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アメリカ大統領選
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iPad(アイパッド)やKindle(キンドル)など、新しいデバイスの登場で電子書籍が注目を集めている。そんな中で、まったくの手作りの電子書籍が画期的な売り上げを記録した。 今年5月に行われた「第10回文学フリマ」がその会場。文学愛好者が集まって同人誌を売り買いする即売会だ。会場の各ブースの机の上には、それぞれの文学サークルが作った紙の同人誌が山と積まれていたが、一カ所、コンピューターが置かれただけの殺風景なブースがあった。一際目立つそのブースで販売されていたのが、電子書籍化された同人誌だった。 たった5時間の即売会で売れたのは1400部以上。同人誌即売会としては画期的な数だ。 ■5時間で1400部以上売れた電子書籍 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100702/215253/ 即売会でモノを売らずに、対面にてデータを売るというの
ある意味で競合店であるにも関わらず、大きな書店のジュンク堂にはよくお世話になっているのですが、最近早川文庫の既刊棚を物色している際に、小川一水さんの作品と、ラノベレーベル"MF文庫J"から刊行されている同氏の「ファイナルシーカー」が並べて平積みされているのを発見した。 フェア中につき黒帯に「宇宙(そら)へ」という文字が輝く隣で、緑のデザインが妙に浮いていたのを思わずくすりと笑ったものです。 陳列されているラノベは「ファイナルシーカー」1冊だけで、他には何も見当たらない所をみるに、担当の趣味かなにかなんだろうと予想してますが、ジュンク堂にしては珍しい取り組みだなと、実のところ感心しました。 あくまで僕の予想とこれまでの経験のうえでですが、でかい書店ほど既刊棚に色は添えない。棚内でコーナーを組んだりするのは、専用の場所を使って行うことが殆どで、「在庫のロストや混在」を防ぐ為の措置であるかと思い
KOBE鉄人PROJECT(神戸鉄人プロジェクト)鉄人28号&横山光輝三国志 現在の僕の住居は兵庫県の新長田駅のすぐ近くになるのですが、生活圏内に鉄人28号のモニュメントが建造中です。お台場のガンダムが話題になる中で、ひっそりと組み立てられていますが、建設場所が商店街に隣接した公園なこともあってか、ランドマークになるような空気を感じることが出来ないのが切なく思います。 商店街のアーケードの先に見えてくる。 ちなみにここは一体どこなのかというと、新長田駅の目の前にある大丸の裏手にあたる。もともとあった若松公園を拡張する目的もこのプロジェクトにはあるようで、いくつかのテナントを解体したうえで広場を作り出しています。 新長田 - Google マップ 建設現場に到着。部屋を出て徒歩で約5分。 サイドから。鉄人の奥にある建物が大丸になります。それを越えた先に駅がある。 公園自体のリニューアルは10
先週の金曜ロードショーにて「ヱヴァンゲリオン新劇場版 序」が放送されていたのは多くの人がご存知だと思いますが、その時Twitterのいわゆる実況的なものに"ほぼ"初めて真剣に参加し、革新的なものを感じたので記しておかねばならない思いに駆られています。 もともとアニメは「録画して後で」派なので、これまではあまりリアルタイムでのTwitterの実況参加はしていませんでした。しかしヱヴァに関しては「既に複数回視聴済み」「buzzutterがヱヴァだらけ」「フォロワーのウォーミングアップがはじまりすぎていた」等の理由から、なんとなくリアルタイムで視聴するかと臨んでみたというわけです。 実況といえば、ニコニコ生放送であったり、2chであったりで幾度も体験したことはあった為、別段何も変わらないだろうと思っていたものの、twitterのその恐るべき魅力にとりつかれるまでに、大した時間は必要としませんでし
ASCII.jp:大人が聞くべき「初音ミク」最強20曲 大人だとか言われても僕はまだギリギリ四捨五入20だし、ボカロ達が「ただひたすら音源」だなんて釣り文句垂らされたら反応するしかないじゃないですか。 ミクはそのキャラクタービジュアルの可愛さだけでなく、数多くの作家が描く無限とも言える豊富な顔、本来が無機質であるはずであることとのギャップ、等が、曲本来の良さを何倍にも引き上げてくれるのだから、音源と一言で切り捨てるのはナンセンスと考えて良いと思うよ。 むしろ僕としては「いい大人がボーカロイドを好きになってしまう」ような、曲としての本来の魅力だけじゃなく、ボカロキャラクターの良さが存分に活かされている曲を紹介していこうじゃないか、という所になります。*1 基本は独断と偏見なので、ゆるい気持ちでご拝読いただければ幸いです。 【 1 】エピデミク・ガール / X-Plorez 1曲目を飾っていた
ブックオフ筆頭株主にDNP 講談社、小学館、集英社も株式取得 - ITmedia News DNPと出版大手三社がブックオフ株を取得!? - 本屋のほんね 少々出遅れ気味ではありますが、駆け出し書店員としては追わざるを得ない、旬でビッグでサプライズなトピックのお時間。 大手出版三社である、講談社、集英社、小学館をはじめとし、大日本印刷、TRC、丸善らが、新古書店であるブックオフの保有する自社株を全て取得するらしい。すげぇ!(大沖さんチルノ略 ここの所DNPは丸善やジュンク堂との業務提携や、RFIDのローコスト実現など、その潤沢な資金力を活かした様々な行動が注目され続けていますが、この怒涛の攻勢の裏にある目的は未だ全貌が明らかにされていません。 目的はいずれにせよ、僕としてはこの業界再編とも呼べる動きは「既得権の地固め」ではなく「スピードをともなった変化」を目指したものだと淡い期待を抱いてい
あかほりさとるいわく「ライトノベル業界そのものが危ない」 | Half Moon Diary 興味を持ったので読んでみようと考えていますが、とりあえずメモ書き的になんとなく思ったことをつらつらと。断片だけ読み取った今の状態と、実際に読んだあとの感想を分けて書いてみようかと思います。断っておきますが、深く考えてません。考えるのは本読んだ後ですからね。 「難しくなっちゃったんだよ。 今、ライトノベルと呼ばれている分野は、ある程度の共通言語がわからないと、理解できなくなっちゃった。せいぜい『ハリー・ポッター』がわかるとギリギリわかるかなと。SF化が進んで、一部の人間しか読まない分野になりつつある」 ここでいうSF化というのは、先鋭化が進んでマニア以外がついていけなることを指しているようです。 先生は続けます。 ううむ、僕はそんなことはないと思うのだけど、そもそもジャンルに偏りはあれどジャンル自体
ウェブコミックのこと。続き。 ハード面からインフラ作るのはどうかしらん、と書いた直後のことですが、米国は日本よりも数歩先を進んでいることを実感する記事がちょうど上がっていました。 最大の特徴はその画面サイズで、従来機種のKindle 2の6インチより約2.5倍の9.7インチ。解像度は1200×824ピクセル(Kindle 2は600×800ピクセル)。サイズは264.2×182.9×9.65ミリと、厚さはKindle 2とほとんど変わらない。メモリ容量は3.3Gバイトで、3500冊以上の書籍を保存できるとしている。また加速度センサーによる画面回転機能が付き、PDFファイルに対応した。 画面はKindle 2の2.5倍:Amazon、大画面の電子ブックリーダー「Kindle DX」を発表 - ITmedia エンタープライズ Kindle自体は以前より米国で展開されていた電子書籍専用端末では
小学館にて『新ブラックジャックによろしく』を連載中であり、映画化された『海猿』の作者でもあるプロ漫画家・佐藤秀峰先生が、自身のサイトでショッキングなコメントをしている。なんと、「恐らく、僕が雑誌で連載をするのは「新ブラックジャックによろしく」と「特攻の島」が最後かもしれません。もう雑誌から声はかからないでしょうから…」と語っているのである。 従来のように漫画雑誌などの紙メディアでの連載ではなく、インターネットメディアで漫画を連載することに決めたことがいちばんの原因のようだ。その裏側には、深い大きな苦悩と、出版社との確執があったようである。以前から佐藤先生は出版社と漫画家の間でより公平な立場に立って収益や環境を良くしていきたいと、業界改革にも似た行動を一人で行ってきた。出版社から出版社への作品の移籍もそうだし、漫画家の印税率や原稿料の増加の要求もそうだ。 『新ブラックジャックによろしく』が最
恋路まであと1kmでは届かない
よもや僕の夢想する箱庭の世界がこんなにも早く、そう、こんなにも早く実現してしまうなんて想像していなかった。コナミというゲーム会社の集大成でもあり、功罪でもあるこの現実を直視せねばならないなんて。 365日、ボクは彼女を持ち歩く 24時間いつでも彼女と会える恋愛コミュニケーションゲーム『ラブプラス』 - ファミ通.com 公式サイト:ラブプラス ときメモから連なる系譜により、長らくユーザーより愛されてきたギャルゲー、もとい恋愛シミュレーションゲームの文化。エロゲーも体系の一つとして組み込まれていることは、同士たるユーザーの皆さんであれば周知のものと思われますが、コナミは自らが築き上げたその歴史に終止符を打つべく、最強最悪、いや最高の作品をここに打ち出してきたと言えるでしょう。 ・主人公に想いを寄せる3人との交流の日々が前半パート、 ヒロインからの告白を受け、RTC(リアルタイムクロック)をフ
ニコニコ動画のお陰で。 映像があってオーディエンスがいれば、ちゃんとした偶像の出来上がりですよね。 ある意味で本当にプロデューサーになれるゲーム。 キャラがもっと増えて、もっと動画がたくさん投稿されるようになったら、虚構のアイドルフォーラムの出来上がり! 受験生、首尾はどうだ?そろそろ結果が出ている頃だと思うけど…。 [関連]がんばれ浪人生 「エロゲ買うのはかまわんが 今は積んどけ・・・」 http://www.nicovideo.jp/watch/ut4J1GgxhrPc0 http://www.nicovideo.jp/watch/ut6LIVQDKOGzY アイドルにも得手不得手がありますよね。 http://www.nicovideo.jp/watch/ute7XgbsuCf3c 最強グループ。 なんかプレイしなくても動画だけで楽しいかもわからん。もっと、もっと動画を!!!!
図書館断想 - サロン・ビブリオテカ 図書館断想 - サロン・ビブリオテカ 釈明篇 社会に出るに当たって必要なスキルの育成という観点から見て、このエントリはとても素晴らしいことを述べてくれています。 ただそれだけではなくて、団塊からゆとりまで、物事に対しての考え方に世代間で断絶が起こっている今、こういう公共的な空間は必要なんだと、しみじみ思う。ご近所付き合いのような解放的なコミュニケーションを日本に戻すには、こういった場所から手を付けていくべきなんだろう。 家族や学校等の閉塞的なコミュニティに留まるのではなくて、広い社会を自分の中で作り上げていくと、様々な場面において広い視野を持つ事が出来るようになるんじゃないかな。 接する事でしか本当の意味での共感を得ることは出来ない。年や性別隔たりなく、双方お互いに意見をぶつけ合うような場所への期待を、このエントリから垣間見ました。 読書という手段に拘
なぜオタは「このエロゲは泣けるから抜き目的じゃないから」といいますか? まぁ一昔前は僕もそんな事を言っていた時代がありましたが、泣きゲーとは言え脱衣してぎしぎしアンアンしてるんだから、抜きの要素が介在しているのは間違いないんですよね。それを泣けるから、別に抜かないから、などと見苦しい弁明をするから気持ち悪いんだろう。 キモいキモくないの話は置いておいて、エロゲにおける能動性が共感の疎外に結びつくという提唱について。 いわゆる選択肢についてのお話になるのだろうけど、選択肢1つだとさほど強い能動性は与えられないのではないかと思う。自ら攻略ヒロインを選ぶという過程があるにせよ、そこには決められた道筋があり、あくまでプレイヤーは受身でいるしかない。ただここでセーブという機能がくっつくことにより、プレイヤーに神の視点が与えられるのではと僕は考える。 エロゲにおけるセーブは小説の栞とは違い、いつでもそ
「まなびストレート」をどの視点から眺めるのが正解なのかと、これまでの放送を見ながら考えてきたのだけど、未だにアングルを決めかねている状態。こういった掴みづらい作品は年に1,2本見られるんだけど、例えばまなびに近いものを挙げるのならば「ぱにぽに」がそうだろう。どこで萌えればいいのか、どこで笑えばいいのか、どこが本軸なのか。それが分かるまでには数回の放送が必要になる。 こうした作品は僕の中ではダークホース的位置付けにあり、化ける、化けないの2択に繋がることが多い。それだけに毎回毎回楽しみに見ているのだけど、依然として僕の感覚ではまなびの骨子が組みあがらずにいる。 軸に学園ものならではの青春群像劇が据えられていることは概ね分かるのだけど、それを装飾するきめの細かいギャグセンスに惑わされていると言った所だろうか。 ただこれはジャンプの「銀魂」や同制作会社の「フタコイ」等でも見られるもので、どちらも
※このエントリは以下のエントリとのザッピングでお楽しみ下さい。 http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20070201/p1 昔の同人誌整理していたら、こいつら揃いも揃って古臭い絵柄しおってからに、と思った。何が古臭いかどうかというのは、目の描き方とか顔のパーツのバランスとか、言葉で説明するのは素人の僕には表現力が足りないのだけど、ToHeartとToHeart2の違い、と言えば伝わるだろう。馬鹿みたいに嵌っていた時期、丁度僕が真のオタクとして目覚めを果たした2000年前後だ。この頃は絵の主流も新しい段階に移行しようとしている頃で、最近のものに近い絵柄もそれなりに見受けられるんだけど、やっぱり古い。全体的に古い。概ね古い。漠然として古い。マクロに古い。 これは現実の世界においても言えることだけど、可愛さや格好良さは流行り廃れていくものだから当然のことのように思える。昔
「揺らぎの世代」と呼ばれる僕らがようやく自我を形成して至る今日において、僕らは自分達がこの日本社会に誕生してしまった背景を僕ら自身によって考えていかねばならない時が来たのだと感じている。 崩れてしまった家族制度の中で息吹いた僕らの命にどれだけの価値があるのか、僕らが生を得た事にどんな意味があるのか。ただそれだけを知りたい一心である。 今世紀初頭において、ある文化が熱狂的に騒がれることになったのがそもそもの事の発端である。今となっては事は世界規模の問題となり、その文化に対する当時のマスメディアの対応等が槍玉に上がることは珍しくない。 空前のキャラクターブーム。それは若い男女を未曾有のバイオハザードの如く襲い、劇的なスピードで蔓延していった。前世紀末頃までは蔑視の対象であったその文化は、2010年代においては生活文化レベルを変容するまでに至ったのだ。誰もが虚構の世界に息衝く平らな姿をした人物達
到達しました。 更新を休止していた期間も足しげく訪れてくれた常連の皆々様、 稚拙然とした駄文を捕捉してくださったニュースサイト様、 激励を飛ばしてくれるコメンテーターの皆様、 このブログを取り巻く全ての方々への感謝を込めて。 就職してからもこのブログが残っていますように。
カチリカチリといつもの如くエンターキーを押しながら、耽美な時間に自らの全神経を預けていると、僕の肩からひょこりと小さな頭が突き出てきてこう言った。 「お父さん、何やってるの?」 僕の娘である。生まれてからこのかた、腕白の名を欲しいままにした幼少時代を過ごしてきた彼女は、小学校に通うようになってもその意気は衰えることを知らない。しかし時折見せるあどけない笑顔に含まれる女の子らしさは、妻の面影がうっすらと見え隠れするように可愛らしい。眉目の整ったかんばせは同年代のアイドル的存在であることを疑わせない確証を孕んでいる。 「ねえ、お父さん、この画面の女の子はなに?」 彼女に勝るとも劣らない可愛さを秘めた映像を、食い入るように見つめる彼女はおやと気付いて僕の下半身に目をやった。 「ズボンずり落ちてるよ。きゃはは」 娘は床に転がり腹を押さえて大笑いしはじめ、ひとしきり笑うと、満足したのかぴょんぴょんと
結論から言えば「萌え」とは「情緒」であり「美徳」である。 特殊なフェティズムから構築されたこの論理は、僕の嗜好を発露させた観念論として捉えていただくのが正解ではありますが、殴り書きされたこの文章が多くの方の目に触れ、「萌え」への無理解からの解放を声高に叫ぶことが出来れば幸いであります。 奥ゆかしいフェティズム http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v=LfmCet0CPco つい最近、上記リンク先の女子高生(中学生?)が体操服に着替える映像がyoutubeで流れていて、僕のリビドーを強烈に刺激してくれたのですが、ちょいと資料整理のために(なんの資料だろう)youtubeを探っていたら、映像は既に消去済みとなっておりました。 内容はセーラー服の女子高生が服を着たまま体操服を着衣し、その後にセーラー服を脱衣する過程を一
ブラックラグーンを見ていると、日常と非日常を行き来しているロックから、これはよもや現代学園異能の系譜に名を連ねても良いのではないかと思わされたのですが、実際彼が出会う女キャラクター達はいちいち世俗から離れて異能化しています。 レヴィから始まり、双子に鷲峰雪緒、彼は彼女達が戦いに対して抱く感情に対して強い拒絶をし、どうにかして変えてやろうと思うも、その強固に象られた意志は捻じ曲げることが出来ず、ロックは常に葛藤を繰り返している。彼が彼女達を変えることが出来たのかと言えば、やはりそれは否であり、変えられているのはロックの方であり、人間的に成長していくのを強く感じ取れる。あぁやはり学園異能じゃないか。*1 彼のような甘ったるくて青臭い考え方は凄く普遍的であり、僕は彼が彼のまま成長することを頼もしく見ています。共感とは違う一種の感情移入が作用しているのか、作品への没入が血と硝煙のハードボイルドな側
http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20061122/p1 浅野『(前略)ただ後半の京都アニメーションに対する意見はどうでしょう。「京アニは中堅でしかない」という結論ありきで書いているように感じます。そもそもふもっふ(作画崩れ)、TSR(中盤のだらだら)、AIR(終盤のやり過ぎ演出)と京都アニメーションが手放しで賞賛されてきたわけではありません。 今のような京アニ=神みたいな言説で語られるようになったのはハルヒからなので、「気質」が賞賛されやすい、というのは正直無理があると思われます。 それからサンライズ、I.G、GONZOなど大手制作会社が会社単位で批判されないというのもどうでしょう?たまたまterasuyの目に止まらなかったのかもしれませんが、京アニ云々が目立ち過ぎるだけで、充分過ぎるほど会社単位で毀誉褒貶受けていますよ。 ここで比べて「京アニは中堅“でしかない
週末に上京していたATF電波塔の日月さんと突発的にオフになり、酒を飲み交わしたのですが、その時に印象的なお話をしてくれました。 「うちのサイトは下町の居酒屋みたいなものなんだよ」 すごい!これは今流行りのニュースサイト論を丸ごと包括してくれる素晴らしいお言葉だ!!! ATF電波塔は実に5年もの長きに渡り更新を続けておられる、老舗のニュースサイトです。数多の栄枯盛衰が見られる中で、ひっそりと更新し続けてきた日月さんの自サイトへのスタンスは、一読者として感涙の極み。 SBMがあればニュースサイトはいらないだって?下北沢や明大前の再開発みたいなことを言いやがって。数の問題じゃないんだ。そこに頑固だけど人情味溢れる居酒屋の店主と、僕らみたいな常連客がいる、それだけでニュースサイトが存在し続けることに意味があるんだ。 だから僕はどんなに更新の質が落ちたって、その店主の親父が出してくれたメニューを求め
「ブログにコメントを書く人はなんでブログをやらんのだろう」 id:kir_royalさんとメッセで会話してる時に出た話題。 というのは、このブログの読者層全般に対してのことで。いや、どちらかというとニュースサイト界隈の読者層になるんだろう。うちのブログのエントリの特徴としてはアクセスは集めるのだけどブクマが集まらない。なんともブロガーとしては寂しい姿(実は絶望的に)なのですが、コメントを付けてくださる方々もお若い方が多いのか、少しばかり棘を持った物言いをしてくれます。本音とネタを1つのエントリ内で使い分けて書いている僕としては、そこら辺の意図を読み取れない人が多いのは正直窮屈というか、炎上になり兼ねない事実に戦々恐々としながら文章を書いている次第であります*1 それでもコメントを読むと意外としっかりとした意見を書いてくれる人が多くて、喜んでいいのか困っていいのか。 上の話題に戻り、どうして
京都アニメーション版Kanonを一気に鑑賞。 やっぱ京アニ作画がすごいよー、と手放しで褒めるのもありなのかもしれないけど、正直言うとこの淡々と流れていく話には異を唱えたい。 26話構成を考えたうえでの、原作全ルートを効率よく消化するための起承転結なのかとも見て取れるんだけど、さすがに7話までを見ると純粋なエンタメ作品としては楽しめるのかどうか。 確かにこの作品、全体を俯瞰すれば物語曲線は上手く生成されているのかもしれない(とは言えまだ分からないけど)。 しかしながら1話の曲線、もしくは3話前後つづり程の固まりの曲線が作られていない。 とにかくひたすら伏線を張ることに必死で、見せ場という見せ場、山場という山場が一切無いまま、7話まで来てしまった。はじめてここで少しだけ物語が動き出したと感じたわけで。あくまで少しだけ。 エンディングへの入り方も落としているわけでもなく、次回に期待を抱くようなも
コードギアスを見ていた時、終始何かと似ているなと考えていたのですが、あぁこれはデスノートの構図とそっくりなんだなぁという結論に達しました。どこが似ているんだと訝しむ方もいらっしゃるだろうかと思うので、簡単にその根拠を示していくとしましょう。 適任者への能力譲渡 名作デスノートから行きましょう。世界が退屈でどうしようもないものだと考える全国屈指の優等生ライト君に与えられた死神のノート。人を意のままに殺せる力を得ることで、彼は犯罪者のいない理想の世界の建立を夢見ます。類稀なその知性を駆使し物語りが進むわけですが。 一方、某大国家の王子であるルルーシュ君が主役のコードギアス。動機はいまだ不明ですが、身分を偽り母国の解体を目論見ます。彼に与えられた力は人を操ることの出来る力。勿論、殺すことだって出来ます。この力を使い、彼もその溢れ出る知性を駆使し、人を駒のこどく使い野望へと向かっていくことになりま
昨日だか一昨日だかの昼のニュース番組で、武田鉄矢氏がいじめ問題に対しての取材に応えていて、その言葉に強く感銘を受けた。 金八先生曰く、「いじめられるということは個性」という。 いじめられた時に「自分は他の奴等とは違う個性的な人間なんだ」と気づいて前向きに考えを展開できるかどうかで、人生は変わるのではないか、と。容姿でも性格でも没個性を貫けなかった子供がいじめられるというのは、昔から続く人間の醜悪な本能形態の1つだ。いじめを失くすことはどうやっても出来ない。 ならば問題の答えを見つけるのではなく、問題自体を明確に知ることが大切なのではないかと金八先生は言う。 何故いじめが起こってしまうのか。問題はいじめる側だけでなく、いじめられる側にもあるのではないかと真剣に問題にぶつかっていくこと。そして、いじめている側いじめられている側、双方に対する癒しの場となる捌け口を作ってあげること。道を指し示して
というのは以前から感じていた印象なのだけど、実際に最近の秋葉原は月に数軒の店が閉店し新しい店が門を構えているという。 (参考)http://www.akibablog.net/archives/2006/11/510.html 原宿というとファッションの町として親しまれ、古着からストリート、モード系にハイブランド、更にはパンクからロリータと様々な系統の店が軒を連ねている。最近久しぶりに町を回る機会があったのだけど、以前来た時にはあった店が潰れて新たな店が出店していた。町全体が夢と希望の荒波に飲まれながら動いているのを実感した次第だ。原宿に店を構えるのは夢でもあり試練でもあるのだろう。 さて、ファッションとオタク文化というと、"消費による自己表現"という側面から見てみると、非常に似通った2者であることが分かるだろうと思う。どちらも消費することによって自分自身を表現、自意識の安定を保っているこ
創作なり考察なり日記なりで文章を綴っていると、猛烈に羞恥の視線を浴びている気になる。被害妄想という奴だ。総表現社会などと謳いあげ、プロとアマチュアの垣根を失くしたつもりなのだろうが、自意識の断絶は何よりも深い。見てもらえるという環境はつまるところ見られるという環境でもある。では書かなければいいだろう。違う僕は見てもらいたいのだ。この血と神経と骨肉から湧き出る言葉の束を。しかし、それは転じて僕を囚われの王子へと変える。サーカスへ売り飛ばされ、忸怩たる思いでステージへと上がり、嘲られ嬲られ犯されていくのだ。こんなはずではなかったのに。文章を綴るたびに、これを世に放ってもよいのかどうかと迷いが生じるのだ。ブクマコメントが全て嘲笑にしか見えず、僕の周りは全部敵だ。敵敵敵敵敵。ユーザー数が増える度に怖気が背筋を這いずり回り、僕により一層の被害者意識を植え付ける。見られている。笑われている。ネタとしか
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