その昔、旅先の宿で隣室から朗々と謡曲が流れてきた。なかなかうまい。「止めてみせようか」と謡(うた)い始めたのは、時の観世大夫である。隣は水を打ったようにしんとなった。自分より秀でた腕前に驚いたらしい。 ▼後日、別の宿に移ると、隣から下手な謡曲が聞こえてきた。止めてください。水を向ける弟子に、観世は首を振る。先日のは達人だった。今日の人は他人の巧拙がまだ分からない。うっかり謡い出そうものなら「負けん気を出して、声を張り上げるに違いない」と。 ▼話術も同じ。独善は慎め。エッセー『話道の泉』でこの挿話に触れた徳川夢声が説いている。身につまされる話ですね、そう思いませんか…。熱情にのぼせる隣人の耳には、届かぬ説法だろう。「国民情緒」とはかくも人の理性を狂わすものかと鼻白む思いがする。 ▼韓国・朴槿恵(パク・クネ)大統領の罷免は予見できたとして、憲法裁判所の裁判官全員が「弾劾妥当」と声をそろえたのは