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bookに関するsuzu_hiro_8823のブックマーク (9)

  • 『寿命1000年』 - 不老不死のエンジニアリング - HONZ

    たしかに”言ったもの勝ち”の世界ではあると思う。これまでにもHONZの朝会では、こんなやこんなだって話題になってきた。しかし、そこで競い合うように示されてきた数字とは、桁が一つ違うのである。 誰だって長生きはしたいと思うのが、世の常であるだろう。そんな我々の寿命を2倍にも3倍にも、あるいは好きなだけ延ばせると確信している男 ― それが書の主人公、オーブリー・デ・グレイだ。 彼は人間の寿命が500年または1000年になると予想し、100万年という数字までほのめかしている。しかも、そんな新人類の時代が50年、ことによると15年ほどで訪れるかもしれないと言うのだ。 一体、彼はどんな男なのか?それを知るためには、こちらの動画を少しばかり見てもらえると話が早い。 ヒッピー風の風貌を持ち、ギークのような早口で自分の言い分をまくしたてる。おおよそ生物学者のイメージとはほど遠い印象だ。それもそのはず

    『寿命1000年』 - 不老不死のエンジニアリング - HONZ
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2012/07/28
    実現可能性はともかく、どんどん深みにはまる対談だけでも興味をそそられる。
  • 論語:先行き不透明な時代の“生き方指南” 親子に人気 - 毎日jp(毎日新聞)

    いま「論語」が、親子を中心に人気を集めている。先行き不透明な時代、“生き方指南”が求められているのか、子ども向けの解説がベストセラーになり、論語塾も盛況だ。【木村葉子】 「子曰(のたま)わく、学びて時に之を習う、亦説(またよろこ)ばしからずや」。東京都文京区の伝通院で月1回開かれる「こども論語塾」。親子連れや3世代家族など2~80歳の約100人の素読の声が響く。05年に参加者約30人で始まり、昨年から約100人に増えた。現在、宮城県塩釜市や宮崎県都城市など全国7カ所で開かれている。 論語は中国の春秋時代の思想家、孔子の言行や弟子たちとの問答などが記された書物。塾では約2500年受け継がれた孔子の生き方や考え方を学ぶ。 講師の安岡定子さん(48)は、陽明学者で歴代首相の指南役といわれた故・安岡正篤氏の孫。この日は「之を愛して能(よ)く労すること勿(な)からんや」(人を愛するからには、その人

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2009/10/08
    仁義も徳も「自己責任教」によって薄らいだこの日本だからこその儒学か。じゃまず親や長老、お役人代議士様から実践してもらわないと、そこのところまさしく「論語読みの論語知らず」ってか。
  • 勤務中に読むのはお薦めしませんが~『江戸の下半身事情』 永井義男著(評:三浦天紗子):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    現代東京の風俗街と聞いて、誰もが思いつく筆頭エリアといえば、歌舞伎町と吉原だろうか。渋谷や池袋、五反田、上野、錦糸町なども盛んで、つくづく東京は歓楽都市だと思うのだが、18~19世紀の中頃、つまり江戸後期の風俗産業の活気は、いまの比ではなかったらしい。 書『江戸の下半身事情』によれば、政府公認の遊郭が建ち並ぶ吉原には200軒以上の妓楼がひしめき、岡場所といわれる非公認の売春街が50箇所近くあった時期もある。他に夜鷹といわれる違法営業の個人売春、飯盛女という女郎がいる宿場など、犬も歩けば遊里に迷い込んでしまうほどに盛ん。 江戸の人々は、性体験も早かった。よく言えば性にオープンということなのだろうか。しかし書によれば、それは当時の社会事情と深く関わっていることがわかる。当時の結婚適齢期は15~16歳。10歳前後で吉原に売られ、禿(かむろ。遊女の身の回りの世話をする少女)として育てられた女の

    勤務中に読むのはお薦めしませんが~『江戸の下半身事情』 永井義男著(評:三浦天紗子):NBonline(日経ビジネス オンライン)
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/11/21
    明治期にかなり厳しく取り締まられたと聞きますからね。男女混浴廃止とかはわかりやすい例。/俺の故郷の祭りでもその昔男女いっしょくたにやったそうだが今は男の若い衆だけだな("裸押し合い祭り"でググって)
  • http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080502-OYT1T00457.htm

    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/05/02
    id:noitseuq氏、多分2chほかで愚痴たれるだけかもorz
  • エロゲで泣いて、人生充実するのか、おまえ

    いきなり刺さる。肺腑をえぐるセリフに、たじたじとなる。ちなみに表題は書のタイトルである、「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ」をアレンジ。 1ページに、1セリフ。きわめてシンプル。余計な解説一切なし。 読み手はストレートに読み干して、頷いたり呻いたり唸ったりする。大きな余白は、まるで反撃を書き込んでみろといわんばかりだ。ひとつのセリフに一晩かけて語りたくなる(もちろんアルコールの助けがいるくらいこっ恥ずかしい過去話ですけど何か)。 人は失うことでしか、 大事なものを確かめられない。 メッセージ性の強い箴言といえば、岡太郎の「壁を破る言葉」を思いだすが、ちょっと違う。太郎の「信ずるものをヤレ」といった放り出す感覚ではなく、「やれるもんなら、ヤッテミロ!」と激しく挑発的。反発したり頷いたり、読むアジテーション。 社会に「出る」ことが、 会社に「入る」ことであるというのは、 おかしいと

    エロゲで泣いて、人生充実するのか、おまえ
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/04/28
    2ch界隈で貼られてる例のコピペに対する宣戦布告ですね。/極端な私見を述べさせていただくと、人生の充実度ってのは死ぬ間際でなければわからんと思う。(言っとくが元ネタはONE PIECEのアレではなく、新ワイルド7だ)
  • 仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    “携帯電話の無料通話サービスを利用して、友だちや彼氏と話もせずに携帯電話をかけっ放しにしている中高生がいる” という話が、最近ネット上で話題になった。通話状態の携帯を放置したまま、ゴソゴソという生活音だけをお互いにただ流しているというのだ。現実にかけっ放しをしている中高生がどれだけいるか、真偽のほどは定かじゃない。だが、正直「あり得るだろうな」と思った。 誰かとつながっていたい。そう思う気持ちは誰にでもある。前回取りあげた『「痴呆老人」は何を見ているか』(大井玄著、新潮新書)でも、人が幸福に生きるうえで他人との「つながり」が大きなウェイトを占めていることが示されている。 いまの世の中、「つながり」を物理的に実感させてくれるツール(ネットや携帯電話)にあふれている。「つながり」を求めずにはいられない人々は、さらなる「つながり」を求めて携帯の、パソコンの、液晶画面を注視する。その究極の現われが

    仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/04/24
    『"友だち"は仲が良くて当たり前。喧嘩などもってのほか』という躾が"同調圧力"として襲ってくるという話かと。親しくったって喧嘩はする。後半ちょっと『ハリネズミのジレンマ』入ってたんでなんとなくそう思った
  • 年功序列「再評価」の中で〜『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』 城繁幸著(評:荻野進介):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    新しい年度が始まった。せっかく、意中の企業に入れたのに、箸にも棒にもかからない上司の下に配属されたり、逆に、いやいや異動した部署だったのに、思いのほか仕事が面白かったり、働く人たちの悲喜こもごもが、最も顕著に現れる季節でもある。 どうにもやりきれない際は、会社を辞めて出直すという究極のカードがある。そのカード、ほんの20年前は切る人がごく限られていた。正確にいえば、昔も転職者はいたが、日陰の存在だった。大手を振って会社を辞めるのは、なかなか勇気が要ったに違いない。 それが今はどうだろう。テレビでは転職エージェントのCMが堂々と流れ、季節に合わせて服を着替えるように、気軽に転職する若い人が増えている。 発売1カ月足らずで早くも3刷。好調な売れ行きを示す書は、そうした20代、30代の転職予備軍に向け、業績の安定度や規模で就職先を選び、定年まで勤め上げる、といった〈昭和的価値観〉から脱却し、生

    年功序列「再評価」の中で〜『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』 城繁幸著(評:荻野進介):NBonline(日経ビジネス オンライン)
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/04/23
    末尾近くの一文が気になった。/経歴に穴が開くことは死刑宣告に等しいから、好機がくるまで待っていると俺は思うんだけどね。(でもいつまでたっても来ないんだろね、『○○になったら本気出す』というようにorz)
  • 古典を読むのは「役に立つから」ではない

    「読んでいると恥ずかしい」が恥ずかしい | Polar Bear Blog Polar Bear Blog さんの「古典を避けて通るのはもったいない」という記事を読んでいて、私は自分の恥ずかしい秘密について考えていました。 いま、この記事を書いている書斎には4つの棚を埋め尽くしているがあり、特に机の右側の棚には何百という岩波文庫、講談社学術文庫がおさめられています。テーマは哲学、西洋文学、神話・宗教学・民俗学のなど、およそ自分の研究とは関係のないばかり。数にして数千冊。ちょっとしたコレクションになっています。 この棚をみて、たいていの学生さんは「すごいなあ」と言ってくれますが、なかなか告白できない秘密があります。それは、僕はここにあるの大半を読破してはいないという事実です。 自己顕示欲から、真の知識欲へ これらのは学生時代のころ、読む以上のスピードで費を削りながら買ったも

    古典を読むのは「役に立つから」ではない
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/03/16
    「「自分は他人とは違うのさ」というちっぽけな自己顕示欲を満足させるためのものだったような気がします」これはよい厨二病w(いやもちろん褒め言葉)
  • アートはぼくらの手の中 または『世界のサブカルチャー』で紹介されたアーティストへのリンク集 - in between days

    『世界のサブカルチャー』が刊行されて一月ほどに経ちます。このの面白いところは第1章と第3章で、サブカルチャーのいちジャンルとして「アート」を紹介しているところではないでしょうか。それも例えば「アート・建築・家具」と三題噺的に特集を組んだ「Casa BRUTUS」誌(3月10日発売号←これを書いてる時点で出たばかり)などと並べてみれば、やはりどことなくアンダーグラウンドな風合いがあるところに「サブカルチャー」らしさがあるようにおもいます。 さて、私もそうですが、アートと言われるとどうしても身構えてしまいます。ときにはその裏返しでしょうか、あからさまな敵意が見られることもあります(例えば村上隆さんのネットでの叩かれ方に顕著なように)。そういったことは、アートに対する距離感の遠さ、つまり鑑賞するためには美術室に額縁入りで飾られた作品を理解しなければいけないという教科書的というか教養的というか、

    アートはぼくらの手の中 または『世界のサブカルチャー』で紹介されたアーティストへのリンク集 - in between days
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2008/03/11
    「鑑賞するためには美術室に額縁入りで飾られた作品を理解しなければいけないというような考え方が広く浸透してしまっているからではないでしょうか」/日本じゃ『お芸術』でなければ全部サブカルなのと邪知。
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