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コミュニケーションと社会に関するsuzu_hiro_8823のブックマーク (9)

  • 「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか

    タイトル長すぎると思ったんですが、「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」ってなんか適切な呼び方あるんでしょうか。 軽くぐぐったんですが、うまい略称が見当たりませんでした。どなたか、適切な略称をご存知でしたら教えてください。 まあ、字面から言わんとしているところは了解していただけると思います。 例えばPTAとか。例えば町内会とか。例えばマンションの自治会とか。 もしかすると企業や学校でもそうなのかも知れませんが、「ある程度長く続いていて、硬直化した組織」では、しばしば下記のような状態が見受けられることがあります。 ・どう考えても不要かつ無駄な作業が、何故か改善・撤廃されない ・改善しようとすると、そこに長くいた人から何故かよく分からない抵抗や圧力がかかり、改善することが出来ない ・現在の作業者も全員無駄な苦労だということを認識しているが、嫌々その作業を継続している ・

    「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2017/08/01
    おいらが『"修験道"問題』とよんでいるアレかな。『空気』を除外してしまえばきわめて常識的な態度を誰もがとれるのに、面倒くさがって結局もとの黙阿弥ってやつ(´ω`)
  • コミュニケーションにもカネにも優れない若者の居場所は、ネットのどこにあるのか - シロクマの屑籠

    コミュニケーション能力に優れている限りにおいて現在の地方国道消費生活は居心地良いのは事実かもしれないけど、コミュニケーション能力劣位かつ東京へ逃げ出す資金又は理解のない家庭に育ったアンダー18の子供たちの“逃げ方”については、せめて心構えくらいは職なりに提示して頂きたかった。 2014-10-30 10:16:36 via Tweetbot for iΟS to @p_lost かなり前、拙著融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論について感想を頂きました。そのなかでずっと引っかかっていたツイートがこれです。 この『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』は、三十代〜四十代の男女、特に90年代〜00年代のオタク・サブカル・ヤンキーを覚えている人を想定読者として作ったでした。ですから十代の社会適応については深入りせず、元オタクや元サブカルの軟着陸を後半の主題として選択しました。

    コミュニケーションにもカネにも優れない若者の居場所は、ネットのどこにあるのか - シロクマの屑籠
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2015/04/18
    "なければ作るの法則"をいま一度。かな、それ相応のスキルは要るけど(´ω`)
  • 一歩間違えば「いじめみたい」 ソーシャルとプライベートとビジネスのあいだ

    先週のアクセスランキングにランクインした中で特に反響が大きかったのは、Facebookでのある光景を記した、「まるで“いじめ”みたい」に部下のミスを晒す上司に閉口、の記事でした。公開直後から多数の「あるある」の声が寄せられました。ソーシャルメディアでコミュニケーションすることが当たり前になり、立場の異なる人との距離感の取り方に難しさを感じている方は多いようです。 個人的には、Facebook上のネットワークがプライベートの交友関係もビジネスでお会いした方も混ざっていて困ることがたまにあります。メッセージ機能を使って連絡をとりやすい便利さや、「全然関係ないところで出会ったこの2人、知り合いなんだ!」という驚きなど楽しい部分もあるのですが……。最近はそもそもあまり積極的に開いてないなぁとぼんやりと思いました。わたしの中ではFacebookはもう「サービス」というより「インフラ」に近いかもしれま

    一歩間違えば「いじめみたい」 ソーシャルとプライベートとビジネスのあいだ
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2013/11/19
    その"一歩"は、ひとによってまちまち(´ω`)、『これを克服するにはコミュ力をあげなければならない』とかなるのかな(´ω`)
  • 皆が「空気を読み、流れに乗って」ばかりいたらこの国は沈む

    先日の「日の大学生はなぜ勉強しないのか」というエントリーには、賛否両論、数多くの意見をいただいた。その中のでも、旧来型の日人の考え方を表す典型的な例がこのコメントだ。 「大学のとき、周囲には真面目に勉強している人も結構いたけど、えてして勉強せずにサークル・飲み会etcで普通の大学生していた人のほうが大企業入って出世していて、勉強していた人にはレールから外れて苦労している人が多い。社会に出てから、なるほど人付き合いや飲み会は勉強よりも重要だったんだな、と遅まきながら気がついた。日て、皆がやっていることをその流れに乗って同じようにできる人が求められている社会で、なまじ大学の図書館にこもって勉強ばかりしている異質な大学生は社会に出た後レールから外れる傾向にあるのだと思う。」 欧米に追いつくことだけを考えれば良かったころは、創造性よりも調整能力、専門性よりも汎用性、知恵や知識よりもコミュニケ

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2013/02/19
    その癖「空気読まずに」行動したりするような風潮になると「行きすぎた個人主義」といってまた批判する…いい加減聞き飽きましたな。/でも、社会は過去の反芻が殆どなんで、時代の流れほど変わりにくいでしょうけど
  • 【境界線を見つめて】Vol.13「“KYの美学”が職場を救う!」 | TIME LINE-今日のニュースと考えるヒント - TOKYO FM 80.0MHz

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2012/07/23
    戦後、擬似的国家総動員体制(復興から経済成長)において、会社は"擬似地域社会"となった故に、仕事とあまり関係ない話が"コミュニケーション"の基盤となり「空気」となった。という説を提唱したい(笑) #tokyofm_timeline
  • “無縁社会”?それとも“無縁個人”? - シロクマの屑籠

    お昼過ぎの時間帯に国道沿いのコンビニに行くと、近所のおばあちゃん達によく出遭う。知っている人がいれば挨拶し、レジで女性店員と世間話をすることもある彼女達の振る舞いを見ていると、昔ながらのコミュニケーションの様式が染み付いているなぁと思う。女性店員側も、お年寄り達の扱いに慣れているのか、巻き込まれているのか、マニュアルにそう書いてあるのか、よほど忙しい時を除けば会話に付き合っている。 私の住んでいる地域*1では、これに類する光景をあちこちで見かける。生活空間のなかに片っ端から知り合いをつくり、“縁”を紡いでいくというか、持続的で、情緒的な、良くも悪くもウェットなコミュニケーションを志向するお年寄り達。今流行の“無縁社会”という言葉がウソのような気がしてくる。 “無縁社会”というけれど…。 メディア上では“無縁社会”という言葉をよく見かける。 不安の鉱脈を掘り当てた“無縁社会”という言葉が指し

    “無縁社会”?それとも“無縁個人”? - シロクマの屑籠
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2011/02/20
    昔から"コミュニケーション不全者"は存在していたと思うのに、いまそういうモノが『ネットにより増えてきた』と印象づけるための"マーケティング用語(笑)"にそんなにムキにならんでも(苦笑)
  • オタクが人気者になれない理由

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2009/07/22
    海の向こうでさえこれだから、教育についてほとんど場当たり論と水掛け論しかしそうにない極東の島国の現状はおして知るべしだなorz
  • 「空気」を読み合う生きづらさ:日経ビジネスオンライン

    「気配」に「殺気」、「気分」と、日語には「空気」にかかわる言葉が多い。場の空気をキャッチする感性を涵養する文化だといえるが、翻って空気に支配されやすい環境ともいえる。 かつて、作家の山七平氏は著書『「空気」の研究』などで、日人の行動原理を「日教」によるものと定義し、その支配秩序を「空気」が握っていると喝破した。また、政治学者の丸山眞男氏は天皇制を「無責任の体系」と呼び、権力が消失する点を衝いた。これらは空気支配の証といっていいだろう。 「空気」は過去にも論じられていたものだ。だから、ここに来て「KY」(空気が読めない)という語が持ち出されたことに、ある世代より上ならば今更の感を覚えるかもしれない。 しかし、日人の原則が明らかにされたところで、「空気」の支配力が衰えたわけではない。むしろ、いま改めて「空気」が問題になっているということは、それなりの理由があるものと考えられる。 今回

    「空気」を読み合う生きづらさ:日経ビジネスオンライン
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2009/03/05
    『我々はそれだけこの社会で、他人からどう評価され、受け入れられるのか、どこまでちやほやしてもらえるのかということに敏感なコミュニケーションモードのもとで生きているということです。』なんというズブズブorz
  • 仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    “携帯電話の無料通話サービスを利用して、友だちや彼氏と話もせずに携帯電話をかけっ放しにしている中高生がいる” という話が、最近ネット上で話題になった。通話状態の携帯を放置したまま、ゴソゴソという生活音だけをお互いにただ流しているというのだ。現実にかけっ放しをしている中高生がどれだけいるか、真偽のほどは定かじゃない。だが、正直「あり得るだろうな」と思った。 誰かとつながっていたい。そう思う気持ちは誰にでもある。前回取りあげた『「痴呆老人」は何を見ているか』(大井玄著、新潮新書)でも、人が幸福に生きるうえで他人との「つながり」が大きなウェイトを占めていることが示されている。 いまの世の中、「つながり」を物理的に実感させてくれるツール(ネットや携帯電話)にあふれている。「つながり」を求めずにはいられない人々は、さらなる「つながり」を求めて携帯の、パソコンの、液晶画面を注視する。その究極の現われが

    仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/04/24
    『"友だち"は仲が良くて当たり前。喧嘩などもってのほか』という躾が"同調圧力"として襲ってくるという話かと。親しくったって喧嘩はする。後半ちょっと『ハリネズミのジレンマ』入ってたんでなんとなくそう思った
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