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9cに関するshig-iのブックマーク (95)

  • 9世紀火山地震(5)ーー貞観地震 - 保立道久の研究雑記

    先ほどのテレビで「貞観地震」という言葉を聞いた。貞観地震の史料を紹介する。貞観年間は九世紀、859年から877年。問題の東北の貞観地震は貞観十一年、西暦でいうと869年にあたる。 九世紀が「大地動乱の時代」であることは、『かぐや姫と王権神話』で論じたが、そこでは火山が中心であった。火山活動が活発であるということは、九世紀が地震の激発期であったことも意味している。 三月一一日の列島東海岸大地震の状況を知ると、若干でも歴史データを記しておきたいと思う。そこで、九世紀の地震と貞観地震のデータについて、しばらく読みの作業を報告することにする。 まず、「貞観地震」といわれているものは、下記の『日三代実録』(『国史大系』)の貞観十一年五月廿六日条に記録がある。これはユリウス暦でいうと869年年7月9日にあたる。 陸奥国の地、大いに震動す。流光、昼の如く隠映す。このころ、人民叫呼して、伏して起きること

    9世紀火山地震(5)ーー貞観地震 - 保立道久の研究雑記
    shig-i
    shig-i 2011/03/13
    9世紀に今回と同じ地域を襲った地震について
  • 平安初期の墨書土器29点 : 島根 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    松江市教委は26日、松江市朝酌町のキコロジ遺跡で、平安初期(9世紀頃)の墨書土器29点が見つかったと発表した。大半の器に「賀太」という文字が書かれており、地名や人の名前などが考えられるが、古代の文献には見られない名詞で、謎を呼んでいる。 墨書土器は、直径約12センチ、高さ約1・3センチの須恵器。「南」などの文字もあったが、「賀太」と書かれている土器がほとんど。「出雲国風土記」などには見られない名詞だという。筆跡は様々で、付近に文字を書くことの出来る有識者が複数人いたとみられる。 墨書土器は、国府跡など役所の跡から見つかる例が多いが、集落跡などでまとまって出土するのはまれ。キコロジ遺跡の性格を考える上でも重要という。 このほか、古墳時代後期(6世紀後半頃)の大刀の柄(つか)2点も出土。周辺に豪族などの有力者が住んでいたことを示す貴重な発見という。1点は未完成品のため、周囲に工人がいた可能性が

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    shig-i 2010/08/27
    「「南」などの文字もあったが、「賀太」と書かれている土器がほとんど。「出雲国風土記」などには見られない名詞だという。筆跡は様々で、付近に文字を書くことの出来る有識者が複数人いたとみられる」
  • asahi.com(朝日新聞社):遣唐使「円仁」の名刻んだ石板、中国で発見 - 文化

    中国で見つかった石板に刻まれていた「円仁」の名前=酒寄雅志さん提供石板がはめ込まれていた塀。門の入り口から右側2番目、上段に「円仁」の石板はある=中国河南省の法王寺、宇都宮美生・洛陽理工学院大副教授提供  平安時代の僧、円仁=えんにん=(慈覚大師、794〜864)とみられる名前の刻まれた石板が、中国河南省の寺院で発見された。最澄の弟子で比叡山の基礎を築いたことで知られる円仁は、遣唐使の一員として9年間、中国に滞在した。その間の足跡が具体的に確認されたのは初めて。中国に残された遣唐使の遺物としても、西安で見つかった井真成の墓誌に次いで2例目だ。  石板が見つかったのは登封市の法王寺。お堂を囲む塀にはめ込まれていたもので、縦44センチ、横62センチ。当時、道教を強く信仰する皇帝の命令で、仏教弾圧が激しかった。信仰対象の仏舎利が失われるのを恐れ、地中に隠したことを記し、最後に「円仁」「大唐会昌五

  • 信太入子ノ台遺跡:土器に「志太」の文字 平安時代の2点出土--美浦村 /茨城 - 毎日jp(毎日新聞)

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    shig-i 2010/04/25
    「信太入子ノ台(しだいりこのだい)遺跡」
  • 「続日本紀」登場の人工池か、熊本で遺構出土 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    県教委は9日、熊市池上町の池辺寺(ちへんじ)関連遺跡で、池の遺構と赤色の鉄製の矢じり、矢じりを差し込む竹製の矢柄が見つかったと発表した。遺構は、平安期の「続日紀」に登場し、池辺寺の名前の由来になったと伝えられる伝説の「味生池(あじうのいけ)」の可能性があるという。 続日紀には、奈良時代の国司・道君首名(みちのきみのおびとな)が和銅年間(708〜715年)に築いたとの記述があり、干害対策として国を挙げた公共事業だったとみられるが、これまで場所は未確認だった。 遺構は約200平方メートルで、池の一部とみられる。排水施設など人工池であることを示すものは見つかっていないが、文献などで推定されていた地域と重なるという。 矢じり(約10センチ)は約1200年前の平安時代初頭のものとみられ、池の遺構から出土したのは、全国初のケースという。赤色は、サビの可能性もあるが、顔料(ベンガラ)による塗装だっ

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    shig-i 2010/02/11
    「池の遺構と赤色の鉄製の矢じり、矢じりを差し込む竹製の矢柄が見つかったと発表」
  • 遺跡の竪穴式住居、平安期の大地震跡くっきり : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    埼玉県深谷市の皿沼西遺跡の竪穴式住居から、平安時代の弘仁9年(818年)に起きた「弘仁の大地震」によるものとみられる液状化現象の跡が見つかった。 発掘調査を行う県埋蔵文化財調査事業団によると、この地震による被災の痕跡が残る竪穴住居の発見は初めて。住居や用水路が改修された形跡も確認された。国による復興支援が行われたと記録する文献もあり、関連が注目される。 皿沼西遺跡は、古墳時代中期から奈良、平安時代にかけて発展した大規模な集落跡で、昨年10月から約7000平方メートルを範囲として調査が行われている。 事業団によると、幅約10センチのひび状の砂層が数十見つかったのは昨年12月。地震で緩んだ地盤中の砂と水が地上に噴き出す「噴砂」と呼ばれる現象で、竪穴住居跡でも確認された。周辺で出土した土器の特徴などから、弘仁の大地震によるものと特定した。住居や用水路を改修して住み続けた跡も見つかり、地震後に集

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    shig-i 2010/01/27
    「た。周辺で出土した土器の特徴などから、弘仁の大地震によるものと特定した」
  • 東京新聞:遺構の生の姿 見納め 武蔵国分寺跡僧寺地区:東京(TOKYO Web)

    外側を瓦で保護された講堂遺構の基礎部分を調査する発掘調査員(今年11月撮影、国分寺市教育委員会提供)=同市西元町1で 国指定史跡・武蔵国分寺跡僧寺地区(国分寺市西元町一)を歴史公園として整備中の国分寺市は二十三日、同地区の中心建物の一つである講堂跡の遺構発掘現場見学会を開催する。昨年度から発掘調査を実施しているが、公園整備に向けて来年から埋め戻すため、遺構の生の姿が見られる最後のチャンスになるという。 (萩原誠) 市によると武蔵国分寺は奈良時代の八世紀中ごろ、当時の聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺の建立を指示したのを受けて創建。大規模改修を経て一三三三年の分倍河原の合戦の際に焼失したとされる。一九二二年に国の史跡に指定された。

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    shig-i 2009/12/22
    「公園整備に向けて来年から埋め戻すため」
  • 島根・出雲国府跡で漆紙文書 1200年前の「日置真梶」さんの名前 - MSN産経ニュース

    出雲国府跡(松江市大草町、国史跡)で、奈良−平安時代の公文書と書状の一部とみられる漆(うるし)紙(がみ)文書が出土し、15日、島根県埋蔵文化財調査センターが発表した。戸籍から抜き出した男性の名前などが書かれた文書の断片3点。西日の国府跡からの出土は珍しいという。 文書は国府政庁跡の約100メートルにあった穴から、土器片や獣骨などと一緒に出土。文書には奈良、平安時代にまたがる年号「延暦」(782〜805年)のほか、当時の出雲地方に多い「日置(へき)」と推定される姓に続き、名の「真梶(まかじ)」などの墨書跡が赤外線写真で判明した。 当時は、容器に入れた漆の乾燥を防ぐため、紙で蓋(ふた)をしていた。この蓋に、使い古した文書を使用することが多く、この文書に漆がしみこみ、腐しなかった場合、漆紙文書として発掘調査などで見つかるケースがまれにある。 佐藤信・東大大学院教授(日史)の話「この時期は、

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    shig-i 2009/10/15
    「延暦」
  • 仮名文字書かれた土器発見 鹿児島県・大隅国府跡 - MSN産経ニュース

    鹿児島県霧島市は18日、同市国分府中町の大隅国府跡から、仮名文字の書かれた平安時代の土器が見つかったと発表した。9世紀後半〜10世紀初めに作られたものとみられ、文字数から和歌の下の句と考えられる。市は「平安京から遠く離れた大隅国に豊かな文化があったことを示す貴重な史料」としている。 出土した土器は直径約15センチ、高さ約3センチの儀礼用の器とみられ、漢字から平仮名が作られる移行期に使われた「草仮名(そうがな)文字」が墨で書かれていた。「ちとせ」(千歳)という文字があることから、市文化振興課の坂元祐己主事は「大隅国府で働いていた役人が宴で祝いの歌を詠んだものとも想像できる」と説明した。草仮名文字が書かれた土器は富山県や茨城県などでも見つかっており、九州では初。

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    shig-i 2009/09/18
    「ちとせ」
  • ハカノ本遺跡:奈良~平安の有力者住居跡 あす現地説明会--上毛 /福岡 - 毎日jp(毎日新聞)

  • 東京新聞:長岡京 脇殿の遺構 『遷都後、政務を拡充』:社会(TOKYO Web)

    京都府向日市などに広がる長岡京(七八四〜七九四年)跡で、桓武天皇が造った「東宮」の正殿東側に、臣下が政務を行っていたとみられる脇殿の遺構が見つかり、向日市埋蔵文化財センターが五日、発表した。

  • お知らせ : 京都新聞

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    shig-i 2009/06/25
    「駅家と断定する根拠は見つかっていないが」「もう一つ東西棟の大きな建物が見つかれば郷長クラスの屋敷とみていい」
  • 緊急最新情報・肥後国編 国史跡池辺寺が面白い!!の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ランキングに御協力を! 西海道古代官衙研究会事務局の山村さんから、こんな情報が届きましたのでお知らせ致します。 西海道古代官衙研究会会員の皆様 ご無沙汰いたしております。 肥後熊の古代山林寺院である国史跡地辺寺跡が、史跡整備前の最後の再調査で、伽藍中心建物(9世紀)部分を調査中で見学可能となっております。建物は、床じきまで残っている稀有な例だと思われます。さらに、後背部の斜面に分布する「100メートル四方に100個の石塔が迫りくるロケーション」は見応えのある必見の資料です。多数お誘い合わせの上で下記要領に従ってご見学下さい。 史跡池辺寺跡 百塚地区堂建物跡 見学会 のご案内 史跡概要 熊県熊市に所在する史跡池辺寺跡(9世紀の山林寺院)では、整備事業に伴い百塚地区C

    緊急最新情報・肥後国編 国史跡池辺寺が面白い!!の条 - yaaさんの宮都研究
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    shig-i 2009/06/12
    「建物は、床じきまで残っている稀有な例だと思われます」
  • 金銅製鍵と錠前全国初一体出土…9世紀、粒状の文様 : 熊本 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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    shig-i 2009/05/30
    「鍵と錠前が一緒に出土するのは全国初という」  
  • 屋代遺跡群地之目遺跡:水田跡から平安期の灰釉陶器14点--千曲 /長野 - 毎日jp(毎日新聞)

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    shig-i 2009/04/21
    「県内で陶器が一度にまとめて見つかった例は珍しく、祭祀(さいし)儀礼に関する貴重な発見と言えそうだ。」
  • 中日新聞:完全な形で「大足」も出土 木の実の貯蔵穴発見の豊田・千石遺跡:愛知(CHUNICHI Web)

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    shig-i 2009/03/25
    「水田の代かきに使う「大足」も見つかった。」
  • 平安時代の「のろし」跡発見、宮城県の2遺跡から : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮城県の宮沢遺跡(大崎市)と鶴ノ丸遺跡(栗原市)で出土した平安時代前半の遺構が、当時、通信手段とされたのろし「烽(とぶひ)」を上げた跡とみられることが分かった。 県多賀城跡調査研究所の古川一明・上席主任研究員が学会で発表した。「烽」は日書紀に記されるなど、存在はわかっているが、実際に使われた遺構は確認されていないという。 遺構は、直径約3~5メートル、深さ約1~2メートルのすり鉢状のくぼみで、宮沢、鶴ノ丸遺跡で2基と3基あった。いずれも見晴らしのよい丘の上にあり、8世紀末~9世紀後半ごろのものと見られている。両遺跡は、蝦夷(えみし)に対する朝廷側の拠点「城柵(じょうさく)」やその近くにある。 遺構は、昭和50年代に東北自動車道の建設に伴う発掘調査で出土したが、詳細な調査は行われなかった。古川研究員が、当時の資料を再検討し、焼土や幾層にも重なった炭化物があったことなどから、烽の場所と推定し

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    shig-i 2009/02/28
    「当時の資料を再検討し、焼土や幾層にも重なった炭化物があったことなどから、烽の場所と推定したという。」
  • くまにちコム:児童ら約700人分情報流出 教諭所有のパソコンから

    お金に関する知識が生活防衛につながる時代。税金や年金、投資新NISA、相続や保険などお金に関わる正しい知識を、ファイナンシャルプランナー(FP)の資格取得を目指す記者と一緒に楽しく学んでいきましょう。 ※次回は5月3日(金)に更新予定です。 知事選くまもと激戦の軌跡 熊県政のトップを決める県知事選。戦後、公選制となって以来、激しい選挙戦や候補者調整が繰り広げられてきた。2020年までの20回にわたる県知事選を、各候補の得票数などとともに振り返る。

    くまにちコム:児童ら約700人分情報流出 教諭所有のパソコンから
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    shig-i 2009/02/19
    「佐色」「向路次駅」
  • 平安宮外の役所門跡、南北に並ぶ柱穴2基発見 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    京都市下京区中堂寺粟田町で、平安時代前期(9世紀前半)の役所の門とみられる柱穴2基が、同市埋蔵文化財研究所の調査で見つかった。 近くでは、役所を示す「寮(りょう)」の文字が墨書された土器や、祭(さい)祀(し)具が過去に見つかっており、同研究所は「祭祀に関係する役所があったのではないか。ここは平安宮の外にあたり、役所とみられる遺構が出土するのは珍しい。当時の都の行政機構を知るうえで貴重」という。 現場は、平安京の右京六条一坊にあたり、柱穴2基が南北に並んでいた。間隔は3・9メートルと広く、周囲に別の柱穴が見つからないことから、門の跡と判断した。 「省」の下部機関の「寮」を示す墨書土器(直径17・2センチ、高さ2・7センチ)は、門の跡の西約10メートルの川跡で15年前に出土。祭祀で水に流すなどする土馬(どば)や人面土器も見つかった。同研究所は、門の跡の東側や北側に役所があったとみている。 平安

    shig-i
    shig-i 2009/02/14
    「寮」の墨書土器。平安京の右京六条一坊
  • 寺家遺跡:「気多大社の前身」また証拠 9世紀地層から墨書土器など--羽咋 /石川 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇規模20万平方メートル、国史跡目指す 羽咋市寺家町の寺家遺跡の平安時代(9世紀)の地層から、掘っ立て柱建物の柱穴や墨で文字のようなものが書かれた土器などが見つかった。同市教委が11日、明らかにした。同遺跡は近くの気多大社の前身だった可能性が強く、同市教委は今回の調査結果が裏付けになるとみている。 寺家遺跡の調査は、能登有料道路の造成工事に伴い、78年から始めた。これまで宮司の社務所とみられる大型建物群や、銅鏡などの祭具が大量に見つかっている。 今年見つかった柱穴は直径80センチで、計3カ所あった。建物は平安前期に建てられたと推測され、祭祀(さいし)関係者の住居だった可能性があるという。土器の底には漢字の「三」のような3の線が書かれていた。また祭具を焼く際の道具や、焼いた跡とみられる焼土が確認された。 同市教委はこれまでの調査で、遺跡が20万平方メートルの広大な敷地に広がっていたとみてい