この話は凄く深いのは誰もが認めるところだとは思うのですが、たとえば実装レベルあるいは実用化レベルでの標準化の話と、何かしらの根っこのところで標準化への関与度合いの話を混同するととてもわかりにくくなってしまうと思うんです。例えていうと、前者はDe Facto Standardの話が入り込んでくる事が散見されるし、後者は国際機関や業界機関の中での活動の話という側面が強くなるわけです。特に後者においては(色んな人が嫌がるだろうけれど)政府機関やそれに類する組織の、その業界や領域での力の入れ方や入り方、根本的なところでの思惑、そこでの実際の声の大きさ、過去から今までの資金面と人を含めた貢献度合い、そしてロビイングに関わる人々の動きなどが絡んできて、しかもそれらの多くが(間接的なところまで含めて)関係者以外から非常に見えにくいという前提を忘れるべきでは無いと思うんですよ。つまり良いものが世界標準にな