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※以下の文章は、2013年9月17日発売のコミック誌「もっと! Vol.4 2013年11月号/総力特集 ジブリの狂気が大好き�・」(秋田書店)に掲載されたものです。同誌は珍しいスタジオジブリ公認のアンソロジー掲載のコミック誌でした。2013年8月末に編集の方から原稿依頼を受けたのですが、「高畑勲、宮崎駿両監督の作風総括と新作批評を短文で」という大変難しいお題でした。当時『かぐや姫の物語』公開前で取材・執筆で忙殺されていたこと、同作の初号試写前であったことなどから、以前の原稿を加筆・再構成するという条件でお受けしました。前半が加筆・再構成、後半が書き下ろしです。 2015.2.15. 高畑さんを 丸いと喩えるなら 宮崎さんは 四角い 高畑さんは 海のようだとすれば 宮崎さんは 山のようだ 似ても似つかない二人だし 近頃では希な偏屈ときている 仕事のこととなると テントウ虫の卵ほども妥協しな
※以下の文章は、2013年6月24日発売の「月刊歴史読本 8月号」(中経出版)に掲載されたものです。同誌は第2特集として「堀越二郎と零戦の活躍」を採り上げ、その中で映画『風立ちぬ』と宮崎駿監督について寄稿を依頼されました。ただし、堀越二郎の生涯や業績については、他の方の原稿で詳述されるため、触れないで欲しいという条件付でした。このため、どちらかと言うと堀辰雄の生涯と小説『風立ちぬ』に力点を置いた構成となっています。また、映画完成前の5月末に脱稿されている為、制作に至った経緯を中心に記されています。 2015.2.15. ●堀越二郎とその時代を描く 宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」は、実在する堀越二郎の半成を描いた作品と謳われている。 堀越は、戦前・戦後を通じて三菱重工で航空機の設計主任を務めた人物であり、具体的には零戦(零式艦上戦闘機)の設計者として航空史にその名を刻んでいる。堀越は設計の試行
2007年5月に逝去された銅版画家・アニメーターの奥山玲子氏の業績を偲ぶページです。 ▲ 銅版画作品「ニーナ・Standing」(2002年) ▲ 銅版画作品「But where」(2002年) ▲ 1966年「女学生の友」が取材に来た際の写真 (「太陽の王子」準備室にて) ● 略 歴 ● おくやま れいこ 10月26日宮城県仙台市生まれ。東映動画に入社し、『白蛇伝』の動画を担当。『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』で原画に昇格。『わんぱく王子の大蛇退治』ではヨルノオスクニのパートのデザイン・原画を担当。スタジオでは女性アニメーターのリーダー的存在として腕を振るう一方、労働組合の活動にも積極的に参加し、女性の処遇改善や合理化阻止を掲げて闘った。『太陽の王子 ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』『ながぐつ三銃士』などの原画、『海底3万マイル』の作画監督(共同)など、長編の筆頭原画やテレビシ
※以下の文章は「平成狸合戦ぽんぽこ/解説図録」(94年12月29日/高畑・宮崎作品研究所 編/RST出版 自主発行)に掲載されたものです。 §1 高畑勲監督作品系譜論 はじめに 映画「平成狸合戦ぽんぽこ(一九九四年、スタジオジブリ)」を論じるにあたっては、まず何よりも高畑勲監督作品の系譜を振り返らなければならないであろう。何故なら、昨今の高畑監督のモチーフは底流で一貫しており、その流れから隔絶された作品として「ぽんぽこ」を単独で評価することは不可能だからである。多くの映画論評にも一般的評価にも、この観点が決定的に不足、乃至は欠落している。 高畑監督の経歴は、主要に以下のような四つの時期に概括・大別出来ると考える。 第一期。一九五九年東映動画入社から、七一年同社退社まで。 高畑氏は、東京大学仏文科卒業後、当時日本唯一の長編動画制作会社である東映動画に定期採用で入社。 長編映画の演出助手、テレ
※以下のテキストは、東映系劇場やグッズショップで無料配布されたPR誌「東映キネマ旬報 vol.8 2008年秋号/特集 東映動画まつり」(2008年8月1日東映ビデオ発行)に「『白蛇伝』公開から50年! 大塚康生インタビュー ~アニメーションは動きが生命です~」として掲載された記事を、入稿時の原題に戻し、加筆・訂正したものです。「作画汗まみれ 増補改訂版」(2001年5月31日発行)、大塚康生氏講演「日本のアニメーションに期待すること」と照らし合わせて読んで頂ければ幸いです。 (2010.3.20. 叶 精二) ●なぜ中国の民話が初のカラー長編に選ばれたのか ―大塚さんがアニメーションの世界に入られたのは、御著書「作画汗まみれ」(徳間書店)によれば、1956年6月の「東京タイムズ」と「読売新聞」の記事が契機だったそうですね。 大塚 ええ。その記事に「東映がカラー長編漫画映画『白蛇伝』の製作
HOMEへ戻る 「高畑勲論」トップへ戻る 「アルプスの少女ハイジ」で 高畑演出が目指したもの 文責/叶 精二 ※以下の文章は「BSアニメ夜話Vol.7 アルプスの少女ハイジ」(2008年3月26日/キネマ旬報社発行)に掲載されたものです。 ●なぜアニメーションなのか 高畑勲は頭を抱えていた。 「なぜ実写映画でやるべき『ハイジ』をアニメーションでやろうとするのか。」 1973年春頃、ズイヨー映像の高橋茂人社長との初会談で、ヨハンナ・シュピリ原作「ハイジ」のテレビ・アニメーション化企画を打診された高畑は、矢継ぎ早に以下のような「困難な根拠」を挙げたという。 1. アニメーションにふさわしい飛躍や誇張がない 2. アニメーションでなければ描けない別世界(ファンタジー)を築けない 3. アニメーションが最も苦手な日常芝居ばかりが必要 4. 過酷な労働に耐える覚悟と制作体制の構築が困難 5. 資金獲
HOMEへ戻る 高畑 勲 論 文責/叶 精二 ※研究所自主発行誌・各商業誌に掲載された高畑駿監督作品に関する批評、論文です。 ※禁 無断転載・無断抜粋 ● 目 次 ● 「平成狸合戦ぽんぽこ」論 ―「系譜・テーマ・映像・論評」の分析― 「平成狸合戦ぽんぽこ/解説図録」(94年12月29日/高畑・宮崎作品研究所 編/RST出版 自主発行)掲載 「ホーホケキョ となりの山田くん」3分間試写の衝撃 「COMIC BOX/99年6月号」(99年6月1日/ふゅーじょんぷろだくと発行)掲載 新説 高畑勲 論 「高畑演出」はこうして生まれた。 「別冊COMICBOX/Vol.5『ホーホケキョ となりの山田くん』を読み解く!?」(99年8月10日/ふゅーじょんぷろだくと発行)掲載 高畑勲 演出論 アニメーションの本流への復帰 「キネ旬ムック/スタジオジブリとホーホケキョ となりの山田くん」(99年8月10日
※「別冊COMICBOX/Vol.5『ホーホケキョ となりの山田くん』を読み解く!?」(99年8月10日/ふゅーじょんぷろだくと発行)掲載。再録に当たって若干加筆しています。 高畑作品の映像表現に込められた精緻を極めた演技設計、莫大な労力、革新的技術などを全て確認出来る人は稀だろう。 「山田くん」の技術については、最新技術と手描き作業を融合させた「フルデジタル」の処理行程に注目が集まっている。だが、この詳細については、ここではあえて触れない。(別項参照) 高畑作品は、一見目新しくない表現に奥深い楽しみが隠されていることが多い。ここでは、あえてそうした表現の一つ一つにスポットを当ててみたい。いわば“裏”技術論である。ただし、これらは「山田くん」に詰め込まれた情報の氷山の一角に過ぎないことをお断りしておく。 まだ試写を観た程度で研究不足の感はあるが、そこは今後の課題として御容赦願いたい。 1.
注)この文章は「別冊 COMIC BOX vol.6/千と千尋の神隠し 千尋の大冒険」2001年7月31日発行(ふゅーじょんぷろだくと)に掲載されたものです。掲載に当たっては、編集部の都合でサブタイトルを「イメージボードからの飛翔」と変更されてしまいましたが、こちらがオリジナルのタイトルです。 「宮崎駿監督は天才的・独創的アニメーション作家だ」という評価が定着して久しい。実際、多くの関連記事は、この評価を前提として、シナリオ・設定・キャラクターの解釈・感想の類で構成されているが、一様にその創作の原点には踏み込んでいない。「どこが独創的なのか」を人格評価にすり替えてしまう傾向さえ見受けられる。 確かに宮崎作品は誰も見たことがないようなイマジネーションに溢れており、一作毎に新しい世界観を提供し続けている。では、その独創性は一体どこから来たのであろうか。 新作「千と千尋の神隠し」を含む多くの宮崎
(つづき) ●分裂する志向性 ―ところで、押井さんは、過去に伊藤和典さんが書かれた脚本を演出された作品が多いわけですが、お二人の志向性は元々かなり違うものでしょう。演出に当たって脚本に規制される側面はないわけですか。 押井 それはないですね。少なくともアニメーションに関しては、演出万能論。物語もキャラクターも演出家のもの。脚本の比重というのは動機に過ぎない。 ―押井さんも脚本のみで「パトレイバー」のテレビシリーズと第2期OVAに参加されていますよね。 押井 ええ。脚本は6~7本くらいでしたか。 ―テレビシリーズが5話分、第2期OVAが4話分で計9話ですか。大元の話をさせて頂きたいんですが、元々押井さんの中では、「(うる星やつら2)ビューティフル・ドリーマー」や「パト1」の頃まではギャグとシリアスが融合・同居していた筈だったと思うんです。それが「御先祖―」の頃から、完全に分離したように見えま
注)以下の文章は「COMIC BOX 97年10月号」(97年10月15日/ふゅーじょんぷろだくと発行)に掲載されたものです。ただし、掲載時タイトルは編集部で付けたもので、上記タイトルは当方の原文のままです。 私はこの作品に限り、ストーリーの急展開に無理があるとか、キャラター各々の魅力がどうのとか、感情移入出来るとか出来ないとか、ラストがスッキリするとかしないとか、―という類の「印象中心主義」「個人体験押付型」の感想文は余り意味がないと考えている。少なくとも、公に「論評」と称する文章たるもの、最低限個々の能力を駆使して監督の描写意図と本気で格闘する必要があろう。それを初めから放棄し、単に「一観客として大作映画のコメントをする」という姿勢で、本作と向き合うことは無理があると考える。 たとえば、各誌で「監督のメッセージを考えよう」「主人公に同化出来るかどうかはあなた次第」などの表現を散見したが
日本を代表するアニメーターであり、軍用車両研究家でもある 大塚康生さんの活動を紹介するページです。 おおつか やすお 1931年7月11日生まれ。東映動画で「白蛇伝」('58)「わんぱく王子の大蛇退治」('63)などの原画を担当。「太陽の王子 ホルスの大冒険」('68)で作画監督を務めた後、東京ムービーを拠点に、テレビシリーズ「ムーミン」('69)「ルパン三世」('71)「未来少年コナン」('78)、映画「ルパン三世 カリオストロの城」('79)「じゃりン子チエ」('81)の作画監督を歴任。現在はテレコム・アニメーションフィルムで技術顧問を務め、スタジオジブリをはじめ国内外のスタジオ、専門学校などに招かれ後進の指導にあたる。主な著書に「作画汗まみれ 増補改訂版」「リトル・ニモの野望」(徳間書店)「ジープが町にやってきた-終戦時14歳の画帖から」(平凡社ライブラリー)ほか。
注)この文章は「黒澤明 映画祭 2000~2001 パンフレット」2000年11月22日発行(ラピュタ阿佐ヶ谷)に掲載されたものです。執筆に当たっては編集部より、黒澤明監督と宮崎駿監督の共通項や差異について考察して欲しいという要請があり、これを踏まえて書かれた原稿です。 ●「七人の侍」の呪縛 アニメーション監督・宮崎駿氏は、九三年四月八日に黒澤明監督と対談を行っている。テレビ番組の企画で、場所は御殿場の黒澤別邸。対談の模様は『何が映画か―「七人の侍」と「まぁだだよ」をめぐって』という一冊の本にまとめられている。驚くべきことに、二人が語り合った内容は、ほとんどが小道具や撮影技術に関する細々とした話題である。 宮崎監督は、対談後のインタビューで、黒澤監督が巨匠然と構えず、常に細部に気を配っていたことが嬉しかったと語っている。自分が「面白い」と思った小道具はほとんど黒澤監督自らが判断して採用され
文責/叶精二 ※ 以下の文章は、CD-ROM付情報誌「MPEG SPECIAL/Vol.2」1996年9月2日発売(アスキー)の特集「輸出されるANIME・日本製アニメが世界を征服する。」のスタジオジブリ紹介項目「ジブリというブランド。/宮崎駿、高畑勲の創り出す世界」として掲載された原稿を大幅に加筆したものです。掲載時のタイトルは編集部で勝手に付けたられもので、強く抗議しました。 1. ジブリ作品の社会的成功の要因 スタジオジブリ(徳間書店・大映グループ)が開拓したアニメーション表現には、概括して二つの流れがある。 一つは、宮崎駿監督自らが築き上げてきた、《感覚直撃型のアクションシーン》である。ダイナミックな「縦割り」の空間レイアウト、肉体を駆使した軽業、肉体の一部と化したメカニックや動物たちの胸のすく飛翔など。これは旧東映動画の正当派「漫画映画」を継承しながら、長年のアニメーター経験と独
※以下の文章は「キネマ旬報臨時増刊/宮崎駿と『もののけ姫』とスタジオジブリ」(97年9月2日/キネマ旬報社発行)に掲載されたものです。 映画『もののけ姫』には、莫大な量の情報が詰め込まれている。猛烈な速度で駆け抜ける画面には、その隅々に至るまで、新しい歴史観、新しい民俗学・考古学的視点、そして生命の倫理が貫かれている。また、物語は緻密かつ重層的に構築されており、画面には直接登場しない組織や人物たちによる文字通りの暗闘が背後にある。 本稿は、その一端を明かにすることを目的とする。ただし誌面の制約上、各項ともあくまで概括的な言及に留まっていることを御容赦願いたい。(詳述は別の機会に行っているので、そちらを参照のこと。) �氈C『もののけ姫』の勢力地図 『もののけ姫』には、「人間の世界」として、一つの異民族と四つの政治勢力が描かれる。そして、四つの勢力と対立する「神々の世界」がある。各勢力の構成
注)この文章は「別冊宝島/アニメの見方が変わる本」(97年9月2日/宝島社発行)掲載掲載されたものです。 映画「もののけ姫」は、宮崎駿監督作品の集大成だと言う。宮崎監督は各誌のインタビューに応えて「スタジオジブリの決算を目指した」とも語っている。それは、二義的にはスタジオに蓄積された人材・技術水準・資金力など条件の利を指すと思われるが、一義的には思想的意味合いが大きいと思われる。では、その「思想的決算」とは何のことだったのか。宮崎監督の作品とスタジオジブリの遍歴を振り返りながら考えてみたい。 なお、スタジオ成立の経過・作品制作の経緯・スタッフ編成・技術的推移・興行的変遷などの制作データや裏話的エピソードなどは他誌で何度も語られているので一切省略した。物語やキャラクターのくどい紹介も避けた。本小論は、専ら宮崎駿監督の思想的変遷のみを追ったものと解されたい。 前史―東西冷戦と核廃絶後の希望 宮
HOMEへ戻る 「高畑勲論」トップへ戻る 現実の時間を尊重し、演技主導型をつらぬく 高畑勲演出の技術考 文責/叶 精二 ※以下の文章は「CGWORLD/2004年7月号」(2004年7月1日/ワークスコーポレーション発行)に掲載されたものです。 現実の時間の流れに逆らわず、人間の機微を表現する。一見、簡単そうに聞こえるが、アニメーションで表現するには難しい、誰もがさけようとする表現方法だ。しかし、高畑勲監督はあえて現実の時間にそった演技プランを立て続けている。現実の時間に根をはった演技主導型をつらぬく高畑監督の演出とはどんなものだろうか。 ●基本は全編固定カメラ、長回し、緻密な演技プラン 1999年6月29日、『ホーホケキョ となりの山田くん』の完成打ち上げパーティで、高畑勲監督はスタッフを労い、壇上から次のように語った。 「この映画が当たろうが当たるまいが、人が一人も来なくたって、アニメ
※以下の文章は、「キネ旬ムック/スタジオジブリとホーホケキョ となりの山田くん」(99年8月10日/キネマ旬報社発行)に掲載されたものです。掲載時には一部カットされていますが、以下が原文です。 高畑勲監督の演出について語ることは相当の覚悟を必要とする。 高畑監督は、常に明確な位置づけと徹底的な論理化のもとに仕事を行って来た。その映像表現は一見自然体であり、感覚直撃型の宮崎駿監督とは好対照である。そこに込められた精緻を極めた演技設計、莫大な労力、革新的技術などを全て確認出来る人は稀だろう。 一方、従来の「高畑論」は物語の枠組みをなぞった賛辞か、勘違いによる反発などで、監督の意図を汲み取った解釈は皆無である。高畑作品の場合、印象や感性で斬り込んでも薄皮一枚も切れはしない。一言で言えば奧が深いのだ。よって、評価に際して「研究的態度」は避けられない。 ● 映像によって原作を補完する 高畑演出の特徴
注)この文章は「フィルムメーカーズ6/宮崎駿」(99年3月17日発売/キネマ旬報社)に掲載されたものです。「1」で宮崎作品のアニメーション技術解説のガイドラインを提示し、「2」で実物の原画を載せて特徴を分析しています。ただし、版権の問題で「もののけ姫」の原画を掲載することが出来ないため、図版の解説テキストのみとなっています。ヴィジュアルと一体の原稿であったため、判りにくい文章となっていますが、どうか御了承下さい。原画の実物は本誌で御覧頂きますよう、お願い致します。 1. 序文 ●はじめに 日本のメディアではアニメーション映画を作画技術の面から採り上げる論調は極めて乏しい。専門的な分野ということもあって評論する側も研究・分析に時間がかかるためか、あるいは地味な内容となることが避けられないためか、ストーリーやキャラクター紹介、声優の人気などを採り上げることに終始しており、映像に血肉を与えたアニ
故・近藤喜文氏の関連記事・原稿を集めました。47才で逝去された日本屈指のアニメーターの業績を偲ぶページです。 上は近藤氏が「もののけ姫」制作末期の頃、雑誌取材に際して自画像の代わりに描いたイラストです。 新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展 NEW! 2014年7月4日~8月31日 新潟県立万代島美術館 にて開催 ◎『近藤喜文展』最新情報 叶 精二◎ NEW! ▲ 1995年5月「耳をすませば」制作時の近藤喜文氏 (撮影/竹中博信氏) ● 略 歴 ● こんどう よしふみ 1950年3月31日、新潟県五泉市生まれ。68年Aプロダクションに入社。「巨人の星」「(旧)ルパン三世」「パンダコパンダ」「ど根性ガエル」「ガンバの冒険」「未来少年コナン」などで原画を担当。79年日本アニメーションに移籍し、高畑勲監督のテレビシリーズ「赤毛のアン」全話の作画監督を担当。テレコム・アニメーション フィルムで
※以下の文章は「別冊COMICBOX/Vol.2『もののけ姫』を読み解く」(97年8月1日/ふゅーじょんぷろだくと発行)に掲載されたものです。ただし、同誌では編集の都合で各章の順序がバラバラになっており、サブタイトルも大幅に変更されています。以下が正しい順序とタイトルによる原文です。また、校正が間に合わず、誤字・脱字も多数あったため、採録にあたり多くの訂正をしてあります。 --------------------------------------------------------------------------------------- 前書き 宮崎駿監督は、一流のアクション・エンタテイメント監督である。宮崎監督に対する「飛行表現作家」「冒険娯楽作家」という評価は、最早定着してしまった感がある。しかし、宮崎監督は単なる娯楽映画監督ではなく、常に現代の政治的・社会的・思想的ムーブメン
HOMEへ戻る 宮崎 駿 論 文責/叶 精二 ※研究所自主発行誌・各商業誌に掲載された(一部未掲載を含む)宮崎駿監督作品に関する批評、論文、インタビュー原稿です。 ※禁 無断転載・無断抜粋 ● 目 次 ● 「耳をすませば」試論 ―ニヒリズムの超克と力強い宮崎駿の復活― 「耳をすませば/資料集」(95年8月18日/高畑・宮崎作品研究所 編)掲載 「もののけ姫」を読み解く 「別冊COMICBOX/Vol.2『もののけ姫』を読み解く」(97年8月1日/ふゅーじょんぷろだくと発行)掲載(完全版) 「もののけ姫」の基礎知識 「キネマ旬報臨時増刊/宮崎駿と『もののけ姫』とスタジオジブリ」(97年9月2日/キネマ旬報社発行)掲載 ―「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」へ―宮崎駿とスタジオジブリの13年 「別冊宝島/アニメの見方が変わる本」(97年9月2日/宝島社発行)掲載 さらに「もののけ姫」を読み解
※以下の原稿は1998年7月に某出版社の依頼で書いたものですが、諸般の事情で掲載に至らなかったものです。 はじめに 「となりのトトロ」は誰もが認める宮崎駿監督の代表作である。 昨年公開された「もののけ姫」に批判的だった評者にも、「トトロ」を絶賛していた人は数多い。理屈の多い「もののけ姫」は嫌だが、理屈抜きに楽しくてなつかしい「トトロ」は支持するということらしい。確かに、この作品のエンタテイメント性は群を抜いており、世代も国境も越えた普遍性を獲得している。(注1) ところが、宮崎監督自身は当時以下のような発言をしている。「いままで作った映画のなかで、いちばん理屈が多い作品」「理屈のギリギリのところで綱わたりをしながら作った」(注2)理屈抜きのなつかしさの裏側には、ギリギリの理屈とそれを支えた技術的根拠があったわけだ。それらの理屈は、ずっと以前から監督が日本の風土と歴史を肯定的に捉える核となっ
「日本のアニメーションに期待すること」(1) 2000年2月27日 於 滋賀県立近代美術館 ▲ 企画展「日本アニメの飛翔期を探る」図録 滋賀県立近代美術館、広島市現代美術館、川崎市民ミュージアム、砺波市美術館、宇都宮美術館、高松市美術館 (2000年2月~2001年9月、各館巡回) ● 解 説 以下のテキストは、滋賀県立近代美術館で行われた企画展「日本アニメの飛翔期を探る」(2000年2月26日~4月2日)のオープニングイベントとして2000年2月27日に行われた大塚康生さんの講演を叶がテキスト化し、大塚さん御自身が大幅に加筆したものです。2000年3月当時、大塚さんは公式ホームページ「大塚康生のWEB峠の茶屋」(00年5月24日~)の開設準備と、著書「作画汗まみれ 増補改訂版」(2001年5月31日発行)の執筆準備に専念されており、双方に何らかの形で活かすという目的でテキスト化が試みられ
HOMEへ戻る ●『王と鳥』公開記念● 大塚康生氏 特別インタビュー 「論理と寓意が練り込まれた誇り高きアニメーション」 聞き手/叶 精二 ▲ 大塚さんが東映動画時代にフィルムを元に描いた王様のポーズ集より。勲章を与える王様。 (「王と鳥 スタジオジブリの原点」未掲載作品) 以下の記事は、単行本「王と鳥 スタジオジブリの原点」(大月書店刊)用に脱稿されたものの、掲載には至らなかった“幻の原稿”です。当初は大塚康生さんの「読者が親しみを持てる原稿にしたい」という御希望もあり、叶によるインタビュー形式の原稿が掲載される予定でした。約4時間のインタビューの要点を叶がまととめ、大塚さんが大幅に訂正・加筆をする形で一端原稿は完成しました。しかし、諸般の事情でモノローグ談話として圧縮・改稿された形で掲載することに変更されました。このため、半分ほどの内容は「王と鳥 スタジオジブリの原点」と重なっています
2419607 アクセス since1996 本日 16 昨日 58 -研究所からのお知らせ- 最終更新日 2014/08/24 ▼最新記事はこちら▼ -叶精二 Twitter- NEW!
HOMEへ戻る 「高畑勲論」トップへ戻る 高畑勲全著作 書評-2 「十二世紀のアニメーション -国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの-」 高畑勲・著(徳間書店) 文責/叶 精二 ※「別冊COMICBOX/Vol.5『ホーホケキョ となりの山田くん』を読み解く!?」(99年8月10日/ふゅーじょんぷろだくと発行)掲載。再録に当たって若干加筆しています。 ●八〇〇年の時をブリッジする試み これは驚くべき労作である。 高畑勲監督は、本書の巻頭文で「日本人はなぜ、マンガやアニメが好きなのか」という巨大な疑問に対する回答を試みている。海外を訪れる度に聞かれるこの質問に、監督は「中世の絵巻物以来の伝統だ」と応えて来たと言う。今村太平氏の『漫画映画論』(注1)をはじめ、戦前から「絵巻はマンガ的だ」という指摘はあったが、本書の白眉はそれを具体的技術的に徹底検証したことにある。 監督は、まず前文で衝撃的
私が去年(九四年)十一月二十一日から十二月九日までロ スアンゼルスに滞在してキャラクター・チェックをしてきた エッソのコマーシャルが放映されはじめましたので、その顛 末をレポートしておきます。 わざわざ私が呼ばれたのはそのコマーシャルの主役が今年 はルパン一行で、エッソのタイガー(実写)とガソリン・ス タンド(実写)にルパン、次元、五右衛門、不二子、銭形が 絡むからです。 それなら何もわざわざアメリカでやらなくても ……と思う のですが、このCMを企画したマッキャン・エリクソン社で は実写と、たっぷり影をつけたアニメを複雑に合成する技術 はアメリカの方が進んでいるし、安いという考えがあったそ うです。 CMはAタイプ(銭形のいないもの)とBタイプ(銭形が出 てくるもの)の2種類があって全部で十七カット、ワンカッ トの長さはほとんどが一秒一寸くらいと短く、実写のカメラ が微妙に動くのに合わせ
以下は、「高畑勲・宮崎駿の世界」第一期講義(2002.4~7)の際、毎回聴講生に配布・回収されていた「出席確認カード」付録の質問欄に記された内容に答えたレジュメ「Q&Aシート」の抜粋です。不思議なことに、挙手による質疑を求めてもほとんど手があがらないのですが、文書(メモ)による質疑は毎回たくさん寄せられました。4月の数回は講義冒頭に口頭で逐一回答していましたが、回答だけで授業時間の1/3も消化してしまうため、5月からはレジュメで回答を用意して配布し、代表的な2~3の疑問に口頭で答えるという形で進めました。範囲の広い漠然とした質問や、一言で答えられないような難問も多々あり、難儀しましたが、自身の勉強にもなりました。なお、質問は毎回10問前後で、総計100問以上が寄せられましたが、半数以上は重複した内容でした。 講義記録の参考資料として、一部を下記に抜粋しました。 ―2002.5.10.回収分
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