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福島市は29日、昨年市内の西久保遺跡(奈良~平安時代)で発見された「鎮兵(ちんぺい)」の文字が書かれた木簡について、陸奥国司の書状だったとの分析結果を公表した。これまでは出羽国(秋田、山形)から出されたと見ていたが、新たに5文字を解読したことで判明した。 新たに解読したのは冒頭の「陸奥国司」と中ほどの「衆」の文字。奈良文化財研究所の協力で赤外線画像撮影・分析をした。解読済みの文字(末尾の「郡郷」は推定)を並べると「陸奥国司牒下野国司 鎮兵死□衆之状不罪郡郷」(むつこくし しもつけのこくしにちょうす ちんぺいのし□おおきのじょうぐんごうをつみせず、□は未解読)となる。市は東北地方の防備を担った鎮兵の死亡が多いことについて、東北の主に太平洋側の地域を管轄した陸奥国司が、現在の栃木付近を担当した下野国司に対し、西久保遺跡周辺の地域の対応に落ち度がない旨を伝えた、と見ている。 市は想定される状況を
奈良時代に都の中心だった奈良市の平城宮跡の近くで行われた発掘調査で、聖武天皇の即位に伴う儀式のために全国から届けられた米などの荷札とみられる木簡が大量に見つかりました。 調査した奈良文化財研究所は「儀式の当時の様子を知るための貴重な資料だ」としています。 奈良文化財研究所が奈良市にある平城宮跡の朱雀門の南側の一帯を発掘調査したところ、木の札、木簡が1000点以上まとまって見つかりました。 このうちの一部には▼天皇の即位に伴う儀式、「大嘗祭」を示す「大嘗」と書かれたものや、▼西暦724年を表す「神亀元年」という年号とともに現在の岡山県西部にあたる「備中国」という地名や「米」などの文字が書かれた札もあったということです。 神亀元年は東大寺の大仏造立に携わった聖武天皇が即位した年で、研究所では見つかった木簡は聖武天皇の即位に伴う儀式のために全国から都に届けられた物資の荷札とみられるとしています。
福島市平石地区の西久保遺跡から出土した東北地方に派遣された兵士「鎮兵(ちんぺい)」の記載がある奈良時代末~平安時代初頭の木簡を巡り、市は17日、木簡の新たな文字が判明したと発表した。解読の結果、木簡には鎮兵が同遺跡周辺で死亡し、その死について遺跡周辺の地域に落ち度がない旨が書かれており、遺跡は役所の機能を持つ有力者の屋敷跡だった可能性があるとしている。 「兵の死亡に落ち度ない」 鎮兵は「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記載があり、陸奥国(むつのくに)や出羽国(でわのくに)の守備が任務だった。鎮兵の詳しい実態は不明だったが、今回の解読により、療養や死亡に関して国や郡に一定の責務があった衛士(えじ)(都の警護)や防人(さきもり)(大宰府の警護)と同様に取り扱われていた可能性があることが分かったという。 鎮兵の2文字が書かれた木簡の出土は全国初で、市は9月の発表以降、赤外線画像で不鮮明な文字の解析
●鎌倉の「差し押さえ状」文献にのみ存在、使い方裏付け 鎌倉時代に家屋や土地の差し押さえに使われた「点定札(てんじょうふだ)」の木簡が、17日までに金沢市南森本町と木越町の2カ所で見つかった。同市埋蔵文化財センターが発掘調査で確認し、国内初の出土としている。専門家は「文献で点定札の存在は知られていたが、実物が出てきたことはなく、貴重な資料となる」と指摘、武家社会の年貢の取り立てや土地管理の実態に迫ることができると説明している。 金沢市埋蔵文化財センターによると、点定札は中世に領主が年貢などの未納入者、逃亡人の家屋、土地の物件を差し押さえたことを示す札となる。 南森本町では2014年度に南森本遺跡で行った宅地造成に伴う発掘調査で、長さ25・2センチ、幅2・8センチ、厚さ0・4センチの札が確認された。木越町では15年度に木越光徳寺跡で実施した金沢外環状道路工事に向けた発掘調査で、長さ20センチ、
「石巻かほく」は三陸河北新報社が石巻地方で発行する日刊紙です。古くから私たちの暮らしに寄り添ってきた猫のように愛らしく、高すぎず低すぎない目線を大切にします。
奈良文化財研究所が独自に開発した奈良時代の文字を学べるアプリがこのほど改修され、源頼朝や豊臣秀吉など歴史上の偉人が書いた文字や古文書について学べるようになりました。 奈良文化財研究所が独自に開発したアプリ「ナゾルクン」は、奈良時代の遺跡で見つかった木の札・木簡に書かれた文字を利用者が自分の指でなぞることで学ぶことができるようになっています。 研究所ではアプリの改修を進めていましたが、このほど、古文書や漢字などへの学びをさらに深めてもらおうと、新たに東京大学と連携して鎌倉時代から安土桃山時代の古文書や文字を追加しました。 追加された内容の中には、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝が出した漢文の文書が含まれていてなかに記された漢字を指でなぞると文書の由来などの解説を見ることができます。 このほか、室町幕府の初代将軍・足利尊氏や豊臣秀吉など歴史上の偉人の文字あわせて700字余りが追加されました。 奈良文
【読売新聞】 奈良県明日香村の飛鳥池遺跡(7世紀後半)で、古代の仮面舞踊劇「 伎楽 ( ぎがく ) 」に使用する面の一つ「 酔胡王 ( すいこおう ) 」を描いたとみられる木簡が出土していたことがわかった。日本書紀には7世紀前半に朝
奈良市の平城宮跡から、奈良時代の女性の役人、女官の勤務評価を記した木の札、「木簡」が初めて見つかりました。この女性は年間329日も出勤していたとみられ、研究者は「奈良時代の女官の実態を知るうえで貴重な資料だ」としています。 木簡は、奈良時代の都の跡、平城宮跡のうち、天皇の住まいがあった「内裏」と呼ばれる区画に近い水路の跡で、去年、見つかりました。 長さはおよそ17センチ、幅およそ3センチで、女性を意味する「牟須売」や、年齢を示す「年五十九」、それに、年間の出勤日数とみられる「日参佰弐拾玖」という文字などが墨で書かれていました。 調査にあたった奈良文化財研究所は、この木簡はおよそ1300年前の奈良時代前半のもので、記載内容から、宮廷につかえた女官の勤務を評価したものではないかとみています。 女官の勤務評価を記した木簡が見つかったのは、初めてだということです。 研究所によりますと、都で働く役人
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断面に墨 実用品の可能性 1分刻みで、5分や1寸の目盛りがついている竹尺平城宮跡の役所跡で出土した竹尺(奈良文化財研究所提供) 奈良市の平城宮跡にある役所跡で、竹尺(竹の物差し)が出土した。現在の竹尺とそっくりな形をしており、奈良時代には実用品として使われていたとみられている。竹製品は土中に残りにくく、同時代の竹尺を確認したのは初めてという。 平城宮の東部にあった役所群「東方 官衙(かんが) 地区」で、2008年に発掘したゴミ捨て穴の土壌を水で洗う作業を進めるなかで、見つかった。 発見した竹尺は断片が9片あり、幅1・7~1・8センチ、厚さ0・2センチ、長さ3・4~13・7センチ。表面に針状の刃物でつけた線刻に墨を入れた1 分(ぶ) 刻みの目盛りがあり、復元すると全長1・5尺の物差しとみられる(1尺=約30センチ。1尺=10寸=100分)。 調査した浦蓉子研究員は「目盛りが細かく、断面に墨の
読売新聞社の運営するサイト 発言小町 「発言小町」は、読売新聞が運営する女性向け掲示板で、女性のホンネが分かる「ネット版井戸端会議」の場です。 ヨミドクター yomiDr.(ヨミドクター)は、読売新聞の医療・介護・健康情報サイトです。 OTEKOMACHI 「OTEKOMACHI(大手小町)」は読売新聞が運営する、働く女性を応援するサイトです。 idea market idea market(アイデア マーケット)」は、読売新聞が運営するクラウドファンディングのサイトです。 美術展ナビ 読売新聞が運営する美術館・博物館情報の総合ポータルページです。読売新聞主催の展覧会の他、全国美術館の情報を紹介します。 紡ぐプロジェクト 文化庁、宮内庁、読売新聞社で行う「紡ぐプロジェクト」公式サイト。日本美術と伝統芸能など日本文化の魅力を伝えます。 読売調査研究機構 東京、北海道、東北、中部、北陸を拠点に
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古代の集落跡とされていた滋賀県栗東市上砥山(かみとやま)の上砥山遺跡で、7世紀中頃~8世紀(飛鳥~奈良時代)に文字が書かれた土器や木製品が大量に出土した。県文化財保護協会が10日発表した。木簡を転用した琴の用具「琴柱(ことじ)」や硯(すずり)などが含まれることから、役所など識字層が関わる公的施設があった可能性が高まった。 国道1号バイパスの建設に伴って約6500平方メートルを発掘調査。蛇行する川の跡(幅10~12メートル)や掘っ立て柱建物跡1棟分(8世紀)を確認した。土器や木製品は、川跡に堆積(たいせき)した土の中から見つかった。 墨で文字を書いた墨書土器(8世紀)の器や蓋(ふた)には「太」「富豊」などの文字があった。周辺は当時「栗太郡」と呼ばれたが、関連は分からないという。 弦の音調整に使う琴柱は2点… ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541
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