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アメリカ大統領選
jun-jun1965.hatenablog.com
大学では、「学問」という「教えられること」を教えるところではあるが、一部、教えられないことも教えている。人文系の学科において、小説の書き方などを教えているところがあるが、小説の書き方は、基礎は教えられるがそれ以上はやはり才能である、ということは、まあたいていの人が分かっているからいいのだが、「批評」というのも、才能がなければ書けないのである。このへんは、教えている方はわりあい分かっているのだが、教わっている方は割合分かっていない。 北村紗衣の『批評の教室』(ちくま新書)が売れているようだが、これは、大学の学部生向け、特に北村が教える武蔵大学の学部生が、批評もどきを書くための手引きであって、実際にこれを読んでも批評としては面白くない。そういうものを新書として出すべきか、ちょっと私には疑問がある。 この本にも蓮實重彦の名前が出てくるのだが、私は蓮實の「大江健三郎論」などのテマティック批評は、特
一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた。中川右介の『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。 萩尾と竹宮は、一九七〇年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの二人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の誌』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、その後はSFなどに移行していき、竹宮は京都精華大学のマンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。 二〇一六年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがスト
凱旋門、望郷、用心棒、隠し砦の三悪人、ゴッドファーザー、仁義なき戦い(その他やくざ美化映画全般)、東京物語(小津映画全般)、理由なき反抗、ジュラシック・パーク、フォレスト・ガンプ、マディソン郡の橋、愛人、ポンヌフの恋人、バグダッド・カフェ、ファーゴ(コーエン兄弟全般)、西部劇全般、イージー・ライダー、ラスト・ショー、テルマ&ルイーズ、ヴェニスに死す、地獄に堕ちた勇者ども、卒業、ダンス・ウィズ・ウルブズ、気狂いピエロ(その他ヌーヴェル・ヴァーグ全般)地下鉄のザジ、僕のおじさん、ラストタンゴ・イン・パリ(ほかベルトルッチ全般)ペーパームーン、ブルジョワジーの秘かな愉しみ(その他ブニュエルはだいたい)アマルコルド、田園に死す、愛の嵐、ジョーズ、惑星ソラリス(その他タルコフスキー)羊たちの沈黙、幸福の黄色いハンカチ、地獄の黙示録、蒲田行進曲、戦場のメリークリスマス、ベルリン・天使の詩、北野武全般、
歌舞伎評論家・研究者の渡辺保のウィキペディアには「「田舎の人は演劇より北島三郎のほうが好きなんですよ」と差別発言をしたことがある」と書いてあった。今では「差別」は削除されている。 大学で演劇を研究して、こんなものは売れないと覚悟している人はいいのだが、一般向けに演劇の本を出したりして、その売れなさに愕然としたりすると、日本人は演劇に足を運ばない、関心がないという怒りにとらえられ、みなもっと演劇に行け、と発言して、一般庶民から嫌われることがある。 映画ができ、さらにテレビができて、廉価に演劇の類似物は楽しめるようになったのだから、一般庶民が高い演劇なんか行くわけないし、そんな常設劇場があるのは東京や大阪などの都市部だけである。それを、大学の先生をしたり評論家をしたりして、時には招待券なんかもらって演劇に行っている者から「演劇に行け」と言われたらまあムッとするわな。 もちろん彼らは、生身の演劇
手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ) 作者:竹内 一郎 講談社 Amazon テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書) 作者:伊藤 剛 星海社 Amazon 2006年に竹内一郎(さいふうめい)が『手塚治虫ーストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞を受賞した時、何人かのマンガ研究者が激しく攻撃した。宮本大人、夏目房之介、藤本由香里らで、「マンガ学会」の人たちであった。しかし、攻撃は激しいものの、具体的にどこがどういけないのか、奇妙に不明瞭な、そのくせやたらボルテージだけが高い攻撃だった。 これは要するに「わたしらのショバによそものが入って来た」という理由での騒動で、彼等は前年に出た伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』をさしおいて何でこの程度のものが、と言いたかっただけである。しかし『テヅカ・イズ・デッド』は、ニューアカ的、ポモ的に読むのが難儀で、サント
『進撃の巨人』にオニャンコポンというアフリカ系の名前の人が出て来るが、私は最近ようつべで昔の「トリビアの泉」を観ているが、今ならありえないだろうというようなセクハラな行いも見られる。中で、ガーナのサッカー協会の会長の名前がニャホ・ニャホ・タマクローだというネタがあって、今は亡きやなせたかし、さくらももこらに名前から想像される絵を描いてもらい、出演者はゲラゲラ笑い続け、私は見ていてものすごく不快になった。 https://www.youtube.com/watch?v=bCXlcDZLixo&t=313s 私には、人の名前を笑いものにしてはいけないという倫理があるものと思っている。15年くらい前か、井上はねこという人を提訴した時、後輩の某君に電話でその話をしたら「はねこ」という名前だけで某君は「はねこ、何ですかそれは、ゲラゲラゲラ」と笑い転げたのだが、そんなにおかしいか? 高山羽根子というの
「オール読物」で直木賞の選評を読んでいたら、「テスカトリポカ」の評価について選評で論争をしているような趣きがあった。中でもちょっと怖かったのは三浦しをんで、その残酷描写への批判に対する「反論は、『ジョジョの奇妙な冒険』の名言「お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているか?」に尽きる」として、残酷なことが行われているのは事実であり、それを描写し、それを行った者は滅びているのだからいいのだ、と書いている。説明はともかく、「ジョジョ」というのは私は最初のほうを読んだだけで、この「名言」がどういう文脈で出てくるのか、またその意味もよく分からず、むしろ三浦しをんの熱情のほとばしりに恐怖を感じた。 残虐趣味について、道徳的にどうかという選考委員がいて、それへの反論があるのだが、私は単に、残酷描写を読むのが苦痛だったというだけで、ただそれでは作品への批判にならないから、道徳的云々と言っているだけで、話がか
★3 その時点で言うべき (概略)十五年戦争について共同で研究していた原朗(1943-)は、小林英夫(1939-)が1975年に「大東亜共栄圏の形成と崩壊」(お茶の水書房)を出した時、自分が学会発表した論点が盗用されていることに気づいたが、沈黙を守り、原は東大名誉教授、小林は早大名誉教授になったが、30年も過ぎて原は2013年、70歳で東京国際大学を定年となった際、かつての盗用について語った。すると小林から名誉毀損で訴えられ、原が一審から最高裁まで敗訴したのであった。 (レビュー)最初に盗用された時点で学会に訴えるべきである。著者はそれをすれば学会は崩壊すると言っているが、すればいいではないか。そうやってことを荒立てないほうが無難に出世できますよという学問界の悪しき慣習が問題なのだろう。 (書いたのは下の部分とほぼ同様の内容だが、アマゾンは二日くらいして、これは載せられないと言って来たから
必要があって、常見陽平の「ちょいブスの時代」をいうのをざっと読んだ。単に芸能人にちょっとブスなのがいるというネタを膨らませただけだが、恋愛論史も入っていて、当然論及されてしかるべき「もてない男」が無視されていなければ、私も駄本とまでは言わなかったであろう。 その中に、「宇宙戦艦ヤマト」について、最初の放送は人気がなかったが、再放送を繰り返しているうちに人気が出て、という記述があった。間違いで、最初の放送から女子中学生を中心にコアなファンが生まれ、ファンクラブ活動が熱心に続けられて映画化・再放送、第二作製作となったというのが正しい。常見は「ヤマト」放送年の生まれだが、よく調べはしなかったんだな。
「日本人論の多くはインチキだ」 →「しかし多くの人が日本文化論を愛読している」(飯嶋裕治) 「上野千鶴子や宮台真司はまともな社会学じゃない」 →「だが世間の多くの人は上野や宮台を社会学だと思っている」(三浦淳・新潟大学) 「天皇制は身分制度だから反対だ」 →「だが多くの日本人は天皇制を支持している」(亀田俊和) 反論になってませんから。
偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 小谷野敦 江戸川乱歩・本名平井太郎は、一八九四年の生まれである。このことは、二十代がまるごと、僅か十五年の大正時代に収まるということを意味する。芥川龍之介は二歳年長、久米正雄は三つ、室生犀星は五つ上だが、この世代が、大正の文化に触れながら青年期を送った世代であることに注意したいと思う。大正期こそは、昭和につながる様々な「文化」を醸成した時代だったからである。和洋折衷の「アッパー・ミドルクラス」が形成されたのも、この時代である。久米は、大正五年末に夏目漱石が没した後、その長女筆子に「恋」をするが、結局筆子は松岡譲と結婚し、久米は失恋する。いわゆる「破船」事件だが、その「恋」に、良家の令嬢というものへの憧れがあったことは、当時から友人の菊池寛などに指摘されていた。同じ頃、年齢的にはまだ二十歳で、『地上』一作で天才と呼ばれた島田清次郎は、
学問においては、どのような事実を明らかにしたか、証明したかということが重要なので、それさえ書いてあれば論文は一ページでもいいのである。 だが特に文学研究の世界では、論文を「作品」のようにとらえる風潮が多く、実際には二、三ページも書けばすむものを、尾ひれ葉ひれをつけて60枚の論文にするのが美しくよいことだと考える人もいて、上の人がそういう考えだから若い人も追従してそういう論文を書く。あまり科学としての学問においてこういう考え方はいけないと思うことがある。
『文學界』で鴻巣、安藤礼二、江南が10点ずつ選んでいたが割と不満だったので自分の選んだのをあげておく。 車谷長吉「忌中」 勝目梓「小説家」 西村賢太「小銭をかぞえる」 大江健三郎「水死」 三木卓「k」 柳美里「JR上野駅公園口」 島本理生「夏の裁断」 今村夏子「あひる」 村田沙耶香「コンビニ人間」 宇佐見りん「推し、燃ゆ」 自分のはさすがに抜いた。
呉智英は、『週刊ポスト』の連載で、小保方晴子をスパイとして活用したらいいのにという戯文を書いていた。『あの日』が出たあとだったから、読んでないのかなと思い、ハガキを出して「小保方はスケープゴートにされたのです」と書いておいた。 その後で絶縁したのか、2018年にポストの連載が新書になった時、見たら、小保方についての文章はそのままで、付記がついていて、なお彼女の味方をする者がいる、とあったから、この人はミソジニストだなあ、と思ったことであった。 九大の教授だった中国文学の日下翠という人がいて、手紙のやりとりをして自著も送ったことがあったが、それが別の人が本を送ってきた封筒の再利用だったから、あれじゃもてないわよ、と日下が言っていたということを呉智英が「マンガ狂につける薬」に書いていたのだが、誰とは書いていなかったから電話をかけて聞き出した。 呉によると、日下はマンガ学会に出てくるのだが、日下
呉智英さんと絶縁してから五年くらいになる。絶縁といっても、単に新刊が出ても送らないというだけで、新刊を送ると旧仮名遣いで書かれたハガキが来るという程度のつきあいでしかなかった。 若いころは尊敬していたが、だんだん薄れていった。『読書家の新技術』で紹介されている本はほとんど読み、当初は無理していい本だと思いたがったりしていたが、次第にその数は少なくなり、今では『共同幻想論』はもとより「柳田国男集」にいたるまでゼロになった。呉さんは左翼運動へのアンチテーゼで封建主義とか言っていたので、江戸ブームとかが来ると何かちぐはぐになってしまったのである。 電話で、結婚しない理由を聞いたこともあり、学生運動の世界では、結婚するのは恥ずかしいことだという意識があったという。若いころは美男でもてたらしい。 産経新聞で佐々木譲の「警官の血」で言葉の間違いをあげつらって佐々木の反駁にあったのは2008年1月のこと
佐藤亜紀の「天使」という、藝術選奨新人賞を受賞した長編小説は、第一次大戦を背景に、超能力を持つ少年を描いた作品だが、半ばまで読んでも面白くないので、文春文庫版の豊崎由美の解説を読んでみた。するとこれは、美少年が貴族的美青年へ成長していくのを舌なめずりしながら読むという美少年趣味の小説であるということが分かり、まあそれなら私が読んでも面白くないのは当然だなと思った。 だが不思議なのは、豊崎がそのように解説しながら、なぜ世間の文藝評論家はこの才能を理解しないのかと獅子吼していることで、今もやっているようだが、なんで美少年小説を文藝評論家が評価するいわれがあろうか。 なるほど佐藤は『小説のストラテジー』を読めばヨーロッパ文化に造詣が深いのは分かるし、文章も巧みに書けている。もっとも私は他の作家でも、こういう技巧的な文章は評価しないのだが。 私が大学に入ったのは1982年で、豊崎も佐藤もだいたい同
私が「会長」ということになっていた「禁煙ファシズムと戦う会」は、もともと2004年11月にミクシィに開設したコミュが実態であり、オフ会もしたことがあるがちょっと変な集まりであった。今般、解散か管理人変更か諮問したところ管理人を変わってくれる人がいたので退任し、脱退した。 私自身は三年前に喫煙はやめている。もっともそれ自体は既定路線で、『母子寮前』に、谷崎潤一郎が50歳でやめたから私もやめると書いてあり、実際には55歳になってしまった。 禁煙ファシズムとの戦いは大敗北に終わったが、私は彼らのやり方には今も納得はしていない。特に「受動喫煙」を問題にする連中は、「喫うお前が死ぬのは勝手だ」という論理を用いており、人間的とは思えない。故・吉岡斉や宮崎哲弥は、禁煙ファシズムをフーコーの言う「生権力」だとして批判していたが、私は違うと思う。「俺たちは生きるからお前は死んでいい」権力だったのである。 こ
98年ころか、日本軍による朝鮮人従軍慰安婦の強制連行が問題になっていた時、軍の命令文書がないという指摘があり、上野千鶴子は『論座』で大月隆寛を批判して、文書史料で分からないところを口承・口碑で埋めていくのが民俗学ではないか、と書いた。当時私は、誰かが言ったことを無批判に受け入れるのが民俗学じゃあるまいと思った。マーガレット・ミードのようにまんまと騙された例だってある。 それから十数年たって、工藤美代子は、ベースボールマガジン社の社長だった父・池田恒雄から聞いた話として、関東大震災の時に朝鮮人の蜂起計画があったと書いた。これも政府文書にはまったく記載がない。はからずも工藤が上野にしっぺ返しをくらわした形になった。 だが結局は上野も工藤も間違っていた。しかし文書といえど、偽文書というのはあるわけだし、学問というのは、文書なら正しいとか口碑を信じろとかいうものではなく、総合的に蓋然性の高さを追及
七十歳を過ぎたような学者の知り合いには、私はことあるごとに、自伝を書いてくださいと言うことにしている。学者の自伝は最近好きでだいぶ読んだが、何といっても学問的にも、時代の雰囲気を知る史料としても面白い。とはいえ、自伝であれ伝記であれ、「まんじゅう本」はどうもかたわら痛い。つまりキレイゴトに満ちた、誰それ先生は偉かった式のものである。 山崎正和は、自分で書くのではなく、数人の信頼する後輩学者によるインタビュー形式で、自伝をものしたと言えるだろう。パッと見たところ、これもキレイゴト本に見えるかもしれない。ところがどっこい、山崎はそんな人ではなかった。 十年くらい前に何回かに分けて採録され、内部ではすでに出ていたのが、やっと公刊されたらしいが、裏話が実に面白い。特に、山崎の論敵となった江藤淳が、大磯で開かれた吉田茂をめぐるシンポジウムに来た話はすごい。かねて加藤典洋が、この時の吉田茂批判以来、江
「近代が諸悪の根源だ」と言った作家がいた(車谷長吉)。おそらく彼は地主の家に生まれたので、農地改革で土地を失ったと感じたのだろう。だが必ずしもそういう理由でなく、二十世紀は二度の世界大戦で未曽有の死者を出したとされ、核兵器によって人類は絶滅の危機に瀕する、といった筋立てのフィクションも多い。 認知心理学者でこれまで多くの啓蒙的著作を出してきたスティーブン・ピンカーは、人口あたりの殺害された人数を計算すれば、人類は古代や中世に比べて、ずっと良くなっていると述べる。戦争や暴力、貧困、政治的偏見は少なくなり、医療の進歩は多くの人の命を救い全世界で平均寿命を押し上げている。著者は豊富なデータと巧みな語り口で、啓蒙の現在を語っていく。アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』は過去の書物となったとも言える。ただし地球温暖化だけは、対応しなければならない喫緊の課題とされている。 実際にはこういう内容の
小谷野敦 スティーブン・ピンカーの『21世紀の啓蒙』は、人類がその歴史においていかに進歩してきたか、啓蒙主義を基調として論述し、人類の未来は明るいとしたもので、地球温暖化などは取り組まなければならない危機とされている。その最後のほうでピンカーは、啓蒙主義を否定するロマン主義が戦争を賛美したことから、ニーチェ、ハイデッガー、フーコー、ポストモダンを批判している。ピンカーはC・P・スノーの「二つの文化」つまり熱力学の第二法則すら知らない文系知識人が、自然科学からなる世界とは別の文化を持っているとして警鐘を鳴らした話もあげており、つまり認知科学者であるピンカーのこれまでの歩みが、理系知識人としての、文系(人文系)知識人への批判であった、ということが分かる仕組みになっている。ピンカーの新著は売れているが、ユヴァル・ノア・ハラリのものほどではないようだ。ハラリは『サピエンス全史』ではピンカーに近い立
(活字化のため削除)
『諸君!』最後の編集長だった人の本が草思社から送られてきた。『諸君!』は末期にはくだらないウヨ雑誌になっていたという坪内祐三の言を否定しているのだが、私も坪内に同意する。この編集長は禁煙ファシストらしく、私は割と不快な目に遭わされて、電話でどなりつけたこともある。 『諸君!』は末期以前には、イデオロギーと特に関係ない記事や、浅田彰や上野千鶴子の書いたものも載せていたのだが、末期にはウヨ記事ばかりになっていた。『新潮45』も、ナオミのモデルとか里見弴最後の愛人の手記とかも載せる半文藝雑誌だったのが、末期にはウヨ雑誌と化していた。 『諸君!』でひどかったのは、記事のタイトルを著者に知らせないことで、私も雑誌が来て初めて珍妙なタイトルに驚いたりしたのだが、坪内もそうだと言っていた。著者に断りなくタイトルを変えるのは著作権法違反であるから、この雑誌は日常的にそれをやっていたことになる。イデオロギー
山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本 』 というのが柏書房から送られてきた。パラパラっと見たところ、日本近代文学史の盲点を突く著作だと思ったので、編集者にもそう伝えた。 しかし腰を据えて最初から読んでいくと、明治期娯楽小説という、国会図書館デジタルで読めるものを読み倒して紹介している本だが、著者が「狂っている」とか「おかしい」がゆえに「面白い」と繰り返しているのが、どうもだんだん、私の中では「単にくだらない」に変わっていって、途中から「面白い」と言われると白けるようになってしまい、やはり忘れられるだけのことはあったんだな、と思うようになってしまった。著者は当時の時代背景などよく知っているようで、正体不明だがまあ日本近代文学の研究をしてきた人であろう。売れているようだし、まあいいのではないか。 あと
日本史ブームと保守 本誌は来年三月で休刊になるというので、この連載もあと五ヶ月で終わることになる。別段それにあわせて何かを書くということにはなりそうもない。 一、井上章一と本郷和人の対談本『日本史のミカタ』(祥伝社新書)を読んだ。呉座勇一の『応仁の乱』以来、新書の歴史ものブームが続いている感じだ。私は井上とは面識があるし、本郷とは今日まで会う機会はないがメールはしていたことがある。本郷といえば中世史特に鎌倉期が専門で、何かというと「権門体制論」がどうとか言う人である。鎌倉幕府ができてからも、京都には朝廷、寺社、貴族の荘園などの「権門」があり、それ相応の力をもっていたという、黒田俊雄の論である。かねてひっかかっていたのが、仮にそうだとしても、鎌倉幕府がある程度の力を持っていたのは事実なのだから、両方の勢力があったといえばいいものを、本郷が「権門体制論に都合が悪い事実」のような言い方をすること
坂東玉三郎と文学 一、一九九四年五月四日と五日、NHKの教育テレビで、三浦雅士と坂東玉三郎の対談番組があった。その中で玉三郎が、舞踊の際の清元などについて「踊りのための音楽の歌詞でしかないじゃないですか」と言い、三浦がうんうんとうなずいていたことがあった。私はその言葉の意味がよく分からなかったのだが、六年ほど前のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の玉三郎の会を観て、はじめて意味が分かった。 以下は世間的には常識なのかもしれないが、そこで玉三郎は、いつまで踊れるか、などと踊りの話ばかりしており、いい音楽が出て来たら、とも言っていた。さらに「わたし、文学って全然ダメで」などとも言っていたが、なるほど、新劇の俳優ならともかく、伝統藝能の人で、自分が演じている内容には関心がない、という人がいるのは知っている。さる有名な能のシテ方が、中入りで作りものの中に入って、アイの狂言が話しているのにふと耳
講談社から刊行が始まる『大江健三郎全小説』を記念して、『群像』で蓮實重彦と筒井康隆が対談したようだが、大江は『大江健三郎論』以来蓮實を嫌っているようで、大江と柄谷は対談しているが蓮實とはしていないのだから妙なものだ。いっぽう蓮實を今なお崇敬しているように見える糸圭秀実は筒井の宿敵である。 『表層批評宣言』であったか、大江が雑誌を見ていて蓮實の名を見つけるとゴミ箱へ放り込むという文章を見た蓮實が、その放り込む動作が描く放物線の美しさをなどと人を食った文章で書いていて、私は若いころどこかでこれのまねをしたことがあるような気がするのだが、それは提出したレポートだったかもしれない。 ところが金井美恵子の『カストロの尻』の最後のほうに、藤枝静男について書いた随筆があってその注(298p)に、藤枝が中村光夫に浜松で講演を頼んだら土地の文学青年が中村に愚劣な文学論を話しかけ続け、タクシーにまで乗り込み、
「禁煙ファシズム」は「思想」か? 一、千葉雅也が「ウェブヴォイス」に載せた「禁煙ファシズムから身体のコミュニズムへ」で、禁煙派と喫煙擁護派を、政治的左翼、右翼と重ねて四象限にして分析している。千葉はそこで、禁煙ファシズムを「自らの身体を外界から区切られた「領地―プロパティ(私有財産)―不動産」として考え、境界を侵犯するものを拒絶する」思想だとしている。だが、私が当初から言っている通り、禁煙ファシストは、自動車の害については何も言わない、自動車事故は減っているとはいえ年間四千人が死に、さらに傷つけ、大気は汚染されているのだ。千葉は、近年そのような思想が強まっているというが、これはおかしいのではないか。それは反原発の者たちも同じであって、人が「自動車の害はどうなるのか」と言うとヒステリックに反応するだけなのである。これを要するに、自動車は自分らに便利だから手放したくないというだけのエゴイズムに
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