面白いとは何だろう?続きを読む
素晴らしい。この世界は素晴らしい。生まれてきて良かった。ぼくは生まれてきて本当に良かった。もうナイーブな言説は入らない。ナイーブな言説でしか担保されないナイーブな人間の尊厳などくそくらえだ。高橋みなみというアイドルの女の子がいる。アイドルの子だ。今時アイドルだ。流行らない。全然流行らない。空気が読めていない。今時あり得ないくらいくらい空気が読めていない。とんちんかんだし。独りよがりだ。まず第一にアイドルになろうとする根性が太い。何を考えてるのかと突っ込みたくなる。おまえはバカかという感じだ。今時アイドル……と失笑を禁じ得ない。しかもAKB48だし。地下アイドルだし。普通あり得ないでしょう。そんなの何者でもない。何者にも成りはしない。一笑に付される類のものだ。無視されて見過ごされるレベルのものだ。まがい物に過ぎない。徒花ですらない。花すら咲かない。雑草ですらない。まず芽が出ない。種ですらない
@kanose 加野瀬さん界隈のIT業界の古い人たちから彼に大量の罵倒が送られてることはご存じですか?isasakiishunnao 2015/02/05 22:13:24 @kanose そもそも対等の目線で会話してらっしゃいますか? 上から目線になってませんか?(加野瀬さんがどのようなmentionをされたのかを確認してないので、そうでなければお詫びします)isasakiishunnao 2015/02/05 22:14:54 若い人が台頭してくると、何か自分が教育者だかメンターだかになった気分になり、上から目線のタメ口で偉そうに命令し、挙げ句に無視されると「無視しやがって」と怒る人が最近Twitterに増えてる感じがする。isasakiishunnao 2015/02/05 22:16:20 いまやtwitterのフォロワー数が多いことや、facebookで先輩であることは、なにひと
ベストセラー作家の岩崎夏海さんとじっくり話する機会を得た。最後に彼とゆっくり話をしたのは、もう数年も前になる。そのときに比べると彼の主張はずいぶん進化したように感じた。以前は漠然としていた抽象概念が、理論的にも明確になってきたように思う。「炎上ブログを書いているからですよ。実際に炎上ブログを書かないと立場は転落しないから」と言う。その「炎上ブログを書いて」転落した現場を幾つか見せてもらった。こちらの記事は、自らの承認欲求を余すところなくぶちまけて、個人ブログとしては異例の1日12万PVを集めたが、その大半はネガティブコメントだったそうだ。ベストセラー作家だけど質問があるよ? - ハックルベリーに会いに行く岩崎夏海さんといえば、こうした炎上ブログが話題になることが多いが、実際にはベストセラー作家として本を書いたり、週に2日は講演をしたり、ゲームの開発に携わったり、お笑い養成所の講師に従事して
こんにちは。ベストセラー作家だけど皆さんに質問がありますよ? 何でぼくのことを承認欲求の強い人間だと思うの?何でぼくがブックマークのためにブログを書いてると思うの?なぜぼくの悪いところだけを取りあげて良いところを見ようとしないの?カエサルは「人間は自分が見たいと思う現実しか見ない」と言ったけどそれについてどう思うの?なぜぼくのことを偉そうと批判する人ほど偉そうなの?ブーメランって言葉を知っているの?なぜぼくのことを『ソーシャルネットワーク』に出ていたマーク・ザッカーバーグみたいだと思うの?なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?ぼくのような人間こそ「Stay hungry, Stay foolish」の体現者だと思わないの?なぜぼくのことを語る時に「ベストセラー作家」とか「もしドラの」とかの枕詞をつけるの?ぼくは本を出す前も出した後も変わってないのになぜ「ベストセ
ぼくの近著『小説の読み方の教科書』が、おかげさまでAmazonで売り切れました。最初に何冊仕入れていたのかは知りませんが、少なくとも数十冊はあったはず。自分で言うのはなんだけれど、ぼくがここで地道に記事を書き続けていることも、少なからず売上げに貢献したと思います。それはもちろんAmazonの売上げだけにではなく、他の場所においてもです。このブログの記事をきっかけに、ぼくの本を他の通販サイトで買ってくれた方もいれば、街の書店で買ってくれた方もいらっしゃいました。ブログというのは、そういう意味で本当にありがたい。昔は、何かを発信するとなったらいわゆる大手マスコミに頼る以外方法がなかったけれど、今はこうして自分で手軽にブログを書けるということは、インターネットの力と恩恵には本当に大きなものがあります。ぼくはそれを、心からありがたいと思う次第です。小説の読み方の教科書作者: 岩崎夏海出版社/メーカ
id:AntiSepticはあまりぼくを見損なわない方がいい。消毒するなら相手を選ぶことだな。きみの指摘は大間違いだ。見当違いもはなはだしい。 このエントリを読んで最も印象に残ったのは、ハックルちゃんの「ぶくま」あるいは「ぶくましろ」への意地汚い欲求だw 彼は、はてなで受けそうなものを書くことへの迷いがほとんどないw その迷いのなさがとてもすがすがしく、強い感銘を受けるとともに、反吐が出たwwwブクマまみれのハックルちゃんwww - 消毒しましょ! これは、ぼくの宮崎駿の「泥まみれの虎」を読んで考える「戦争とは何か?」というエントリーに対して、id:AntiSepticがトラックバックを送ってきたエントリーの一節だ。彼が言うには、ぼくのこのエントリーはウソ臭く、陳腐である。そしてそれは、ぼくが意地汚くブックマークを欲しているからなのだそうだ。はてなでの受けを迷いもなく狙った結果、胡散臭い、
それで結局はてなの取締役副社長、川崎裕一さんがぼくに会いに来てくれました(川崎裕一さんのブログ:kawasakiのはてなダイアリー)。それは2009年6月5日金曜日の午前11時(つまり昨日のお昼前)のことでした。川崎さんはぼくの中目黒の会社にまでぼくに会いに、そして話しを聞きにきてくれました。きっかけはもちろんぼくのブログを読んで下さったことでした。ぼくのブログのはてなのことを書いたエントリーを読んで会いに来てくれました。川崎さんはこのエントリーを読むとすぐにメールを下さいました。それは6月2日火曜日のことでした。内容は「ぼくに会いたい」とのことでした。「会って話しを聞きたい」とのことでした。それでぼくは「はい喜んで」とお返事を差し上げました。そしてお互いのスケジュールをすり合わせ、金曜日の午前11時に会うことをお約束したのです。 それで金曜日になりました。ぼくはちょっとドキドキしながらそ
小説家のヤマグチノボルさんが、ぼくの会社に遊びにきてくれました。 きっかけは、ぼくがブログで名前とメールアドレスを公表したことです。(参考:ぼくの名前)そうしたところ、以前からぼくのブログを読んでくれてたというヤマグチさんが、公表したアドレスにメールをくれたのです。そのメールには、ヤマグチさんがライトノベル作家であるということと、ぼくのブログについての感想が書いてありました。それでぼくは、ヤマグチさんにお返事を出すのと同時に、どういう小説を書かれているのだろうかと、渋谷のブックファーストへ行って彼の著作を買い求め、早速それを読んでみたわけです。それが、「ゼロの使い魔」の第1巻でした。 これを読んだぼくは、ヤマグチさんに感想メールを送るのと同時に、ブログにも記事を書きました。その時の記事がこちらです。ライトノベルに携わる人々は今一度「風と共に去りぬ」を読むといいこの記事の冒頭で、『ふとした縁
母の教え梅田望夫さんのインタビュー記事を読んだ。日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia Newsこれを読んで思ったのは、「なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか?」ということだ。 なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか? それがぼくには分からない。本当に、普通に話しを聞きにきても良さそうなものだと思う。むしろ、話を聞きにくるのが自然だと思う。それが、こうまで話しを聞きにこないと、ぼくははてなのことを疑ってしまう。ぼくははてなを、「本当に真面目にビジネスをする気があるのか?」と疑ってしまう。「企業として、顧客のニーズに応えようという気があるのか?」と疑ってしまう。「組織として、社会に貢献しようという気があるのか?」と疑ってしまう。もし、今はてなが株を公開しても、ぼくは買おうとは思わない。確実に値上がりが見込めるような状況でも、やっぱり要らない。
「任天堂 “驚き”を生む方程式」を読んだ。 「任天堂 “驚き”を生む方程式」を読んで気づかされたことこれを読んでまず分かったのは、ぼくが「任天堂世代のど真ん中」だったということだ。「任天堂の子供」と言ってもいいかも知れない。山下達郎の歌に「アトムの子」というのがあって、それは山下達郎(1953年生まれ)の世代が「鉄腕アトムの子供である」ということを歌った歌なのだけれど、ぼく(1968年生まれ)の世代は、任天堂の一連のエポックメイキングなおもちゃたちをリアルタイムで味わってきた、まさしく「任天堂の子」なのである。 この本の巻末に記されている「任天堂の歴史」を見ると、それがよく分かる。まず、物心ついた時には、任天堂製のトランプや花札で遊んでいた。家の近所のちょっと年上の子の家には、「ウルトラハンド」や「光線銃」といった任天堂社製のエレクトロニクス玩具があった。「ゲーム&ウオッチ」と出会ったのは
ふとした縁があって、「ゼロの使い魔」という小説を読んだ。 「ゼロの使い魔」はライトノベルだ。ぼくはライトノベルのことについてそれほど詳しくないのだが、この「ゼロの使い魔」はすごく正統的なライトノベルだと思った。非常にオーセンティックな、ライトノベルの鑑のような作品だと思った。その通り、この作品はとても人気があるようで、物語はシリーズ化され、2004年の第1巻刊行以来、すでに13巻が出されている。また、アニメやコミック、ゲームになるなど、他メディアへも大きな広がりを見せている。ぼくが読んだのは、そのムーブメントの端緒となった、2004年に刊行された第1巻だ。これを読んで、ぼくは色々な感想を抱いた。また、この作品を通して、「ライトノベル」というジャンルそのものにも、ある感慨を抱いた。そこでここでは、そんな「ゼロの使い魔」を読んで思ったことや、それを通して抱いたライトノベルというジャンルについて
みなさん、こんにちは。初めまして、ぼくの名前は岩崎夏海と申します。今日は少し、ぼくのことについて書こうと思います。 ぼくは1968年(昭和43年)に生まれました。今年で41歳の、職業は会社員です。 ぼくは東京の新宿で生まれました。生まれてすぐ、親の仕事の関係でいくつかの場所を転々と移り住んだのですが、3歳の時に東京の日野市に落ち着きました。日野市は、東京の西、新宿からは京王線の特急で30分ほどの距離にあります。立川と八王子という二つの大きな市に挟まれていて、存在自体はマイナーですが、それなりに多くの人が住んでいます。日野市は多摩丘陵の一角に当たり、ぼくの住んでいた地区はとても坂が多いところでした。またその一帯は、昭和30年代に山林を伐り開いてできたベットタウンで、多くの雑木林が点々と散在している、とても自然豊かなところでした。ぼくはここで11歳までを過ごしました。ですので、ぼくにとってふる
先日思い立って自宅を大掃除したのだけれど、懸案だった古くなったサラダ油を大変な苦労の末にやっと捨てることができた。そのサラダ油はもう4年も前に買ったもので、賞味期限が3年前に切れたまま、ずっと置きっぱなしになっていたのだ。なんでそんなに置きっぱなしになっていたかというと、捨てるのがとても面倒くさかったからだ。 誰でもご存じかとは思うが、油は流しには捨ててはいけないことになっている。推奨される捨て方としては新聞紙などに吸わせて燃えるゴミの日に出すというやつだ。しかしぼくはそもそも新聞を取ってないから吸わせられないし、サラダ油もプラスティック製のボトルに三分の二近く残っていて、とにかく大量でとてもじゃないが吸わすなんていう悠長なことはしていられない。いっそのことどこかで火をつけて燃やしてしまいたいくらいだがそんな場所もない。それでどうにも面倒くさくてそのまま3年ものあいだずっと放置してきたのだ
ぼくは今ちょっと茫漠とした思いを禁じ得ない!きみたちは、ぼくが何を書いても釣りだとか何とか言うのだな!「質問をしただけでホッテントリ入りして楽ですね」と言うが、同じ日に強い思い入れを込めて書いた桑田真澄の記事などいまだにブックマークされていませんなんだぞ!そんなに文句があるというのなら、アニメ好きの女の子に贈る面白い作品を教えてほしいものだな!ちなみにぼくの一番好きなアニメは「未来少年コナン」だ!どうせならこっちを贈った方が良かったかな……未来少年コナンhttp://www.youtube.com/watch?v=JDwB0cS49dY 関連面白いマンガがあったらぜひ教えてほしい新海誠は女の子に喜ばれない
id:y_arimさんは、自分のことが好きになれないと言っている。そうであるなら、一度ガツンと殴られた方が良い。これは比喩的な意味ではなく、文字通り、肉体的に、ガツンと一発(あるいは二発三発)殴られるということだ。アントニオ猪木さんにビンタしてもらうのでも良いが、一番良いのは、ボクシングジムに通うことだ。そこでトレーニングを積んで、スパーリングをするまでになれると良い。そうして、そこでガツンと殴られるのだ。どうせなら、ノックアウトされるくらい、手ひどく殴られると良い。いわゆる、ボコボコにされるというやつだ。 殴られるというのは、本当に大きな効果がある。それはアイデンティティを粉々に打ち砕かれるし、生命の危機を感じる。耳の奥でツンと耳鳴りがして、頭がクラクラとする。意識が朦朧とする。そうした中で、身体の内奥に、何かたぎるような情念のほとばしりが生まれるのである。それが、生きるということの欲求
ぼくは議論をするのは好きではないのだけれど、沸騰している議論を横目で眺めるのは好きだ。なぜかというとそこでは必ずどちらかが(あるいはどちらも)普段は出すことを控えていたはずの隠された本音とか剥き出しの感情とかをけっこう無防備にさらけ出していて、そういうのがあると議論の相手は(議論に勝つために)普段はツッコまないそういう相手の弱さにも平気でツッコんでいくのだけれど、そのツッコんでいく行為そのものがその人の弱さをさらけ出すことにもつながらるから、今度は相手からそこの部分をツッコまれることになって、もうそうなると両者の反目は否応なくエスカレートしていき、言った言わないの水掛け論から始まって、そのうち「バーカ」「ブース」「ハーゲ」といった超低次元の罵り合いへと発展し、ついには殴り合い寸前(あるいは実際殴り合い)の衝突にまで至るのだけれど、そこまでいく頃にはさすがに両者ともヘトヘトに疲れ果てて、仕方
タイトルをつける技術これは何かの本にも書かれていたけど(確か山田真哉さんの「食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字 〈上〉」だったか)、タイトルの中に数字が入っていると、ぐっと魅力的なものになる。 これには色々な理由があるのだけれど、一番は「想像力をふくらませやすい」というのがあると思う。 「なぜその数字なのか?」「その数字にはどんな意味があるのか?」「その数字の前と後には、何が連なるのか?」 そういう連想が、数字のついたタイトルからはふくらませやすい。 例えば「ルパン三世」という素晴らしいタイトルのコンテンツがある。このタイトルは、見る人に色々な想像をふくらませる。 「ルパン三世というからには、おじいさんとお父さんもルパンという名前だったのだろう」「『ルパン』というのはアルセーヌ・ルパンのことだとしたら、ルパン三世はその孫ということか。だとすれば、その間に挟まってるお父さん(ルパ
「ハックルベリー・フィンの冒険」の面白さを対話篇形式で紹介「さて、第4章で予言された災いは、同じ章で早くも実現することとなる」「どんなことが起きるんですか?」「お父さんが現れるんだ」「お父さん!? ハックのですか?」「そう」「ハックのお父さんって、『災い』なんですか?」「残念ながら、その通りなんだ」「あら……」「この小説で、ハックのお父さんは、いわゆる『災い』として描かれている。完全にダメな、救いようのない人間として書かれているんだ。そして、もうネタばらししちゃうけど、最後まで救いがない。この小説で、お父さんは最後まで悪役なんだ」「なんだか……切ないですね」「それがこの小説の一つの大きな特徴といえるだろうね。安易な家族愛など説かないんだ。血のつながった父親を、救いようのない人間として描いている。そこら辺も、この本が長いあいだ(そして今でも)悪書の一つに数えられてる理由の一つだろうね」「『ハ
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