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現在、太田記念美術館で開催中の『ラスト・ウキヨエ』(2019年11月2日〜12月22日)へ行ってきました。浮世絵の展覧会にはちょこちょこ行っているのですが初見の絵師、作品がたくさんあり、とにかく満足度がすごかった! 天気もよく展覧会には来場者もたくさん。 明治以降の浮世絵という珍しいテーマ 浮世絵といえば“江戸時代の芸術”というイメージがありませんか?実際、浮世絵の展覧会でもメインとなるのは江戸時代の作品。幕末や明治時代初期の作品も近年特に注目を集め人気も高まっていますが、明治中期や大正時代の浮世絵作品に触れる機会というのはなかなかありません。浮世絵研究の世界でも明治以降の作品というのはあまり研究が進んでいないんだとか。 で、今回の太田記念美術館の『ラスト・ウキヨエ』展が扱うのが、その知られざる明治以降の浮世絵作品たちなのです。 太田記念美術館のチラシはいつもおシャレ。背景のエメラルドグリ
西郷隆盛 さいごうたかもり 生年月日 1828年1月23日 没年月日 1877年9月24日 年齢 満49歳没 薩摩藩の出身。通称は、西郷吉之介。愛称は西郷どん(せごどん)、西郷さぁ(せごさぁ)、うどさぁ。維新の三傑(西郷隆盛、大久保利道、桂小五郎)の一人であり、明治維新最大の功労者。維新後は、軍人であり政治家。薩摩藩内では下級武士であったが、稀代の名君・島津斉彬に見いだされ、強い影響を受ける。斉彬の亡き後、藩の実権を握った島津久光とは折り合わず、2度の島流しにあうなど、順風満帆な出世ではけしてなかった。小松帯刀や大久保利通の尽力により藩政に復帰した後は、緊迫する日本の政情の中で、禁門の変、長州征伐、薩長同盟、王政復古、戊辰戦争、江戸城無血開城など主要な局面でことごとく活躍。大久保利通とともに、政... 続きを読む
幕末から明治時代にかけて活躍し「最後の浮世絵師」といわれた月岡芳年(つきおかよしとし)。血まみれの「無惨絵」、繊細な美人画、ユーモアあふれる妖怪画、勇壮でダイナミックな武者絵とあらゆるジャンルで縦横無尽に筆をふるった芳年の傑作武者絵集『芳年武者无類』全32枚をご紹介します。 息づまる攻防 『源牛若丸・熊坂長範』(1883年/明治16年) ガキーン! フンッ!! という音や息づかいが聞こえてきそうな緊張感あふれる1枚。 一瞬の動きを切り取りデフォルメした構図は芳年の真骨頂。甲冑をまとった男性のありえないほど体を反らせたポーズは非現実的ですが、それがかえって攻防の激しさ、筋肉の躍動を感じさせます。対する赤い着物の少年の軽やかさ。剛VS柔をこれほどカッコよく描く月岡芳年はやはり天才です。画面を斜めに断ち切るように描かれた薙刀(なぎなた)がまたいいです。 表情の対比も秀逸なので拡大してみましょう。
幕末から明治という激動の時代、鋭い感性と独創性あふれる構図によって多くの傑作を生み出した「最後の浮世絵師」月岡芳年(つきおかよしとし)。変わりゆく時代を生きた女性たちのリアルな表情を32のテーマで切り取った傑作シリーズ『風俗三十二相』をご紹介。 『風俗三十二相』とはどんな作品? 今回ご紹介する『風俗三十二相』とは、1888年(明治21年)に刊行された月岡芳年晩年の傑作美人画シリーズ。「三十二相」というのは、仏さまのすばらしい32の身体的特徴を数えた仏教用語のことですが、芳年は仏さまではなく32人の女性たちのすばらしい表情を描きました。遊女からおかみさんまで身分も職業もバラバラなうえ、江戸時代後期から明治までと女性たちのファッションもさまざまなのが特徴です。 では全32点をさっそく紹介します。どうぞ! 猫の迷惑顔が秀逸 『うるささう 寛政年間処女之風俗』(1888年/明治21年) 『風俗三十
いまから150年以上前、江戸時代末期に活躍した歌川国芳という絵師がいました。国芳は類まれなるデザイン力とユニークな発想の持ち主で、美人画や妖怪画など幅広いジャンルの作品を数多く生み出しました。そんな彼が最も好きだったのが猫。猫が死んだ時は寺に葬り仏壇まで作ったそうです。そんな歌川国芳が描いた、ユーモアと愛に溢れた猫浮世絵の数々をご紹介します! いまにも動き出しそう 鼠よけの猫(1841年) まずはストレートに猫だけの作品。これは、米などを食べてしまうネズミを家から追い出すお守り絵。いまにも動き出しそうなリアルな猫はさすが国芳。 むかしも変わらない猫と飼い主 「山海愛度図会」(さんかいめでたいずえ)ヲゝいたい(1841年) 『山海愛度図会』は、全国の名産品を浮世絵で紹介する全62枚のシリーズもの。タイトルはすべて「~たい」で統一されています。この絵は、猫に飛びつかれた女性が「おお痛い!」と叫
夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計... :吉田松陰が残した名言の背景を探ります。また、吉田松陰のその他の名言もあわせて紹介。 サイトマップ お問い合わせ
いまから約100年前の明治時代。調べてみると、現代にも通用する美人さんがやっぱりいた。幕末専門ブログですが今回は番外編。メジャーな人からマイナーな人まで写真つきでランキング化!※2019年に8人を新規追加しました! 30位:樋口一葉 まずは5,000円札の人の登場。明治を代表する女流作家。 ルックスだけでなく、生き方や作品などふくめてとても美しい人だと思う。肺結核によりわずか24歳で死去したが、『たけくらべ』や『にごりえ』を次々に発表した『奇跡の14ヶ月』はあまりに有名だ。 29位:藤蔭静樹(ふじかげせいじゅ) パリでも絶賛された美しき日本舞踊家。 気軽に近づけないようなオーラを感じる。小説家・永井荷風と大恋愛して、くっついたり離れたりしたことでも有名だ。 永井荷風が亡くなった後、藤蔭静樹は、彼の命日である30日にきまってカツ丼を食べるようになった。カツ丼は、永井荷風の最期の食事だったから
いまから約150年前の幕末。土方歳三や龍馬らが生きていた時代にもやっぱりイケメンはいた。メジャーどころからマイナーな人物まで写真付きで完全ランキング化! さて、まずはこの方。 殿堂入り:土方歳三 いわずと知れた幕末イケメンの代表格。 支持率が高すぎるのでいきなり殿堂入りさせてしまいます。洋装もびしっと着こなす涼やかな風貌、「鬼の副長」らしい鋭い眼差しに女性ファン多し。 過去には様々な俳優が土方歳三を演じていて若干カオス気味です。 41位:大久保利通 日本人離れした彫りの深さ!切れ者政治家として明治維新を牽引した大久保の若かりし姿はいわゆるイケメンの枠を超えたかっこよさを感じるのでランクイン。 40位:松平春嶽 福井藩主で幕末四賢候のひとり。殿様らしい品のある風貌を持つ知的イケメンの代表格。見た目からも穏やかだったというその人柄がしのばれる。こんな藩主の下でなら働きたいかも。 39位:大隈重
幕末から明治にかけて活躍した月岡芳年(読み:つきおかよしとし)。彼が晩年に描いた連作 『月百姿』。歴史の有名なシーンと月を絡めたりした作品なのですが、その構図センスと自由自在な表現力はまるで古さを感じさせません。 圧倒的な浮遊感!牛若丸@五条橋 『五条橋の月』(1888年) 月岡芳年 独特のポーズで軽やかに舞う牛若丸こと源義経。その背後で光る月。場所は五条橋。弁慶との出会いの場所です。 孫悟空と月のウサギ 『玉兎 孫悟空』(1886年) 月岡芳年 月の宮殿から逃げ出した妖魔と孫悟空の戦い。怪物化していた妖魔を孫悟空は見事撃退。元の月のウサギに戻され、逃げ帰っているところです。 風に舞う手紙 『月のものくるひ 文ひろけ』(1889年) 月岡芳年 豊臣秀吉の女中・おちよ。ある日受け取った手紙で恋人の死を知ります。おちよは悲しみのあまり気が触れてしまい、その手紙を身体に巻き付けたりしながら、死ぬ
幕末の英雄・高杉晋作。意外に知られてないその生涯をまとめてみたのですが、あまりに格好よすぎてまるでリアリティがありません。 まず高杉晋作はこんな人です。 イケメンですね。サッカー日本代表の本田圭佑にどことなく似ている気がします。 この人、まず決断力と行動力が尋常じゃない。 たとえば、自分は一文も持ってなかったのに、藩の後払いということで、無断で軍艦を購入したことがあります。 スケール感、ハンパない。 長州藩は、身に覚えのない数億円の請求が来たときに絶句したそうです。そんな高杉晋作の生涯をまとめてみました。 ときは幕末。 高杉はかの有名な松下村塾で広く学問を修め、将来有望な逸材として、「松下村塾四天王」の一人に数えられます。 さて、この“将来有望”、というのが曲者。 師匠はといえば、「おまえら、どこまで狂えるの?俺はやるよ」が信条、衝撃の狂人・吉田松陰です。 黒船来航以来、日本中がピリピリし
遂に放送開始された2013年大河ドラマ『八重の桜』。発表されているキャストが斬新だったので慌ててまとめてみました。 まずは主人公の新島八重。実物はこちら。 ふくよかな方ですが、目元が鋭くもあります。 一部では烈婦と称されたのも、同時代の女性としては珍しいエネルギッシュな生き方ゆえ。 幕末では、断髪・男装で銃を持ち新政府軍を相手に奮戦。これが異名「幕末のジャンヌ・ダルク」とよばれる所以となります。 男勝りの性格から、悪妻、烈婦と陰口を叩かれていました。ほか、「元祖ハンサムウーマン」とも呼ばれました。 そんな新島八重を演じるのが、はいご存知の、 若手の名女優・綾瀬はるか。 凛々しいですねー。 ふんわりした印象がありますが、幕末ドラマJINでも芯の強い役を好演していましたので、はまると思います。これはとても楽しみですね。 さて、新島八重の旦那が同志社大学の創立者である新島襄。 教育者としてだけで
波の絵で世界でも非常に有名な葛飾北斎。日本人にとってもあまりに見慣れたあれ以外の北斎作品もまた凄い。特に老人になってからの作品は圧倒されます。あまり知られていない、“波の絵じゃない”北斎の傑作を紹介します。(年齢は数えではなく、現代一般的な満で紹介します) 色彩感覚ずば抜けてる 八方睨み鳳凰図 下絵(1848年) 葛飾北斎 87歳ごろ 長野県にある岩松院の天井に描かれた天井画。そのサイズはなんと畳21枚分! この大作を86歳から87歳までの1年かけて仕上げたというからすごい。とにかく迫力が半端ない!ビビッドな色味、鳳凰の目力も尋常じゃない。まさに魂が込められているような力強さがびしびしと伝わってくる。ちなみに天井画は今も当時の色彩と光沢を保っているという。 海外が驚愕した“北斎ブルー” 甲州石班沢(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70歳〜74歳ごろ 藍摺絵(藍色の濃淡の
浮世絵といえば、東洲斎写楽や葛飾北斎を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、その後幕末から明治にかけて、いま見ても新しい浮世絵作品がたくさん生まれました。今回はそんなクールな浮世絵作品を紹介します。 ※2019年に16作品を追加しました。 巨大な骸骨の妖怪 相馬の古内裏(1845年ごろ) 歌川国芳 非常に有名な1枚。描かれているのは、平将門が討ち取られたあと、その娘とされる滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪です。滝夜叉姫はこの妖怪で父亡き後、その遺志を果たそうとしました。※滝夜叉姫は伝説の人です。 作者は奇才・歌川国芳(うたがわくによし)。まずは彼の作品から紹介します。 とどめの一撃 甲越勇将伝 武田家廿四将 三討死之内 諸角豊後守昌清(1847年ごろ) 歌川国芳 ビカーッて漫画みたいになっています。150年前にすでにこんな表現が使われていたことに驚き。 対決 和漢準源氏 乙女 天羅国斑足王悪
幕末明治映画として快進撃を続ける『るろ剣』こと『るろうに剣心』。はやくも続編の期待が高まっています。続編となれば、作中もっとも人気の高い志々雄真実と十本刀が出てくるでしょうから、いちはやくそのキャストを予想してみました。 さて、志々雄真実。 全身包帯姿とその隙間から覗く眼光の強さが印象的な、迷いなき悪のカリスマ。 その強さは、主人公側が束になっても押し返せるほどに圧倒的。 このあたりはいかがでしょうか? 伊勢谷友介。 龍馬伝での高杉晋作もまだ記憶に残る、飛ぶ鳥を落とす勢いのイケメンです。 ほかはこのあたりもキャストとしてはまりそう。 狂気を孕んだ演技もおまかせ、演技派・加瀬亮。 ちなみに、父・加瀬豊は七大商社のひとつ「双日」の会長。 立っていても醸し出される知性は幼き頃の英才教育の賜物なんでしょう、たぶん。 ただの悪じゃない、切れる悪である志々雄にピッタリです。 ほか、ここらへん。 窪塚洋
幕末漫画として名高い『るろうに剣心』が遂に映画化されました。2012年8月25日の公開を記念して、映画キャストと実在したモデルを比較してみましょう。 さて、まずは主人公の人斬り抜刀斎こと緋村剣心。 「おろ?」というちょっと間の抜けた口癖が特徴。一見やさ男のようで、そのくせ本気になるとめっぽう強い。 そんな剣豪を演じるのが、 佐藤健。 はい、イケメンです。意外に目力のある俳優なので、キリッした時も迫力を出るんじゃないでしょうか。楽しみ。 さて、そんな人斬り抜刀斎のモデルとなっているのが、 幕末の四大人斬りのひとり、河上彦斎(かわかみげんさい)。 ん〜、名前がちょっとかすってるぐらいでしょうか。 勝海舟の師・佐久間象山を暗殺したことで知られています。勝海舟をして「河上はそれはひどい奴サ。コワクテコワクテならなかったよ。」と言わしめています。 どうも感情を表に出すことなく、淡々と「仕事」をこなし
まずはこの方。 慶応義塾大学創立者・福澤諭吉。 慶應義塾大学創立者。一万円紙幣の肖像です。 「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ造ラズ」はあまりに有名。 福澤諭吉の子孫は、さまざまな活躍をされてます。玄孫(やしゃご/孫の孫)には、 NHKアナウンサー・片山千恵子。 本人曰く「自分が何代目かは分からない」らしいです。玄孫までいくとそんなもんなんでしょうか?周囲から「(1万円札と見比べて)似ていると言われます」といわれるそう。 同じく福澤諭吉の玄孫に、 日本を代表するTVドラマディレクター・演出家、福澤克雄。 元・ラグビー日本代表でもあります。ディレクター・演出家としての代表作といえばまずコレ。 3年B組金八先生(第5〜第7シリーズ)。 そして最近では、こちらを手がけています。 南極大陸です。 それから、ここらへんのディレクター/演出です。福沢諭吉の玄孫さん、いろんな大作を手掛けてます。
【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった、ほか/幕末人気記事ランキング 2012年4月〜6月
今でも根強い人気を誇る坂本龍馬。彼を演じた俳優をまとめてみたんですが、どうにも濃い人たちが演じています。 まずは坂本龍馬ご本人。 日本の未来を見据えているのか、キリリとした目元がとても印象的です。龍馬本人ってとくに濃い感じでもないですね。 さて、最近の坂本龍馬役で印象的だったのはこの方。 内野聖陽。 ドラマ『JIN‐仁‐』での名演はとても良かった!演技も顔も、いい意味でとっても濃かったです。 最近では、この方の坂本龍馬もCMでよく見かけます。 武田鉄矢。 昔からいろいろな映画やドラマで龍馬を演じているので、龍馬役として人気があります。 さて、過去を掘っていくと、いろいろな濃い人が演じています。たとえば、 ダウンタウンの浜田雅功。 この方が龍馬を演じると、 なんともいえん味はありますが、とりあえず写真怖いなー。 三谷幸喜脚本のドラマ『竜馬におまかせ!』(1996年)より。竜馬が土佐弁ではなく
「今、変えていかなければ日本は駄目になる」そんな危機感を持っていた幕末の政治家たちの名言をまとめてみました。
まずは福澤諭吉。 僕らが知ってる一般的な諭吉。 慶應義塾大学創立者。一万円紙幣の肖像です。教育者としての威厳がびしびし伝わってきます。 「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ造ラズ」はあまりに有名。 そんな福澤諭吉がまだ若い頃の写真ですが… 不敵…! このふてぶてしい青年が、一万円の諭吉さんとホントに同一人物なのか、にわかには信じがたいです。 どうもこの時は諭吉の私生活でなにかあったのか、こんな写真とかも残されています。 一体なにがあったんでしようか? あの福澤諭吉が、我々現代人がよく陥る「どーだっていいよ」状態になってます。 オランダ留学中の写真ですが、とにかくなんかやる気を失っています。 …ま、人間こういう時もありますよね! 一ついえることは、福澤諭吉はけっこう人間くさい人だったってことです。たとえばこの写真。 アメリカ留学中に写真館の少女と撮影。 異国の少女とのツーショットというレア
幕末からざっくり150年。教科書に載っていた偉い人たちが好きだったお店は今でも営業されていたりします。お店の名物とともにご紹介します。 まずは、山岡鉄舟。 幕臣の超重要人物。歴史的な西郷・勝会談の先鞭をつけた業績は計り知れません。 そんな彼が愛したのは、 銀座木村屋總本店のあんぱん。 あんぱん発祥のお店として有名。 当時売り出したばかりのあんぱんを気に入った山岡鉄舟は、明治天皇が花見をする際にこれを献上。明治天皇も気に入ったことから皇室御用達となり、木村屋のあんぱんは人気が爆発することとなります。 ちなみに明治天皇とあんぱんが出会った4月4日は、今でも「あんぱんの日」になっています。 銀座の木村屋總本店は4Fがレストランになっていますが、そこに掛けられている「木村屋」という書は山岡鉄舟直筆なんです。 木村屋のあんぱん、5個入り893円なり。 山岡鉄舟のお気に入りで、もうひとつ。 海苔といえ
授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は相当クレイジーな人間だったんです。 吉田松陰はこの人。 多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。 たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。 そこで彼はどうしたか? しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。 いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。 旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。 ちなみにこの方、後に池田屋事件で新選組に襲われ自害します。 さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。 当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を
徳川慶喜は大正2年、いまから約100年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。 徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜。 りりしいです。 在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜は明治〜大正時代にどんな人生を送っていたのか? 最後の将軍は趣味に生きました。 本当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影。 カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓ けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。 そして、油絵。慶喜の腕前はこちら。 結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!? そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも
新選組 鬼の副長として知られた土方歳三。彼を演じた俳優をまとめてみたら、土方歳三像が、かえってよくわからなくなりました。 まずは土方歳三ご本人。 いわずと知れた新選組 鬼の副長。幕末屈指のイケメンですね。 さて、我々が想像する土方歳三像を確立したといわれるのが、この方。 1960年代から70年代に『燃えよ剣』などで土方を演じた栗塚旭。 今でも土方歳三といえば栗塚との声が根強いです。 この10年ではこの方の好演が印象に残りました。 2004年の大河ドラマ『新選組!』で土方を演じた山本耕史。 好評のため、『新選組!!土方歳三 最期の一日』という番外編も制作されました。 ここらへんが一般的な土方像かと思いますが… ほか、たとえばこんな方が演じています。 ビートたけしですね。コマネチ。 土方歳三を演じると、こんな感じ。 1999年、大島渚監督の映画『御法度』より。 お次はこの方。 長塚京三。優しげ
GWが明けてやる気の出ない方。新しい環境にまだ馴染めず萎縮している方。そんな方々のやる気・元気が復活するような幕末の名言をピックアップしました。 「その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時にどのように過ごしているかで図れる。日が当たっている時は、何をやってもうまくいく」 勝海舟 溢れる才能を戦略と戦術の両面で活かした幕臣の最重要人物。 「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は問題にならない」 吉田松陰 明治維新の精神的指導者。人材育成の面で、優れた教育者でもある。 「失敗するから成功がある」 佐久間象山 思想家および教育者として、勝海舟や吉田松陰に大きな影響を与えた。 また、藩主の命令により洋学研究。兵学を皮切りに、日本初の指示電信機による電信、ガラスの製造や地震予知器の開発まで成功させる。 「何でも思い切ってやっ
幕末総合サイト『幕末ガイド』のブログです。幕末ガイドでは坂本龍馬や土方歳三、高杉晋作から日の当たらない人物まで、その横顔を探ります。写真や名言、子孫の情報が満載。幕末ガイドへ 【100年前の写真と比較】青天を衝けキャストと実物を比べてみた 2021年02月14日 幕末に活躍した志士や将軍たちは写真や肖像画が残っています。青天を衝けの豪華キャストとならべて比較してみました。
明治維新から150年。幕末の偉人たちの子孫も、いまやひ孫のひ孫の世代。けっこういろんな分野で活躍してるんです。写真付きでまとめてみました。 まずは今でも根強い人気の新選組から。新選組最強との呼び声も高かった二番隊組長・永倉新八。 この永倉のひ孫さんが杉村重郎さんという方。アニメーション業界で生きていて、多くの作品に携わっています。 たとえば、 『まいっちんぐマチコ先生』で撮影監督をしています。 ほか、『魔法の妖精ペルシャ』や『魔法のスターマジカルエミ』にも撮影監督で携わっています。
幕末というと、やけに昔のことで、女性はお歯黒で引眉(眉を剃る)でなんか怖いってイメージがありませんか?髪型も化粧も現代とはぜんぜん違う。確かにそうなんです。でも、現代でもガチで通用する美人さんは確かにいた。そんなガチ美人の写真を集めてみました。 17位:縦縞の着物姿の女性 この方は写真だけが残されていて詳細不明です。ちょっときつめな目ですが、そこがいい。こんな目で見つめられたらドキドキしてしまいますね。 16位:おうの 幕末を代表する志士・高杉晋作の愛人。 正妻の雅子さんと比べるとちょっとぼんやりした美人さん。でも、そんなところがよかったのかも。 ↓高杉晋作はこのお方。 ↓左が正妻の高杉雅子。並べてみました。雅子は晩年の写真しかないだけで、16歳で高杉と結婚しています。おうのとは2つ違い。 ちなみにおうのの存在はオープンなもので、高杉の死後もこの二人は連絡を取り合っていたそうです。なんかす
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