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衆院選
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出典:「位置参照情報」(国土交通省)の加工情報・「HeartRails Geo API」(HeartRails Inc.)
ー前田さんが社会人としてのスタートを切ったのはいつですか? 今の職業は声優ですが、声優になる前はいろいろなバイトをしていました。ミスタードーナツで長く働いていたんですよ。他にも、自分自身にどんな仕事が合うのか探したいと思って、いろいろな現場に行ける派遣のバイトをしていました。販売をしたり、モデルルームでキャンペーンの説明をしたり、子どもに風船を配ったり(笑)。いろいろな経験をしたいタイプなので、派遣の仕事は楽しんでやっていましたね。 ー声優を目指したキッカケは? 演劇の授業で主役をやりたいと立候補したこともあるほど、小さい頃から目立つことが好きでした。高校生の時はガールズバンドを組んでいて、人の前で歌うことがすごく楽しかったんですよ。だから、表現をする仕事につけたら良いな、と漠然と考えていました。 声優という職業を初めて認識したのは、声優を目指すストーリーの少女漫画を読んだときです。見た目
金属部品の加工になくてはならない工具「金型」。自動車や携帯電話、ペットボ トルなど、現代の生活で目にする製品のほとんどが金型をもとに生み出されています。一言で金型といってもその素材も種類も多種多様。製品の開発者が求める 金型を作るためには、長年にわたって培われた技術者のスキルが欠かせません。 しかし、事業者数は軒並み減少。1990年に1万3,115事業所あった国内の金型製造業は、25年後の2015年に は6,535事業所と、半数まで激減しています(経済産業省・工業統計データより)。そうした中、新たな技術を武器に勝負しているのが、東京鋲螺(びょう ら)工機株式会社。「超硬合金」を使った金型の量産に成功したことで、金型業界に新潮流を巻き起こした、知る人ぞ知る“小さな巨人”です。同社が手掛ける 金型について、そして日本のものづくりについて、高味寿光(こうみ・ひさみつ)社長に語っていただきました。
1952年に安全保護具の総合メーカーとして産声を上げた「ミドリ安全」。1 足の安全靴からはじまり、ワーキングウエアのパイオニアとして、半世紀以上にわたり製造現場などで働く人の足元を守ってきました。高い品質と性能をキープ しながら新たな技術を取り入れ、“日本初”を多数生み出してきた同社。「労働災害をなくしたい」というアツい思いを胸に、安全靴の研究と開発にあたるフッ トウエア統括部の皆さんに話を伺いました。 「先芯」と呼ばれる部品が安全靴の価値&履き心地を決定づける ――そもそも、安全靴とはどのような靴のことを指しているのでしょうか? 重量物の落下などから足を守ることを目的にした「足部災害を予防するための靴」です。厳密には、「JIS(日本工業規格)」が定める規格をクリアした靴のこと。安全性と耐久性の試験を合格した、JIS合格品が「安全靴」と呼ばれます。 ――安全靴の特長とは、どのようなものです
工場の作業現場から一般家庭まで広く使われている「軍手」。その軍手を作り続 けて92年の老舗企業が、大阪に本社を置く「おたふく手袋株式会社」です。一風変わった社名もさることながら、軍手というニッチな商材を扱うメーカーとし て存在感を発揮しています。そこで、軍手のアレコレや製造に掛ける熱いこだわり、キーマンとなる発明王との意外なつながり、そして新たな挑戦などについ て、マーケティング部の徳永智彦さんに聞きました。 軍手の起源はスイス。そして気になる“おたふく”の謎 ――それにしても、ユニークな社名ですね。最初から、“おたふく”だったのでしょうか? 大正15年に、井戸端政一が個人企業として和歌山県海草郡下津町で作業手 袋の製造を始めたことが弊社の原点になります。それから25年後の昭和26年に「大洋手袋株式会社」を設立、昭和37年には本社を大阪市に移しました。社 名が「おたふく手袋株式会社」になっ
手軽に使えるクレヨンと自由自在に色を混ぜることができるパステルのいいとこ 取りをした描画材料「クレパス」。筆やパレットも必要なく鮮やかな描画を楽しめるとあって、子どもの頃にお絵かきで使っていた人も多いことでしょう。その クレパスを1925年(大正14年)に世界で初めて開発した企業が「サクラクレパス」です。 そんなサクラクレパスには、主力商品の「クレパス」と並んで、もう一つ柱 となる事業があります。それが、工場や工事現場で使われる「工業用マーカー」。かわいらしいクレパスとは真逆なイメージの工業製品です。その開発の足跡に ついて、仕掛け人でもあるマーケティング部の河合秀人さんに伺いました。 大正デモクラシーからの美術教育変革がクレパス誕生のきっかけに ――サクラクレパスさんといえば、お絵かき用の描画材料「クレパス」で有名ですが、工場や工事現場で使うマーカーも開発されているんですね。「サクラクレ
落下物や転倒などから頭部を守るヘルメット。工場や作業現場で使用されるほ か、最近では防災用に常備している家庭も多く、身近な存在です。しかし、それがどのように作られているのか、意外と想像がつかない工業製品のひとつではな いでしょうか。そこで、業界のパイオニアであり、これまで産業用に特化して多種多様なヘルメットを世に送り出してきた「住べ テクノプラスチック株式会社」の喜連川工場(栃木県さくら市)を訪ねてみました。 戦後、警察予備隊からの発注でヘルメットの製造に着手 ――最初に、ヘルメットを開発されることになった経緯を教えてください。 住べ テクノプラスチック株式会社・代表取締役社長 栗原俊一さん。趣味は読書で、最近読んだ本は塩野七生『ギリシア人の物語』。「学生時代から日本、中国の歴史ものを好んで読んできましたが、今回初めてヨーロッパ歴史の一端に触れました」 栗原社長:はじまりは、昭和27年にさ
伝統を未来につなぐ2代目べっ甲職人・大澤健吾さん(54歳) 若い世代の感性を取り入れ、求められ続けるべっ甲メガネを手掛けたい 美しいまだら模様や艶、手触りの暖かさ、独特な風合いが魅力の「べっ甲」。ウミガメの一種である玳瑁(タイマイ)の甲羅や爪(甲羅の緑)などを加工した素材で、アクセサリーや小物細工をはじめ芸術品の装飾に用いられてきました。 日本におけるべっ甲の歴史は古く、さかのぼれば飛鳥・奈良時代、小野妹子が隋(ずい)から持ち帰った献上品にべっ甲の美術品も含まれていたとか。江戸時代には、長崎を中心にべっ甲細工の技術が発達。現在でも、さまざまな商品に加工されています。 そんなべっ甲を用いたメガネを手掛けているのが、東京・千駄木にある「大澤鼈甲(おおさわべっこう)」。若手の職人も多く集う工房を取り仕切るのが、2代目の大澤健吾さん(54歳)です。 べっ甲メガネといえば、ひと昔前まで年配の人がかけ
私たちの生活のあらゆる場面に、自然と溶け込んでいる工業製品。日常的に目に 触れるものであっても、どんな会社がどのように製造しているのか、意識することはほとんどありません。そこで、工業製品の知られざる技術力にフォーカスす るべく、さまざまな企業に取材を敢行。細部までこだわりを感じさせる工業製品のスゴさを発掘します。 今回訪問したのは、「梱包材」や「緩衝材」を製造する、ジャパン・プラス 株式会社。他社が真似できない開発力が武器の、業界のパイオニアです。「美しく大切に包装すること」をモットーに、さまざまなアイデア製品を生み出してき たプロダクトデザイン部の若林正人さんに、製品づくりにかける想い、製品の魅力について聞きました。 素材組み合わせの妙を極める。アイデア勝負の“包装力” ――ジャパン・プラスは、製品を包む「梱包材」、製品にかかる衝撃を和らげる「緩衝材」、両方の物流商品を開発・製造されてい
暮らしや仕事の現場を陰ながら支えている工業製品。普段、よく目にしているものでも、どんな会社がどうやって作っているのか、あまり知られていないものです。そんな、人間の英知とこだわりを結集させた工業製品のスゴさを発掘するこの企画。 今回足を運んだのは「台車」の老舗メーカー・花岡車輛株式会社。そう、モ ノを運搬する際に用いられる、あの台車です。“くさるほどしっかり”をモットーに、世界が認める台車を作り続けてきた同社。創業者のひ孫にあたり、現在販 売企画室室長を務める花岡 雅さんに、台車にかけるこだわりを聞きました。 日本初の老舗台車メーカー。創業者は「金魚の輸出」にもトライする実業家 ――そもそもで恐縮ですが、「台車」の定義とは何か教えていただいてもいいでしょうか? 花岡さん(以下同) 一番簡単に説明するとしたら「車輪がついた運搬できるものの総称」です。台車の歴史は古く、鉄を自分たちで切り貼りした
神輿制作に携わって25年あまり・山下佳一さん(57歳) 「ものづくりは天職。仕事自体を嫌いになったことは一度もない」 日本の祭りに華を添える「神輿(みこし)」。威勢よく担ぎ上げられ、街中を練り歩く様子は圧巻です。そして、やはり目を惹くのは神輿を彩る豪華絢爛な装飾。緻密な細工は、木工や金工、漆工といった手工芸技術の結晶でもあります。 日本が誇る神輿製作の技術を磨き続けているのが、1861年に創業した「宮本卯之助商店」。三社祭などで担がれる神輿も手掛ける老舗の会社です。ここで働く山下圭一さんは、キャリア25年あまりのベテラン神輿職人。神輿づくりにかける想い、そしてはたらくヨロコビに迫りました。 子どもの頃からの遊び場がいつしか職場に ―― 山下さんが神輿職人になろうと思われたきっかけから教えてください。 私は生まれも育ちも浅草なのですが、親父が「宮本卯之助商店」に勤めていたので、会社には小さい
かつて合戦の際に用いられた、鎧や兜などの防具「甲冑(かっちゅう)」。その歴史は古く、古墳時代にまで遡ります。その後、平安時代には武士の台頭にともない「大鎧(おおよろい)」という、日本独自の甲冑が誕生。源義経をはじめ、平家の名将が身に付けていたとされています。 その特徴は、小札(こざね)と呼ばれる小さな革部品や、鉄板を連結したプロテクション、精密な伝統文様など、品格が漂うデザイン。日本の歴史上、最も美しい甲冑とも評されています。 いまでは戦闘ではなく、観賞用として人気が高い「大鎧」。その伝統を支える職人が加藤鞆美(かとう・ともみ)さん、御年83歳。飽くなき好奇心と探求心を原動力に、平安時代から続く甲冑を現代に伝えています。五月人形やミニチュア甲冑なども手掛けているという加藤さんのはたらくヨロコビに迫りました。 11歳から父のもとで修業を開始。いつしか甲冑の魅力にのめり込んでいった ―― 経済
スター・ウォーズとのコラボも実現させた絵師・石川真澄さん(40歳) 「緻密で美しい浮世絵の様式で、自分の内なるものを表現したい」 江戸時代に花開いた絵画「浮世絵」。歌舞伎などの演劇や花魁、風景から怪談まで、さまざまな娯楽や暮らしを伝える風俗画のひとつとして、大衆の間に広まりました。ゴッホをはじめとするヨーロッパの画家たちに大きな影響を与えたことは、よく知られていますが、独特な線の描写や艶やかな色彩、大胆な構図は時代を超えて人々を魅了しています。 幼少期に浮世絵に魅せられ、22歳から画家/絵師として活動しているのが、石川真澄(いしかわ・ますみ)さん。ロックバンドKISSやスター・ウォーズなど、現代的なモチーフの作品で、伝統文化に新風をもたらしています。そんな石川さんの浮世絵にかける想い、そしてはたらくヨロコビに迫りました。 天才浮世絵師の展示会ポスターに感化された高校時代 ―― 現代の浮世絵
洗練された曲線のフォルム、極限まで研ぎ澄まされた切れ味――世界でも類をみない美しい刃物「日本刀」。およそ900年遡る平安時代末期に作られはじめ、鎌倉時代には機能性と芸術性を兼ね備えるものへと進化したそう。現代では、日本を象徴する伝統ある美術品として、技術が守り受け継がれています。 日本刀のなかでも、極めて優れているとされ、名刀として名高いのが「正宗」です。正宗とは、鎌倉時代に活躍した刀匠「五郎入道正宗」が手掛けた刀のこと。「相州伝」と称される作風を確立させた人物で、本人はもとよりその系譜は北条氏から徳川家康まで名だたる武将たちに請われて、日本刀を納めていたそうです。 山村綱廣(やまむら・つなひろ)さんは、正宗から数えて二十四代目の子孫。現在、刀匠として、鎌倉駅徒歩3分の場所で「正宗工芸美術製作所」を営んでいます。伝統を受け継ぐ覚悟、そしてはたらくヨロコビに迫りました。 古代から続く日本刀は
東京墨田区の下町に、世界のトップメーカーをはじめ、NASAや米国防総省などから注文が殺到する小さな町工場、岡野工業株式会社があります。同社を率いるのは、「金型の魔術師」とも呼ばれる超一流の職人・岡野雅行(おかの・まさゆき)さん。世界一細い注射針や、携帯電話の小型化を叶えたリチウムイオン電池ケースなど、不可能だと言われるような独自製品を数多く手掛けてきました。 「誰にも真似できない仕事をすること」をモットーに掲げる岡野さんは、江戸っ子を地でいく、豪快な生き様でも知られています。小学校を卒業以来、ひたむきに技を磨いてきた職人人生。その型破りな仕事観、そして「はたらくヨロコビ」に迫りました。 プレス加工を極めたオンリーワンの技術力 金属や樹脂を大量かつ均一に加工するために必要な「金型」は、工業製品の生産に欠かせない部品。自動車から家電、ビールの缶など、世の中には金型をもとに製造されるもので溢れて
実用品であると同時に、その芸術的な意匠と機能美で人々を魅了する工芸品。 その工芸品に生命を吹き込む現代の名匠をご紹介する「クラフトマン」シリーズ。 日本のモノづくりとこだわりへの原点がここにある。
独学で大ヒット「硝子ペン」職人・川西洋之さん(43歳) まだ見ぬ「完璧な一本」を目指し、美しさと機能性を高め続ける 柄に色がたゆたっているかのように浮かび上がる美しい模様、繊細に彫りこまれたペン先ににじんでいくインク――。 アートのような芸術性の高さで手にする人の心をとらえる硝子ペン。「インサイドアウト」と呼ばれる独特な硝子模様の技法を駆使して、オンリーワンの硝子ペンを手掛けているのが川西洋之さんです。 20代の頃に、バックパッカーで海外を放浪していたという川西さん。旅先で偶然出会った硝子細工に惹かれ、いつしか独 学で作り始めるようになった硝子ペンは、数年で全国から注文が殺到するほどの人気を呼びました。作品同様、ユニークな職人人生を歩む川西さんの「はたらくヨロコビ」を探ります。 見た目の美しさと実用性にこだわる お話を伺う前に、川西さんのお仕事を拝見させていただきました。 使う材料は理科の
親に学び、子へ技術を伝える江戸切子職人・篠崎英明さん(58歳) 「売れなければ意味がない」時代を超えて求められ続ける伝統工芸を ガラスに細やかな文様を切り込み、繊細な輝きをまとわせる切子細工。なかでも江戸時代の町民文化から生まれ、180年以上の歴史を持つ「江戸切子」は、日本を代表する伝統工芸品として知られています。 そんな江戸切子の技術を守る職人の一人が、篠崎英明さん。父から工房を継ぎ30年、これまでに数多くの賞を受賞し、国の伝統工芸士にも認定されています。一本気な職人だった父の技術と情熱を継承しつつ、「儲かる伝統工芸」を目指す篠崎さんの「はたらくヨロコビ」に迫ります。 緻密なデザインは手の勘だけが頼り お話を伺う前に、篠崎さんのお仕事を拝見させていただきました。 まずは「割出」という工程から。ガラスに、カットする場所の目印をマーカーでつけていきます。篠崎硝子工芸所で使用するガラス材は高価
漁船の上にたなびく色とりどりの「大漁旗」。陸にいる家族に無事や大漁を知らせるための目印であり、漁師のシンボルです。そんな大漁旗を江戸時代から現在まで制作し続けているのが、三冨染物店(神奈川県三浦市)。現在は、7代目の三冨由貴(みとみ・よしたか)さんが、そのワザを受け継いでいます。 絵が苦手で不器用だった子どもが職人の道へ身を投じ15年。腕を磨きつつ、家業の灯を消さぬよう手染め大漁旗の新しい可能性を模索し続けています。そんな三冨さんの「はたらくヨロコビ」に迫りました。 “江戸幕府御用達”の職人技 現在は機械を使って印刷する大漁旗もありますが、三冨染物店のそれは全て手染め。かつて、徳川家の御用職人として幕府軍の幟(のぼり)を作っていた時代の技法を、今も守り抜いています。 こちらが伝統的な大漁旗。無線などがない時代、魚の取れ高を港の家族や仲間へ知らせるためのもので、認識しやすいよう派手な色使いと
日本古来の染物技術を守る伝統工芸優秀技能者・藤本義和さん(81歳) 「丁稚時代は逃げ出すほど辛かった」挫折から積み重ねた60年の職人人生 布地に華やかな彩りを加える染物。今では、機械で簡単かつ大量に染められるよ うになりました。しかし、昔ながらの手仕事が生む逸品には、決して量産できない特別な美しさや風合いがあるものです。そんな、伝統的な染物技術である「型染め」と「木版染め」を極めているのが、藤本義和(ふじもと・よしかず)さん。80歳を過ぎてなお、現役であり続ける伝統工芸優秀技能者です。 60年にわたり、ひたすら技を磨き続けた職人人生。修業時代は辛くて逃げだしたこともあるといいますが、そこから這い上がり、いつしか生涯現役を志すほどに染物の世界に魅せられていきます。そんな藤本さんの、「はたらくヨロコビ」に迫りました。 染物職人は「デザイナー×色使いのスペシャリスト」 お話を伺う前に、藤本さんの
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