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モバイル社会研究所主催のモバイル社会シンポジウム2008「モバイルが超えるシステムの境界」の二日目の対談「フィルタリングを求める社会とゾーニングの未来」に行ってきました。 もはや当たり前のものとして認識されつつある携帯電話での有害サイトのフィルタリングについて、技術としてのフィルタリングの話だけでなく社会の側でそれをどう理解しどのように運用していくべきかという議論が展開されました。 ※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 モバイル社会シンポジウム2008「モバイルが超えるシステムの境界」 http://www.moba-ken.jp/symposium2008/ 対談:フィルタリングを求める社会とゾーニングの未来 荻上チキ(批評家・ブロガー) 荻上式BLOG http://d.hatena.ne.jp/s
ジュンク堂の池袋本店だけでなく新宿店でもトークセッションが開催されるようになったようで、本日開催された萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」(萱野稔人氏『権力の読みかた―状況と理論』出版記念)に行ってきました。 ※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 両者の国家論のスタンスについて 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。 簡単に国家はこうであるべきという「べき論」に行くのではなく、国家の機能分析の議論を展開している。 紀伊国屋書店 ブックレビュー [社会・思想]『国家とはなにか』萱野稔人 「ありそうでなかった独自の国家論」北田暁大 http://www.kinokuniya.co.j
三省堂書店神田本店で開催された東浩紀氏×仲俣暁生氏トークセッション「神保町から〈東京〉を考える」に行ってきました。東浩紀氏と北田暁大氏による対談『東京から考える』(NHK出版協会)の刊行記念の対談。下北沢の再開発問題に関心をもたれており『東京から考える』の北田氏の意見に共感を覚えるという仲俣氏と、『東京から考える』でも多様性を認めるからこそ人工的・工学的な都市開発が不可避ではないかとする東氏との対談でした。東氏はトークバトルを予感していたようでしたが、むしろ様々なことを考える上での前提が両氏の間で共有されたトークでした。 あと東氏の『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』が発売されていたので購入。『東京から考える』と『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』を架橋するような話も聞けました。 ※要注:以下のものは会場でとったメモをもとに、私が見聞きして印象に残ったこ
渋谷シネマライズにて昨日から公開された映画『秒速5センチメートル』を観てきました。連作の第1話「桜花抄」、第2話「コスモナウト」、第3話「秒速5センチメートル」計3作あわせて60分の短編アニメーション作品。『ほしのこえ』の自主制作で有名になった新海誠監督。 ―――――――――― 予告編を映画館で観た。その美しい風景描写と「あの人との約束の当日は・・・」というセリフに必ず観に行くだろうと思った。しかし限定ネット配信もされたという第1話「桜花抄」、第2話「コスモナウト」は、そのどうしても安易に想像してしまう結末のイメージのため、ある意味期待通りの風景やセリフが流れるものの僕にはあまり響いてこなかった。 しかし第3話「秒速5センチメートル」。序盤の雪の降り積もった駅のホームでのある親子の会話のセリフで、僕は突如すべてがわかった(そのあとずっと見ていればわかることだけど)。そして第1話を起点として
東京神田の駿河台にあるアテネフランセで開催された国際エイズ月間・日仏交流企画シンポジウム「これからの多様な性&家族&ライフスタイル」に行ってきました。登壇者は以下の通り。 赤杉康伸、石坂わたる:『パートナーシップ制度と日本』 東京メトロポリタンゲイフォーラム(TMGF) http://www.geocities.jp/tmgf2001jp/default.htm 及川健二:『虹色の社会〜フランス同性愛事情〜』 『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』 『ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情』 大河原雅子:『私のマニフェスト』 大河原雅子・公式サイト - Just Use it! http://www.ookawaramasako.com/ 宮台真司:『成熟社会をどう生きるか』 MIYADAI.com http://www.miyadai.com/ 上川あや:『沈黙から発言へ
NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で開催されたモバイル社会研究所・未来心理研究会の公開討議「モバイル社会における技術と人間」に行ってきました。今回の公開討議はモバイル社会研究所・未来心理研究会と宮台真司氏主催の思想塾との共同企画。 登壇者は前半の鼎談では、宮台真司氏(社会学者)、斉藤環氏(精神科医)、船木亨氏(西洋現代哲学)、後半の討議では和田伸一郎氏(メディア論・哲学)、茅野稔人氏(政治哲学)、鈴木弘輝氏(教育社会学)、堀内進之介氏(政治社会学)でした。司会はモバイル社会研究所の萩原徹太郎氏。 携帯端末の「極小化(機体が小さくなっていく)」「統合化(様々な機能を搭載)」「ネットワーク化(サービスを実現するために緊密にネットワークと関係・連携)」が進展し、システムの側が人間の振舞の中から様々な契機を見つけてくれ最適なサービスを提供してもらえるような「ユビキタス・サービス」
すでに劇場公開は開始されていたものの観に行っていなかった映画『ゆれる』を渋谷シネ・アミューズで観てきました。ちなみに渋谷シネ・アミューズでは本日から公開開始で立見もでる超満員。監督は映画『蛇イチゴ』の西川美和監督。 蓮實重彦先生がトークで仰っておりましたが、映画を観て語る一つの方法として「一連の作品の中で偏執的に繰り返されている『同じもの』」を考えることがあるとのことですが、今回『ゆれる』を観ることで西川監督が繰り返し描くものが幾つか見えたように思います。ひとつは「(外面上はともかく内実は崩壊しかけている/している)家族」「そこに残りし者と出て行った者の対比」そして「森の中での当事者しか知らない出来事」。物語は「出て行った者の帰還」から始まり、登場人物が何かを失い何かを得て収束するという構造でした。 僕は最初の車から見える外の風景にすぐにやられてしまいました。あれこそ現代日本の地方の風景。
三省堂書店神田本店で開催された宮台真司氏主催「思想塾」の第2回一般公開イベント「ライフポリティクスの現在」に行ってきました。論者は主催の宮台真司氏(社会学、社会システム論)、赤川学氏(歴史社会学、ジェンダー/セクシュアリティ論)、松沢呉一氏(性風俗研究家)、森岡正博氏(哲学・生命学・科学論)と宮台ゼミの院生の大河原麻衣氏(社会学、セクシュアリティ論)、金田智之氏(社会学、セクシュアリティ論)でした。 今回の公開イベントでは「ライフポリティクスの現在」と題され、個々人のライフスタイルの多様性と社会の関係を問い直す際に必要な議論の前提が語られたように思います。 ※要注:以下のものは私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 基本的前提として M.フーコーが生政治・生権力といった概念を用いた時代的背景・同時代性としてのマルクス主義におけ
ジュンク堂のブックフェア「近代天皇制を問い直す―その来し方・行く末」に連動して開催された森達也氏と鈴木邦男氏によるトークセッション「『近代天皇制』と『愛国心』」に行ってきました。 真の右翼とは何かを問い続けられている鈴木邦男氏と、現代の「居心地の悪さ」を問い続られている森達也氏が、天皇制と愛国心・ナショナリズムについて対話されていました。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 昭和天皇発言メモと「おことば」問題をどう考えるか 今回のメモ問題から、天皇制をどう考えるか、天皇が発した言葉をどう受け止めるかということが問われている。 天皇が靖国神社への参拝をやめた理由がA級戦犯合祀ではないかというのはこれまでも推測として語られてきた。 右派の人たちは「天皇がそんなことを考えているはずがない」「別の理由で参拝できないのだ
アーシュラ・K・ル=グウィン原作のファンタジー小説(の第3巻)をもとに独自の脚本でアニメ映画化したスタジオジブリの作品・映画『ゲド戦記』を109シネマズ木場にて観てきました。宮崎吾郎監督。 ネットで見る限り事前の評判が散々だったのですが、また公開後のレビューも散々なようですが、実際観てみると僕はそんなに悪くない、いや、むしろ良い作品だと思いました。 Yahoo!ムービー - ゲド戦記 http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id324031/ 物語冒頭で、物語の世界で様々な「異変」が起こっていることが語られ、提示されます。「天変地異による大災害」「家畜の感染症の流行」「人がいなくなり廃墟と化した村々」「中毒性薬物の蔓延」「人身売買の横行」「偽ブランド品・紛い物の流通」「忙しく働きつつも目的なく存在感を抱けないでいる人々(設定)」、そし
青山ブックセンターの3ヶ月に一度の恒例の蓮實重彦氏による映画トーク「蓮實重彦とことん日本映画を語る」の第15回目「溝口健二を/と愛すること」に行ってきました。 成瀬巳喜男監督は世界一だけれど「世界一」は何人もいて当然溝口健二監督も世界一とのことで、今回はすべて溝口監督の作品が紹介されました。蓮實先生が会場に来ている人々に問いかけます。「この中で溝口作品を10本以上観たことのある方はどれくらいいらっしゃいますか?」と。手を挙げる人は極少数。ちょっと悲しそうな蓮實先生。そして蓮實先生曰く、「溝口作品を10本以上観ていない者は(自分を)愛国者と唱えてはならない」そうですw 溝口作品を観ていなくて何が愛国者かw と仰っておりました。 溝口健二監督が撮った映画は90数本あるそうですが今見ることの出来る作品は30数本程度とのこと。今回はその限られた作品の中から垣間見えるという溝口健二監督作品の(蓮實先
テアトル新宿にて本日から上映開始の映画『時をかける少女』(アニメリメイク版)を鑑賞してきました。細田守監督。どこかで見たことある絵だなとおもったらキャラクターデザインは貞本義行氏。 原作・前作のSF的設定を引継ぎつつも可能な限りそれは後景としており、今の17歳の女子高生を主人公として、日常の中のいつもの、しかしいずれ変わっていかざるを得ない周囲の仲間との関係がストーリーの中心でした。 主人公はとあるきっかけから「時をかける」こと(タイムリープ)ができるようになるのですが、話はもし歴史を変えてしまったら・・・というような大仰なものではなく、最初は家族に食べられたプリンを食べられる前に戻って食べたいとか、数日前の晩御飯のおかずを食べたいとか、カラオケの終了時間から開始時間に戻って何時間も歌ってみたりとか。その後は少しずつ変わり行く日常の人間関係の中でちょっと前に戻れるならこうしていたのにという
文京シビックホールで開催されたシンポジウム「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」の第4弾が共謀罪についての話ということで行ってみました。過去に開催されたシンポジウムの内容は創出版から『おかしいぞ!警察・検察・裁判所―市民社会の自由が危ない』という題名で書籍化されているそうです。 今回のシンポジウムでは「共謀罪」がメインテーマでしたが、「警察・検察・裁判所」の現状についてのシンポジウムなので以下のように様々なことが報告・議論されました。 第一部では安田好弘弁護士が光市母子殺人事件の最高裁口頭弁論に最初欠席した経緯や昨今の裁判所を中心とする司法の変化について講演がありました。 【参考】:2006-05-13 宮崎学氏主催「緊急!「人権派弁護士」批判に答える。」参加 http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060513#p1 第二部では事件概要報告ということで「立川反戦ビラ事件」「
池袋のジュンク堂で開催された生田武志氏、白石嘉治氏、杉田俊介氏によるトークセッション「野宿者/ネオリベ/フリーター -アンダークラスの共闘へ-」に行って来ました。一応発売日はすでに遠く過ぎていますが生田武志氏『<野宿者襲撃>論』、杉田俊介氏『フリーターにとって「自由」とは何か』、白石嘉治,・大野英士編『ネオリベ現代生活批判序説』の発売記念とのこと。 【参考】:2006-02-18 杉田俊介氏×白石嘉治氏トークセッション 「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」 http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060218#p1 メールで交流のあった初対面のid:junippeさんと事前に合流し、いっしょに参加しました。id:sarutoraさんも来場られていたようです*1。 白石氏が司会の形で、それぞれの論者の方が「フリーター」「野宿者」「大学非常勤講
06W杯地上波テレビ放送の一覧です。見たい試合に合わせて予定・仕事等を調整しておきましょう。 (画面を最大化していただくとより表が綺麗に見えるかもしれません。) ※試合開始の「時間」は日本時間です。現地との時差は7時間。 日付 曜日 時間 グループ対戦カード放送局 6/9 (金) 25:00 Aドイツ × コスタリカ TBS BS1 28:00 Aポーランド × エクアドル BS1 6/10 (土) 22:00 Bイングランド × パラグアイ フジ BS1 25:00 Bトリニダード・トバゴ × スウェーデン NHK BS1 28:00 Cアルゼンチン × コートジボワール BS1 6/11 (日) 22:00 Cセルビア・モンテネグロ × オランダ NHK BS1 25:00 Dメキシコ × イラン テレ朝 BS1 28:00 Dアンゴラ × ポルトガル BS1 6/12 (月) 22:
新宿にあるネイキッド・ロフト*1にて緊急開催された宮崎学氏主催の「緊急!「人権派弁護士」批判に答える。」に行ってきました。会場は立見続出の盛況でした。 当イベントの発端となったのが、宮崎学氏のサイトの山口県光市母子殺人事件の被告の弁護人・安田好弘氏が当初予定されていた最高裁の口頭弁論を「欠席」したことについての以下のエントリー。 miyazakimanabu.com 2006年03月15日 弁護士安田好弘を擁護する http://www.miyazakimanabu.com/judicial/000170.php 宮崎氏のサイトに匿名で寄せられた批判や、これから安田弁護士へのバッシングがさらに起こると予測される中、現在の状況をどう考えていけばよいか、安田氏自身も現在控訴審を闘っており(一審は無罪)そのような中でのメディアによる今回の人権派弁護士批判は適切なのか、ということが語られました。
三省堂で開催された宮台真司氏の思想塾の公開トークセッション『若者の現在』に行ってきました。思想塾の公開イベントは今後3ヶ月に一度(7月・10月・1月)に行われるそうです。今回は宮台真司氏、藤井誠二氏、浅野智彦氏、鈴木弘輝氏、堀内進之介氏の5人で『若者の現在』というタイトルで3時間近くの議論が行われました。 以下は語られたことのある程度のまとめでです(僕のメモなので抜けているものもたくさんあります)。 ―前半― フランスのデモの背景と日本の若者言説の背景の対比 若者イメージや若者論を受容する社会の側の変化 70年代の若者論も今の若者論も趣旨はあまり変わっていない 70〜80年代の若者論は若者文化にある種の理想を託していた(必ずしも若者バッシングではなかった) 90年代からは若者バッシングと若者が統計上昔からあまり変化してないことが平行して語られている(若者バッシングにヘゲモニーが移る) 他者
青山ブックセンターで開催された藤原帰一氏の著作『映画のなかのアメリカ』出版記念のトークに行ってきました。対談相手の金平茂紀氏はTBSの前ワシントン支局長で現報道局長の方。お二方ともアメリカ滞在経験があり無類の映画好きとのことで「映画のなかのアメリカ」について存分に語られていたように思います。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 『映画のなかのアメリカ』は雑誌・論座において藤原帰一氏が(アメリカ)映画を語った2004年10月号から2005年11月号までの連載をまとめたものだそうです。映画が何を語ろうとしているのかを読み解こうとする伝統的な「テーマ批評」の手法を用いられているとのことで、政治史・外交史だけではわからないアメリカの姿を映画を通じて書いてみたかったそうです。政治学者は偽の姿で(!)アメリカのことを考える
安楽死・尊厳死法制化を阻止する会主催による品川・国民生活センターで開催された研究集会でお話を聞いて来ました。安楽死・尊厳死問題について様々な方から多様な論点が提起され大変勉強になりました。以下は僕が会場でとったメモをもとににしておりますが、会場では多くの方々からこれ以上の様々なことが語られておりました。 安楽死・尊厳死法制化を阻止する会 http://soshisuru.fc2web.com/ arsvi.com 研究集会<死の法> ―尊厳死法案の検証― http://www.arsvi.com/0p/et-20063.htm 【参考】日本尊厳死協会 http://www.songenshi-kyokai.com/ ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 光石忠敬氏(弁護士)講演:「尊厳死に関する法律要綱案」「尊厳
ジュンク堂池袋本店で行われた藤本一勇氏×高橋哲哉氏による『批判感覚の再生』出版記念トークセッション「国家・市場・犠牲―民主主義の再生に向けて」に行って来ました。藤本一勇氏の『批判感覚の再生』は読んだばかりだったので、大変興味深く話を聞くことができました。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 高橋氏と藤本氏の最初の出会いは10年ほど前、藤本氏が院生のときに高橋氏のデリダ読解の授業に参加されていたそうです。その後、藤本氏はフランス・パリに留学しデリダの授業を受けられたそうです。デリダは当時のフランスのニュースやテレビ番組をネタにして哲学的な本論に導いていく授業を行っていたそうです*1。 まず高橋氏から『批判感覚の再生』の紹介があり、本書は現代日本に必要な「批判」の形を示している書とのこと。ネオ・リベラリズム(新自由
本当は行くかどうか迷っていたのだけれど、とりあえず獨協大学に行ってみた。 たまたま午前中に野暮用で半蔵門線・水天宮前駅まで行くことになったので、午後から半蔵門線を北上し、東武伊勢崎線に自動変更して、獨協大学のある草加の次の駅の松原団地というところへ向かった。またもや*1なんだここは、というカルチャーショック。駅につくあたりから周囲は昭和30〜40年代を思わせる*2団地、団地、団地だらけ。駅を降りて周囲を見回しても本当にデザインが同じ4〜5階立ての団地が辺り一面に区画されてあって、その中に大学がぽっつりとあった。これが首都圏のベットタウンということなのか、僕の故郷では見れない風景だった。 周囲の風景に驚きながらも、獨協大学創立40周年記念&カント没後200年記念講演会「現代に生きるカント哲学」を聞きに行った。 獨協大学:http://www.dokkyo.ac.jp/index.php *1
目次 0.前置き 1.araikenさんのご主張 2.kawakitaの前回のエントリーでの問題提起 3.「贈与」と「労働」は違うこと 4.「労働」とは常にどんな水準であれオーバーアチーブメントであること 5.「本質規定」と「規範」は違うこと、そして「人間的」とはどういう意味か 6.最後に 0.前置き 内田樹氏の運営するBlog「内田樹の研究室」のエントリー「不快という貨幣」について僕の解釈した内容をエントリーに書いていたら、Blog「祭りの戦士」を運営されているaraikenさんより反対の立場をとられた考察をトラックバックしていただきました。先日もとある方から「なんでウチダなんか擁護するんですか」とツッコまれたばかりなのですが、応答してみたいと思います。 内田樹の研究室 不快という貨幣 http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php Kawakit
四ツ谷の弘済会館で開催された「麻原裁判」講演・公開討論会(第3回)に行って参りました。主催は麻原裁判控訴審弁護人の松井武弁護士と松下明夫弁護士。 麻原裁判 控訴審弁護人 http://www.asahara-kousoshin.info/ 「麻原裁判」講演・公開討論会 http://www.asahara-kousoshin.info/news/touron.html 第一部では、「国家と麻原裁判」という主に国家と司法およびそれに関係することについてのテーマで、司法関係に詳しいフリージャーナリストの魚住昭氏が、『国家の罠』『国家の崩壊』などの著書でも知られる現・外務省職員の佐藤優氏に質問しお話を伺うという形で進行されました。 また第二部では、「誤った西山鑑定」というタイトルで、控訴審弁護団に依頼されて麻原被告と接見し意見書を作成された金沢大学名誉教授の秋元波留夫氏・小木貞孝氏(作家名:加賀
有楽町駅の売場でビッグイシュー45号購入できました。特集「ひきこもりの未来」で上山和樹氏と斉藤環氏の対談、その他関係者の意見などを読むことが出来ます。 ビッグイシュー日本版 http://www.bigissuejapan.com/ 最新号を立ち読み(2006/03/05現在) http://www.bigissuejapan.com/tachiyomi/saishin.htm その他興味深かったのが、「世界短信」というコーナーの以下の記事。 米国、死刑囚の5〜10%が精神障害 全米精神衛生協会によると、現在全米で、約3400名が死刑囚として収容されているが、その内の5〜10%が精神障害者だという。 「重度の精神障害を持つこれらの人々を死刑にするといいうのは残酷で非人間的なやり方だとしか言えません。それがあまりにも長い間見過ごされてきたのです。これらの障害に対する偏見と無知ゆえに、多くの人
ロフトプラスワンに姜尚中氏初登場とのことで、こりゃザンギョウなんてしてる場合じゃないということで仕事もそこそこに、新宿ロフトプラスワンで開催された突破者・宮崎学の実弾トークライブ「『近代の奈落』を語る!差別の歴史と現代社会」に行って参りました。ホストに宮崎学氏、ゲストに姜尚中氏、進行役に永江朗氏。 姜氏は宮崎氏の著作『近代の奈落』の文庫版の解説を書かれ、宮崎氏が大変感激したとのこと。会場で本編の一部と姜氏の解説部分のコピーが配布されたので読ませていただいたのですが、僕も感動してしまいました。立ち読みでもいいからみなさん読みましょう。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 『近代の奈落』を書いている過程で気づいたこととして、宮崎氏は「差別」を考えるにあたって基本的に以下の様に考えているとのこと。 被差別部落の解放運
毎回はてなブックマークが大荒れの内田先生のエントリー。2006年02月23日のエントリー『不快という貨幣』にも「悪意がある」「ひどい」との批判が目につきます。 内田樹の研究室:不快という貨幣 http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php はてなブックマーク 内田樹の研究室:不快という貨幣 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php 内容を簡単に言えば、「等価交換」しか受け付けないという「功利的発想」が浸透した結果、若者は自ら受けた「苦役」「苦痛」という負の「貨幣」の貯金に対して、「債権」の即座の支払いを求めるように振舞うようになり、表向きに見ると「学び」や「労働」を拒否しているように見えるのではないか、という仮説。 キーワードは「等価交換」である。
東京高裁・須田賢裁判長は麻原被告の精神鑑定を依頼した精神科医・西山詮氏から「訴訟能力あり」との鑑定結果を受け取ったとのこと。 毎日新聞 <オウム裁判>松本被告に訴訟能力ある 東京高裁に鑑定結果 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060220k0000e040060000c.html 読売新聞 オウム事件、松本被告に訴訟能力…医師が鑑定書提出 http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060220it03.htm 朝日新聞 オウム松本被告「訴訟能力ある」 精神鑑定結果を提出 http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200602200174.html 産経新聞 オウム麻原被告に「訴訟能力ある」 東京高裁に鑑定書提出 http://www.sa
ジュンク堂池袋本店で開催されたトークセッション「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」に行って参りました。 当初は『フリーターにとって「自由」とは何か』の著者・杉田俊介さんと矢部史郎さんのトークの予定でしたが、矢部さんが急遽事情とのことでジュンク堂から前日連絡があり『ネオリベ現代生活批判序説』を編集された白石嘉治さんが代わりに対談されました。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 まず白石氏から「ネオリベラリズム」とは何か、ということで簡単な事例や説明がなされました。 市場原理主義とは需要と供給ですべての価値が決まってしまうという幻想。 それを実現させるため日常生活の様々な面に圧力がかかってくる状況。 選択の際にあらゆるものが需給のバランスとして認識され、経済的枠組に縛られる。 無理が
どうも井筒和幸監督の映画『パッチギ!』を「自虐史観映画」だの「朝鮮人側寄り」だのとせせこましい矮小化した解釈しかできな人がいるようなので、その解釈に反論してみたい*1。 超映画批評『パッチギ!』 「朝鮮人には謝罪して、友達になっていただく」でいいのか? http://movie.maeda-y.com/movie/00455.htm ただし、本作で”感動”できるのは、朝鮮人か、朝鮮側の立場、言い分に感情移入できるお客さん限定だ。あなたがもし愛国的な日本人だった場合、この映画を見たが最後、「冗談じゃない!」と激怒して劇場を出てくる事になるだろう。 というのも、本作は基本的に自虐的歴史観というか、反日風味がたっぷりの映画だからだ。何しろこの映画のストーリーは、無知な日本人少年が朝鮮語を勉強し、彼らに溶け込むよう努力し、「祖先が起こした過去の犯罪的行為」とやらを彼らから知らされショックを受けなが
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