「自然状態におけるコンフリクトには、相互
哲学の系譜 | 多島海 | フーコー | レヴィナス | アレント | 哲学の概念 | ジャーナル | プロフィール ▼中山元の私家版 電子叢書「中山文庫」 アマゾンKindle版で刊行中▼ 中山 元『徹底読解『判断力批判』4』Kindle版【光文社】 中山 元『徹底読解『判断力批判』3』Kindle版【光文社】 中山 元『徹底読解『判断力批判』2』Kindle版【光文社】 中山 元『徹底読解『判断力批判』1』Kindle版【光文社】 トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』(一) 中山 元 訳・解説 ルソーの方法 第三部 人間の教育者から孤独な夢想家へ ルソーの方法 第二部 共和国と永久平和を求めて ルソーの方法 第一部 文明批判から社会契約へ 抵抗の思想 共感の哲学 人はなぜ他人に同情するのか ルソー文明批判の出発点 第一論文『学問芸術論』を読む ルソー政治哲学の歩み 国家運営論としての
本の執筆に没頭していて更新できなかった。プルタルコスの『モラリア』のリストを整理しておく。 Moralia: Volume I. The Education of Children. How the Young Man Should Study Poetry. On Listening to Lectures. How to Tell a Flatterer from a Friend. How a Man May Become Aware of His Progress in Virtue Moralia: Volume II. How to Profit by One's Enemies. On Having Many Friends. Chance. Virtue and Vice. Letter of Condolence to Apollonius. Advice About K
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