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ドラクエ3
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エロゲ, 葵せきな『ときメモ4』と『生徒会の七光』がゼロ年代最後尾のリリースであることの意味 - ピアノ・ファイアええと、どこから突っ込めばいいんでしょうか。『ときメモ4』はやってませんし、論旨そのものにはあんまり異論はありませんが。細部の傍証として挙げられているエロゲー・ギャルゲーについての言及が我田引水すぎやしないかと。 「ナンパゲー」≠「複数攻略ルートのあるギャルゲー」また実際、ゼロ年代というのはナンパゲーというか、複数攻略ルートのあるギャルゲーが限界をきたしていた時代でもあり、『こいびとどうしですることぜんぶ』に代表されるような単独ヒロイン制のいちゃラブ作品や、『ラブプラス』のように、同時攻略(ナンパ)そのものをゲームから排除した作品が立て続けにリリースされていました。まず、(これはいずみのさんも承知の上でしょうが、念のため確認しておくと)「ナンパゲー」≠「複数攻略ルートのあるギャ
リトルウィッチ, 聖剣のフェアリース聖剣のフェアリース 初回版posted with amazlet at 10.01.15Littlewitch velvet (2009-03-27) Amazon.co.jp で詳細を見る合理的な造りだな、と感じました。まず、当然ですが教師と生徒がセックスするというのは、今のわれわれの倫理観においてはなかなか許容しづらいものでしょう。恋愛の過程を経ずに、となるとなおさらのことではないでしょうか。そこで無理を通すためには、文字通り陵辱に走るか、過去や異世界といった「倫理」の異なる舞台を選ぶか、あるいはなんらかのエクスキューズを用意することが必要となります。そしてそこで本作が選んだのは、「教団の陰謀から世界を守るために清純可憐な少女騎士をHで育てる」というお題目であるわけです*1。ただ、これだけでは、当人たちも理性的には納得できるかもしれませんが、どうして
ニトロプラスSteins;Gate(シュタインズ・ゲート)(通常版)posted with amazlet at 10.01.035pb. (2009-10-15) 売り上げランキング: 51 Amazon.co.jp で詳細を見る押さえるべきところをしっかり押さえた佳作といった感。本作が2009年の終りごろに巷の話題をさらった、その事実をもって「物語」にまだ希望を抱いてもいいのかもしれない。以下ネタバレ隔離。ここ数年のメタフィクションとかループものとかゲーム的リアリズムがどうたらこうたらとか言われているような作品群に見られるようなツボをしっかり押さえていて、その点においては信用できる感。「一人しか助けられない」という選択の痛みとか(Kanon問題)、神ならぬ一介の人間が手に入れた力を調子に乗って濫用すると取り返しがつかなくなったり、あるいは時空を移動しまくるとだんだん精神的にやられてしま
アニメいわゆる「美少女」とはなんなのか、ようやくわかった感覚があります。比呂美の美少女力は半端ないですね。ついったーでも何回か書きましたが、この作品は「顔芸アニメ」なんですね。キャラクターたちの心の動きを見せるのに、身体の表情、とりわけ顔を豊富に用いる。ダイアローグにおいて、眼や口に何事かを語らせるカットがとても目立ちます。そもそも自分でうまく言葉にできない/出せない想いがあるわけですから、ノンヴァーバルに描写するのは実に正しい。「涙」が主要なモチーフとなっていることからも、顔にカメラを向けるのは合理的といえます。そういう見せ方をされますから、こちらも自然とキャラクターの顔に文字通り「注目」させられます。その結果として、比呂美の顔かたちが他のキャラクターに比して際立って整っていることに気付かされたわけです。しかも彼女の場合、単に整っているだけではなくて、そのことを自覚して立ち回っている節が
トノイケダイスケ, エロゲ「いちゃラブ」大全 完全保存版―デレデレな女の子を集大成!! (INFOREST MOOK)posted with amazlet at 09.12.12たまごまご YU-SHOW かーず 永倉大(Su-37) DAI 極楽トンボ みやも インフォレスト 売り上げランキング: 90742 Amazon.co.jp で詳細を見る俺が『水月』や『さくらむすび』や『ワンコとリリー』や『Garden』をいちゃラブに分類するのに違和感をおぼえるのは、そこで行なわれている「いちゃいちゃ」が、他の「いちゃラブゲー」と称される作品群のそれとはまるで性格を異にしているように感じられるからだ。 もちろんトノイケ作品(便宜上こう記しておこう)におけるいちゃラブが、(とくに幼馴染特有の長年の付き合いが可能にするような)相互に深い理解と信頼に担保された甘やかで大きな安心感をもたらす(とでも
同人誌, おしらせ先日の文フリではご好評をいただき、おかげさまでめでたく完売となりました『ぼっち本』ですが、先日も書いたとおり「増刷の予定はないのか」という問い合わせを多数頂いております。このことについて、江戸猫さんと相談した結果、「要望が一定数に達したら増刷を行なう」ということになりました。どういうことか。要は『twitter本』方式です。『true tears』BD版方式といってもいいでしょう。おおげさな言い方をすれば予約受注生産ということです。『ぼっち本』をお求めの方は、この記事をブックマークしてください。はてなアカウントがないという方はコメント欄にどうぞ。20ブクマを突破したら増刷を決定します。増刷部数はブクマ数に応じて決定します*1なお、販売方式は通販とし、代金の振込手数料・送料は負担していただくことになると思いますが、詳細は増刷が決定してからあらためて告知したいと思います。なに
西尾維新化物語(上) (講談社BOX)posted with amazlet at 09.11.28西尾 維新 講談社 売り上げランキング: 121 Amazon.co.jp で詳細を見るネタバレというほどでもないけど隔離。この世界には人類最強の請負人とかいないので、アララギ君はいーくんに比べてそれなりに丈夫な生き物になっています。戯言遣いのいーくんは言葉を弄することでしか異能者たちと伍し得ません。インテリは物理暴力に弱いというはなしで、まあけっきょくは敵わないので毎回のようにボコボコにされます。そこを哀川さんなどに助けてもらい、毎月のように入院する羽目になっていたわけです。しかしアララギ君には助けてくれる人とかいません(メメさんの口癖は「自分で助かる」です)。究極的には自分ひとりで怪異と向き合うことになります。なので「昔からケガが多かったので常人より治りが早い」いーくんレベルの回復力では
雑記ゼロ年代の想像力posted with amazlet at 09.10.28宇野常寛 早川書房 売り上げランキング: 5217 Amazon.co.jp で詳細を見るSFマガジンの連載時に最後まで読んでいたので書籍版はスルーしていたのだけど、必要に迫られて読むことになった。曲がりなりにもゼロ年代のスクールカーストを駆け抜けたり駆け抜けなかったりしてきた人間にとって、一応の説得力がある見取り図にはなっている。ややもするとあらゆる主張が発泡スチロールのシヴァ神に見えてきたりするので困ったりもする。全体的に豊富な加筆がされていて、連載時の悪印象は多少は拭われたけど、それでも作品読解の粗雑さは目に余るものがある。といってもおそらく半分は確信犯的な誤読、自論の展開のために「あえて」細部を捨象して引き寄せた結果であって、そこに突っ込みを入れるということは、それこそ文中で例示されている南京大虐殺の
漫画とある科学の超電磁砲 1―とある魔術の禁書目録外伝 (電撃コミックス)posted with amazlet at 09.10.19鎌池 和馬 アスキー・メディアワークス Amazon.co.jp で詳細を見る前提:本編の『とある魔術の禁書目録』は漫画版を4巻まで。原作は1巻の途中で投げ出した。いま学園都市にもっとも求められているのは「落ちこぼれに対するアフターケアのプログラム」と「街を出るという選択肢」だと思った。絵に描いたような環境管理型権力を実現する前に、ゴロツキが出現する根元を断とうよ、という話。 しかしあんな監視社会のいったいどこに、ヤンキーの人たちの溜まり場があるのだろうとは素朴に思う。監視カメラの死角?でなければこんな事件、起きていないでしょう。因果関係はしっかりしているものの、対症療法的なオチだなあ、という印象。 学園都市の世界観=純粋な競争社会。各人のアイデンティティ
漫画, 創作多重人格探偵サイコ (1) (角川コミックス・エース)posted with amazlet at 09.09.30田島 昭宇 大塚 英志 角川書店 Amazon.co.jp で詳細を見る今更ながら中二病誘発・促進剤としての『多重人格探偵サイコ』の優秀さと自覚っぷりには驚嘆を覚える。さすが『魍魎戦記マダラ』の原作者というか。グロ描写で表層を彩り、政治思想的な要素を散りばめておけばある種の中二病患者が大勢釣れるので商売として成立する。「こんなグロい/天皇とかに言及しちゃう漫画読んでる俺カコイイ」――そう思っていた時期が俺にもありました。さらに前者によって表現の自由の問題提起にもなる。「輪転機止められた伝説」は出版社と積極的に殴り合う大塚の芸風の再アピールとして十分である。話題をかっさらうことでメディアミックスが促進され儲かる(儲かってないどころか映像版の衣装費なんかは自腹切らされ
エロゲ全ての道は・・・ - 永結無情遊ちょうどついったーで『化物語』の話題の絡みで言及が及んだので1年越しに応答を試みる。しかしスクイズは原作・アニメ版ともに未視聴、SHUFFLE!は伝説の空鍋シーンの何話か前で投げたという徒手空拳っぷりだけど。ヤンデレ素人の俺から見ても、やはり量産型ヤンデレの質の悪さというのは目につく。そりゃ普及品は粗悪なもんですよかつてのツンデレも妹もそうであったように、という話ではあるのだけど、ちょっと深く考えてみたところ量産型ヤンデレというのは一言でいえば「因果が逆転している」から魅力的ではないのではないか、という考えに至った。勝山さんがおっしゃったことを俺なりに翻訳すると「凛くんが他の女に色目使いまくった上に緑髪(名前忘れた)と付き合うとか言い出したから楓が病んだわけで、これはエロゲ主人公への批判だよね」ということになる。要約すれば「男が悪いので女が病みました」
minori, eden*eden*posted with amazlet at 09.09.25minori (2009-09-18) 売り上げランキング: 16 Amazon.co.jp で詳細を見るeden* PLUS+MOSAICposted with amazlet at 09.09.25minori (2009-09-18) Amazon.co.jp で詳細を見る 贖罪と肯定と回復、そして旅立ちと見送りの物語。身も蓋もないまとめ方をすればefのファンディスク。羽山ミズキの可能性、その行く末をフォローする後日談。未来に羽ばたける可能性の塊と、一歩一歩地道に進んでいくことしかできない「人間」の対置、前者の気高さを称賛しつつも後者への配視を欠かさないのがefにおいてとられた手法であり、その理念は『eden*』においても着実に継承されている。efにおいてはミズキたち若者が前者であり、後
エロゲ某所の記述に刺激を受けたようなそうでもないような。まあ従来からの主張の研磨。 いやリンクしていいのかどうかわからないので某所と。かつてヘタレ主人公とはどのような存在であったか。もちろん作品ごとのケースバイケースでもあるが概ね以下の三点が挙げられるだろう。 無気力である→日常に変化をもたらさない空気を読まない/読めない(鈍感である)→ヒロインの好意に気づかないヘタレである→ヒロインに手を出さない特定のヒロインと接近しない限りパワーバランスは崩れない。ハーレム的な日常が安定的に持続するためにこのような性格付けは必然的に要請されたものである。ヘタレ主人公はハーレム的日常の持続に最適化された造形であるといえる。しかしヘタレは批判を受けた。イライラする。もっとまともな人間を主人公にしろと。そのような要求に応えて、かつハーレム的日常を崩さないよう努めたときに、主人公の造形は変化することとなった。
おしらせはじめにサークル「ぼっちーず」は秋の文学フリマに向けて『ぼっち本』を制作することをここに宣言します。 趣旨ぼっちとはなにか? これは人類永遠の課題である。ぼっちを自認する論客(笑)たちが孤独な若者たちの現象を鋭く考察する!(カタログのサークル紹介文より) 執筆者(五十音順)愛甲 id:takshiaikou江戸屋猫八百 id:edoyaneko800黒野 id:kuroshior八柾山崎 id:hachimasa峰尾俊彦 id:mine-o
ラブプラスラブプラスposted with amazlet at 09.09.11コナミデジタルエンタテインメント (2009-09-03) 売り上げランキング: 2 Amazon.co.jp で詳細を見る『ラブプラス』に対して多くの人が感じている「新しさ」とはつまり、「いつでもどこでもいちゃつける」という一言で表現できるのではないかと考えている。まさに「彼女」だ。この「新しさ」は突然変異的に出現したものではない。従前から存在したいくつかの異なるジャンルの要素を組み合わせた成果である。この組み合わせは以下の式によって表すことができる。ラブプラス = ときメモ + X + YここでX,Yはそれぞれ「いつでもどこでも」「いちゃつける」の各要素を担当している。 Xに代入されるのは生き物とコミュニケーションをとる類の携帯ゲームだ。たとえば『nintendogs』、たまごっち、ポケットピカチュウ*1
瀬戸口廉也/唐辺葉介犬憑きさん 下巻 (スクウェア・エニックス・ノベルズ)posted with amazlet at 09.08.02唐辺 葉介 スクウェア・エニックス 売り上げランキング: 61061 Amazon.co.jp で詳細を見る 『犬憑きさん』上巻についてのメモ - はちまさ@はてな改め羊肉うまうま改め極南の空へ以下ネタバレ隔離。挿絵に対する違和感の表明が一部で見られるのは、自然主義リアリズムとまんが・アニメ的リアリズムの素朴な衝突なのだろう。つまり、狭義の「文学」からの影響のつよい唐辺葉介の小説を、記号性のことさらにつよいTivの萌え絵でパッケージングすることへの疑義。唐突に話は飛ぶが「エロゲーには他者が存在しない」という批判には一定の正当性が認められる。自己とは異なる、埋めがたい差異の存在が認められる別の主体という意味での「他者」を考えたときに、狭義のエロゲーにおいてそ
うえお久光紫色のクオリア (電撃文庫)posted with amazlet at 09.07.23うえお 久光 アスキーメディアワークス 売り上げランキング: 142 Amazon.co.jp で詳細を見るのっけからイラストの話もなんだけど(ラノベにおいてほぼ無前提に共有されている文章>イラストの主従関係をさすがにひっくり返そうとは思わない)、綱島士朗のクオリアって確かにあるなあ、と思った。巻末のキャラ設定イラストを見ていると、各キャラの姿勢とか所作がなんというか、綱島っぽいのだ。とくにアリス。 さらに関係ない話をすると、コンテンツとしての情報量では明らかに文章>イラストの関係なのだけど、こと販促ということになるとあっという間に逆転するのがおもしろい。ジャケ買いというやつ。そしてだからこそ本作は同月発売の電撃文庫の中で最も売り上げが低い(らしい)のだろう。綱島の絵はけっこう好きなのだけど
カタハネ, AIR, ef - a fairy tale of the two.語呂が悪い。要は、AIRへのひとつの回答、アンチテーゼとしか思えないということ。 まあ最近の俺に言わせるとefも俺つばもみんなそうなってしまうのだけど。目が節穴。やっぱAIRがすごいんだって。efはefでそれなりに対応している。意志のバトンとか。三者関係→二者関係とか。一応、対応関係はそれなりに見出せる。 過去の因縁が現出してくる:正反対の態度翼人の呪い→アインの汚名とレインさんの悲劇人形→ココ血脈による保証→否定意味不明。余裕があったら再プレイして分析したいところなんだけど。
アニメ別名「なにが悲しゅうて俺たちはゼロ年代も末年になってまでエヴァで盛り上がらにゃならんのか」問題。前作から約10年が経ってリニューアルされたものを観てわかったのが「ああ、庵野さんもあの頃より少しは丸くなったんだなあ」ってことだけってのはあんまりじゃなかろうか。「かっこいいロボットアクションを俺たちに見せてくれる、それだけで最高」というのもなあ。そりゃ金かければ出来ますよねって話で(現場の人間のモチヴェーションについては措く)。 エヴァというビッグネームの下地があったからこそだという反駁に対しては、パチンコマネーで同種のことを実現している監督は他にもいますよと。まああれもビッグネームではあるのだけど。いずれにしても、それは時代性とはあまり関係のないところの話。図抜けた才能はファン層の枠を越えてひとを惹きつける、とは言えなくはないけれど。やはりここは広く一般層における過去の記憶の共有もあっ
谷崎潤一郎, 未来にキスを, 元長柾木谷崎潤一郎 (ちくま日本文学 14)posted with amazlet at 09.06.17谷崎 潤一郎 筑摩書房 売り上げランキング: 288330 Amazon.co.jp で詳細を見る 元来は「文章読本 抄」が目当てで借りてきた。といっても内容は序文の抄録のみだから察しえたのは雰囲気のみ。至極まっとうな内容だとしか感じられず、原書を読んでみないとなんとも言えない。せっかくなのでと余勢を駆って他の収録作品も読破したら『春琴抄』の虜になった。恥ずかしながら谷崎を読むのは生まれて初めてなのだがすんなりと嵌った感がある。近頃なにやらマゾヒスティックな性向を得つつあるからか。 春琴に萌え転がるのが愉しい。尤も彼女はより正確には「気高きお嬢様」属性とすべきなのだろうけど。さて、谷崎といえばマゾヒズムという代名詞のごとき評価はわたしでも知っているくらいで
エロゲはじめにまず、singingroot氏が議論を整理してくれたので頭の中がうまい具合にまとまったことを感謝したい。そのうえで以下ではわたしが興味をいだいていることについて論じる。 大状況を構築するためのヴィジュアルデザインそれはけっきょくのところ、「大状況としての田舎はヴィジュアルデザインによってどう構築されるのか」ということである。抽象概念としての田舎であろうと名づけられた特定の田舎であろうと、それどころか街だろうと異世界だろうと、そのディテールを描出して舞台として固着させるのはもちろんテキストの役割であるのだけど、その前段階、プレイヤーが大枠としての作品世界を直感的に把握するための導入部として機能するのがヴィジュアルデザインである(はず)。これには大別して以下のものがある。キーヴィジュアル、パッケージ、デモムービーなど背景画像鳥瞰図、移動マップこれらのうち、まずはじめに目に入るのは
萌え, アニメ と、はてな界隈ではお年寄りの方々がよく仰るわけで、正直うんざりしていたのだけど、こういう動画を観たりすると認めざるをえなくなる。スルーできる強さのないぼっちって大変ですよね。おのれの嗜好や問題を美少女に仮託しようとするのは、オタク第3(4?)世代の宿瘂なのかな。『らき☆すた』における泉こなたのような、きわめて男性オタクらしい趣味をもつキャラとか、その二次創作としての「木冬かがみが大学でぼっちになっているようです」とか、ちょっと前に話題になった『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』とか。 もっとも『俺妹』については、あれはあれでやや屈折があるようなのだけど、本筋から外れるから措く。ただまあ、こういった動きをすなおに若いオタク全体の問題として捉えるべきかというと、そうでもない気もする。「オタク=暗い+キモい+コミュニケーション能力皆無+・・・」といったステロタイプな図式がとくに通
エロゲ2009.5.14: 日記御高説の極み。あまりにも恥ずかしくて人前で見られないので家のPCでこっそり読んだ。これこそ本日の「おまえが言うな」スレというやつで、この点はid:NaokiTakahashiに同意。百年の長きにわたって積み上げられた権威に乗っかってるのはどちらさんかと。「エロはひっそりと楽しむもの」という年寄りくさい粋なこだわりはたいへん結構なことだ。まさに文学の薫り。しかしエロゲーって幸運なことに(残念なことに?)、そんなに高尚なものでもないわけで。作ってる側は知らんが、やってる側には「俺はこの社会に真っ向から立ち向かうために、いま『レイプレイ』でこの娘を襲う!」なんて意気込んでるひとなんているわきゃない。むしろいたら紹介してほしい。皮肉でなくお友達になりたいくらい。 表現の自由叫んでるひとも脇に置くべき。エロマンガの政治性をエロゲーに持ち込まれても困る。それこそアメリカ
エロゲこの前の記事についたコメントについて考えていた。 http://d.hatena.ne.jp/hachimasa/20090508/1241798350#c106357593ヘタレはヘタレで叩かれる。等身大を試みれば幼稚だ人間らしくないと叩かれる。どんな主人公像だったら批判されずに済むのかね。そもそも、予想される批判を内面化した主人公像というのもつまらん気がする。あるいは消し去ればいいのか。しかし乙女ちっくイデオロギーもやはり気持ち悪いと叩かれずにはいられない。近年のハリウッド映画のように「成熟」した、人間らしいヒーロー像を企図すればいいのだろうか(観てないので伝聞だけど)。しかし本質的に成熟を拒んでいるのがオタク文化というものでもあるし。でもハリウッド映画ってけっこうオタク文化的なところがあるんだよなあ。じゃあエロゲーも成熟が可能なのか。こうやって考えてみると、かつて更科修一郎が主
朱門優ネタバレというほどでもないけど隔離。 いつか、届く、あの空に。初回版posted with amazlet at 09.05.15Lump of Suger (2007-01-26) Amazon.co.jp で詳細を見る 朱門優のえがく「田舎」はどこか奇妙である。ありていにいって共同体が共同体の体を成していない。もちろんエロゲーやライトノベルではしばしば社会のレイヤーがまるっとくり抜かれ、排除されたかたちで世界観が構築されがちである*1。しかしながら単純にその一例とは言い切れないところが、彼の「田舎」にはある。たとえば都会人が思い描くようなユートピアとしての田舎を現出させたいのであれば、風光明媚な自然の景観と素朴なヒロインたちのみを選択的に活写するような態度にも納得がいく。じじつ、田舎を舞台とした多くの純愛ゲーはそのように作られている*2。では朱門においてはどうなのか。『いつか、届
田尾典丈ギャルゲヱの世界よ、ようこそ! (ファミ通文庫)posted with amazlet at 09.05.09田尾 典丈 エンターブレイン 売り上げランキング: 419 Amazon.co.jp で詳細を見るスマガ 特別限定版posted with amazlet at 09.05.09ニトロプラス (2008-09-26) Amazon.co.jp で詳細を見る 等身大の主人公像『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!』に対して「主人公が自分勝手、自己中心的だ」という批判がある。なんの気なしにヒロインを召喚して苦しめ、挙句の果てに「俺が助けなきゃ」とは何事だ、と。言われてみればたしかに、という気もしないでもない。というのも、ギャルゲーの主人公によくある捩れた鬱屈――かつて更科修一郎が「零落したマッチョイズム」と呼んだようなもの――がそこにはないからだ*1。彼は奇妙に明るく前向きに、その身
雑記早狩武志ときづきあきらの支持層ってけっこう被ってるような気がする。 筆を滑らせるなら『俺つば』でヒノエリが好きなひと。ちょっといいすぎ。外部からの批判的視線、ありていにいえば「オタきめえ」というまなざしを内面化した果てにあるというか。中二病の対抗概念としての高二病的。「俺はおまえらみたいなヌルオタ/萌えオタ/処女厨なんかとは違うんだぜ」と優越感ゲームに参戦してしまったひとびと。もちろんそこが出発点で、のちにそれ以上の魅力を発見したのであればそれでいいのだけど。止まってしまうひとは多い。この構図は一般にもけっこう敷衍できる。 例1:『ブラックジャックによろしく』を読んでる俺はおまえらよりもぜんぜん医療問題のことわかってるんだぜ?例2:『聖☆おにいさん』のネタを理解できる俺オサレ! まあオシャレって差異ゲームなんだけど。読むことでオサレになれるのが重要、ってsさんがいってた。例があんまり一
エロゲ, てとてトライオン!一人の女性(キャラ)を選ぶということの意味は、“有り得たかもしれないほかの女性(キャラ)との可能性”を捨て去ることによって担保されるもののはず。一人のヒロインを選ぶ尊さからの逃避 - シロクマの屑籠(汎適所属) 議論全体に思うのだけど、これはヒロインを選択するという制度、われわれが主人公を操縦しているという制度を前提としたときのはなしなんじゃなかろうか。つまり、「これはあなたに責任のある、あなたが選択した物語だよ」という前提。だがちょっと待ってほしい(ネタ)。ここ数年(何年からかはしらん)、選択肢が極端に退化したエロゲーが目立つようになってきた。物語を魅せることに特化した、とも称される。たとえば『るいは智を呼ぶ』とか、あるいは後述する『てとてトライオン!』とか。これらは「わたしに責任のある、わたしが選択した物語」なのだろうか。ちがうだろう。それは他人の「リアル」
エロゲMEGA STORE (メガストア) 2009年 06月号 [雑誌]出版社/メーカー: コアマガジン発売日: 2009/04/17メディア: 雑誌 『神樹の館』製品版がついてくるというのでホイホイ釣られて『メガストア』の今月号を買ってしまった。初体験である。雑誌はおまけがついてこないと買わない主義ゆえ。せっかく買ってきたので本誌にも目を通していたのだけど、なんだか予想していたのと雰囲気がちがう。実写のエロ本もかくやというドギツい表紙や、実用性に的を絞った一枚絵CG多めの作品紹介ページは健在ながらも、後半にサブカル臭ただよう読みもの記事がふたつ。エロゲー人の基礎知識vol.1 メイドさんパラダイス!オタクと恋愛 ドキュメント オタクの生き様前者はエロゲとその周辺分野におけるメイド史の概説、後者はかの有村悠氏らによる、まあ、なんというか、オタクの生き様……なネタ記事。どちらもそれなりにお
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