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日本「南京」学会に関するunyounyoのブックマーク (3)

  • 【from Editor】存在しなかった南京虐殺+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    ■「虐殺」に触れなければ検定通らず 日「南京」学会が解散した。同学会は昭和12年12月、日軍が当時の国民党政府の首都、南京を占領した際、市民多数が虐殺されたとの説を検証するために平成12年に発足した。12年間の研究の結果、非合法で殺された軍人、市民はほとんどおらず、「虐殺」は当時の国民党政府のプロパガンダであることがはっきりした。所期の目的を達したとして解散したのである。 「南京虐殺」については同学会だけではなく、多方面から疑問が出され、河村たかし名古屋市長も「南京戦はあったが、南京虐殺はなかった」と述べている。今回の学会の調査でなかったことが結論づけられたわけだが、現在の多くの中学校社会の教科書は「虐殺」があったという前提で書いている。 中学社会の教科書を作成しているのは7社。自由社は「日軍による南京占領の際に、中国軍民に多数の死傷者が出た。のちに南京事件として喧伝(けんでん)され

  • 南京学会、真相解明し今月解散 “事件”実態は「プロパガンダ」 - MSN産経ニュース

    昭和12年12月に、日軍が当時の中国の首都・南京を占領した際の真相解明を目的に発足した「日『南京』学会」(会長・東中野修道亜細亜大教授)が解散することになった。 同学会は平成12年10月、南京虐殺などが既成事実化することに疑問をもった東中野氏らが立ち上げ、戦前から戦後にかけての内外の膨大な資料を精査、南京占領に関係した、元日軍兵士ら40人弱から聞き取り調査を行うなどした。その成果は42号に及ぶ学会報や6冊の「南京『事件』研究の最前線」(展転社)などに結実した。 同学会によると、日軍の南京占領に関して、学問的にほぼ解明、不法殺害はほとんどなく、その実態は中国国民党中央宣伝部によるプロパガンダであることがはっきりしたという。また、南京事件の証拠として通用する写真は一枚も発見されなかったという。 同会長によると、年齢的に、元兵士を含む新たな証言者も得にくい、などから会としての活動は難しい

  • asahi.com:軍都の風景2 南京大虐殺-マイタウン熊本

    師団の関与 なお論争 古びた従軍手帳に、その一文は記されていた。 約三百補領ス 全部殺ス 書いたのは、陸軍第六師団の騎兵隊伍長だった牧野信人。日中戦争が始まって間もない1937年12月、国民党政府の首都だった南京攻略戦での記述だ。「捕虜300人を受け取り、全員殺した」と解釈できる。 39年5月、牧野は30歳で戦死。遺品の手帳は、故郷の山村(現・熊市植木町)に送られた。今は長男の久仁博(78)が風呂敷に包んで仏壇に納めている。 熊市を拠にしていた第六師団は南京戦で、堅牢な城門の攻撃を担った。当時、師団がいわゆる「南京事件」に関与したか否かをめぐる論争は、70年以上経てなお続いている。 日記は3月に出版された論文集「第六師団と軍都熊」に掲載された。編集した熊近代史研究会の事務局長、広島正(62)は「日記は不都合な事実を隠す検閲をかいくぐった貴重な史料」と評価する。 広

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