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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (40)

  • 簡単に言っていいんだよ。 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    選挙おもしろい@sociologbookについて。 以前、県内某所でボランティアの平和ガイドやってる教員崩れの腐れナイチャー(笑)が、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」(原文ママ)と発言したときにぶち切れた俺だが(笑)、「カネがない」ということをあまり甘くみないほうがよい。地位を保証されてのうのうと暮らしている教員や公務員ならなおさらである。 わかるんだけど、やっぱり違う、というか。ここできしさんが「腐れナイチャー」と言う文脈は、想像できなくはないんだけど、とりあえず、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」という文言自体がまちがっているかというと、それは違う、と思うんだよな。モヤモヤするので、整理する。 きしさんが紹介しているような「無駄な公共事業」は、もうどうしようもなく無駄であっ

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  • 社会正義の論理学 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    最近、まったくネットを見ておりませんでした。コメントなども、いくつか放置していてスイマセン。おいおいレスをつけていきます。試運転的に、一ヶ月ほど前に書いたまま放置してた記事をアップしておきます。とりあえず、単純明瞭なこと(としか思えないこと)を、確認しておきます。 さて、僕は「すべての人を守る」ことを社会の目的としました。これを命題Aとしておきましょう。Aの否定は、「少なくとも一人の人については守らない」となります。排中律*1を認めるならば、こうなります。例外はありません。 もちろん、排中律を認めない立場の論理学もあります。たとえば、「Aである」、「Aでない」のほかに、「Aであるかどうかわからない」という三値の可能性を認める立場にたつとしましょう。しかし、ここで私たちが要求されているのは、論理学上の立場ではなく、社会のあり方に関わる具体的内容に対する立場です。別様にいえば、形式に対する態度

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  • 労働市場を市場全体の中で考える - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昔、「あしたのジョー」で、鑑別所だったかの中でボクシング大会をやるんだとかなんとかいう話があった。もちろん、体格の大きいのも小さいのもいて、まともにやったら勝負にならない。で、どうしたかというと、ハンディキャップとして、体格の大きいのはデカイグローブをつけさせてパンチ力を落とす、というルールにしたのだった。それで、ジョーが普段は弱っちいキャラに負けたりして、なんて話もあったのだけど、顛末は関係ないので無理に思い出さないことにする。とりあえず、そんな風な話。 部分均衡と一般均衡 失業の原因は、おおざっぱに言って、労働市場の不完全性にある、とか言われる。経済学的に考えれば、需要と供給を一致させる均衡価格(均衡賃金)というのがちゃんとあるはずで、価格が速やかに調整されるならば、失業=労働供給の余剰は発生しないことになっている。つまり、現実に発生している失業は、なんらかの理由で価格が調整されないこ

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  • 学力調査で「自分の位置」を知る必要はあるのか? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    受験する学校を選ぶとか、そのために知る必要性があるケースはある。ただ、今回の学力調査の問題って、「解けなかったら、先々苦労するんじゃない?」と思われるような、かなり基的な内容が問われていたんじゃなかったっけ? そうだとするならば、「全体における自分の位置」なんて知る必要がない。100点ではないすべての子について、まちがった問題について、なぜ、まちがったのか、なにが理解できていないのだろうか、ということが考えられるべき*1。逆に、まちがった問題があるにも関わらず、「平均点よりは上だ」みたいな安心の仕方をする方が遥かによくない。 点数を公表して比べれば比べるほど、子どもの関心は仕事の質そのもの(=絶対評価)ではなく、周囲との位置関係(=相対評価)のみに焦点化していく。わざわざ教育して子どもをダメにしてるわけだ。バカバカしいにも程がある。「自分の位置」を知ることにもほとんど意味なんかないのに、

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    aozora21
    aozora21 2008/09/21
    私の見た限りでは高得点の子は学校以外のところでも勉強しているので学校評価にもならないし、「学校がどの水準か」を気にするのは親や卒業生だったりしますからね…
  • 学力調査結果を公表すべきでない理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    橋下知事「学力調査の市町村結果、公表すべし」 学力調査非公表なら「私の責任で公表も」 秋田県知事、いずれもasahi.comより。*1 上記記事に関連して。 調査というのは、何を、どういう方法で測り、それにどういう意味があるのかをきちんと考えられる人にとってのみ、意味がある。公表が問題になっているその学力調査というのは、何をどういう方法で測ったのか。そして、測った時点での測定値にはどういう意味があるのか、そういうことも含めて丁寧に検討するのでないならば、結果だけ公表しても意味がない。そして、「結果だけ公表しても意味がない」ということがわからない人に対して公表することは、明白に害がある。 たとえば、ある地域の学校の教育力を測定したいのであれば、ある時点での学力を測り、なんらかの教育手法を試した後、もう一度学力を測定し、どのくらい変化があったか、ということを問題にしなければならない。また、その

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    aozora21
    aozora21 2008/09/09
    『問題はそんなところにではなく、「学力調査結果を公表させ、その結果を改善するための競争原理を働かせれば教育が改善する」と考えるところの、その競争原理主義の方にある。』
  • Attribute=51についての覚書 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    興味深いブログではあったんですが、たぶん、このブログに言及したことってないんじゃないかな。ブクマもつけたことないような。要は勇気がなかったんです、きっと。というわけで、この機会にちょっと書いてみました。 1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51 要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51 相手のルールで戦わなければいけない場面で自分のルールを持ち出すな - Attribute=51 すべりこむ自己責任論 提案されていることが根的にダメ、というわけではないと思うんですよ。てゆーか、たとえば、「1日1度は外に出る。家の周りを散歩するだけでもいいから外に出る」なんていうのは、試す価値は結構ありますよ。具体的でいいですよね。こういうところが人気の秘訣なんだろうな、と思います。しかし、そういう具体的な行動提起にあわせて事実認識や価値判断を歪める、そういう方向へ

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    aozora21
    aozora21 2008/08/31
    『「文句をいう」からこそ「行動する」、できるようになった、というようなこともあると思うのですが』Webには愚痴や行動未満が書かれることがある、それを現実の行動として捉えられてしまうのはありがちに思います。
  • こんなものが「経営」か - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由」@分裂勘違い君劇場 「分裂勘違い」は、結構マジな自称なのかな、と思う今日この頃。 「「経営」に関する迷信」における迷信 迷信1 企業は社会的使命のために活動する 企業の目的は金儲けではありません。 これを忘れると、中長期的には、逆に、売上も利益も減少していくことが多いです。 …… 企業は、経済的な富を生み出すことを目的とした唯一の社会的機関です。 経済的な富を生み出すことこそが、企業の社会的使命です。 normative(規範的)な議論とdescriptive(事実説明的、記述的)な議論がごっちゃになってます。normativeな意味でなら、企業の目的は金儲けではなく生産活動を通じて社会に貢献することでしょうが、descriptiveな意味で、ほっておいても企業がそのように行動するというわけではありません。企業の行動

    こんなものが「経営」か - モジモジ君のブログ。みたいな。
    aozora21
    aozora21 2008/08/09
    長期的に経営がうまくいっている企業はよりよい社会のために貢献しているんですよね…日本は欧米のそういうよい文化は真似しないのだと誰かが言ってました。
  • イジメの形而上学 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、ベースとして、コレ。>「いじめ/ファシズム/引きつった笑い - 過ぎ去ろうとしない過去」 問題は「イジメであったかどうか」ではない 人の内面は、その人しかわからない。てゆーか、その人にはわかっているのなら、まだ問題としてはマシなんだよな。その人のわかっているつもりの内面が、その人の当の内面を隠蔽するために捏造されたものだったりもするので、その人のいうことを真に受けておけばいい、というわけでもない(真に受けるしかない、ということはあるけれど)。いずれにせよ、内面はわからない。 だから、外形に頼るしかないところもあるわけで、いじめとなりうる外形的な状況が発生していたら、「人がどう思っていようと」それはいじめだと、まずはいってしまう、というスタンスも出てくるだろう。これはこれでわかるけれども、まぁ、乱暴ではあるわな。難しい。 では、どう考えるか。つまりは、その状況からその人が抜け

    イジメの形而上学 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    aozora21
    aozora21 2008/07/11
    『第一に、その不可能性を自覚しておく/第二に、その都度のイジメ状況に風穴をあけたり反転させたりすることは最大限やっておけ/第三に、最大限やっても、それでもイジメになりうることに対する恐れを忘れるな』
  • オマワリの主人の自覚が必要 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「死ねばいいのに - 無産大衆」 ここを普段読んでる人なら知ってるだろうけど、僕は全然アナキストなどではないのであって、どちらかというと秩序大好き人間なのであるが(大概の落書きも大嫌いだし)、にも関わらず、こういうデモの弾圧とか、それをまともに報道しないメディアの話とかになると、非アナキストの有象無象のたわごとなんかより、アナキストの方が全然共感できるってのも悲しい話だよな、とは思う。 とりあえず立ち位置 直後に聞いたところによると、運転手に関しては運転席の窓ガラスを割って、無理やりこじ開けたとのこと。それで、逮捕理由が公務執行妨害だと。なんだ、それは。こっちは来しなてもいい許可申請までしてやってるんだぞ、カス。死ねよ。というか、公妨ってなんだ。とりあえず、さっき警察署に弁護士を派遣した救対の人の話によると逮捕者は四名、上記三名に加えてロイターのジャーナリストも持っていかれたとか。 まぁ

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    aozora21
    aozora21 2008/07/07
    『「記録がなければ、まずはオマワリの言い分を信用する」というのは、もう、オマワリとの緊張感のないお花畑的市民と言う他ないでしょう。』
  • 愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「問題は疑似科学ですらない」@地下生活者の手遊び 「愚行権」にせよ、「啓蒙の暴力」にせよ、実に粗雑な使われ方をしてるのをよく見かける。あまりに酷いので、当面、自分で使うのは自粛しているくらいなんだけど、またか、という感じではある。 「愚行」を支えるもの とりあえず、愚行権とはどういうものか、tikani_nemuru_M氏の記事もあるわけだが、そのまた元ネタであるところのミル『自由論』に遡って引用してみる。 ……社会が個人として強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制であっても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だと言えるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を

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    aozora21
    aozora21 2008/06/02
    『どうするかは、そのときの医師の判断にゆだねる/僕は医師が輸血しようとしまいとその医師を責めませんが、公共的な討論における立場としては、成人だろうと子どもだろうと輸血すべきだ、という主張をします』
  • バカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。

    「十字軍はバカに勝てるか」では、「バカ」の中身をまったく説明せずに用いた(108回も)。では、バカとか賢いとかは、どのように考えればいいのか。何やら質主義的な定義をしている人もいれば、そもそも「バカ」という記号を忌避して事足れり、としている人もいる。そんな単純な問題ではなかろう、とは思う。以下、述べていく。 「バカ」という記号とその構造 さて、この記事についての検討からはじめよう。>「あなたの周りにいる人はバカばかりですか?」@Skepticism is beautiful 僕がある人を指して「バカだ」と言うとき、それは僕の認識枠組みにおいて、その人が、なんらかの不十分さや欠落を持っている人として評価されている、ということを意味する。どういう理由でかは別にして、ともかく、僕の位置からはそう評価されていることを意味する。逆に言えば、「何かが欠落した奴ら」「欠落していない私たち」という枠組み

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    aozora21
    aozora21 2008/05/29
    バカに歴史あり?!/lets_skepticさんは「バカ」と記述しない、その違いで捉え方は似ているような気がするんですが…
  • トリアージについて二つ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろんなことが言い尽くされたように思うので黙ってましたけど、わざわざ尋ねてくれた人があったので、簡単に。発端の福耳さんもいろいろ考え直されているようだし、福耳さんを批判しなくちゃ、ということではないですが。基的スタンスとして大事なのは、この記事、かな。>「救ったこととか見殺しにしたこととかあるのかな」@こどものおいしゃさん日記 あと、二点ほど、付け加える。 トリアージって、別に問題の解決でもなんでもなくて、てゆーか、そもそも問題の解決ができないからトリアージが出てくるわけで。だから、トリアージが必要な場面で、トリアージを実行するだけの人たちがPTSDになったりする。人は、問題の解決が可能なのに助けられなかったことが辛いのではなく(そういう辛さもあるときにはあるだろうけど)、問題の解決が可能であろうと不可能であろうとただ助けられないというときに、そのことを直接に、辛く思う。だから、問題の解

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    aozora21
    aozora21 2008/05/25
    『「トレードオフ」と「トリアージ」は、似て非なる概念/トリアージ以外のことを考えうる場面でトリアージを持ち出してはならない。』
  • 十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いわゆる「ニセ科学批判批判」をしている人の文章を読むと、こういうのを書いている人って切実に「これはまずいのではないか」と思うような体験がないのか、単に寛容な人なのか、なんなんだろうという。人によっては自分の周りの人たちは水からの伝言のことを話していてもそんなに真に受けてないし、何を騒いでるの?といったことを書いていたりもしますし。 「昨日のエントリについての補足」@Demilog ニセ科学にはまっている人を見て、切実に「これはまずい」と思うことならいくらでもあります。ただ、ニセ科学を討伐する十字軍をやっても無理だろう、と思っているだけです。バカは、バカとして主体的であることはできても、バカでなくなることはできません*1。怒ったところで宥めたところでスカしたところで、バカが治るわけではありません。バカはバカだからバカなのです。科学的な説明をしてみせても、わかるわけがありません。バカなんだから

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  • 励ましが自己責任論に似てくる理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「逃げ場所はあるよ」@reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) 「逃げる場所が無いときも確かにある」@オレドコBlog 一ヶ月近く前に見かけた、興味深いやり取りについて。 reponさんの「僕は「自己責任論」なんていう、人と人とのつながりを断ち切る冷たい在り方はだいきらい」は心だろう。でも、それが、オレドコさんには「自己責任論」に聞こえてしまう。こういうことは、しばしばある。reponさんが真実「自己責任論なんて嫌い」と思っていることをreponさん自身は知っているのだし、だから、これはオレドコさんの誤解、誤読に決まっている。──しかし、reponさんは、少なくとも一つ、嘘、とは言わないまでも、根拠のないことを言っている。それは次の部分である。 「ともに生きていこう」とさしのべる手は、今は見えないのかも知れないけれど、きっとあるよ。絶対にあるよ。間違いなくあるよ。 r

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    aozora21
    aozora21 2008/05/11
    『あなたにハッキリと見えているところのその絶望を、引き受けて生きよう。』共感と理解と友愛と協力を同じ目の高さから。
  • だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日

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    aozora21
    aozora21 2008/04/24
    『犯した人が罪を犯したことを認める可能性に、最大限に賭けたいと思うからだ。それは時に、死刑よりも過酷な刑でありうるのではないか、と思いつつも。』
  • そのまんま東ブームが見えなくしているもの - モジモジ君のブログ。みたいな。

    宮崎県のタレント知事のおかげで、県産品の売上が急増、地場経済が活気付いているとのこと。そりゃあまことに結構なことなんだろうけどね、しかし、マクロの消費が増えているのでないならば、宮崎県産品が売れただけ他の品物が売れなくなっただけのことであり、それは結局椅子とりゲームに過ぎない。宮崎県がやっていることは、宮崎県経済の生き残りの戦略として別に非難されるべきことではないだろうけれども、「地方にも活路はある」みたいな主張につなげるならば(つまり、そのまんま東みたいにやればいい、ということならば)、それは非難されるべきことであると思う。それはゴマカシだ。 そのまんま東はまじめに大学院で勉強したのかもしれないが*1、あの異常なほどのテレビでの露出は(つまり、テレビ業界の厚遇は)、いったい何なのか。他の都道府県の知事が同じように必死でやれば、同じように取り上げてくれるのか。そうではあるまい。 タレント候

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    aozora21
    aozora21 2008/01/28
    『「地方にも活路はある」みたいな主張につなげるならば(つまり、そのまんま東みたいにやればいい、ということならば)、それは非難されるべきことであると思う。』
  • 既に承認されて在ることを信じる、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事からの流れを受けて。font-daさんからコメントとトラックバックをいただいている。x0000000000さんからもトラックバックをいただいている。font-daさんの記事に即して考えてみる。 人は無からは生まれない。なんらかの他者の営みから生まれてくる。そういう意味では、全ての人は誕生する時に、原理的には、他者に存在を肯定されている。たとえ生み出した人間から「望まない」「望んでいなかった」と言明されていても、殺されなかったという事実によって、その人の誕生の瞬間に起きた、原初的「存在承認」は担保されている。「存在承認」を経験したことない人はいない。この世に生まれ出ることとは、純粋な「存在承認」の発露だ。 このような意味での「承認」であるならば、私たちは、日々、自らの排泄物に対してさえ、行なっている。承認を求める人たちが求めているのは、このような形式的なものではない。求められている承

    既に承認されて在ることを信じる、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    aozora21
    aozora21 2007/12/04
    『「共に信仰する人」であったり、「共に真理を探索する人」』『自ら立つ人を参考にしながら、自分も立ってみよう、という力を引き出そうとするものとして位置づけられているように思う。』
  • 既に承認されて在ることを信じる - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「承認は分配できるか(財のように)」、後半部分について。 「「財の」分配という問題は立てられるが、「承認の」分配という問題は立てられない」、というところまでは、そうだと、やはり思う。その先を考える。 では逆に、誰からも承認されずに、それでも生きていくことを肯定できるだろうか?他者からの承認は、心地よい。時々、そのためにこそ生きているかのような錯覚さえ起こす。しかし、それは錯覚のように思える。誰からも承認されないとしても譲れない、というものは、自分の中にもあるような気がする。他者からの承認など不要だ、と言えるだろうか。言える。過去の幾つかのことを振り返って、自分の今の時点での見解として述べるならば、他者の承認は心地よいが、しかし、絶対不可欠のものではない、と、思う。より根にあるのは、自分が自分を承認する、ということだと思う。 「他者からの承認など不要だ、と言える」、と述べた。これは当だろ

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    aozora21
    aozora21 2007/11/30
    『承認とは、私たちが生きてあることの中に「発見される」ものではなかろうか。他者の承認も、たとえば、私があなたを承認するというときにも、あなたは私の承認によって「創造される」のではなく、「発見される」』
  • 混合診療を解禁してはいけない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する「混合診療」を実施すると、来は健康保険が適用される診療も含めて治療費全額が自己負担となる厚生労働省の運用が妥当かどうかが争われた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。定塚誠裁判長は「厚労省の法(健康保険法)解釈は誤り」と指摘し、原告患者に保険給付を受けられる権利を認めた。混合診療を原則として禁止する国の政策を違法とする司法判断は初めて。 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071108k0000m040091000c.html(魚拓) 患者の選択の自由、混合診療解禁は当然至極、と思われがちだが、これは極めて危険である。素人が弁護士の力を借りずに国に対して勝訴したこともあって盛り上がっているようだけど、冷静に議論したい。論点は、混合診療の是非ではなく、それ以前のところにある。次のを参考に整理する。 市場原理

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    aozora21
    aozora21 2007/11/09
    『問題は、十分に効果が確認されたはずの治療法が、いつまでも保険適用にならないことである。それは、医療行政の遅さ・怠慢であり、そのプロセスの不透明さである。』
  • これが人間か──終末期の治療法、意思確認に診療報酬 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    終末期の治療法、意思確認に診療報酬・厚労省方針 厚生労働省は26日の中央社会保険医療協議会(中医協)で、患者の終末期の治療方法を文書で確認した場合に診療報酬を医療機関に支払う方針を提示した。終末期を自宅で迎えたい人や、病院での延命治療を望まない人の希望を尊重する医療へ転換を促すのが狙い。2008年度の診療報酬改定で実現を図る。 終末期医療を巡っては、体調の急変などで患者が自分の治療方法に関する意思表明をできなくなるケースも多く、人が望まなかった延命治療なども行われているとみられている。このため厚労省は、医師や看護師らが患者と話し合い、体調急変の場合の治療方法を事前に合意して文書化すれば、診療報酬を支払う仕組みを提案した。 http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20071027AT3S2602F26102007.html*1 どう論評すればいいのかが分から

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