徐京植さんと高文研のご厚意により、『植民地主義の暴力』(徐京植著、高文研、2010年)に所蔵された論考「和解という名の暴力」を公開する許可をいただきました。誠にありがとうございます。 ■目次 「国民主義」とは何か 植民地責任論 「道義的責任」というレトリック 「記憶のエスカレーション」 和解のために? 「和解という名の暴力」──その流通と消費 一枚の絵から何が読み取れるか 和解という名の暴力──朴裕河『和解のために』批判 他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。──魯迅「死」 「国民主義」とは何か 本稿では、いわゆる「先進国」のマジョリティが広く共有する「国民主義」が、いわば「国境を越えた共犯関係」を形成することによって、旧植民地宗主国の「植民地支配責任」を問題にしようとする全世界的な潮流に対する抵抗線を形成しているという状況について述べる