いよいよ、総選挙が始まった。 原発事故が起きた当初は、判りやすく合理的説明に納得して「原発擁護論」に傾いていた私だが、今は気持ちが揺れている。 原発問題は本当に難しい。 「事実には『信ずる事で事実となる信仰上の事実』と『合理性を求められる事実』の二種類ある」という事を、米国の神学者から教えて貰った事がある。 今回の「原発論争」は、原発擁護派の「合理性」と、環境保護と再生可能エネルギーを信仰する脱原発派の「信仰」の衝突に終始し、最後まで話が噛み合わなかった。 「原発擁護論」の弱点は、「国民を不安から解放する」政治の使命や国民感情への配慮に欠け、合理性を追求する余り、人間を「統計上」の物体のように扱った事にある。これでは国民の共感は得られない。合理的な事と冷たい事は別である。 それに対し「反原発派」の弱点は、再生可能エネルギーに対する信仰の厚さは良しとしても、合理的な説明の不足と、自分に不利な
秋葉原のリナックス・カフェで、ラジオカフェの収録。今回はustで画像放映。 平川くん、中沢新一さんと、「カタストロフの後、日本をどう復興するか」について、語り合う。 その中で、中沢さんが「第七次エネルギー革命」で人類ははじめて、生態系に存在しないエネルギーを、いわば「神の火」を扱うようになった、という話を切り出した。 そのときmonotheisticとい単語が出て来た。 原子力テクノロジーというのは、いわば「荒ぶる神」をどう祀るかという問題である。 そうである以上、それぞれの社会の「神霊的」なもののとらえ方をストレートに繋がるのではないか。 という話を中沢さんから聞いているうちに、いろいろなことが「がちゃがちゃ」っとつながった。 数千年前、中東の荒野に起きた「一神教革命」というのは、人知を超え、人力によっては制することのできない、理解も共感も絶した巨大な力と人間はどう「折り合って」いけるか
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く