ロンドン五輪で日本の男子柔道は、金メダル0の惨敗で競技を終えた。1964年の東京五輪で柔道が五輪種目に採用されて以来、日本が参加しなかったモスクワ大会を除けば初めてとなる。ゆゆしき事態だ。 柔道は、日本が生んだ競技である。この惨状を放置することは許されない。4年後のリオデジャネイロ五輪に向けて、早急に立て直しを図る必要がある。 東京五輪では4階級中3階級を制しながら、最後の無差別級で神永昭夫選手がオランダのヘーシンク選手に敗れて日本中が衝撃を受けた。関係者は「今も忘れられない」と敗戦の無念を口にする。 88年のソウル五輪でも軽い階級から日本人選手が次々敗れて金メダルなしのピンチに陥ったが、最重量級の斉藤仁選手が最後に優勝して威信を守った。 斉藤選手の必死の形相は、日本人の記憶に焼き付いている。ロンドン五輪では、日本柔道を守るのだという気概が、選手らの戦いぶりからほとんど伝わらなかった。残念
世界のアスリートが熱い戦いを繰り広げているロンドン五輪。英国では、それに合わせて膨大な数の催し物が行われ、まるで「イベント五輪」が同時に開催されているようだ。それに勝敗はないのだが、2つの小さな日本のイベントが心に残った。 まずは、五輪開幕の2週間前に行われた東北の物産展「リニュー・トウホク(東北復興)」。昨年3月の東日本大震災で被災した東北の魅力的な商品や伝統工芸を世界に紹介して商談につなげ、中小企業の販路拡大を通して復興につなげようという試みだ。 ユニークなのは、在日外国人たちが選んだ「東北のクールな商品」を世界に発信しようという点だ。ロンドン中心部の会場には、曲線が美しい木製スピーカーや木目が目をひく女性用ハンドバッグなどデザイン性に優れた商品のほか、「起き上がり小法師」といった伝統工芸品など東北6県の商品が展示されていた。 企画したのは、福島県郡山市が本社の広告会社アイ・エム・ディ
ジャーナリスト、徳岡孝夫氏が、戦争中に日本軍の暗号解読に当たった日本育ちの米国女性、ドロシー・エドガーズについて調べていたころのことだ。米国に住むフレッドという弟を電話で捜し当てた。取材の申し出に、彼は「明らかな日本語」でこう答えたという。 ▼「なにぶん明治者でございますから、どれほど正確な記憶か…」。徳岡氏が中野翠さんと共著のエッセー集『泣ける話、笑える話』に書いている。米国人の口から出た「明治者」という言葉に、「アメリカの真ん中で突然、明治が喋った」と驚き、二の句が継げなかったそうだ。 ▼徳岡氏がそれらの話をもとに書いた『ドロシー くちなしの謎』によれば、フレッドは1911(明治44)年生まれだ。父親が熊本などで教師をしており、姉たちとともに日本で育った。関東大震災には東京・東中野の借家に住んでいて遭遇している。 ▼明治生まれだから確かに「明治者」かもしれない。だが実際に「明治」の空気
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