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捕鯨問題とは関係のない話題だが、今世紀半ばに活躍したオランダの著名な鯨類学者 E.J. シュライパー (E.J. Slijper)博士の著書「鯨」に以下のような記述がある "イルカは昔からたまたま海岸に近づいたところを捕らえられた(図 15)。 散発的に獲られたこともあり、あるいは規則的にしかも1つの産業といっていいほど多数獲られたこともある。 たとえば、11世紀にノルマンディーの海岸で盛んに獲られ、1098年には法律による捕獲制限が行なわれたくらいである。 イルカの油はとも燈火用に使われ、肉は人間の食糧となった。 イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ、1426年の年代記によれば、英国のヘンリー6世はこれをとても好んだという。 かれの後継者であるヘンリー7世の戴冠式の正餐にもイルカの肉はいろいろに調理して、メインコースあるいはパイとして供せられたという。 伝統的な国民ではあるが、イギリ
Access Count: since 14/Dec/98 埼玉県長瀞の300メートルライフル射撃場にて。 写真左上の明るい部分が、300メートル先の標的のある部分で、途中はトンネル(というよりも射撃場がコンクリートの建物の中で、屋上がクレー射撃場になっている - クレー射場は2001年11月より営業停止中)。 風や陽炎(かげろう)の影響を受けないという利点がある反面、それらの影響をキャンセルする射撃技術を身に付ける事ができないというマイナス面もある。 300メートル先の標的は、各射座のモニターで見る事ができて、極めて便利である。 射撃をめぐる環境が悪化しつつある中で、特に首都圏近くの射手にとっては有難い射撃場である。 Last Update: 07-Mar-2010 主に大口径のライフル射撃を中心に写真を交えて紹介するページです。 私自身が「日本における実銃所持」から引退したため今後の更
鯨イルカ・イデオロギーを考える(Ⅰ) — 藤原英司の場合(その1) — (『人文科学研究第117輯』 (新潟大学人文学部、2005年9月)より) 三浦 淳 (新潟大学人文学部教授) 0.初めに 古来、動物に対する人間の見方には一定の価値観や偏見がつきまとってきた。 近年そうした方面の研究が進んでいる。例えばハリエット・リトヴォ『階級としての動物——ヴィクトリア時代の英国人と動物たち』1)は英国における動物の種々なランク付けの歴史をたどり、それが英国人の階級や差別意識、植民地主義と関わりを持っていることを明らかにしたし、ボリア・サックス『ナチスと動物』2)は、ナチスが動物保護に関してきわめて先進的であり、それがユダヤ人を虐殺した彼らの世界観と矛盾するものではなかったという事実を解明したのである。 ここでは藤原英司がイルカや鯨をどう見ているかを、彼の著書『海からの使者イルカ』3)を中心に分析し
鯨イルカ・イデオロギーを考える(Ⅲ) — ジャック・マイヨールの場合 — (『人文科学研究第121輯』 (新潟大学人文学部、2007年10月)より) 三浦 淳 (新潟大学人文学部教授) 3.ジャック・マイヨールと映画『グラン・ブルー』 A.『グラン・ブルー Le Grand Bleu』という1988年製作の映画がある。 のちに『ニキータ』や『レオン』によって世界的巨匠と認められるフランスのリュック・ベッソン監督による最初の大ヒット作だ。 この映画によって一躍有名になったのが主人公のジャック・マイヨールJacques Mayolである。 アクアラングなどの装備を使わない閉息潜水の記録をうち立てた同名の実在人物で、映画製作に際しても協力したことになっているが、後述するように映画の中のジャック・マイヨールと実在の彼とはかなり異なった人間である。 しかし彼の名が広く知られるに至ったのは映画あればこ
鯨イルカ・イデオロギーを考える(Ⅳ) — ジョン・C・リリーの場合 — (『人文科学研究第122輯』 (新潟大学人文学部、2008年7月)より) 三浦 淳 (新潟大学人文学部教授) 4.イルカ研究者はいかにしてマッドサイエンティストになったか A.鯨イルカ・イデオロギーには、イルカは知能が高いという言説がしばしばつきまとう。 その元締めは誰か、或いは淵源はどこにあるのだろうか。 ジョン・C・リリー(John Cunningham Lily)という人物がいる。 1915年に生まれ2001年に死去したアメリカ人で、イルカと人間のコミュニケーション研究によってその筋では著名な存在である。 彼は55年頃から、イルカは高い知能を持ち人間と言語交流が可能との説を喧伝するようになった。 ここでは彼の著書や自伝を主な材料として、彼の学説の内実と軌跡をたどってみよう。1) リリーのイルカ研究は二期に分けられ
ネット上での捕鯨に関する議論において、海外の反捕鯨論者が他の野生動物の狩猟や漁業と違って「いくら鯨の数が多くても捕ってはいけない」という極端な政策を支持する根拠にあげるのが「鯨は知能が高いから特別だ」という点である。 実際、オーストラリアが70年代終りに自国民の捕鯨を禁止する際、当時のマルコム・フレーザー(Malcolm Fraser)首相は、「特別で存在であり知能の高い鯨を銛で殺す事が多くの人に不快感を与えている」と述べていて、反捕鯨国の捕鯨に関する政策決定の背後に鯨類の知能に関する俗説への信奉がある事をのぞかせている。 また、2013年にはインドが鯨類を「人類ではない人」と公式に認めた。 カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調
鯨イルカ・イデオロギーを考える(Ⅱ) — 藤原英司の場合(その2) — (『人文科学研究第119輯』 (新潟大学人文学部、2006年11月)より) 三浦 淳 (新潟大学人文学部教授) 2.藤原英司の鯨イルカ観 A. 本題に入ろう。藤原英司の鯨イルカ観を『海からの使者イルカ』を主材料として検討する。 (初版は1980年に出ているが、本論考では93年に出た文庫版1)により引用箇所を本文中に( )で示す。) このあたりの時代の流れを概観するなら、1972年にストックホルムで行われた国連人間環境会議で米国の提案により捕鯨問題が議題として取り上げられ、商業捕鯨のモラトリアムが決議される。 国際捕鯨委員会(IWC)で商業捕鯨モラトリアムが決議されるのが 82年、その実施が85年である。 最初にこの本の構成を見ておこう。 全体は4章に分かれ、第1章では19世紀末から20世紀の初めにかけてのニュージーラン
ゲームの名は捕鯨問題 (日本鯨類研究所 1994年発行「捕鯨と世論」より) 三崎 滋子 日本鯨類研究所 国際関係担当 序章 日本が西欧と駆け引きをする場合、しばしば交渉 が暗礁に乗り上げる。ある人は、その原因を「野 球」と「ベースボール」の違いであると揶揄する が、実際根本的に何かが食い違っているにもかかわ らず双方とも同じルールでプレーしていると錯覚し ているところがあるのかも知れない。 捕鯨間題がそんなゲームであるとすれば、この ゲームは今9回の表で、日本が攻めに回っている。 どの塁にもランナーはいない。相手チームは10点 をあげているが、「日本チーム」はわずか1点であ る。日本はまたファウルを高く打ち上げたが、ボー ルは一塁の先の壁にはじけて、相手はキャッチする 意志さえ見せない。球場には、白けムードがただ よっている。それでも、日本チームは驚異的ねばり をもって、この「捕鯨間題」ゲ
反捕鯨で「富と名誉」を得る人々 (インテリジェンス 1995年8月号) 掘 武昭 経済人類学者 「神」になった鯨 ハワイで最近神格化された動物がいる。 鯨である。 鯨やイルカ、或いはシャチといった大型海洋哺乳動物に対する西欧人の思い入れは、 海からの重要な蛋白源として見てきた日本人には想像を超えるものがある。 いやむしろ彼らの論理が理解できない、とさえいってもいいかもしれない。 日本の捕鯨関係者には、こうした欧米の「思い入れ」を基点にした日本への攻勢と、 その厚かましさに耐えかね、過激な反論を試みる人もいる。 西欧人は鯨を人間以上のものとして扱い、鯨をもって聖獣化した、と。 鯨が神に昇格したのである。 もっとも、鯨が聖獣化された過程はそう単純なものではない。 いやこのテーマを追いかければ追いかけるほど、事態は複雑で、究極的には国際政治 の場におけるゲームという迷路に入り込んでしまう。 毎年
反捕鯨団体あれこれ IWCの年次総会には毎年何十ものNGOが参加し、それらの大多数は反捕鯨団体である。 徐々に解説を加えていくとして、とりあえず、その主なものを列挙しておこう。 各団体のページを訪ねて、捕鯨問題に関する主張を読み、それらが何を語って何を隠しているかを洗い出せば、反捕鯨運動における情報戦略の性格というものが見えてくるであろう。 また、掲示板やゲストブックがある場合には、それらを見ることによって、彼らを支持する一般市民の知識の程度や見識のレベルなども見えてくるであろう。 GP - (Greenpeace International、グリーンピース) 日本ではおなじみの反捕鯨団体である。 1971年にアラスカでの核実験に反対する活動をしたのが始まりらしい。 捕鯨に関しては、1971年にアリューシャン列島のかつての捕鯨基地の廃墟で、かつて乱獲された鯨の骨を見たのがきっかけだったとい
スーパー・ホエール − 環境保護運動における作り話とシンボルの利用 (HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 "11 Essays on Whales and Man"(1994年9 月)所収の記事からの訳。 20-Apr-2002。 原題:"Super Whale: The Use of Myths and Symbols in Environmentalism") アルネ・カラン (著者のアルネ・カラン(Arne Kalland)はオスロ大学の文化人類学部の教授であり、オスロ大学の環境開発センターの上級研究員でもある。) 過去数十年の間、自然と環境に対する一般大衆の関心の増大に基づく2つの強力な運動が発展した。 それらは自然保護と動物福祉であるが、それらを明確に定義してみる必要があろう。 保護主義者は、生物多様性に第一の関心がある。 彼らは自然資源のバランスのとれた持続的な利用を促進
反捕鯨の病理学 (第4回) ("nemo" 第6号,1999より。 * 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。) 三浦 淳 (新潟大学人文学部教授) 5 カール・セーガンの悪霊 前回、小松錬平と捕鯨論争を行ったロビン・ギルを例に、この問題に対するアメリカ知識人の思考病理を探ると同時に、彼らの責任を追及した。 そこで、ギルが反捕鯨運動を正当化するために天文学者カール・セーガンの名を援用していたことを思い出していただきたい。 言うまでもなくセーガンはギルと違って全世界的に名を知られた人物であり、その発言は米国の枠をはるかに越えた影響力を持ったと考えられる。 したがって、捕鯨問題を論じるにはセーガン抜きで済ますわけにはいかない。 以下、彼のこの問題に対する言動を追うことにする。 セーガンの経歴を簡単に紹介すると、34年アメリカ生まれ。父はロシア系移民の労働
反捕鯨の病理学 (第3回) ("nemo" 第5号,1998より。 * 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。) 三浦 淳 (新潟大学人文学部教授) 3 アメリカ・インテリの反捕鯨病を観察する(承前) アメリカ・インテリの反捕鯨病の実例をさらに挙げよう。 佐倉統『現代思想としての環境問題』(中公新書、1992年)にこんな箇所がある。 ぼくは鯨の肉を食べること自体には反対ではない。 どこの民族が何の肉を食おうと勝手である。 問題は、何を誰が食べるかではない。ある動物種が絶滅するかどうかである。(…) あるとき、このような意見をアメリカの友人に話したところ、彼女はどうしても納得できないと言い張った。 日本で開かれた国際学会のために来日した彼女を含め、10人くらいで鍋を囲んでしゃぶしゃぶをつついていたときのことである。 「鯨は人間のように賢い動物だ。 それ
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反捕鯨の病理学 (第2回) ("nemo" 第4号,1997より。 * 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。) 三浦 淳 (新潟大学人文学部助教授) 2.差別に不感症の野生動物保護論者 反捕鯨病の分析を続けるにあたって、まずこの病気を大まかに分類してみたい。 私の見るところ、反捕鯨病は大きく分けて三種類の原因もしくは症状に分けられる。 無論、これらが絡み合って複合的な様相を示している病人も少なくない。 その三種類とは、次のとおりである。 A. 自然環境保護のためと聞くと、内容をろくに確かめずに何でも飛びつき支持してしまう単純エコロジスト病。 B. 外国が日本を批判すると、ただちに悪いのは日本側だと反応するアンチ日本症候群 。 C. 鯨やイルカは特殊な動物で絶対に捕獲してはいけないし、人間とイルカの交流に よって素晴らしい未来が開けると信じ込む一種の
反捕鯨の病理学 (第1回) ("nemo" 第3号,1996より。 * 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。) 三浦 淳 (新潟大学人文学部) これから「反捕鯨の病理学」講座を開講します。 反捕鯨病は20世紀末に流行している奇病ですが、その病因については十分な解明がなされていません。 以下、ささやかながらこの点について寄与を行いたいと思います。 なおこの病気の今後ですが、ペストやコレラのように一定期間猛威を振るった後でないと下火にならないだろうというのが筆者の予想です。 原因究明は病気を治す第一歩ですが、理由が分かればすぐに治るというものでもありません。 それに治りたくない患者だっているのですから。 1.二流知識人の卑屈病——文化差別主義に追随する「環境保護」団体WWFJ 三島由紀夫に『不道徳教育講座』(1960年)というエッセイがある。 その「オ
殺戮者としてのイルカが明らかになりつつある ("The New York Times"(1999年7月6日)からの素人訳。10-Feb-2001。 原題: "Evidence Puts Dolphins in New Light, as Killers" (by William J. Broad)) イルカは動物の賢さの陽気な模範であり、難船した水夫を守ったり、波の中で幸福に戯れて日々を過ごすことで知られ、皆に愛されている。 映画、テレビおよび水辺のショーは彼らのおどけたしぐさを呼び物にする。 今日では、何千もの観光客が、飼育された、あるいは野生のイルカと泳ぎ、彼らの知能と交歓しようとする人の数はとどまるところを知らない。 最近は多種多様な組織が出てきて、フロリダ・キーズ、アゾレス諸島およびニュージーランドのような場所で野生のイルカで泳ぐことができ、パンフレットの宣言によれば情緒的な癒しや
捕鯨問題 − キーワードと雑感 IWC(国際捕鯨委員会) IWCの加盟国 調査捕鯨 反捕鯨団体あれこれ 鯨と食物連鎖 ミンククジラの資源量 今日の鯨肉事情 クジラやイルカの知能 「イルカ語」は存在しない New 捕獲量をめぐる話 − MSY 捕獲量をめぐる話 − BWU、NMP、RMP 2000年のIWC年次総会 2001年のIWC年次総会 2002年のIWC年次総会 中世からルネサンス期のイルカ料理 大海獣シロナガスクジラと3人委員会 くじらQ&A ..... 海の幸に感謝する会、 日本鯨類研究所 捕鯨問題をめぐる往復書簡 ..... 三浦 淳 反捕鯨の病理学 第1回 ..... 三浦 淳 反捕鯨の病理学 第2回 ..... 三浦 淳 反捕鯨の病理学 第3回 ..... 三浦 淳 反捕鯨の病理学 第4回 ..... 三浦 淳 反捕鯨の病理学 第5回 ..... 三浦 淳 鯨イルカ・イデオ
調査捕鯨 日本が行っている調査捕鯨は、英語による報道ではResearch Whalingという言葉よりはScientific Whalingと呼ばれる場合の方が多い。 IWCの用語ではScientific Permit(科学許可)やSpecial Permit(特別許可)と呼ばれる範疇に属する。 国際捕鯨取締条約(ICRW)の第8条第1項により、加盟国政府には自国民に対し科学調査のために鯨を捕獲する許可を与える権利が与えられており、それに基づいた鯨の捕獲調査をいう。 調査計画の名称は、南極海で行っているのがJARPA(Japanese whale Research Program under special permit in the Antarctic)、北西太平洋で行っているのがJARPN(Japanese whale Research Program under special pe
グリーンピースのあまり平和的でない世界 (米「Forbes」誌, 1991年11月号からの翻訳) Leslie Spencer、Jan Bollwerk、Richard C. Morais ゴム製のいかだに乗り込み、鯨を救おうと喧嘩腰になっている抗議者の集団 −− これがグリーンピースのイメージである。 ところが現実のグリーンピースは、内部の人間にしか実態を知られていない、莫大な収入のある多国籍組織である。 しかもマスコミと大衆を巧みに操る才知に長けている。 「デイビッド・マクタガートの成功の秘訣は、そのままグリーンピースの成功の秘訣である。 つまり、重要なのは何が真実かではなく、何が真実であると人が信じるかである −− マスコミの貼ったレッテルが、そのまま真実になるのだ。 (グリーンピースは)一つの神話になり、さらに新たな神話を生み出す機械になった」 グリーンピースに対するこの皮肉な発言
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