3月1日は南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で1954年にアメリカがおこなった水爆実験で、日本のマグロ漁船などが被災して60年にあたります。3・1ビキニデーは、広島と長崎に原爆が投下された8月6日と9日のヒロシマ、ナガサキの日とともに、核兵器廃絶への決意をあらたにする日です。 核兵器への国民の憤り この核実験で被ばくしたマグロ漁船・第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さん(当時40歳)が、「原水爆による犠牲者は、私で最後にしてほしい」とのべて亡くなったことは内外に大きな衝撃をあたえました。太平洋で水揚げされたマグロが放射能で汚染されていたことも重なり、核兵器と核実験にたいする国民の憤りと不安は一気にひろがりました。やがてそれは当時の有権者の半数にもあたる3200万人もの署名や第1回原水爆禁止世界大会(55年)の開催へと発展していったのです。 ビキニ被災は、第五福竜丸だけでなく、近海で操業していた
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