お笑いグループ「ラーメンズ」の小林賢太郎さんのソロ舞台を観にいってきました。小林賢太郎さんの舞台は、しばしばシュールという言葉で表現されますが、10年くらい前に「爆笑お笑いオンエアバトル」というNHKで放送していた若手お笑いによる深夜のネタ見せ番組にちょくちょく出演していました。その年間チャンピオンを決める特番にて、故立川談志さんが審査員特別賞をラーメンズに進呈していました。10年以上も前なのでウロ覚えですが、そこで立川談志さんは「誰もが知っている常識を共感の道具として持ってくることは簡単なのだけど、ラーメンズは人間の無意識化のところで共感を作りだしている」みたいなことをおっしゃっていました。 例えば、よくお笑いで時事ネタ漫談をされる方がいますが、時事ネタは万人が共通項になっている「常識」なので、既に情報としては共有されている下地があるわけです。それを少し工夫すれば、笑いや感動という感情を
島田裕巳さんのコメントに共感したので、ちょっと補足します。きのうの記事でも書いたように、大阪維新の会の政策の中身はお粗末ですが、「船中八策」という包装紙もいただけない。これはウィキペディアにも書かれているように「原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程も全く不明」で、坂本龍馬が書いたかどうかも疑わしい。 そもそも龍馬は普通の近代史には登場しないマイナーな人物で、島田さんもいうように司馬遼太郎のつくった小説の主人公です。司馬の編集者だった半藤一利氏は、こう書いています。 『竜馬がゆく』に、大政奉還という手段を龍馬が「とっさにひらめいた」と書いてあります。読みながら「嘘つけ」と思っていたのですが、司馬さんは作り話の上手な人で、いったんそう書いておいて、十頁ほど先に「どなたの創見です」と問われた龍馬に「かの字とおの字さ」と答えさせているんですね。この案が大久保一翁と勝海舟であることをそれとなく書き
早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。 隠すから疑われる。 逃げるから追われる。 私の経験から言うと、今の世の中は大体そんなところだ。 何も疾しいことがなければ、正々堂々としていればいい。 無理に胸を張ってそっくり返るとひっくり返るから、ごく自然体で臨むのがいい。 人の噂も75日と言うが、世の中の動きが激しい現在はその半分以下の30日くらいだ。 30日も経てば、大体大抵のことは一応の決着を見る。 そういうことが分かっている人は下手に逃げず、下手に騒がない。 そういうことが分かっていない人が下手に逃げたり、下手に騒ぎたててへまをする。
今の日本社会には、「維新中毒」という病が蔓延している。 維新中毒とは、これからの社会をどうするかを考えるとき、もっぱら維新のイメージにばかり頼る症状のことである。 維新ということばは、もともと中国の古典『詩経』に由来する。その「大雅・文王篇」に、「周雖旧邦 其命維新」という形で出てくる。古代中国の周という国は古くからあるものだが、今や新たな命を獲得したという意味である。水戸藩にいた藤田東湖が、藩政を改革するときのスローガンとしてこれを用いたのが早い例で、現在ではもっぱら「明治維新」をさすことばとして使われている。 維新中毒が進行すると、「船中八策」やら、「脱藩」ということばをやたらと使うようになる。いずれも、土佐の藩士だった坂本龍馬に由来する。維新中毒は「龍馬症候群」と言い換えることもできる。 過去にも維新中毒が蔓延したことがあった。大正時代には、新宗教の大本が、「大正維新」のスローガンを
2年前の今頃、『「つぶやき」と訳したのがよかったのかもね。』というエントリを書きました。読み返してみて、あの頃は、私はまだtwitterユーザーではなかったんだなあ、と土曜の深夜にしみじみ。ちょっと前のエントリを引用してみます。ちょっと長いですが。あの頃、twitterの宣伝文句はこんな感じだったんですね。 サービスがはじまった当初のキャッチフレーズは、こうでした。 What are you doing? 日本語で言えば、「今、何してる?」という感じですね。Buzz(このBuzzって、蜂のブンブンという羽の音のこと)的な、気軽で前向きなコミュニケーションの指向性を感じますね。これも、相手に語りかけるという意味では「つぶやき」とは違います。 で、今の英語版のキャッチフレーズは、こうなってます。 Share and discover what’s happening right now, an
鈴木亘さんの1月24日の記事を見て、衝撃を受けた方も多いのではなかろうか。1950年生まれの人と1980年生まれの人で、厚生年金・医療保険・介護保険の世代間負担の差が3,240万円、1980年生まれと2015年生まれでは差が1,020万円。国の借金がいずれ将来世代の負担としてのしかかることが明らかな中、世代間格差がアゴラの主要テーマになっているようだ。 しかし、このような世代間格差が生じていることが明らかになり、あるいは以前から知られていたことがクローズアップされつつも、若年層からこの問題について大きく声を上げる動きが見られない。池田信夫さん、小黒一正さん、城繁幸さんなどが、日本の世代間格差の問題をしきりに指摘していながら、若年層にこの問題に対する怒りの声が沸き上がらない。政治家がこの問題を無視しつづけようとすることは、有権者の年齢構成から理解できるが、若年層からこの問題に対する解決を求め
この時期、研究費の精算のために領収書を整理する。レシートからなにから何でも取ってあるのだが、さて提出となると、オークションやマーケットプレイスで買ったものに領収書が無いものが少なくない。いや、なくしたわけではない。よく見ると領収書ではなく納品書だったり、あたかも領収書であるかのように金額が書かれていながら、領収書、領収しました、などの文言がなかったり。通販でも、領収書を出してもらうのに、多額の発行手数料なるものを追加請求しているところが最近は目立つ。さて、その発行手数料分の領収書を出してもらうのにも、また発行手数料を取る気なのだろうか。 じつは、これには先例がある。イタリアだ。現在、イタリアの付加価値税は20%。その結果、みんなが踏み倒す方向に向かった。20%もの税金を払うくらいなら、10%引きにするから、おたがいネーロ(闇)にしないか、と持ちかける者が増え続けた。領収書を切らず、現金だけ
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