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戦後と産経新聞に関するsuzu_hiro_8823のブックマーク (1)

  • 【産経抄】〝偏向〟語り部を制止した校長の悲憤は…(1/2ページ)

    原爆投下から間もない長崎の街に、「75年は生息不可能」の流言が伝わった。爆心地でアリの群れが見つかったのは爆撃から3週間後、ミミズが姿を現したのは1カ月後だったという。かの地で被爆した永井隆博士が『長崎の鐘』に記している。 ▼生命の確かな強さを示す話は半面、人々の口を伝った話の危うさをも暗示している。語り手の記憶や感情、思想信条、ときには嘘という不純物も混じり合い、事実からかけ離れてゆく。いまの日に突きつけられている「歴史」は、必ずしも史実と同義とは言えまい。 ▼原爆の惨禍を伝える「語り部」にも、偏った思想の持ち主がいる。長崎県島原市の中学校長(59)は昨夏、生徒たちに根拠のない旧日軍の「蛮行」を聞かせる語り部(79)を、たまりかねて制止した。資料の不確かなまま、中国韓国の主張に沿う内容だったという。 ▼「被爆体験でもなんでもありませんでした」。校長の悲憤を、8日付の小紙九州・山口版

    【産経抄】〝偏向〟語り部を制止した校長の悲憤は…(1/2ページ)
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2015/08/09
    (別口から)とにかく『災厄』が過ぎるまでひたすら低姿勢(悲惨さのみを強調せよ)という従来通り(´ω`)…ここで反省(省みること)をさせようとしないから3Kとかがいつまでもグダグダぼやくのかも解らんな(´ω`)
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