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猛暑に注意を
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朝日新聞は「熱中症の発症」を報じなかった さてこうなると主催の朝日新聞が読みたくなる。高校野球を汗と涙と青春の美談祭りで報道してきたからだ。ビジネスにも利用してきた。 美談は行き過ぎると偽善になる。具体例として朝日新聞の偽善を挙げると、当コラムでは2018年に『高校野球「熱中症で力尽きたエース」記事が朝日新聞に見当たらない、という問題』を書いた。 西東京大会決勝で投げた投手が試合後に脱水症状を伴う熱中症を発症した。9回途中まで154球を投じたが試合後に全身に痛みを訴え、救急車が神宮球場のグラウンド内まで入り都内の病院に搬送された。当然ながら新聞ではこの件は大きく扱われた。サンスポは「力尽きたエース…熱中症で救急搬送 」。日刊スポーツは「154球……熱中症 救急車で搬送」。一般紙も毎日、読売、東京新聞が伝えた。しかし、朝日新聞はこの事実を報じなかったのである。 東京版では決勝戦を2ページにわ
「社労士あるある」が満載 ──社労士とは労務管理と社会保険のスペシャリストのこと。社会保険や行政機関への申請書類をクライアントに代わって作成・届出をし、労務管理の相談に応じ、指導を行う仕事です。本作は、派遣社員から転職した新米社労士のヒナコが、「不当解雇」や「給料未払い」、「ハラスメント」など労務問題をめぐるさまざまな《事件》に挑む、お仕事マンガです。まず、お読みになった感想をお聞かせください。 山中 社労士事務所で働き始めて2年ちょっとになりますが、「この話そうだよね」とか「あるあるだよね」みたいなエピソードがすごく詰まっていて、共感するところばかりでした。 例えば、「余った有給休暇は会社が買い取ってくれるのか」とか「残業時間がカットされて残業代が支払われていない」などは、毎月のように見聞きする問題です。配偶者の被扶養者でいるために年収130万円未満に収まるように働き方をセーブする、い
◆◆◆ 米兵は巡査から奪ったピストルでシゲコさんを脅し、拉致した 男という男は、総出だった。『沖縄大観』によれば、1946年1月15日調べで、男女比は21~25歳で17対83、26~30歳で22対78、31~35歳で28対72、36~40歳で29対71、41~45歳で29対71と極端なアンバランスで、46~50歳で40対60といくらか回復している。 事件があったのは、この調査から1年半後のことだから、軍隊からの復員で男の数がふえたかもしれないが、同時に本土疎開の婦女子も46年後半から引き揚げてきているから、やはり男女比はこんなものだったのではないか。 ――当時17歳で、自治活動なんかは関心ないほうだったが、鐘が鳴ったときだけは、パーッと飛び出した。あのときは、キビ畑を遠巻きにしていたら、パーンとピストルが鳴った(農業・仲村渠〈なかんだかり〉盛市さん)。 ――わたしは小学校4年生だったが、や
世界で戦争が相次ぐ中、プーチンやネタニヤフに逮捕状を出したICC。ここで日本初の所長を務めるのが赤根氏だ。その役割が注目される中、「法の支配」が脅かされている。 今年の6月5日、アメリカが「イスラエルおよびアメリカを標的とした不当かつ根拠のない行動に関与した」としてICCの裁判官4人に対して制裁を行いました。私はこの時ドイツに出張中でしたが、新たな制裁が発動されるのではという情報は事前に入ってきていたので、制裁が発表された直後に非難声明を出したのです。 ハーグに戻ってからは緊急の裁判官会議を開き、制裁を受けた裁判官一人一人から聞き取りを行いました。ある裁判官は、「私たちは使命を果たすべくここで働いている。それなのに、その仕事を理由にこのような目に遭うなんて、司法に対する介入がどのようなものか身に染みた」と語っていました。「アメリカの経済制裁リストにテロリストや麻薬犯罪者と並んで自分の名前が
8月21日公示・9月7日投開票の茨城県知事選挙で3選を目指す、茨城県の大井川和彦知事(61)。だが、2017年に大井川氏が茨城県知事に就任してから、知事の指揮監督下にある知事部局で13人の職員が自死し、100人以上が心を病んで休職している。この異常事態を招いた理由として現役職員や県議から指摘されているのが、知事と県幹部たちによるパワハラだ。 知事の側近である飯塚博之副知事(62)のもとでは、副知事の秘書を務めていた元県職員の男性が、昨年10月に自ら命を絶った。大井川知事の暴走や、遺族の悲痛な告白など、茨城県政の闇を報じた「週刊文春」の記事を一挙公開する。
「甲子園で『広陵』の名前と監督の姿を見るたび、やり場のない怒りと当時の辛い記憶が蘇ります。今回、野球部の生徒が暴力の被害に遭っていたことを知り、『あの時から何も変わっていないんだ』と失望せざるを得ませんでした。広陵野球部の部内暴力は、今に始まった話ではありません。10年前にも、僕が身をもって体験しています。この“悪しき伝統”を放置してきたのは、ほかでもない監督だと思っています」 意を決してそう打ち明けるのは、かつて同校野球部に在籍していたAさんだ――。 出場辞退に追い込まれた強豪校 目下、熱戦が続く夏の甲子園。広島県代表の広陵高校が、部内の暴力事案発覚を機に出場を辞退したのは周知の通りである。高校野球担当記者が経緯を振り返る。 「発端は、大会直前に投稿されたSNS上での告発。被害者の保護者のものとされるSNSで、今年1月下旬、当時1年生だった部員のBくんが、野球部寮内で禁止されているカップ
「戦後80年」「昭和100年」という節目の年の夏、日本は近年にない奇妙な地熱を帯びた「政治の季節」を迎えた。言うまでもなく参院選を焦点とする政党政治の新たな展開と、それに呼応する大衆的な動向のことである。現代日本の政治的な意識構造は、これまでの曖昧なグラデーションではなく、明確な姿をあらわし、画然とした分極化を示した。 そのことを語る前に、65年前を振り返っておきたい。戦後史のなかの「政治の季節」と言えば、まず60年安保闘争が頭に浮かぶ。いま改めて顧みると、安保闘争には歴史的な必然性があった。それは、戦後民主主義の世代による広範な怒りの表現であった。戦前の商工官僚であり東條英機軍事内閣の閣僚であった岸信介首相が、日本が対米従属を深めていく日米安全保障条約改定を強引に推し進めたことに対する大衆の反発であり、その反発のエネルギーの凄まじさは、かつて戦争を推進してしまったエネルギーを戦後民主主義
「甲子園で『広陵』の名前と監督の姿を見るたび、やり場のない怒りと当時の辛い記憶が蘇ります。今回、野球部の生徒が暴力の被害に遭っていたことを知り、『あの時から何も変わっていないんだ』と失望せざるを得ませんでした。広陵野球部の部内暴力は、今に始まった話ではありません。10年前にも、僕が身をもって体験しています。この“悪しき伝統”を放置してきたのは、ほかでもない監督だと思っています」 意を決してそう打ち明けるのは、かつて同校野球部に在籍していたAさんだ。 A氏 出場辞退に追い込まれた強豪校 目下、熱戦が続く夏の甲子園。広島県代表の広陵高校が、部内の暴力事案発覚を機に出場を辞退したのは周知の通りである。高校野球担当記者が経緯を振り返る。 「発端は、大会直前に投稿されたSNS上での告発。被害者の保護者のものとされるSNSで、今年1月下旬、当時1年生だった部員のBくんが、野球部寮内で禁止されているカッ
死者となった清太が、過去の自分を見つめる 映画は「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」という台詞から始まる。これは原作の「何日なんやろな、何日なんやろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ」というくだりを踏まえ、「清太」を「僕」に置き換えたものだ。そして死者となった清太が、過去の自分を見つめる形で映画は語られていく。原作にはないこの構造を導入したのは、本作の脚本・監督を務めた高畑勲である。 故・高畑勲監督〔2014年撮影〕 ©文藝春秋 2024年の新潟国際アニメーション映画祭で、「高畑勲という作家のこれまで語られていなかった作家性」というトークイベントが行われた。登壇したのはアニメーション監督の片渕須直と、日本アニメーション学会会長の経験もある日本大学文理学部心理学科特任教授の横田正夫。ふたりは日大芸術学部映画学科の同窓でもある。このとき片渕が語ったエピソードが印象に残っている。
終戦から80年を迎える今年、ドキュメンタリー映画『黒川の女たち』が話題を呼んでいる。7月12日から公開された本作は、現在も全国の劇場でロングラン上映中だ。 1945年8月9日にソ連軍が旧満州に侵攻し、同月15日に終戦を迎えた後、黒川開拓団(岐阜県黒川村から渡満した団体。黒川村は白川町南東部の旧称)の女性たちが「ソ連兵に対する性接待」という名の性暴力を受けた。敗戦直後、現地の中国人やソ連兵による略奪と暴行が横行するなか、黒川開拓団の幹部はソ連兵に警護と食糧供給を依頼。その見返りとして、女性たちが差し出されたのだ。この映画には、当事者である彼女たちの切なる声が刻みつけられている。 女性たちのその後を追い続けたのは、『報道ステーション』(テレビ朝日)のディレクター、プロデューサーなどを歴任し、2023年の映画『ハマのドン』で多くの賞を受賞した松原文枝監督。
笑顔ナシの合格発表 道重さゆみが参加した「モーニング娘。LOVEオーディション2002」は、最終審査の全貌が地上波で公開され、多くの視聴者が、かたずをのみ見守っていた。私もその一人だったが、5期までの白熱した様子と違った意味で、見ごたえがあったのを覚えている。道重と田中れいな、亀井絵里という3人の候補生は、全員、とにかく反応が薄かったのだ。表情が変わらない。何を言われても返事をしない。3人合格を言い渡された瞬間も笑顔ゼロ。あんな暗い合格発表は後にも先にも初めてである。明らかに「問題児」であった。 初の平成生まれということもあり、観ていて「今の若い子ってこんな感じなの?」という言葉が漏れたものだ。いつの世もある、新人類に驚くあるあるである。 なかでも、課題曲「Do it! Now」「赤いフリージア」を明るいお経のように歌い、ダンスも形になっていない、真っ黒な髪と大きな瞳の少女はインパクト大。
インターネットとSNSの普及、そして生成AIの登場により、報道やジャーナリズムを取り巻く環境は激変している。この変化の時代に、ジャーナリズムはどう進化するべきなのか。インターネット報道の功罪、そして新たなテクノロジーがもたらす未来の可能性とは。LINEヤフー代表取締役会長・川邊健太郎氏と文藝春秋総局長・新谷学が「AIとジャーナリズムの未来」をテーマに、プラットフォームと媒体社それぞれの立場から本音で語り合った。 司会●村井弦(「文藝春秋PLUS」編集長) 今は「ファクトが勝つか、エモさが勝つか」の瀬戸際 ――長年ジャーナリズムに携わってきた身として、新谷さんは現在のインターネットとジャーナリズムの状況をどのように捉えていますか? 新谷学(以下、新谷) インターネットの普及によって、ジャーナリズムのあり方や受け止められ方そのものが大きく変わってしまったと思います。たとえば、言論の自由や表現の
京成線堀切菖蒲園駅から歩いてすぐのところに立ち食いそば屋「米十」がオープンしたのが2024年4月初旬。取材もして何度か足を運んでいたのだが、同年8月頃、突然閉店してしまった。その後の10月、同じ場所に「立ち食いそば串かつ京屋」ができたという情報は耳にしていたのだが、なんとなく足が遠のいていた。1年近く経ってようやく訪問してみようと思い、堀切菖蒲園駅に降り立った。
1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故。事故から40年を経た現在、墜落に自衛隊が関与しているという陰謀論が広がっている。そうした主張の中でも、もっとも大きな影響を及ぼしているのが、元日航客室乗務員の青山透子氏による一連の著作だ。 しかし、青山氏の著作での主張は、様々な専門家から疑問視されている。ここでは、元航空自衛隊関係者から話を伺い、青山氏の主張について検証する。 筆者が次に話を伺ったのは、元航空自衛官で情報専門官として情報畑を歩み、現在は軍事ライターとして特に中国軍事を専門として活躍されている薗田浩毅氏だ。薗田氏には軍事情報の専門家として、またご自身の経験から青山氏の主張について、さらには自衛隊と情報について伺った。 「草むらかき分けたら生首が…」 薗田浩毅氏(以下、薗田) 航空自衛隊に入隊して、熊谷基地の教育部隊からそのまま熊谷基地の第4術科学校に入ったんですけど、
この記述によって、群馬県吾妻郡上空を18時40分頃ファントム2機が飛行していたことが明らかになった。そうなるとやはり、Kさんが語ってくれた静岡県藤枝市上空を18時35分頃にファントム2機が通過したという目撃情報と一致する。したがって、明確にしておかなければいけないことは、まだ明るい墜落前に航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかりと見ていた、という事実である。 この記述から青山氏は目撃証言の信憑性を精査していないか、戦闘機の性能について誤解していると思われた。静岡県藤枝市と群馬県吾妻郡まで直線でも約200kmの距離がある。この距離を18時35分から40分までの間に移動するには、最良の条件でも時速2400km、秒速667mの速度で飛ばなければいけない。これは音速の2倍であるマッハ2に近い(正確にはマッハ1.96)。 あまりにズサン過ぎる検証と、目撃証言
上野の噴水周り、ぎっしり並んだホームレスのテントに圧倒されて ――ホームレスに興味を持ってライターになられたそうですが。 村田らむ(以下、らむ) ライターとしての始まりは、25歳くらいの頃。当時僕はイラストレーターだったんですが、あるとき母親が東京に遊びに来たんで浅草とか上野に連れていってみたら、当時上野公園には1000人以上のホームレスが住んでたんですね。 噴水の周りにぎっしりテントがあって。それを見て「わあ、すごい!」「話聞きたいな~」と思ったんですけど、どっちかと言うと僕は人見知りで、自分の中でも話を聞く建前が必要だったんで「あ、ライターになれば話聞けるな」と思って。 ――建前として、ライターになった。 らむ そのときデータハウス社という会社で、本の挿絵を描かせてもらっていたんですよ。で「ライターとして記事を書きたい」ってお願いしたら「そんなに原稿料出せないけど、それでいいなら好きな
『日航123便墜落の新事実』は版元の河出書房新社によれば10万部を超えるベストセラーとなっている。また、学校図書館に適した図書を選定する全国学校図書館協議会の選定図書にも選ばれている。経済評論家の故森永卓郎氏も晩年に青山氏の著書に影響されて本を出版し、有名大学教授も取り上げている。 このような拡がりに対し、今年4月10日の参議院外交防衛委員会で、自衛隊出身である佐藤正久参議院議員(当時)も青山氏の著書を問題視して取り上げるなど、社会的影響はそれまでの陰謀論本とは比べ物にならないレベルとなっている。 青山透子「四十年の真実」 無視できない盛り上がりを見せる日航機陰謀論 青山本を問題視し、主張を否定する本やコメントを出す航空関係者もおり、元日航パイロットの杉江弘氏も青山氏の主張を検証する『JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相』(宝島社)を2017年に出版し、青山氏の主張を陰謀論と見
今年は戦後80年。石破首相は談話を出すのか? 村山富市首相は日本による「植民地支配と侵略」に言及して「痛切な反省」「心からのおわび」を表明した。戦後70年の安倍晋三首相は「繰り返し痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明」してきたとした上で、「私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と談話を発出。 今年は戦後80年。石破首相は談話を出すのか? 年明けから注目されはじめた。すると2月19日に産経新聞が『戦後80年談話 自民警戒 首相意欲、謝罪逆戻りも』と一面トップで報じた。 前日の国会で「80年談話」について自民の稲田朋美氏から問われた林芳正官房長官は「発出するか否かは決定していない」「さまざまな観点から考えてまいりたい」と答弁した。石破政権が「肯定も否定もしなかった」ことから産経新聞は「自民党内に警戒感が広がっている」と書いた。「新たな談話を出せば
戦国時代には武田信玄と上杉謙信の戦いの最前線となり、また江戸時代には真田氏10万石の城下町。佐久間象山らの傑物を輩出し、製糸業で栄えた時代もあった。 さらに大戦末期には、大本営の移転先として白羽の矢。表舞台に出そうで出ない、けれどその中でも確かな歩みを保ってきた、松代の町。 しかし、いまの松代に鉄道は通っていない。長野駅から犀川と千曲川を渡って30分ほどバスに乗って、ようやくたどり着く町だ。
「中央アジアの北朝鮮」という異名を持つ国をご存じだろうか。その国の名は、トルクメニスタン。日本の約1.3倍ほどの面積を誇る国土に、約660万人が暮らしている国だ。 ギネス登録されたこともある、想像を絶するほど巨大な絨毯や、世にも珍しい「黄金の馬」など、珍しいものがたくさん存在する同国の様子を、世界各国を旅するライター・フォトグラファーの白石あづさ氏による新著『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』(辰巳出版)から一部抜粋し、お届けする。(全3回の3回目/最初から読む)
2時間ほどでクフナ・ウルゲンチに到着した。最盛期のホレズム王国(1077~1231年)時代を含め10世紀から約500年間、都市は栄えたが、モンゴル軍に破壊されたり、川の流れが変わったりして街が荒廃し、今は誰も住んでない。 世界遺産に登録されたものの土産物屋もなく観光客もまばらだ。建設当初は中央アジア一の67mもの高さを誇った11世紀建造のクトルグ・ティムール・ミナレットは見ごたえがあるが、点在するモスクはだいぶ崩れている。 その中でも保存状態が良さそうな14世紀のトレベクハニム廟に入ってみると、ひんやりした空気が頬をなでる。奥の青タイルのドームを覗けば鳥が羽ばたく音と人のささやき声が聞こえてきた。 近くの村から来たのか民族衣装のマダムたちが冷たい床に横になり、おしゃべりに花を咲かせている。砂漠にとり残された世界遺産はそれなりに今も役立っているようだ。こうして2度目のトルクメニスタンの旅は穏
全国でも類を見ない「巨大地下鉄」の計画があった 広島市は、中・四国地方で最大となる約120万の人口を擁し、面積は東京23区の約1.5倍(905平方キロメートル)にものぼる。ただ、中心となる市街地は極端に狭く、郊外からの通勤・通学を担うJR可部線や広島電鉄宮島線が全国トップクラスの混雑率を記録する他、道路も各地でとてつもない渋滞が発生している。 この「郊外~市街地」移動をスムーズにするために、広島市は830億円もの資金を投じ、みずから地下鉄の建設を計画していた。これが、全国で類を見ないほど壮大なものだった。 郊外の国鉄路線への乗り入れで約90キロにも及ぶ直通のネットワークを築き、市内では「路面電車も地下化し、地下鉄と同一ホーム乗り換え」「川の上に折り返し設備」、郊外では「乗り入れ先の国鉄路線をまるまる移転」など、かなり先進的というか、若干攻めすぎた鉄道計画であったようだ。 広島市が残した資料
村の有力者や村長にカネを払うか、あるいは脅しによって情報をとった。こうして中国人を手なずけ、その人脈を広げていき、日本軍のためになる情報を集めた。中国側からみれば漢奸(かんかん)となる人物を配下に数多く置いた。 その見返りはアヘンだった。紙幣やダイヤモンドよりもこのほうが価値があった。アヘンは日本軍が押さえていて、日本軍に役立つ情報をもってくる者には、大量のアヘンを渡した。 情報をもってこないでアヘンを欲しがる漢奸はすぐに殺した。二重スパイの疑いがあるという理由で殺すこともあった。 「最近、新しい情報をもってこないではないか」 といって殺害することもあった。 日本軍の連隊本部と大隊本部の情報将校はお互いに競争しあう関係にあった。大隊本部の情報将校がいい情報をとって連隊にあげてくれば、連隊本部としては面子がつぶれる。 師団司令部の情報将校が、「大隊本部がいい情報をあげてくるではないか」、ある
3代にわたり独裁政権が続く国 鉄条網の向こうにある丘が白くかすんで見える。まるで白昼夢の中にいるようだ。砂漠のど真ん中にあるウズベキスタンとトルクメニスタンの国境線の上で、皮膚がじりじりと焦げるような強烈な日差しに私は思わず日傘を取り出した。 砂埃が舞っているだけで国境の緩衝地帯には木陰もベンチもない。まだ朝の9時だというのに汗をダラダラとかきながら30分ほど立っていると、地平線の向こうからトルクメニスタン側のイミグレへと向かうオンボロな“国境バス”がガタゴトと老体を揺らしながらやってきた。 トルクメニスタンと聞いてどんな国か頭に思い浮かぶ人はあまりいないだろう。1991年にロシアから独立した後、3代にわたり独裁政権が続いている「中央アジアの北朝鮮」との異名を持つ謎の国である。 初代大統領のニヤゾフ氏の銅像を頂く「中立記念塔」。太陽の向きに合わせ、常に回転している 最初の大統領、サパルムラ
『チョッちゃん』と『あんぱん』、それぞれの“戦争” 原作は黒柳徹子の母・朝の自伝『チョッちゃんが行くわよ』(主婦と生活社)で、北海道・滝川で生まれ育った北山蝶子(古村比呂)が東京で天才バイオリニスト・岩崎要(世良公則)と結婚し、子育てに励む。長女はつまり黒柳徹子で、ドラマでは加津子という名になっている。 ちょうど7月の終わりの放送では小学校に入った加津子が蝶子に輪をかけたように自由奔放で、先生を困らせ、退学を示唆された。 8月になると、黒柳徹子がのびのびと学んだことで有名になった理想的な学びの場・トモエ学園(ドラマでは杉山学園)に転入が決まる。ただ、ここからドラマは戦争の時代になっていく。何かと忍耐を強いられながらも蝶子たちは明るく前向きに生きていく。 対して現在本放送中の『あんぱん』では、戦争が終わり、戦時中に失われたものを取り戻すかのように、主人公・のぶ(今田美桜)の夫・嵩(北村匠海)
中国では国外へ脱出する「潤」が流行語となり、日本にも中国移民が押し寄せている。だが、なぜ脱出先として日本が選ばれるのか。その背景には、積極的な移民受け入れに加え、修学支援マネーを手にする“裏技”が――。 厚生労働省によれば、昨年の国内の出生数は68万6000人に留まり、1899年の統計開始以来、初めて70万人を割り込んだ。 政府は少子化に歯止めをかけるため、教育無償化などの子育て支援策の拡充を進める。一方、労働力の補完のため、外国人労働者の受け入れにも余念がない。各種ビザや永住資格の要件緩和で外国人に大きく門戸を開いた結果、在留外国人数は過去最高を更新し続けており、今年中には400万人を超えると見られる。 人口減少に対応するための「教育無償化」と「移民受け入れ」。これら2つの政策を合わせ技のように悪用した“日本移住スキーム”が、一部でひそかに広がっている――。 「在留資格の取得が容易である
組織的な残虐行為を放置したことが蛮行を助長した それぞれが自分の心境を文書に綴ることになり、戦犯たちは懺悔録を書いた。そのなかに、仮名とも漢字ともつかない線を書きつらねている下級兵士がいた。 政治将校からその意味を問われると、下級兵士はいきなり土下座して、「自分は文字を書けないのだ」といって泣きだした。西日本のある山村で、貧農の家に生まれ、小学校に通うこともできなかったと告白を始めた。 「泣くな。泣いてはだめだ。それはおまえのせいではない。社会制度の犠牲者ということではないか」 と政治将校から慰められて、その下級兵士は中国での自らの行為の一部始終を告白しはじめた。放火、略奪、強姦、それこそ数えきれないほどの蛮行を重ねていた。次から次に告白はつづいた。 傍らで聞いていた戦犯たちは、しだいに生気を失い、うつむいたままだった。 「私は国を恨んでいたのです。私は家の働き手でしたが、私が徴兵されたた
「ようやく妻が死んでくれた」動画への反響の大きさに驚く ――現在はどのような活動をしているのですか。 ぺこりーの 専業のYouTuberとして老人の一人暮らしの様子を発信しています。現役時代はデジタルコンテンツのWebマーケティングなどに携わっていて、退職後の数年間は新規事業のコンサルなどをしていました。ただ、それもコロナ禍に終わりまして。月に約12万円支給される年金とYouTubeの収入を頼りに生きています。 ――なぜYouTubeを始めたのでしょうか。 ぺこりーの YouTubeをたまたま見ていた時におばあちゃんが食事をしながら年金について話をしている動画が流れてきたんですよ。チャンネルの情報を見てみたら登録者がすごく多かったんです。「えっ、これでこんなに見られるの? 自分でも作れそう」と思い、2022年にYouTubeへの投稿を始めました。 ――最初の動画が「ようやく妻が死んでくれた
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