朝だ。まったく因果律というものは忌まわしきものであり昨日も一昨日も太陽が東から昇りそして今日もまたその姿を顕現しどうせ明日もまた太陽は昇るのだろう。哲学者のドゥルーズは「私が何かを認識したといえるのは、私が「私は太陽が昇るのを千回見た」のを確認する時ではなく、「明日も太陽は昇るだろう」と判断するときである」と『カントの批判哲学』において述べている。今日もまた太陽が昇った、という知覚だけでは「認識」とは呼べない。明日もまた太陽が昇る、という確信があって初めて認識なのだ。そして俺は「確信」によって呪われているのだ。明日も太陽が来るなんて耐えられない。動物は純粋悟性概念における因果性なるものを知らないだろう。おそらく動物は明日も太陽が昇るということを「確信」してそれを「呪う」などといったことはないだろう。 さてともあれ俺は世界を呪う者だ。俺は世界が憎い。 俺はグノーシス主義者だ。グノーシス主