サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
アメリカ大統領選
www.business-plus.net
日本の富裕層が“見える化”される 確定申告のシーズンたけなわである。確定申告の対象者はフリーランスと個人事業者というイメージだが、会社員でも年間2000万円を超える所得がある人は、その内訳(給与、事業、不動産、譲渡などの所得)を「財産及び債務の明細書」に記入して確定申告書に添付しなければならなかった。ただ、罰則規定がないので、財産が筒抜けになることを嫌って全員が提出していたわけではなかった。 ところが昨2015年6月の税制改正で、今年の申告からこの対象者にさらにふるいがかけられることになった。年間所得2000万円を超えることに加えて、「総資産が時価3億円以上」「保有する有価証券の金額が1億円以上」のいずれかの要件を満たす場合に内訳を示す「財産債務調書」の提出が義務付けられたのだ。 これまで、所得は確定申告や支払い調書などで把握するものだったが、従来のやり方では、国民の資産や負債の実態を明ら
プロフィール (とうかいりん はるお)山形県出身。エンジニアとして会社に勤めるうちに独立心が芽生え、1992年に(株)オウルテックの設立に参画する。しかし、2年後には取引先の会社の3年にわたる支払遅延により3000万円の損失を抱えることに。そのため、2年半は創業者でありながら自社の業務の他に居酒屋のアルバイトを掛け持ちする生活を送る。この経験により縁に恵まれ、多くの気付きも得て会社の発展に寄与。2014年に代表取締役に就任し現在に至る。【ホームページ】
プロフィール 1948年、山梨県生まれ。東京経済大学卒業。1964年に日本サービスマーチャンダイザー(株)を設立し、ダスキンの都内加盟店第一号となる。1987年、(株)武蔵野に社名を変更。以来、元暴走族の社員を抱え「おちこぼれ会社」と揶揄されていた同社を優良企業に育て上げ、2000年には(財)日本生産性本部より「日本経営品質賞」を受賞した。他にもダスキン顧問(1990~1992年)、また全国の経営者でつくる「経営研究会」も主催し、ビジネスの世界におけるメッセンジャー的な役割を担う。現在は社長業と並行して日本経営品質賞受賞の軌跡や中小企業のIT戦略、経営計画書づくり、実践経営塾などをテーマに年間120回以上のセミナーで全国を回り、テレビを含め各メディアからも注目を集めている。。 ――(株)武蔵野の代表取締役社長・小山昇氏。多くのメディアへの露出や、年間120回を超える講演会、著書『仕事ができ
去年の11月に、『ケアレスミスをなくす50の方法』(ブックマン社) という本を出したら、予想以上に受験生に売れた。 実際、受験生の多くは、勉強ができるようになると志望校のレベルを上げることもあって、すべり止め校以外は、いわゆる実力相応校を受ける。すると、受験生の実力が伯仲しているため、当日のコンディションで合否が決まることになるが、それ以上に怖いのはケアレスミスだ。ミスをする受験生が多いので、ミスさえしなければ実力相応校は受かる計算になるし、実際、ミスをしなければ、偏差値換算で10上がるという試算もあるそうだ。私自身、受験勉強は強かったが、それは頭が良かったからというより、ミスが少なかったという点も大きい。(もちろん、受験テクニックにも長けていたつもりだが。) この本のコンセプトは、「気を付けろ」 「しっかり見直そう」 「問題文を丁寧に読もう」 などという抽象的なアドバイスではミスはなくな
城 メンタルパワーズさんでは人材育成事業を行ってらっしゃるそうですね。具体的にどのような方々を対象にしているんですか? 佐藤 ビジネスマンや経営者、スポーツ選手、学生など幅広い方々を対象に、その人の能力を無限に引き出すためのセミナーなどを開催しています。セミナー中はその方の過去の経験や学習が全て生かされる内容を行うので、終了後には皆さん、にこやかな笑顔になって、脱皮したように生まれ変わり、成果の出方が他社様のセミナーとは明らかに違うんですよ(笑)。そういうお姿を見られると、この仕事をやっていてよかったなぁと思いますね。
プロフィール 東京都出身。アニメーターを志し、高校卒業後、アニメーション専門学校に進学。在学中に作品全体を統括するプロデュース・コースに編入し、卒業後はアニメーション制作プロダクションのフロントラインに入社。以降、様々なアニメーション作品の制作に携わるが、自社企画の作品を手掛けるべく、2007年に株式会社シルバーリンクとして分社独立。『バカとテストと召喚獣』などの大ヒット作品で注目を集めている。
仕事を楽しむためのWebマガジン、B-plus(ビープラス)最前線で活躍するビジネスパーソンのために、役立つ知識や息抜きとなるライフスタイル情報を発信します。
プロフィール 1975年、千葉県出身。高校在学中にバンドを結成し音楽活動に没頭。渡米を経て、自身の率いるバンドでメジャーデビュー。音楽活動のかたわら、輸入レコード・CDのカタログ通販ビジネスを展開し、1998年5月、有限会社スタート・トゥデイを設立。通販事業を本格化した。2000年にはオンラインショップ「STM online」をオープンし、スタートトゥデイを株式会社に改組。その後、アパレル商材を取り扱うオンラインセレクトショップ「EPROZE(イープローズ)」を皮切りに次々と個性的なショップをオープン。2001年にバンド活動を休止し、会社経営へ専念。2004年には17店舗までに増えたオンラインショップを統合し、“想像(SOZO)”と“創造(SOZO)”の行き交う街「ZOZOTOWN」をスタート。SNSサービス「ZOZOPEOPLE」、アパレルショップ検索サイト「ZOZONAVI」など各種
プロフィール 1951年、埼玉県川越市生まれ。日本大学卒。1974年、積水ハウスに入社。1978年に退社し、義兄・田渕道行とともに弁当のフランチャイズチェーン・ほっかほっか亭を創業する。4年で目標以上となる1000店舗を達成し、一ベンチャー企業から国内有数のフランチャイズ企業に育て上げた。1992年12月、フレッシュネスバーガー1号店(渋谷区富ヶ谷)を独力で立ち上げ、1994年にほっかほっか亭を退社。以後はフレッシュネスバーガーの事業に専念し、1995年よりフランチャイズ展開を開始した。辣腕経営者としての側面が取り立たされることが多いが、小学生の頃にバンド活動、中学時代は水泳、高校時代にラグビー、大学在学時にはボブスレーの選手として活躍するなど、趣味やスポーツの分野でも輝かしい経歴の持ち主である。主な著書は『面白いことをとことんやれば、「起業」は必ずうまくいく。フレッシュネスバーガー社長の
プロフィール 1960年、長野県軽井沢生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、アメリカのコーネル大学ホテル経営大学院修士課程へ。その後、日本航空開発、シティバンク等を経て1991年に (株) 星野リゾート代表取締役に就任し、先代より会社を引き継いだ。その後、星野温泉ホテル、ホテルブレストンコートなど宿泊施設の運営、軽井沢高原教会や石の教会 内村鑑三記念堂をはじめとするブライダル事業など、既存のビジネスの枠組みを守りながらも新規拡大を続け、観光リゾート業界の風雲児として頭角を現す。2001年からは山梨県リゾナーレの経営権を取得して再生させ、2003年からはアルツ磐梯の経営に参加して業績を立て直すなど、その運営力を活かした経営再建事例が注目された。国土交通省の観光カリスマ百選選定委員会から 「第2回観光カリスマ」 としても認定され、日本の観光産業振興のカギを握る経営者として注目されている。星野リ
プロフィール 初代・菅野春吉、二代目・菅野良彦から会社を受け継いでいる三代目。昭和32年の 「渓水」 設立以前、まだ前身の 「菅野製作所」 と名乗っていたころからの精密鈑金加工技術を守り続けている。当代まもなくバブル崩壊の影響で菅野製作所が倒産したものの、古い取引先など周囲の協力を得て復活、現在に至っている。初代は全国を渡り歩く、いわゆる “渡り職人” であり、昭和5年の大坂城大修復工事にも参加。屋根の銅瓦棟梁として活躍した。現在は、板金加工のほかに多種少量生産製品製造、試作品手造り鈑金、精密機械加工、旋盤、フライス加工などを行う他、自社完全オリジナルの AERO CONCEPT を展開している。 ルイ・ヴィトンやトヨタなど、世界中でその名が轟いているメーカーとの提携話があるとする。一般の企業の価値観で言えば、まず大概が 「YES」 と答えるだろう。彼らとの提携はそれだけ大きなビジネスチャ
岡野氏は、技術的に難しくて人ができない仕事を選んでやっていく。もちろん自分にだってその製品を作った経験はない。だが、頭からできないと決めてかかることはしない。岡野氏の江戸っ子らしい意地が、ここで出てくる。 「俺がよ、みんなと違うところがひとつだけあるんだ。人が 『ダメだ、できねえ』 っていうことをやりたがる。みんながやらないことをやってきて、みんなができないことをやろうとする。あいつは変わりもんだ、誰もやりたがらないことをやるなんざ、どうかしてる。そんなことを言われても、俺にしかできねえことをやり続けてきたんだよな」
プロフィール 岡野工業株式会社代表社員。十代初めのころから、実父が営んでいた岡野金型製作所で職人としての修業を開始。勤勉に仕事にいそしむ傍ら、遊び仲間も多く、仕事と遊びの双方で「向島の岡野雅行」の名を上げ始める。1972年、製作所を引き継ぐと 「岡野工業」 と社名を変更。金型だけでなくプレスも導入し、高い技術力を持って大手との取引が増え始める。インシュリン用の注射針で主流になっている「ナノパス33」をはじめ、ソニー製ウォークマンのガム型電池ケース、携帯電話のリチウムバッテリーケース、トヨタプリウスのバッテリーケースなど、世界的な躍進を遂げた製品はどれも岡野工業製作の部品が支えているとすら言われている。 岡野工業を訪問したB-plus編集部は、応接室に入るなり驚かされた。まず目に飛び込んできたのは、天皇陛下御下賜の表彰状。そして部屋の壁に飾ってある数々の写真。そこには、元内閣総理大臣・小泉純
プロフィール 1978年、神奈川県川崎市出身。高校を卒業後、夢の一つであった寿司職人をめざし、「築地すし好」に入社。地道な職人修業を経て、店舗経営を学ぶため「牛角」などフランチャイズチェーンを展開するレインズインターナショナルに転職。立地開発業務に従事し、さらに別会社で業態開発、加盟開発業務、業務委託店舗の営業開発など外食ビジネスについて総合的に学んだ。2004年に店舗流通ネット株式会社に入社。2005年からは取締役として株式会社ワイズフードシステムの経営に参画。その後、株式会社まいど代表取締役を経て28歳のときに株式会社エムグラントフードサービスを設立。念願のホームグラウンドを得た。以降、郊外ロードサイドでの居抜き出店を中心に飲食店を展開。著書に『「ロードサイドのハイエナ」流 コスト1/5のムダ0経営術』(ワニブックスPLUS新書)がある。 多くの企業家の中でも大々的に成功をおさめられる
『民主主義のなかった国・日本』 の末尾近くで記しましたが、日本は、近代以前のリソースを殆ど変えることなく、単にリソースの組み合わせを変えるだけで、近代化を達成しました。実はどの国にも似た側面があるのですが、だからこそリソースの組み換えの可能性が国や民族ごとに異なるわけです。 問題はこういうことです。初期資本主義段階や帝国主義段階における産業構造改革という課題については、日本はリソースの組み替えで対応できた。さてグローバル化段階における産業構造改革に、日本はリソースの組み替えだけで対応できるのか。要は、中央依存的・大企業依存的・有力者依存的・空気依存的メンタリティを変えずに対応できるのか。 無理だと思います。先に申し上げたJAや各業界団体のように、新しい陳情先を探して右往左往するような 「任せる政治」 メンタリティのままでは、今の難局は越えられません。外需部門を、将来に渡って比較優位な産業分
現代のビジネスパーソンを取り巻く現象を社会学の視点から読み解く連載企画。前回 (09年10月号) はクリント・イーストウッド作品を参照しつつ、「勘違いしない理解力」 というテーマでお届けした。今回は政権交代から一定期間が経過した状況も受け、「お任せする政治から引き受ける政治へ」 の流れを軸に、現代のビジネスが置かれている社会的文脈を解説していただく。 アメリカ発の概念に、いわゆるSRIすなわち 「社会的責任投資」 というものがあります。それに関連するCSRすなわち 「企業の社会的責任」 という概念もかなり人口に膾炙しました。実は、これらの概念のルーツを辿ろうとすると、意外かもしれませんが、マルクスの 『資本論』 に行き着くのです。 『資本論』 を 「悪い奴 = 搾取する資本家がいるから社会が滅びる」 という理解で読むのは間違いです。正しくは 「資本主義経済で人々が合理的にふるまえば、必ず大
今、“かっこいい”ビジネスパーソンとは 第1回 ベタな現実に右往左往しないこと 「ホームベース」を持つこと・つくること 神の視線を重視する人にとって、人の世のよしなしごとは重要ではありません。現実世界における自分の姿は「仮の姿」にすぎません。会社にいようがどこにいようが、そこにいる自分は「仮の姿」。そう思えれば、周囲が自分のことを否定しようが肯定しようが、さして重要ではなくなります。ここに、先に述べたパターン認識とは別の、もう一つの知恵があります。 複雑でストレスの多い社会を生きていくには、こうした「会社や組織における自分を『仮の姿』と思える装置(メカニズム)」を調達するのが賢明です。そうした装置で最も有力なものが、自分の居場所であり帰還場所になるようなホームベースです。
おにぎり専門店に関する一考察 おにぎり専門店が増えています。――と言い切りながらなんですが、これは筆者(都内西部在住)の生活実感とメディア報道からの印象で、数字の裏付けはありません。いくら調べても調べても、「米の消費動向」(農林水... 社会
現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学の視点から論じる連載の第二回。前回提唱していただいた「ベタな現実に右往左往しない生き方」のモデルを、宮台真司氏はクリント・イーストウッド作品に見ることができると言う。 僕は大学で学生と接していろいろ話す機会がありますから、「ヘタレとそうでないものの区別がわからない」と言う学生には、『許されざる者』以降のイーストウッド映画を見ろと言います。現実社会でロールモデルが得られないならメディアの中に探せと。もちろん周囲に「この人のようになりたい!」という人物がいればそれに越したことはありません。 『許されざる者』以降のイーストウッド作品に共通するのは、ある種の「揺るぎなさ」の感覚です。揺るぎなさとは主人公の「佇まい」であり、世界観であり、言語化不可能な要素を多分に含みます。実際に映画を見た学生たちはよく「文化が違う、国や時代が違う」と言いますが、そう
7月号スペシャルインタビューにご登場いただいた宮台真司氏。9月号からは、現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学者としての鋭い視点で切り取っていただく。 まず、オーソドックスな話から始めます。日本人は一般的に「他者同調的・集団主義的」だとされます。「自分の目の前にいる他者」の承認を得ようとする傾向にあるということです。尊厳(自己価値)の根拠を外に求めるという意味で、「外的な確かさ」を求めやすいのです。 他方、目の前にいる他者とは関係のない第三者、例えばそれは神を持ち出すやり方もあります。「神によって承認されれば、目前の人たちが承認してくれるかどうかはさして重要ではない」という尊厳の抱き方です。これは欧米のユダヤ・キリスト教世界に典型的にみられる、いわば「内的な確かさ」です。
首都大学東京教授 社会学博士 宮台真司 今、“かっこいい” ビジネスパーソンとは 第3回 引き受ける力 そうした連鎖があれば、国力がどんどん落ちても ――落ちることは確実ですが―― 元気はなくなりません。「不安ベース」 ではなく 「幸せベース」 で生きていけます。「不信ベース」 ではなく 「信頼ベース」 で生きていけます。そういうふうに生きられる人の周囲には、感染した人たちが集い、「幸せベース」 や 「信頼ベース」 の生き方が拡がります。それでいい。 2008年の秋葉原殺傷事件のとき、マスコミや若手論客が 「グローバル化による経済格差が、弱者の若者を直撃したから、アキバ事件が起こった」 という図式を喧伝しました。間違った図式です。「新興国を富ませるグローバル化 (資本移動の自由化) が避けられない以上、その影響が個人を直撃しないように社会的包摂を確かなものにする以外ない」 のです。 それが
最後に、自己啓発と「仮の姿」についてお話しします。昨今は自己啓発本の大ブームで、ベストセラーの半数以上が自己啓発本だと言えるほどです。主要なものを読んでみましたが、最近の自己啓発本の多くが「ベタすぎ」です。自己啓発メソッドは1970年代に開発されたアウェアネス・トレーニングがルーツで、僕は80年頃にトレーニングを受けています。 トレーニングには10年間ほど関わっていましたが、80年代半ばに参加者の質が激変しました。一口でいえば「ネタからベタへ」です。80年代半ばまでの参加者は、若いキャリア官僚、若い研究者、若いアーティストなど、学歴からいっても超エリート層でした。ところが、80年代半ばから参加者が普通の人たちになってくると同時に、雰囲気が変わります。 初期にトレーニングを受けていた層は、「仮の姿」をよりよく演じられるようになることを目的としていました。「こういう状況で、こういう人間は、こう
埼玉県を拠点に、関西地方や九州地方などでも事業を展開する株式会社EX(イーエックス)物流。運送業界一筋で長年にわたり経験を積んできた前田法雄代表取締役が何よりも大切にしているのは、会社を支えるスタッフ...株式会社EX物流 代表取締役 前田法雄
現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学の視点から論じる連載の第二回。前回提唱していただいた「ベタな現実に右往左往しない生き方」のモデルを、宮台氏はクリント・イーストウッド作品に見ることができると言う。 僕は大学で学生と接していろいろ話す機会がありますから、「ヘタレとそうでないものの区別がわからない」と言う学生には、『許されざる者』以降のイーストウッド映画を見ろと言います。現実社会でロールモデルが得られないならメディアの中に探せと。もちろん周囲に「この人のようになりたい!」という人物がいればそれに越したことはありません。 『許されざる者』以降のイーストウッド作品に共通するのは、ある種の「揺るぎなさ」の感覚です。揺るぎなさとは主人公の「佇まい」であり、世界観であり、言語化不可能な要素を多分に含みます。実際に映画を見た学生たちはよく「文化が違う、国や時代が違う」と言いますが、そうした
首都大学東京 教授 宮台 真司 今、“かっこいい”ビジネスパーソンとは 「揺るがない」ことと「他者性を欠いている」ことはまったく違う 日本人が周囲の他者たちの視線を意識して右往左往しがちであることを前回お話ししました。神の揺るぎなき視線を意識しないことが背景なのだとも言いました。でも昔の日本人のほうが、いまよりもずっとどっしりしていました。昔のほうが社会的流動性が低かったので、周囲の視線を自明なものとして想像できたからです。 今はそうではありません。新住民として知らない土地に住んだり、見ず知らずの人たちが働く会社に入ったり、その会社も昔は終身雇用・年功序列の共同体みたいだったのが、人の出入りが激しくなったりして、周囲の視線を想像することが難しくなりました。そうなると、昔と同じような対人能力しか持たない場合、不安で右往左往するようになります。 前回、こう言いました。《個別の現実にベタに対処
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『仕事を楽しむためのWebマガジン、B-plus(ビープラス)』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く