タグ

社会保障と参考になったに関するo-kojo2のブックマーク (2)

  • 児童虐待問題でのネット上の論争を読んで - 紙屋研究所

    3歳の娘がいる身にとって、児童虐待事件の報道はただちにそれを自分の娘に起きたこととして置き換えさせてしまうものである。つれあいはどれもつらくて読めないようで、記事について話題にしているだけで当に涙ぐんでいる。 大阪の2児餓死事件は、一人が娘と同じ3歳だけあってなおさらだ。 餓死という状況だけでなく、暑くて服をぬいで全裸で死んでいたとされる。自分の娘を見ていると3歳児で上着を脱ぐことはなかなか難しく、にもかかわらず脱がねばならなかった状況とはよほどの灼熱地獄だったに違いない。飢餓と暑さの責め苦を長期間受けて絶命していく2児の姿を、自分の娘に置き換えてしまうともう涙が止まらない。胸塞がる思いである。 加害の母親に責任があることはまったく当然である 別に子持ちの親でなくとも、こうした虐待に対して、加害者への憎しみは強く掻き立てられる。おまけに母親がその間にホスト遊びに狂っていた、という情報があ

    児童虐待問題でのネット上の論争を読んで - 紙屋研究所
  • 「貧困」の露呈とその隠蔽 - Arisanのノート

    連日ハイチから伝えられる被災の状況は、目を被いたくなるとしか言えない惨状だ。 http://mainichi.jp/select/world/news/20100118k0000e030051000c.html だがこうした大災害の生じたとき、もちろんその出来事によって被害を被った人たちの救援が急務なのだが、そこで露呈しているものは、それまでの日常の世界に存在していた圧倒的な不均衡や歪みであり、それに対するわれわれの無関心でもあるということも、忘れてはいけない。 つまり、ハイチという国が、この現在の世界の中で極度の貧困に苦しんでいなければ、したがって一定の強度をもった建造物や医療設備や防災システムを持っていたなら、これほどの被害は生じなかったはずだが、それほどの貧困の現実と、それを作り出している世界的な富の偏在というものに、私を含めた多くの人は、このような災害の惨状に接して、初めて気づくの

    「貧困」の露呈とその隠蔽 - Arisanのノート
  • 1