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[2020年5月12日改訂] その日[第三次世界大戦]が来る前に、そしてさらに深刻な大災害によって私たちが(すでに薄々感じられる)絶滅に近づく前に、コロナウイルスとの共存を単に主張するだけでなく、「有機的」グローバル免疫システムがどのようなものになるかを問わねばならない。 E-flux Journal #108 — April 2020に掲載された許煜 (Yuk Hoi)の論文「危機の百年」(One Hundred Years of Crisis)の内容を紹介する。非ヨーロッパ人である日本人の情報アーキテクトとして感じ入るところの多い論文だった。レビューと抄訳をお届けしたい。 [6月13日、ゲンロンαに全訳が出ました🎉 【特別掲載】百年の危機|ユク・ホイ 訳=伊勢康平] レビューコロナウイルス、グローバリズム、国民国家や国連の問題、それらが「技術」への文明論的な問いへと還元される。非ヨー
ソフトウェアエンジニア界隈で「ポエム」という言葉を侮蔑的・諧謔的に使うことが横行してるけど、ポエムを舐めすぎでは。端的に文系軽視、文系蔑視が現れてるよね。単なる非論理的お気持ち文章が詩学だと思ってるのかと小一時間(略 まず「あらゆる芸術形式の上に立つのが言語芸術であり、その頂点が詩」という考え方がある。そして計算機科学の巨人ドナルド・クヌースは文芸的プログラミングを提唱した。クヌースはプログラムを人間精神の最高の発露としての言語芸術に見立てていた。ポエムを馬鹿にするプログラマーは無学。 ドメイン駆動設計におけるプログラミング活動の位置づけも、こうした歴史的文脈(文芸的プログラミング)において理解されなければならない。もちろんリーダブルコードも。プログラムは計算機への指示書であると同時に人間に向けた創作的表現なのだということ。 もしプログラムが人間に向けたものでないのであれば、リーダビリティ
Amazonで沢渡 あまねの仕事ごっこ ~その"あたりまえ"、いまどき必要ですか?。アマゾンならポイント還元本が多数。沢渡 あまね作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また仕事ごっこ… この本が日本中のマネジャーに届くといいですね。経済誌に書評が出たら結構読まれるんでは。あと「仕事ごっこ」という言葉自体が流行るといいと思います。 「仕事ごっこ」という言葉は恥の感情を喚起すると思う。人は恥には弱い。単にこの言葉を人に突きつけると侮辱であり反感を買うだけなんだけど、それとなくこの言葉に触れてしまう環境が作れるといい。「なんとなく最近あちこちで目にする言葉」になれるか。積極的に流行らせていきたいところです。 仕事ごっこ問題は、組織の下の人が自助努力で乗り越えるべきこともあるけど、マネジャーの意識改革も必要。社会全体のマクロな観点からは、マネジャーの意識改革が進まない会社から有能な人材が去
(「勤怠を自動化する技術」LT Night #kintai_auto で発表できなくなってしまったので、その代わりに文章を書きました) いちユーザーとしては、こんなタイムトラッキング(時間計測)アプリが欲しいなーと前々から思っているんです:フルリモートワーク・裁量労働制の職場環境で、労務における勤務時間記録(勤怠管理・健康管理)と、管理会計におけるプロジェクト別工数原価計算(ABC)という2通りの要求を満たしつつ、全従業員への導入が現実的に可能なユーザビリティ。 例えばTogglのようなタイムトラッキングアプリは、勤怠管理には馴染まないんですよね。「作業時間」と「就業時間」は違う。問題領域も違う。一つのアプリで両方うまくこなせるものを見たことないのです。 そして「出勤」「退勤」「休憩」だけ記録するタイムカード的な勤怠管理ソフトウェアでは、活動ベースの原価計算ができないんですね。 そして、勤
Perl作者ラリー・ウォールの設計思想 ”There’s more than one way to do it.” はデジタル・アクセシビリティの本質を言い当てている。 #IAC19 におけるデザイン倫理のトーク、Dan Zollman氏の “How Do I Know If I’m Doing Good? Practicing Ethical Design in a World of Systemic Complexity” が良かった。アクセシビリティを含むより大きな「善いデザイン」の概念として「人権」と言い、世界人権宣言で謳われている価値を拾い上げて一覧にしていた。目鱗。
When U.S. air force discovered the flaw of averages | Toronto Star In the late 1940s, the United States air force had a serious problem: its pilots could not keep control of their… 戦闘機の事故原因を調べたところ、コクピットの設計に問題があり、パイロットの身体に合っていないことが分かりました。そこで、改めてパイロットの身体を測定し、その平均値に基づいてコクピットを改良することにしました。これで問題は解決するはずだ…… その頃、ハーバード大学を卒業したばかりの新人研究員ダニエル(23)が配属されました。彼はそれまで誰もが疑わなかった前提を問い直しました。というのも、彼の大学での研究はハーバードの男子学生250人の手
チャットを漫然と導入すると、 「ずっと張り付いて見ていないといけないから時間が取られてしまう…」 「集中作業してたのにチャットで割り込まれて能率が落ちてしまう……」 「どうでもいいことばかり流れてくるけど、たまに大事なことも流れてくるから、見ないわけにもいかない……」 といった副作用が生じがちです。それぞれ「同期」「割り込み」「ノイズ」の問題なのですが、それぞれ詳しく見ていきましょう。 同期チャットは「非同期」のコラボレーションに役立つコミュニケーションツールです。まずこの認識が大事。 「非同期型」とは「いつ返事してもいい」という意味です。 逆に「同期型」は「ある時間、相手を拘束する」という意味。電話やビデオ会議は同期型です。 チャットを活用したければ、「相手の時間を拘束しない」「相手に時間を拘束されない」という前提で利用しなければなりません。つまり、「相手からいつ返事が来てもいい」「相手
ゼロベースのオフィスで GsK Drinks #7 — サービスデザインと倫理というイベントが開催された。そこで語った様々な考えについて、ここで整理しておきたい。 トロッコ問題という擬似問題設計倫理の問題を考えること、例えば自動運転車の「トロッコ問題」(脚注1)について真剣に考えることは、尊いことだ。自分が設計した人工物の、正常に稼動し便益をもたらしている状況だけでなく、その害についても真剣に考えることには価値がある。そのような設計者が増えることが望ましい。 ただし、自動運転車のトロッコ問題のような道徳的ジレンマに「正しい答え」は存在しない。それぞれ説得力のある二つの立場の間で長年に渡る難問とされているということは、(メタな立場、相対主義的な立場から言って)どちらを選んでも同じくらい問題ないのだと言える。あるいは、どちらを選んでも同じくらい問題がある、とも言えるが、同じことだ。 歴史的に散
感動的な名文。数学研究からソフトウェアの形式的検証を経てUMLやアジャイルへ。そして社会学へ。ソフトウェアを数学の問題と考える立場から、人間の問題、そして社会の問題と考えるようになるまでの歩み。それは筆者自身が研究者、そして教育者として挫折し続けてきた道のりでもあった。日本ソフトウェア史を自分史に重ねる語りは、最後にあまりにも巨大な問題への絶望と、わずかな希望によって締めくくられる。自身の数十年のキャリアをあえて「失敗」として語るその自分語りは、気高く感動的ですらある。 あるソフトウェア工学者の失敗 日本の IT は何故弱いか(林晋 京都大学文学研究科) (2015?)
以前ベーシックインカムの導入を訴える文章を書いたことがあるのだが、『ゲンロン0 観光客の哲学』を読んでから考えが変わった。 ベーシックインカムの何が問題かベーシックインカムの大前提である「全員一律」という福祉原理は、「誰が『全員』に含まれるのか」というメンバーシップの確定を必要とする。それは同時に、新たにメンバーシップを得ようとする人間を排除する論理に帰結する。言い換えれば、ベーシックインカムは「友敵理論」の政治と不可分である。 そもそも「セイフティネット」とは「安全網」であり、「高所からの転落を防止する網」であって、転落者のための安全装置である。ベーシックインカムはどうだろうか、まだ転落していない人にも「全員一律」に給付されるのであって、定義上「セイフティネット」とは呼べない。より妥当なメタファーは、例えば「底上げ」のようなものだろう。 ベーシックインカム制度がその受給資格者(メンバー)
ウィトゲンシュタインや構造主義を経て「言語ゲーム的世界観」がインテリの大前提になっているいま、ウィトゲンシュタインを真っ向から否定する新たな思想があってもよさそう。「言語ゲームなんてないんだ」みたいな。 と思ったのは、現代アートについて考えながら。現代アートは言語ゲーム。でも、それは突き詰めれば無根拠ってこと。相対主義。それに対してある種の絶対主義的な価値を打ち立てることはできないんだろうか、と。 試みに、感性学を根拠とする美学(エステティクス)を、認知心理学や神経科学によって再理論化することは考えられるかもしれない。例えばfMRIで「ほら、これが視覚的快感の脳活動パターンですよ」と。しかし、そのような唯物論では「不快」に美的価値を見出すことはできない。唯物論では語れない。 唯物論や自然科学でケリがつくなら、とっくについている。だから言語ゲーム論が強いんだが、人類がその地点で100年ほど足
エイプリルフール 飽きた…… ネット企業のみなさん、これいつまで続けるの……? ふつうにフェイクニュースが増えただけで、単にウザいですよ。企業イメージにマイナスじゃない? 今年ってのは、昨年を経た時点なわけで、そういうコンテキスト大事ですよ? フェイクニュースがアメリカ大統領選挙にも影響力を持ったと言われている時代に、いまだに素朴にエイプリルフール企画なんてやられてもね…… 現実のフェイクニュースの圧倒的強度の前には、あまりにも取るに足らない虚構性だと言わざるを得ませんよ。 もし、あえて今年のエイプリルフールに何かやるなら、そういうポストトゥルース時代に対する批評性を持ったことをやらないと。さもなくば、知的にはゼロですよ。 商売と関係なく大人が遊んでみせてるわけでしょ? そこに知性がないって、単に楽しければいいって、それじゃただのヤンキー文化じゃん。 思考停止で年中行事化したエイプリルフー
SmalltalkSmalltalker の給料が一見高く見えますが、そうではなくて、このグラフが示してるのはSmalltalkerの高齢化です。いっときSmalltalkをやっていた、ぼくの実感にも合います。 Smalltalkは、ある世代とともに消えゆく運命にあると言わざるを得ません。限界集落ならぬ限界言語。細々と伝統芸能的にでも継承していければいいんだけど。プログラミング言語も話者が絶えれば、人類から失われます。 Smalltalkは「オブジェクト思考」というか「メッセージ思考」を身に付けるために、「教養」として多くのプログラマーが学ぶべき言語だと思います。〔注:この段落の「思考」は ‘thinking’ であり、「指向」の誤りではありません。〕 Smalltalkという言語がソフトウェア産業にできる貢献は、まだしばらく続くでしょう。実際のプロジェクトで使わないにしても。 したがって
生産性の低すぎる日本社会デービッド・アトキンソン著『新・所得倍増論』を読んだ。日本社会は世界トップクラスの質の労働者を抱えながら、「一人当たりGDP」や「時間当たり生産性」 において極めて低い水準にあるという。その結果、先進国で最も貧しい国になっている。(いずれもデータに基づく議論なので、関心のある人は本を読んで確認してほしい。) そのような現状分析からの政策提言として、「政府がGPIF(公的年金ファンド)を通じて上場企業に『時価総額を上げろ』というプレッシャーをかけるべきだ」と書かれている。 曰く、日本の上場企業経営者は、国際水準ではまったくの無能であり、利益を出せていない(「3時に閉まる銀行」という例が何度も登場する)、無能な経営者を交代させることでしか生産性の向上はない、女性の活躍もないという論旨だ。 同様の提言は他の識者からもなされている。藤野英人著『ヤンキーの虎』では「5年平均で
パスワード管理ソフトウェア 1Password が、政府によるバックドア創設のための立法に反対の立場から、ユーザーにカナダ政府によるパブリックコメント(サーベイ)への回答を呼びかけてます(Our Security, Our Rights)。「反対の声を政府に届けよう」というわけです。 © みふねたかししかし、あれですね、このサーベイはなかなかの難物です(※この文章の後半に抄訳)。「プライバシー法の試験ですか」という感じ。お気楽なアンケートの気持ちで答えようとしたら面食らいます。 さらに、質問の内容と順序が誘導的・説得的ですね。もし回答者が「国家によるプライバシー侵害に断固抵抗するぞ」と思っていても、この質問に真摯に回答しようとすれば、自ずと中庸的な考えに改めざるを得ないのでは。 つまりこれは「ナッジ」(背中を押すもの)として設計されていますね。一見すると「誰でも、反対派の方でも、ご自由にご
起業家のメンタルヘルスはもっと社会問題として注目された方がよいと思います。 問題を認識しなければ、それを解決することもできませんから。 米国では自殺者が出て、大きな議論になりました。 UCバークレー&UCサンフランシスコの調査によると、起業家の72%がメンタルヘルス上の懸念を申告。とくに鬱とADHDは3割、物質依存と双極障害は1割、だそうです: Entrepreneurship Research “Are Entrepreneurs Touched with Fire?” 起業家のメンタルヘルス上の問題を考える上で重要なことは、それが隠されカミングアウトされないということです。 「自分の周りにメンタルヘルスを損ねている起業家などいない」という人に言いたいことは、「お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな」。 起業家が鬱になった場合、リーダーとしてカミングアウトできないプレッシャーか
このような「経済ゲーム」は、一見すると自然の摂理(ピュシス)とは関係ありません。人が勝手に作り上げたルール(ノモス)です。現代社会は、歴史の偶然で、たまたまこのように過酷な社会になっています。ですから、人の力でそれを簡単に変えることもできます。なにせ、単なる「決め事」の問題なのですから。 本当でしょうか? ひょっとしたら、進化論的に「稼げる遺伝子」が選択される淘汰圧なのかもしれません。だとすると、「稼げない奴は子供を作るな」という社会は、「たまたま人がそう作り上げた結果」つまりノモスではなく、「暴力的な自然の摂理そのもの」つまりピュシスなのだと言うことができます。 そもそも「進化」というゲームは、初めから稀少性を巡る「経済ゲーム」でした(『利己的な遺伝子』)。生物以前の段階では、元素が争奪戦の対象でした。生命になってからは、食料、配偶者、土地、労働力、貨幣、承認の奪い合いへと、歴史的に展開
AI(人工知能)とベーシックインカム(無条件に政府から与えられる基礎収入)によって人類が労働から解放される「奴隷制2.0」の社会は、奴隷制1.0を廃止させた「普遍的人権の倫理的要請」をクリアしている。 奴隷制1.0は、「やっぱ同じ人間をモノ扱いするのはマズいっしょ」という人類の博愛主義によって崩壊した。 奴隷制2.0は人間ではなくモノに働かせるんだから問題なさそうに見える。しかし、本当にそうだろうか。汎用AIに対して尊厳を認めようとする脱人間中心主義的な政治運動が出てくるのは不可避である。現代における捕鯨反対運動のようなものとして、それは展開されうる。 人間は、自らの似姿、つまり人間に似てるモノを、人間の概念に組み入れてきた。そもそも欧州人にとって、アフリカ人などは最初は「人間かどうか」と議論されるようなものだったわけだし、何を持って「人間」と考えるかの境界は決して自明ではなかったし、今後
計算論的思考 (Computational Thinking) という21世紀のリテラシー コンピュータ科学者のように考えるということは, コンピュータをプログラムできるということ以上の意味を持つ. 複数のレベルの抽象思考が必要である. — Jeannette M. Wing Jeannette M. Wingによるエッセイ Computational Thinking (計算論的思考) を紹介します。その内容は、「計算論的思考 (Computational Thinking) は21世紀のリテラシーである」と読めます。力強いマニフェスト(宣言文)です。じつに慧眼で、まさに膝を打ちました。 ちなみに、「この文章を構成する文のうち何パーセントを理解できたか」という指標で、CSリテラシーを測れそうな文章でもあります。一文一文がCS的に深い意味を持っていて、情報密度の高い文章です
寄付ハックという面白い試みがあります: 地震で困っている熊本を支援したナイスガイ(レディー)の皆さま、抽選で1名様にiPad Proをプレゼントします。自腹で。 これは「僕が直接10万円を寄付するより、そのお金で景品つきの寄付啓蒙キャンペーンをやるほうが、寄付総額が増加するのではないか?」という仮説による社会実験です。 「実験」としては、限界的(マージナル)な効果を測定しなければ、「仮説を検証」できません。つまり「これがなくてもされたであろう寄付額」を取り除く操作が必要です。 「もともとしようと思っていた寄付」だったものが、「あ、どうせなら寄付ハックに」と応募されたものについては、「社会全体の寄付総額の増加」になりません。つまり寄付ハックの効果とは言えないわけです。 ぼくの考えでは、寄付ハックに応募した人の何割が「これがなくても寄付したであろう人か」および「これがなくても出されたであろう寄
株式会社レアジョブ会長の加藤智久氏による「LGBT差別を許容したい」という文章について。内面→言動→影響のプロセスが区別されていないし、構造的暴力といった観点もないし論外です。「文章が下手なだけなのかな」といった好意的な解釈をする気もありません。はてなブックマークでも多数の問題点が指摘されてます。 とくに問題なのは「差別を許容する」という言葉において「差別的思想」と「差別的言動」の区別がついていないようにしか読めないところです。「差別的思想の禁止」と「差別的言動の禁止」はまったく異なります。 人間の内面は何人(なんぴと)たりとも犯してはならない「聖域」とされており、これは近代憲法で基本的な人権として保障されています。考えるだけならば、何を考えようが自由です。しかしその考え(思想)を言動として表出することには「社会的に許される限度」があります。その限度を超える言動は法によって規制されることが
[本稿執筆後、ベーシックインカム懐疑論者に転向した。詳しくは末尾へ] 自由人にとって政府とは一つの道具や手段にほかならず、何か施しをしてくれるやさしい庇護者でもなければ、敬い仕えねばならない主人 でもない。また国家の目標も、一人ひとりの目標の集合体としてしか認めない。 — ミルトン・フリードマン(『資本主義と自由』) 私の政治思想では「セイフティネットや機会の平等を重視するリベラル的な側面」と「市場原理を重視しつつ結果としての経済格差も許容するリバタリアン的な側面」が併存しています。 これは奇妙に見えるかもしれません。というのも、一般的には、リベラリズムとリバタリアニズムは矛盾すると思われているからです。 しかし、リベラリズムとリバタリアニズムそれぞれの弱点を補う形で、「新しい政治思想」に昇華させることができるのだ、というのが私の主張です。それを可能にするカギは、ベーシック・インカム制度で
MacBook AirにYosemiteをクリーンインストールしました。いい機会なので「アプリ断捨離」しました。最小限のアプリだけに。 1Password 4.app パスワード管理Dropbox.app クラウドストレージEvernote.app ノートMacVim.app ハッカー向けエディタMessenger.app Facebook Messenger専用アプリ(非公式)Notifier Pro for Gmail.app メニューバーにGmail新着通知(App Store)Photo Resize Magic.app 写真の一括リサイズ(App Store)Pixelmator.app 画像編集(App Store)Pocket.app 未読管理(App Store)Sketch.app ドローツール(App Store)Skitch.app スクリーンショットSkype.ap
トゥリグヴィ・リナカウ (Trygve Reenskaug) の論文(1979)に掲載されている、モデル・ビュー・コントローラー(MVC)アーキテクチャの説明図「ユーザーのメンタルモデル」と「ソフトウェア実装モデル」と「ソフトウェア設計モデル」の三者間のギャップが課題であり続けてるんですよね。1979年のMVC登場以来ずっと、2014年の“About Face 3”まで。 The essential purpose of MVC is to bridge the gap between the human user’s mental model and the digital model that exists in the computer. アラン・クーパー (Alan Cooper) のAbout Face 4 (2014)に掲載されている、実装モデル・メンタルモデル・表象モデルの違
「お台場から東京を眺めるように、博多湾から福岡を眺めてみたい」と思い立ち、福岡の地図を180度回転して、博多湾と東京湾が重ねてみました。それを眺めてみると、いろいろな想像が湧いてきました。 [リトルフクオカvol.01で発表した内容に加筆したものです] 背景福岡出身・東京在住の私が、福岡の地図を眺めながら、ふと「この地図の向きを変えたら、東京に似てるんじゃないか」と思いついたのがきっかけです。 先行研究(知りません。ご指摘頂けると助かります) 手法と手順グーグルマップで東京の地図と福岡の地図を開きます。同縮尺にて、博多湾と東京湾、天神と銀座が重なるように二つのマップの中心点を調整します。それぞれの画面をキャプチャします。福岡の地図を180度回転します。下図がその画像です: 結果とくに共通性を見いだせるのは: 銀座と天神(消費の中心)皇居と大濠公園(旧城郭)代々木競技場と博多の森球技場(スポ
クリストファー・ノーラン監督の最新作『インターステラー』は素晴らしい作品でした。また観たい作品です。ですが、この文章では『インターステラー』自体は批評しません(代わりに東浩紀氏のインタビューでもご覧ください)。ノーラン作品群に通底するテーマと、そこから次に期待する作品像について書きます。 映画『インセプション』のポスターアート「人間の存在の土台」を揺さぶり「存在論的不安」を描くのがノーラン節ノーラン監督は「人間の存在の土台」を揺さぶるようなテーマに拘っている作家です: 『メメント』では「記憶」という自己同一性の土台を揺さぶり、「自分は何者なのか」という不安を描いています。『ダークナイト』では米国的な「正義」という価値観の土台を揺さぶり、「自分が信じてきた『正しさ』は本当に『正しい』のか」という不安を描いています。『インセプション』では「覚醒状態」という世界観の土台を揺さぶり、「この世界は夢
http://project-itoh.com/ 〔註:すでにサイトはリニューアルしており、この記事の内容を現物で確認することはできません〕 今時めずらしいほどヒドイUI設計を見かけました。こういうものが蔓延しないよう、警鐘として、啓蒙的な文章を書くことにしました。 UIデザインの訓練をしていない人は、「なぜ使いにくいのか」を説明出来ないものですし、そもそも「使いにくさ」に気づかないものです。使いにくいものを無自覚に、つまり「使いにくい」と思わずに使っていたりします。 プロならひと目なのですが、素人向けに、この文章では細かく「使いにくさ」について説明します。 第1セクション:キービジュアルとインストラクション Project Itohの画面キャプチャ:”scrool down”というインストラクション部分を強調したものこのウェブページを開いた直後、初期状態です。ここでページのインタラクショ
ピクトグラムを機械にも理解させるためのハイパーピクトグラムというアーキテクチャを考えて、その具体的実装としてカタログサイトというものを作っています。夢としては、ここに数万のピクトグラムを掲載し、RDFという技術を使ってメタデータ[1]をつけていきます。 これが形になれば「RDFを知らなくてもRDFを利用できる」ようになるはずなのです。イメージとしては、「クリエイティブコモンズのシールを貼るだけで、グーグル画像検索に反映される」みたいに、ピクトグラム画像のHTMLコードをコピーアンドペーストするだけで「データのウェブ」にリンクされます。 例えば飲食店のホームページに「禁煙」「クレジットカード利用可」「車いす利用可」などのピクトグラムを貼れば、それがグーグルにインデクスされる。そして、あるユーザーが「車いす利用可の飲食店」をグーグルで検索したときにそのお店が出てくるようになる。いわば「次世代S
「ビッグデータ」という言葉には、統計の文脈と、人工知能の文脈があります。その文脈を意識しないと、話が食い違ってしまうケースもありそうです。 二つの文脈:統計と人工知能統計の文脈では、「ビッグデータ」は、「データサイエンス」や「データマイニング」などと共に語られます。 人工知能の文脈では、「ビッグデータ」は、「ディープラーニング(深層学習)」や「ニューラル・ネットワーク」などと共に語られます。 それぞれの文脈で使われる「ビッグデータ」という言葉について、ここでは「統計的ビッグデータ」と「人工知能的ビッグデータ」に区別することとします。 こういった文脈の違いは、次のように現れます。 人間が意味解釈しないといけない?「ビッグデータ自体は無意味、人間による意味解釈が重要なのだ」という議論 [1] があります。しかし、人工知能の領域では、「人間が機械に教えなくても、機械自身がビッグデータから意味を獲
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