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社会学に関するshokou5のブックマーク (23)

  • SYNODOS JOURNAL : 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」 稲葉振一郎

    2011/8/1215:0 斜めからみる「日のポストモダン教育学」 稲葉振一郎 撮影:鈴木理策 日の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。 さて、そのような状況に、日教育学はどう対応していたのだろうか? 日教育学における近代批判は、内発的にはたとえば、やはりポスト「1968年」の一環としての反差別運動に呼応するかたちで現われ、すでに70年代に、障害者教育や発達心理学の内在的批判から立ち上がった反発達論(先駆的には山下恒男『反発達論』現代書館、197

    shokou5
    shokou5 2011/08/25
    "ことに社会学が強調するところの「近代性」は逆に、己の特殊性、「伝統」との断絶を強調することによって何かを隠蔽しているのではないか"
  • http://www.spaceandculture.org/2009/03/24/book-reviews-reassembling-the-social/

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    shokou5
    shokou5 2011/04/06
    ラトゥール『社会を組み立て直す』の書評."アクターネットワーク理論は「社会」とラベル付けできる明確な領域はないとする立場" 理論を知るための本というより,知るためにはどうしたら良いかについての本.Do ANT!
  • ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network

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  • trickenさん、語る、語る

    tricken@暁月6.0済 @tricken 村上春樹の文学がどうも最近多くの人にうすっぺらく感じてしまわれる原因の一つには、みんな村上春樹が考えてるほど「身体と向き合う」ってことについてそんなに面白みを感じてないからだと思うよ。 2010-01-14 08:37:10 tricken@暁月6.0済 @tricken 内田樹さんがあんなに村上春樹シンパなことを自分は(その議論にあまり興味はないけど)よく理解できて、それは彼が合気道の師範になれる程度には身体に適応する面白さというリテラシーを持っているからです。だから『下流志向』で徒弟制度を、なんて素朴なことを言っちゃうのは問題なんだけど。 2010-01-14 08:38:35 tricken@暁月6.0済 @tricken 僕は身体に適応する面白さをよく知ってるから、『1Q84』の青豆さんの描写には痺れるし、村上春樹の肉体の書き方はもう

    trickenさん、語る、語る
  • 対抗文化

    天理大学生涯教育専攻研究室HPトップへ ・「ふたつの「対抗文化」論をめぐって - ウィリスの「野郎ども」とサックスの「ホットロッダー」 - 」『天理大学生涯教育研究』no.2,pp.31-44.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(1998/3/22) 0:はじめに 私たちが「教育」について語ろうとするとき、往々にして、そこになにかしら「キレイゴト」のニュアンスが漂うことになる。そのことは、皮肉にも、学校教育について語るとき以上に、学校以外での教育を語るときに、よりはっきりとする。私たちは、制度化され日常化された「学校」については批判(あるいは感情的な非難)の言葉をいくらでも口にすることができるが、そのぶん一層、「当の、あるべき教育の理想像」を、制度的・日常的な学校以外の場面に見出そうとする傾向があるのだ。そのために、往々にして、学校外の教育については、理想化されたイメージが先

  • KASUGA Sho Web Site / 【書評】『サイバネティクス学者たち :アメリカ戦後科学の出発』

    書評】『サイバネティクス学者たち :アメリカ戦後科学の出発』 [購入] スティーヴ・J・ハイムズ著 忠平美幸訳発行年月:2001.01 出版:朝日新聞社 ISBN:4-02-257565-4 価格: 3200円+税 ※STS Network Japan News Letter Vol.11 No.4(通巻No.41) 2001.3. 9p.-10p. [LINK] 戦後アメリカで行われたメイシー会議(通称サイバネティクス会議)については、多くの論者がその重要性を指摘するところであるが、体系的な研究はあまり多くない。これは、ひとつには文理を横断した分野にわたる多くの参加者の来歴、思想や知識を理解し、記述していくことの困難さに由来するだろう。しかし、文末に掲げられたメイシー会議参加者のリストを見ればすぐに理解できるように、サイバネティクス会議の参加者は、ゲストまで含めると、まさに戦後アメリカ

  • 『調査情報』2009年7-8月号(489号)に次著を予告する長文を掲載しました - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 『調査情報』2009年7-8月号(489号)に次著を予告する長文を掲載しました « マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » ──────────────────────── 「昭和を知らない子供たち」へ 〜〜社会の記憶から消去された「昭和の終わり」〜〜 ──────────────────────── ■昭和から平成への改元は1989年。崩御の日に最初の著書『権力の予期理論』の後書を書き上げた。何ヶ月も続いた「自粛ブーム」や女子高生たちが大勢並んだ「ご記帳ブーム」のせいで、80年代のバブル的ないしポストモダン的な狂騒が何だったのか、よく分からなくなっていた。 ■しかしそれは表層のこと。『権力の予期理論』の執筆時に私はテレクラ・フィールドワークに明け暮れていたのだが、テレクラ

    shokou5
    shokou5 2009/07/06
    1980 年代後半から 1990 年代前半の空気.
  • Socius_ソシオリウム【総合案内】

    Sociorium ソシオリウムは学習ゾーン。社会学の展示室です。 社会学の入門・学習法・概論の講座やブックガイドを用意しました。 社会学感覚 1992年初版刊行(文化書房博文社)の社会学入門書。はじめて社会学を学ぶ人のためのテキスト。1998年に増補版刊行。増補版の全文(全690ページ)を再編集して掲載しています。 [初版1990-1991年執筆、増補版1997年執筆、2002-2003年ウェッブ用に再編集] →詳細目次 まえがき 凡例 はじめに(増補版) 社会学論――自己反省のための科学 1 脱領域の知性としての社会学 2 日常生活の自明性を疑う 3 行為の意味を理解する 4 社会現象を総合的に認識する 5 社会現象における共通形式を抽出する 6 同時代の社会問題に関わる 7 社会とはなにか、社会学とはなにか 人間論――他者との関係の産物としての個人 8 自我論/アイデンティティ

  • [T-OFFICE] 教育社会学の「奇跡」または私のフロンティア

    (久しぶりにキーボードを買ったので試運転がてら打ってみる。) 東京郷の東大赤門をくぐるとすぐ左手に教育学部が入っている図書館団地の一辺が見える。そこの三階フロアに教育社会学研究室があり、ここから今わが国の教育のあり方に向けて数々のメッセージが発信され続けている。大方の同意を得られると思うが、その質と量と説得力の強度と影響力の及ぶ範囲においてそれらは「奇跡」に近い。同じフロアに同居している教育行政学研究室が改組消滅と聞くと感慨はいっそう深いものがある。が、感慨にふけってばかりもいれらないので、この「奇跡」をどう受けとめるのか、自問してみる。 --------------------------------------- 広田照幸による問題へのアプローチはもはやお馴染みのとおりである。たとえば近著『<愛国心>のゆくえ』(17--18)より では、「望ましいかどうか」をどのように考えて

  • 合理性、計画、生活世界 | Theoretical Sociology

    下記の著書について。 Michael・E. Bratman, 1987, Intention, Plans, and Practical Reason, Harvard U. P. (=門脇 俊介, 高橋 久一郎訳 1994『意図と行為―合理性、計画、実践的推論』産業図書) 著者は、Davidson の弟子らしく、意図の計画や合理性との関連を哲学的に検討している。社会学では、意図が行為の後に遡及的に推論され、構成されるケースを強調する。確かに自分でもすぐには説明できないような行為も多い。しかし、ブラッドマンによれば、われわれは、日常的に将来について計画を立て、何かを行う意図を持つ。そのような意図を前提に、われわれはスケジュールを調整したり、さらに細かな計画を立てることがある。意図は、しろうと心理学的には、過去の行為を説明するための方便というよりも、将来に向けた複数の行為の調整や計画との関連

    合理性、計画、生活世界 | Theoretical Sociology
    shokou5
    shokou5 2009/04/01
    "難しいのは、均衡点や合理的行為を選ぶことではなく、ゲームの構造を作り上げること" "ゲームも相互行為の構造も効用関数も不可視" "実行可能で有効そうな戦略を見通す者こそが合理的行為者"
  • 稲葉振一郎『理論社会学入門講義(仮)』6月刊行を目指して作業中につき - shinichiroinaba's blog

    さわりを公開します。 前回、19世紀末から20世紀初頭において成熟した「社会学」という学問は、一言でいえば「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての学問」である、とまとめました。こういう発想による理論社会学のプロジェクトの頂点が、20世紀中葉のアメリカ合衆国の社会学者、タルコット・パーソンズです。社会を一定の価値観、規範を共有し、それを内面化した人々の集まりとして、そうした人々の行為のネットワーク――システムとして捉え、更にその変動メカニズムまでをモデル化した理論を作ろう――パーソンズはそのように考えて、壮大な理論モデルを試行錯誤して作り上げていきます。今日でもぼくたちはしばしば「社会システム」という言葉づかいに出会いますが、それはパーソンズによって広まったものである、と考えても構いません。 成熟期のパーソンズの理論は「構造機能主義」と形容されます。「機能主義」という言葉は今日で

    稲葉振一郎『理論社会学入門講義(仮)』6月刊行を目指して作業中につき - shinichiroinaba's blog
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    shokou5 2009/02/05
    他の分野との力学で社会学の変遷を辿る。面白かった。変化の予測をするということはその裏に不変の実体・法則を仮定すること。パラフレーズを使って、実在にコミットせずに議論を進めるなんてことをやるんだろうか。
  • 社会学とは、どのような学問か(西阪仰教授) - 明治学院大学:社会学部オリジナルサイト

    社会学は、もちろん、その名の通り「社会」についての「学問」です。って言うけれど、社会なんていったいどこにあるんだ。あるいは逆に、この世の中のものごとで「社会的」ならざるものはいったいどこにあるんだ。木になるリンゴだって「社会的」です。どうしてこのリンゴは、家の中ではなく、その畑の一角になっているのか、てなことを考え出したら、もう社会学の領域のなかに入っています。でもこんなふうに言うと、ちょっと待った、と反論したくなる人もいるでしょう。この例はずるい、だってそんな問い方をするから社会的なんで、たとえば、顕微鏡を覗きながら、「リンゴの細胞組織はどうなっているかな」というときのリンゴはちっとも「社会的」でない、と。ピンポーン。この人は、社会学原論、Aまちがいなし。社会学の社会学たるゆえん、それはその「問い方」のうちにあるのだ。リンゴに向かうとき、どういうことばをどういう原理で用いるかによって、同

  • 松尾匡 - 04年9月9日 羽入−折原論争を読んだ

    松尾匡のページ 04年9月9日 羽入−折原論争を読んだ 羽入辰郎という人が『マックス・ウェーバーの犯罪』(bk1amazonYahoo!)という刺激的なタイトルの著書を出してデビューしたのを受けて、ベテランのウェーバリアンの折原浩が『ウェーバー学のすすめ』(bk1amazonYahoo!)という批判を出した。北大の橋努氏は、羽生−折原論争のホームページまで作っていて、この論争への参加者達の論評を掲載している。 まあ、私などは、ウェーバーについては大塚訳の『プロ倫』を岩波文庫でざっと通読しただけで、あとは山之内靖や佐久間孝正の解説を読んでいるだけのド素人なので、両著とも野次馬的に「へぇー、へぇー」と言いながらずいぶん楽しませてもらった。 羽入が言っていることは、「犯罪」とか「詐欺師」とかの挑発用のレトリックを全部除いて簡単に言えば、「『プロ倫』でウェーバーは、ルターが当はBeruffと

    shokou5
    shokou5 2009/01/07
    ウェーバーの日本における微妙なポジションが論争をわかりにくくしているなあ。左翼ウェーバリアンのウェーバーってのは一体なんなんだ。
  • ルーマン・フォーラム過去ログ撰:ルーマンの進化観を巡って[1/3]

    Date:Wed, 12 Apr 2000 18:46:44 +0900 From: 酒井泰斗 Subject:[luhmann:00960] 転送 : Niklas Luhmann のシステム論的進化観について 酒井です。 このフォーラムでも何度か話題にでました、evolve-ml の主催者、三中信宏@農環研・計測情報科・調査計画研究室#さんから、次のようなメールをいただきました。 これ、最初に私のほうへDMでいただいたのですが、私一人で答えるにはちと荷が勝ちすぎているので、 なにしろ私は、言及されている Die Gesellschaft der Gesellschaft (1997) も、 Die Wissenschaft der Gesellschaft (1990) も 読んでないし(;_;)。

  • 2008-09-15

    フーコーの穴―統計学と統治の現代 (明治大学社会科学研究所叢書) 作者: 重田園江出版社/メーカー: 木鐸社発売日: 2003/10/01メディア: 単行購入: 5人 クリック: 56回この商品を含むブログ (20件) を見る 重田園江,2003,「正しく測るとはどういうことか」 グールドの『人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)』についての紹介からはじまり,その著作のなかの「遺伝決定論vs社会環境論」という議論のなかではあまり明確に問われていない問い「正しく測るとはどういうことか?」を問う論文. 現在の教育状況では、ビネが抱いた知能多元論(子ども自主性を尊重)に近い議論がされているけど、それのよくないところとして次の引用。 こうした教育は,一見すると,生徒の個性と自主性を尊重する実り豊かなものに見える.これに対して,ここで「作られた主体性」や「強制された個性」といった表層

    2008-09-15
  • 社会学からの全体性の脱落に抗して、いま何が必要なのか - MIYADAI.com Blog

    宮台院ゼミ『21世紀の現実~社会学の挑戦~』あとがき 【社会学からの全体性の脱落】 ■あらためて言うまでもないことだが、社会学という学問が、フランス革命から第三共和制に至る社会的不透明性の体験──個々人の意思や意識とは独立かつ予想不可能な形で社会が動くという経験──から立ち上がったとき、社会学には「全体性」が要求されていた。 ■社会学が、帝国主義時代の19世紀末に「近代はいかにして可能か」という問題設定を手にした際も、「契約の前契約的な前提」「権力の前権力的な前提」を問う形で、経済学的・政治学的な対象性自体を支える、従来の学問よりも大きな「全体性」を志向した。 ■先に述べたフランス革命以降の「国家暴走」の経験に応接して出現した無政府主義(国家を否定する中間集団主義)やマルクス主義(国家暴力装置論)に対抗して、国家や社会を論じるという伝統的な問題設定も、敵方に劣らない「全体性」への志向へと

    shokou5
    shokou5 2008/09/26
    "ナイーブに真理性に依拠しようとするアカデミシャンは、真理性を支える社会的文脈の分岐ゆえ、自動的にローカルな内輪コミュニケーションに囲い込まれる"
  • 自閉症の障害学がはじまる - 泣きやむまで 泣くといい

    今日、書店で見つけて、いま風呂で半分ほど読んだ。 自閉症の社会学―もう一つのコミュニケーション論 (SEKAISHISO SEMINAR) 作者: 竹中均出版社/メーカー: 世界思想社発売日: 2008/08/01メディア: 単行購入: 9人 クリック: 150回この商品を含むブログ (15件) を見る これはすごい。 自閉症研究にも障害学にも足らない(ように自分には思えていた)問題意識を、しっかりと社会学に軸足を残しながら深めている。自閉症研究に社会学的な視点がもちこまれるのは、これまでもっぱら「自閉症の社会的構成」を暴露しようとする文脈の中だったように思う。それはそれとして有意義だけれど、ずっと物足らなさを感じていた。自閉症者と定型発達者の分断がいかに社会的に生み出されたのかをアピールしても、行き着く先は「私たちは連続している」ということに過ぎず、問い直されるものが小さすぎやしないか

    自閉症の障害学がはじまる - 泣きやむまで 泣くといい
  • God & Golem, Inc.

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    shokou5
    shokou5 2008/06/14
    Woolger あたりの科学社会学/人類学とパラレルな感じを覚えます。興味津々。/おれ、梶尾真治に関しては負け組み。鶴田謙二に関しては勝ち組、ということでお手打ち願います。
  • | Roscellinus Compendiensis

    shokou5
    shokou5 2008/04/17
    "「社会化」や形式化の根源が個人の自由な超越的な生であるのに、逆転して生が形式化によって規定される"
  • 「いただきます」って言ってますか? - hideo's hideout.

    考:「いただきます」って言ってますか? 「給や外では不要」ラジオで大論争−家庭:MSN毎日インタラクティブ この記事が物議を醸しています。一番中心的なテーマの部分だけ引用しますね。 TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。 こ、これは……(絶句)。 ぼくの反応は、こんな感じでした。いやー、まさかこんなことを言う人がいるとは夢にも思わなかった。そう驚くとともに、カチンときましたね。「金を払ってるから当然だ」って、ぼくはこういう考え方って好かないんですよ。なんかすごく寒々しいなあ、と思うんですよね。 で、ぼくの感想はだいたいこんな感じだったんですが、「物議を醸してい」るだけに、他の人の感想もいく

    「いただきます」って言ってますか? - hideo's hideout.