HA @AmHdt 「水槽のなかの脳」という思考実験があるけど,あの脳は正常に機能しないんじゃないかと最近になって思うようになった.もちろん検証不可能なんだけど,身体や他の神経系を離れては脳は活きていけないのではないか? 2010-02-16 14:30:46 @boy_smith @AmiHide では、脳が身体や神経系とすべて繋がった状態で脳を取り出し、水槽の中に入れてみてはどうでしょうか? 私自身は脳にとって身体が必要だという理由はよく分かりません. そもそも脳すら必要なのか分からないです笑. 2010-02-16 14:36:26
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最近、The Neurology of Consciousnessという本が届いて、各章の要旨だけ一通り読んでみたので、ここで一度まとめてみます。 neurology(「神経学」という訳が見つかる)、wikipediaによると「神経系の疾患を扱う医学分野」とある。psychiatryなど他の分野との関係もwikipediaで説明(議論)されている。 この本はneurologyというだけあって、医学書的なニュアンスも強い。 昏睡、植物状態をはじめとしたdisorders of consciousness(「意識障害」と訳すことにします)の最新研究がしっかりまとめられている点が特徴的。いわゆるlevel of consciousness(意識レベル)の研究に多くのページが割かれている。 このエントリーでは、まずこの教科書の編集者を紹介した後、全体構成と各章のアウトラインをまとめます。 (またま
■ ニコラス ハンフリー 喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 ニコラス ハンフリー(原著は"The mind made flesh" Nicholas Humphrey)があったのではじめのほう(意識関連の部分)を少し読んでみました。意識のハードプロブレムのハードさ(コリン・マッギン流の)をいったん受け入れ、デネット流の消去主義やペンローズ-ハメロフ流の説明を行きすぎとして、進化的説明に持っていこうとするあたりの感触は悪くなさそうなので、もう少し読んでみようと思います……年度末のあれこれが無事済んだら(いやマジで)。 意識の進化的説明(「内なる目」も含めて)に関しては、身体化された心 フランシスコ ヴァレラ(The embodied mind" Varela)での9章「進化の道程とナチュラル・ドリフト」とつき合わせて読んでみる必要があることでしょう。 ちなみに1/6のエントリーで言及した
■ 意識と信頼度 (Awareness and confidence) わたしの仕事はawarenessとperceptual decisionとの関係がツボのひとつです。つまり、awarenessのことをきっちり扱おうとすると必ずやperceptual decisionとの関係を考えざるを得ません。 そういうなかで最近出た Nature Neuroscience - 10, 257 - 261 (2007) "Post-decision wagering objectively measures awareness" Navindra Persaud, Peter McLeod and Alan Cowey はawarenessの有無の評価としてSDTで使われるようなconfidence ratingに代わる方法として、お金を賭けてもらう、という単純な方法がうまくいくことを示した論文でし
意識の探求―神経科学からのアプローチ;岩波書店 クリストフ・コッホ (著), 土谷 尚嗣, 金井 良太(訳) *この本の、最終章に収められた、架空の、自作自演のインタビュー。*部分はわたしのコメント。 二十章 インタヴュー * 「ねえねえ教えてよ。それってどういう意味?」とアリスは尋ねた。「君は賢そうだから教えてあげよう。」と、ハンプティーダンプティーはとても嬉しそうにいった。「どうしてもわからないこと、ってのはしょうがないんだ。その話題はもうたくさんだっていうことだよ。だから、君がこれからどうするつもりなのか話してくれてもいいし、ほら、残りの人生ずっとここにとどまっているつもりじゃないんだろう。 」「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル(Lewis Carroll) * 結局、本書の主張とは何だったのだろうか。十九章をより分かりやすくするため、最終章では、架空のジャーナリストから受けたインタ
Galen Strawson らによる論文集『Consciousness and Its Place in Nature: Does Physicalism Entail Panpsychism?』 に対する Jerry Fodor の書評 "Headaches has themselves" (London Review Bookshop) を翻訳しちゃった。 追記: 『Consciousness and Its Place in Nature: Does Physicalism Entail Panpsychism?』 の冒頭のストローソンによる論文 "Realistic Monism: Why Physicalism Entails Panpsychism" が彼のサイトからフリーで読めます(HP)、(PDF)。 代表著者のギャレン・ジョン・ストローソン (1952~) は、日常言語
Evan Thompson, Francisco Varela.Radical embodiment:neural dynamics and consciousness.Trends in Cognitive Science vol5 No.10 Oct 2001 Varelaがこの世を去ったのは2001年5月だから、これは死後に発表された記事になる。 最近embodiment、あるいはenactiveな認知科学という用語を論文の中でもみかけるようになった。これは、embodiment、あるいはenactiveにアプローチに関する宣誓文ともいえる内容が解説されている。Varelaの"Embodiment Mind"では仏教思想の用語から僕には理解しづらいところもあったが、これはEmbodiment Mindの内容を自然科学と哲学の言語で書いたものでれ、理解の助けになった。以下、覚書。 意識
[読書] 永井均『なぜ意識は実在しないのか』(岩波、07年11月) (写真は、デカルト『人間論』の中の図版。「魂の場所」は難問中の難問。) 永井氏の新著が出た。「私と他者の非対称性」を一貫して追究してきた永井氏は、『私・今・そして神』『西田幾多郎』などの近著で、他の哲学者の学説を検討しながら、自説をさらに豊かに表現することを試みてきた。『私・今・そして神』では、独在的な<私>の「開闢」を「ライプニッツ原理」と呼び、その<私>を「われわれの中の一人である私」に客観化してしまう「カント原理」と対比するという仕方で議論がなされた。本書では、デイヴィッド・チャーマーズの大著『意識する心』を批判的に検討しながら、その対比がさらに洗練されて提示されている。面白い本なので、いくつかの論点の紹介とコメントをしてみたい。 「他者にも私と同様な意識はあるのか?」という問いは、永井氏によれば、奇妙な問いである。
ゾンビは論理的可能性ですらないか? ------チャルマーズに対するpros and cons------ 柴田正良(金沢大学) チャルマーズの性質二元論は、物理主義に対立するテーゼとして提出されている。通常、科学者(とくに物理学者?)は、よほど問いつめられた場合以外には物理主義者とはならないだろうと思われる。確信犯的な(?)実体二元論者を除くと、彼らがおしなべて存在論に無頓着であるのは、想像のかなたの可能世界で何が起きようとも自分の目下の研究に差し迫った影響はない、という理由からであろうか。しかし、われわれ哲学者でも、物理主義のギリギリのラインがどこに引かれるべきかに関しては完全な一致に達しているわけではない。その意味でチャルマーズの物理主義反駁は、どこまでが物理主義の主張なのかということの自覚をわれわれに
――囚人のジレンマをやらせてみるテストですか。 http://r.hatena.ne.jp/mind/で キーワード「チューリング」を含む新着エントリー を眺めていたら、 人力検索に興味深い質問があったので、考えてみる。 http://www.hatena.ne.jp/1138120442 ===================================== 機械の意識の有無を判定する方法について。 将来、「心を持つ人工知能を造った」、あるいは「人間の意識をコンピュータに転移することに成功した」と主張する人が現れたとします。そのコンピュータを前にしたとき、どのような方法によれば意識の有無を判定できるでしょうか? ※知性の有無の判定ではありません。また、そのコンピュータは「人並み」の応答はできるものとします。 =====================================
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