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サキは20世紀初頭に活躍したイギリスの作家で本名はヘクター・ヒュー・マンロー。ペンネームのサキ(Saki)は、11世紀ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの詩『ルバイヤート』に出てくる酒姫(サーキィ)にちなんでいる。 サキが生まれたのは1870年、イギリスの植民地ビルマでだった。 スコットランド系の父親は当地で警官をしており、この背景は同じようにビルマで生を受け、同じように父親が警官であったジョージ・オーウェルと、のちの経歴も含めて、きわめて重なり合う部分が大きい(※オーウェルについては「象を撃つ」でもふれているので詳細はそちらを参照されたい)。だが、オーウェルが生まれたのは1903年、サキが生まれた時代との三十年の隔たりは、植民地の状況もそれを取り巻く情勢も、ずいぶん異なっていたようで、同じような背景を持ちながら、作家としてはまったく異なる方向に進んでいったのも、こうした時代的状況のちがいと
ここではGeorge Orwellのエッセイ " Why I Write "を訳しています。 このエッセイは1946年、オーウェル四十三歳のときのものです。 この前年、強烈なソヴィエト批判のために、出版が困難を極めた『動物農場』が、イギリスとアメリカで出版されるやいなや大評判となり、一躍オーウェルの文名は高まります。 一方、世界は第二次世界大戦の終結ののち、アメリカ・イギリス対ソヴィエト、東欧諸国の対立が先鋭化していき、オーウェルは『動物農場』後の世界を舞台とした物語の構想を練り始めます。そうして、いよいよ『一九八四年』の執筆を開始したちょうどその時期に書かれたエッセイがこの作品です。 オーウェルというと、前に訳した「象を撃つ」や、先にも挙げたふたつの長編が非常に有名で、政治的な作家と思われがちですが、このエッセイにはそうではない彼の一面が語られています。ここからオーウェルに関心を抱かれた
ジョン・アップダイクの『A&P』の全文訳を掲載します。 原作は http://www.tiger-town.com/whatnot/updike/ で読めます。 邦訳は新潮文庫で『アップダイク自選短編集』(訳 岩元巌)が出ているのですが、最近この本は新潮文庫のラインナップから外れました。まだamazonでは在庫が残ってるみたいなので、手に入れたい人は急げ! いつものように、注意書きを。 これは当方があくまでも趣味的に訳したものです。あくまでもそういうものとしてお読みください。 誤訳にお気づきの方はご一報ください。 なお、見やすいように原文にはない改行がしてあります。冒頭一字下げしてあるところは原文の段落、それ以外のところは、原文にはない改行と理解してください。 A&Pというのは、アメリカのスーパーマーケット。 アメリカ最初の食料品店として19世紀半ばにオープンしたGreat Atlanti
神様、お願いです、彼にいますぐ電話をかけさせてください。ね、神様、“さあ、あの娘に電話なさい”って。わたしのお願いはそれだけ、ほんとに、そのことだけなんです。だいそれたお願いなんかじゃないでしょ。神様だったら、簡単なこと、どうってことのない、あっというまにできることでしょ。ただ彼に電話させたらいいだけ。だから、神様、お願いです、お願い。 もし電話のことを考えずにいたら、かかってくるのかも。そういうことってときどきあるし。なにかほかのこと、考えてたら。ほかのことが考えられるものなら。もしがんばって五飛ばしで五百まで数えたら、そのあいだに電話があるかも。ゆっくり数えよう。ごまかさないで。もし三百のところで電話が鳴っても、続けるの。五百になるまで出ないんだ。5…、10…、15…、20…、25…、30…、35…、40…、45…、50…、ああ、頼むから鳴ってよ。お願い。 時計を見るのはこれでおしまい
◆HOME ◆翻訳作品一覧 ▼シャーウッド・アンダーソン ▼ロバート・バー ▼チャールズ・バクスター ▼アンブローズ・ビアス ▼エリザベス・ボウエン ▼トルーマン・カポーティ ▼ジョン・チーヴァー ▼ウィラ・キャザー ▼ロアルド・ダール ▼フィリップ・K・ディック ▼ウィリアム・フォークナー ▼F.スコット・フィッツジェラルド ▼シャーロット・パーキンス・ギルマン ▼メアリー・ゴードン ▼グレアム・グリーン ▼リリアン・ヘルマン ▼アーネスト・ヘミングウェイ ▼オルダス・ハクスリー ▼W.W.ジェイコブズ ▼シャーリー・ジャクスン ▼リング・ラードナー ▼トーマス・リンチ ▼キャサリン・マンスフィールド ▼サマセット・モーム ▼カーソン・マッカラーズ ▼ジョイス・キャロル・オーツ ▼フランク・オコナー ▼フラナリー・オコナー ▼ジョージ・オーウェル ▼ドロシー・パーカー ▼サキ ▼J.D.
2008-12-31:陰陽師的2009年占い 今年もやります。「陰陽道に基づかない陰陽師的占い」の発表です。 陰陽師的2009年占い 【牡羊座】2009年のキーワード:「往生際」の達人を目指す 身の回りのささやかな物事の寿命を決めるのは、意外にむずかしいものです。噛んでいるガムはかなり前から味がなくなっているし、プリンタは赤いランプを点滅させてインクがなくなっていることを知らせています。歯ブラシの先は明らかに反っているし、パソコンのマウスも、電池残量10%以下の表示が三日前から続いている。いつ諦めて新しいものに切り替えるか。あなたの身の回りの物たちは、あなたの決断を待っています。 ものを大切にするあなたがそういうものをなかなか換えられないのは、「本当にそれでいいのか、まだ使えるのではないのか」という疑念がいつまでもあなたを苦しめるから。 まだ早いかな、と思いながら使っていると、あと半分、と
ここではTruman Capoteの短編 "A Christmas Memory"を訳しています。 1956年発表のこの短篇は、アメリカでは教科書に採用されたり、クリスマス・シーズンになるとあちこちで朗読されたりして、非常に多くの人びとに愛されている作品です。 この短篇の背景になっているのが、カポーティが四歳から七歳まで過ごしたアラバマ州モンローヴィルの農場での生活です。当時、彼は母親のいとこの家にあずけられ、そこで七歳までを過ごしました。余談になりますが、その家の隣に、のちに『アラバマ物語』を書くハーパー・リーが住んでいました。『アラバマ物語』の中にもトルーマン少年をモデルにした、風変わりな男の子が登場します。 親戚たちが集まって暮らす奇妙な家のなかで、幼いカポーティが特別な絆を築いたのが、ここにも描かれているスックと呼ばれる女性でした。当時の経験が色濃く投影されている作品です。 原文は
時とは人の作用の謂じゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、 その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味を有つのじゃ。 ――中島敦「悟浄出世」 1.足し算か引き算か ―『名人伝』に見る教育 このあいだ中島敦の『名人伝』を読んでいたら、おもしろいことに気がついた。 わたしたちはふつう、知識や技術を習おうとするき、いまある自分に何かを「加える」という言葉を使って理解していく。 知識を「得」る。 知識・技術を習「得」・獲「得」する。 身につける。 与えられる。 自分のものにする。 吸収する。 呑みこむ。 経験を重ねる。 上達する、というのも、「上に達する」という意味で、その人がいる場所が高くなる→高さが加わった、と考えられる。さらに技を「磨く」や「洗練させる」も「その質を高めていく」という意味で、「加える」に含めていい。さらに経験を積んだ人間に対しては「ひとまわり大きくなった」と
自分という一個の人間は、あるいは、そういうものかもしれないのである。 自分というものは一つもなく、人の心ばかりを持ち溜めて歩いている一個の袋かもしれない。 ――横光利一『夜の靴』 1.たとえたとえても とりあえずこの文章を見てほしい。 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。 短編小説の冒頭なのだが、おそらくいまのわたしたちの多くはこの文章を読んでも特にこれといった感想を持たないだろう。せいぜいが、特急のことを「特別急行列車」と記述しているのがくどいかな、と思う程度で、「石のように黙殺された」という比喩も、「ソーダ水のなかを貨物船が通」ったり(荒井由実「海を見ていた午後」)、「満員電車」で隣り合う相手がついたため息に「ほんの短い停電のように 淋しさが伝染する」(中島みゆき「時刻表」)ことを知っているわたしたちから見ると、ごくありきたりの印象
―― 闇に怯えろ、闇を怖れろ いつもそばになにかいるような気がする 闇に怯えろ、闇を怖れろ じっと潜んでいるやつが おれは怖くてたまらない ( Iron Maiden "Fear of The Dark") 0.闇を作り出すことはできるのだろうか? あるとき、スウェーデン人からおもしろい話を聞いた。 スウェーデンは白夜なので、夏の間は日が沈んだと思うと、夜中の二時ぐらいには、もう太陽が昇ってしまうのだという。すると一斉に鳥が鳴き出す。日が昇るだけなら、厚いカーテンを引いて、なんとか眠りを妨げないようにする工夫もできるのだが、鳥の声だけはどうしようもない。 そこで、ひとつ提案があるのだが、とその人は言うのだ。だれか科学者を知らないか、と。 自分は冷蔵庫の原理を聞いたことがある。冷蔵庫というのは、熱を逆転させて冷やしているのだ。それと同じように、光を逆転させて闇を作り出すことはできないだろうか
日付のある歌詞カード ~Porcupine Tree 16歳以上を信じるな ――"Fear of a Blank Planet" の世界 “ラヴ”のつかないソング 「小説のなかで愛が途方もなくのさばっていることは、みなさんもよくご存じのとおりです。そしてそれが小説に害をなし、小説を単純なものにしているというわたしの意見にも、たぶん同意してくださるでしょう」とE.M.フォースターは『小説の諸相』のなかでユーモラスに語っているのだけれど、ポップ・ミュージックにしても同じことが言える。ディストーションの利いたギターやベースのリフで始まらない、アコースティック・ギターやピアノのポロポロとした音で始まるような曲は、たいていが愛の歌だ。 ベン・フォールズがピアノを弾きながら「本を一ページずつ破いていって、この本を捨ててしまおう 悲しみも怒りも 本と一緒に捨ててしまおう」(ベン・フォールズ・ファイブ "
1.遠い人、近い人、わかりやすい人、わからない人 愛。小説のなかで愛が途方もなくのさばっていることは、みなさんもよくご存じのとおりです。そしてそれが小説に害をなし、小説を単純なものにしているというわたしの意見にも、たぶん同意してくださるでしょう。なぜ愛という経験だけが、しかも、性というかたちをとった愛だけが、なぜこんなに大量に小説の世界に移植されたのでしょう。漠然と小説というものを考えると、すぐに男女の恋愛が頭に浮かびます――結ばれたいと望み、そしてたぶんめでたく結ばれる男女の恋愛です。しかし漠然と自分の人生や、まわりの人たちの人生を考えると、現実の人生はこんなものではないと誰もが思うはずです。もっとずっと複雑なものだと誰もが思うはずです。 高校一年のときの現国の授業で、小野先生(仮名)は 「君ら、恋の定義を知ってるか」 と聞いた。 「相手との間に距離を感じたら、それが恋だ」 そして古今集
ここでは Shirley Jackson が1960年に行った講演 "Biography of a Story"の翻訳をやっています。 1948年、雑誌「ニューヨーカー」に発表された短篇小説「くじ」は、今日ではちょっと想像がつかないほどの大騒動を引き起こしました。それから十二年の歳月を経て、ジャクスン自身が「くじ」という作品が生まれた背景や、雑誌に載ってからの騒ぎの一端を、当時を振り返りつつ語ったものが、この講演です。 原文は、ジャクスンの死後、夫で文学批評家のスタンレー・ハイマンが編んだ遺稿集 "Come Along With Me" に所収されています。 1948年6月28日の朝、わたしはヴァーモント州にある、小さな町の郵便局まで、歩いて郵便物を取りに行きました。 いまにして思えば、そのときのわたしは、まったくのんきなものでした。郵便箱にあった二通の請求書と一通か二通の手紙を取り出して
「聖書の中に記されている最も恵み深いお言葉は ―貧しき者、常に汝らと共にあり―というのでありまして、 貧しき者がこの世にあるのは我々をして 常に慈善を行わしめんとする神のご意志なのであります」ですって! これじゃあ、まるで貧乏人は役に立つ家畜同様ではございませんか! ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』 1.野生動物と飢えた子供の大陸? アフリカのことを初めて聞いたのはいつだったろう。 『おさるのジョージ』や『ジャングル大帝』、『ドリトル先生アフリカゆき』、そういう“野生の王国”というイメージは、ずいぶん小さい頃から抱いていたような気がする。 小学校にあがって、シュバイツアー博士や野口英世の話を教わった。「未開の地」の「原住民」を献身的に助ける立派な人。アフリカの子供たちの写真やスライドを見せられたのは、そのときだったのだろうか。 自分と同じ年頃の子供たち。だがわたしたちとちがうのは、
I haven’t got much time to waste,it’s time to make my way I’m not afraid of what I’ll face, but I’m afraid to stay I’m going down my own road and I can make it alone I'll work and I'll fight, Till I find a place of my own Are you ready to jump? わたしには無駄にしていい時間なんてない、だからもう始めなきゃ 立ち向かっていくことは怖くない、怖いのは、いまのままでいること わたしは自分の道を行くし、ひとりだってかまわない わたしはがんばるし、闘うつもりよ。自分の居場所が見つかるまで あなたにジャンプする用意はできてる? ―― Madonna "Jump"
―― 道の脇に竜がいて、通りかかる人びとをねらっている。 むさぼり食われることのないように気をつけなさい。 魂の父の御許に向かうわたしたちは、 竜の傍らを行かなくてはならないのだから。 (エルサレムの聖シリル) お祖母さんはフロリダへは行きたくなかった。親戚が住む東テネシーに行きたくて、なんとかベイリーの気持ちを変えさせようと、ことあるごとにそう言った。ベイリーはひとり息子で、お祖母さんと一緒に住んでいる。いまは食卓の椅子に浅く腰かけ、うつむいて、雑誌のスポーツ欄のオレンジ色のページを読んでいるところだ。 「ねえ、ちょっとこれ、見ておくれよ、ベイリー」お祖母さんは言った。「ほらここだよ、読んでみて」立ったまま、片手を薄い腰に当て、もう一方の手に持った新聞を、ベイリーのはげ頭の前で振ってみせる。「自分のことを“はみ出し者”だなんて呼ばせてる男が、連邦刑務所から脱走してフロリダに向かったんだっ
テレビは教育し、向上させ、その過程において破壊をもたらす狭量さ、無知をなくす。…… 未来はテレビ世代の子供たち、さまざまな情報を持った世代の子供たちとともにある。 ――シルヴェスター・ウィーバー(アメリカNBCテレビ重役 1952年の発言) 新聞の一面に載ってるぞ やつらにはいま助けが必要だ 警察はどこだ? カラーテレビのことで文句を言わなくちゃ ―― Pet Shop Bpys "Suburbia" 1.きっと「やらせ」だよ 「やらせ」という言葉がある。テレビ番組や新聞・雑誌などで、あらかじめ筋書きが用意してあるにもかかわらず、それが何の手も加えられていないかのように放映・報道されるものである……ということぐらい、いまなら小学生でも知っているだろう。 昔の小学生だって、ウルトラマンがハヤタ隊員の変身ではないことぐらい知っていた。だが「やらせ」という言葉を知っているいまの小学生は、番組のな
南ビルマのモウルメインでわたしは非常に多くの人から憎まれていた。そこまでの重要人物になったのは、あとにも先にも一度きりだったが。わたしはその町の派出所の警官だったのだ。そこで、これといって目的もない、いやがらせのようなかたちであらわれる反ヨーロッパ感情には、ひどく苦い思いをさせられたのである。 暴動を起こそうとするほど気骨のある人間はいないくせに、ヨーロッパ系の女性がひとりで市場を歩いているようなことでもあれば、だれかかならず、噛んでいるビンロウの汁をその服に吐きかける。警官であるわたしなど恰好の標的で、危害が自分に及ばないと判断できれば、絶対に嫌がらせをしかけてくるのだった。サッカーのときにすばしっこいビルマ人に足をかけられて倒されても、審判(これまたビルマ人)はそっぽを向いているし、観衆はどっと笑い転げる。そのようなことは一度や二度ではなかった。しまいには、どこへいっても出くわす若い連
ここではロアルド・ダールの短編「羊の殺戮」を訳しています。 以前に訳した「南から来た男」と同じく、短編集『あなたに似た人』に所収されています。 この短編はあっと驚く結末と、ある理由から、推理小説におけるこの分野で、古典となっている作品でもあります。 原題は "Lamb to the Slaughter" 直接には屠所に送りこまれる子羊、といった意味ですが、ここではさまざまな含意がなされています。邦訳されている短編集では「おとなしい凶器」とタイトルがつけられていますが、ここではもう少し原文に近い単語を当てはめてみました。 もちろんラム=子羊は出てきます。でも、このラム、なかなか大変な「羊」で……。 原文は http://www.classicshorts.com/stories/south.html で読むことができます。 部屋は暖かく、きれいに片づいていた。カーテンをおろし、卓上灯がふたつ
シャーロット・パーキンス・ギルマンの『黄色い壁紙』の翻訳をお送りします。 原文はhttp://www.pagebypagebooks.com/Charlotte_Perkins_Gilman/The_Yellow_Wallpaper/The_Yellow_Wallpaper_p1.htmlで読むことができます。 ジョンやわたしのような一般人が、ひと夏、由緒ある屋敷を借りるなど、そうそうできることではない。 植民地様式の邸宅や、代々続いてきた地所、わたしがよく幽霊屋敷と呼んでいたような家屋は、至福の極みを手に入れたようなものだった――だがそこまで言うのは、運命というものを当てにしすぎるというものだろう。 それでも、屋敷にどこかしら奇妙なところがあるのは、自信を持って断言できる。そもそも、どうしてこんなに安かったのだろう。こんなにも長い間、借り手がいなかったのだろう。 ジョンはわたしを笑うけれ
ここでは恐怖小説「猿の手」の翻訳をやっています。 作者のW.W.ジェイコブズは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスで活躍した作家ですが、何といっても彼の名を後世に残したのはこの「猿の手」でしょう。1902年に発表したこの作品はイギリスのみならず世界中に愛され、未だ恐怖小説のアンソロジーにはかならずといっていいほど収められています。 「三つの願い」という昔話に繰りかえし描かれるテーマをひねったこの短編は、さらにここから多くのスピン-オフを生んでもいます。 誰もがあらすじだけは知っている作品、ここではその全文訳をやっています。 原文は http://www.classicshorts.com/stories/paw.html で読むことができます。 第一章 その夜、外では冷たい雨が降っていたが、レイクスナム荘のこぢんまりとした客間では、ブラインドがおろされ、暖炉の火があかあかと焚かれ
ここではジョン・チーヴァーの短編"The Swimmer"(1964)を訳しています。 原文はhttp://ee.1asphost.com/shortstoryclassics/cheeverswimmer.htmlで読むことができます。 読みやすさを考慮して原文にはない改行がしてあります。字下げは原文通りの改行、字下げなしの改行は、原文にはないものです。 いかにも真夏の日曜日らしい、みんなが所在なく集まっては「ゆうべは飲み過ぎた」とつぶやきたくなるような日だった。教会から帰る途中の信者たちがひそひそ交わす話のなかにも、長袖の法衣に汗みずくになっている神父自身の唇からも、ゴルフコースやテニスコートからも、ひどい二日酔いに悩まされるアイオワ州オーデュボン支部のリーダーがいる野生生物保護区域からも、その言葉が聞こえてくるかのような。 「飲み過ぎたよ」とドナルド・ウェスタヘイジーが言った。 「飲
ここではロアルド・ダールの短編「南から来た男」を訳しています。 ダールは1916年生まれのイギリスの短編作家。 いわゆる「文学」の作家というよりは、骨格のはっきりしたエンタテインメント系に分類されることが多い作家です。 自分の子供たちに聞かせるためにつくった話がもとの『チョコレート工場の秘密』や『おばけ桃の冒険』など、独特のブラックな味わいのある児童文学の作家としても有名です。 この『南から来た男』はダールのおそらくはもっとも有名な短編で、短編集『あなたに似た人』(1953)に収められています。 最後にあっと驚いてください。 原文は http://www.classicshorts.com/stories/south.html で読むことができます。 そろそろ六時になろうかという時刻だったので、ビールでも買って、プールサイドのデッキチェアに寝そべり、しばらく夕日を眺めたらどうだろう、と考え
アンブローズ・ビアス作『アウル・クリーク橋でのできごと』の全文訳を掲載します。 原文はhttp://www.gutenberg.org/dirs/etext95/owlcr11.txtで読むことができます。 I アラバマ州北部の鉄橋の上で、ひとりの男が六メートルほど下の急流を見下ろしていた。男は後ろ手にされ、手首を紐で縛られている。首にはロープがいささかのゆるみもなく巻きついていた。ロープは、男の頭上、鉄橋に渡した頑丈な材木にくくりつけてあり、たるんで男の膝のあたりまで垂れ下がっている。線路を支える枕木の上には、ぐらぐらする板が数枚置いてあって、男も、刑の執行者――北軍の兵士がふたりと彼らを指揮する軍曹、その顔つきは兵役につく前は副保安官でもしていたようだった――も、そうした足場にのっていた。 この間に合わせの足場のすこし離れたところには、士官がひとり、階級を示す軍服を着、武器を携えていた
1.声の記憶 まずはささやかな記憶から。 小さい頃、毎晩寝る前に母が本を読んでくれた。その習慣は、かなり大きくなるまで続き、絵本が『ドリトル先生航海記』や『ノンちゃん雲に乗る』になり、やがて詩になっていった。 寝る前の一編の詩。 母が持って来ていたのは、文学全集の「日本の詩歌」の巻で、高村光太郎から始まっていた。 当然のことながら何を読むかの選択権は母にしかなく、子どもに理解できるかなどはおかまいなしに、結局は自分が好きなものを読んでいたような気がする。朔太郎はずいぶん読んでくれたけれど、光太郎で読むのは「智恵子抄」だけ、これはよくない、誰それはつまらない、と、勝手なことを言っていた。なかでも西脇順三郎が好きだったようで、意味などまったくわからなかったが、不思議なことばの響きに、母を間に挟んで弟とふたり、笑い転げた記憶がある。後に記号論の本を読んでいるときに、「シンボルはさびしい」というこ
写真に興味を持つようになったのは、撮り手によって写真があまりにも違うことに気がついたときからだ。 風景でも物でもそうなのだけれど、とりわけ人物写真ではその違いが顕著になる。 同じ人物を撮ったとは思えないことさえあった。 試しに友だちとカメラを交換して撮ってみた。 結果はおなじだった。 私のカメラで撮った友だちの写真は、あくまでも彼女の写真であり、彼女のカメラで撮った私の写真は、どうやっても私が撮ったものにしか見えなかった。 撮り手によって、被写体は姿を変えるのだ。 それはどういうことなのだろう。 写真というのは、カメラが、言い換えれば機械が撮っているのではないのか? 撮り手というのは、シャッターを押しているだけなのではないのか? ひとの「まなざし」というのは、そこまで力を持つものなのだろうか。 そのときから、わたしは写真を「何が写っているか」ではなく、「だれが写したか」見るようになった。
0.前口上 さきに書いた「暑いときにはコワイ本」のなかで、漱石の『夢十夜』から「第三夜」にふれた。 「第三夜」とは、こういう話である。 「自分」は、闇のなかを歩いている。 背中におぶっていた子供が、いつの間にか、盲目になり、大人のような喋り方で、自分の心を見透かしたようなことを言い始める。 「自分」は徐々に怖くなっていき、森に子供を捨てようと思いながら歩いている。 杉の木にさしかかったところで、背中の子供が「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う。 その瞬間、子供は石地蔵のように重くなる。 わたしは以前からこの「第三夜」を一種の怪談であるという印象を受けていた。ただし、上田秋成の『雨月物語』や小泉八雲の『怪談』などとはまったくちがうものであるとも思っていた。 背中の子供は自分自身なのではないか。自分自身から「おれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言われると、どれほど怖
♪"The Sound of Muzak"を聞きながら、歌詞について考えてみる わたしはあんまりいろんな音楽を聞くほうではなくて、それをいうなら映画だってたいして見ているわけではなくて、本だけはちょっとは読んでるかな、とは思うけれど、Webなんかを見ると、実際ものすごい数の本を読んでいる人にいつも驚かされてしまって、「本なんて数じゃないんだよ」って、小さい声で負け惜しみを言ってしまいたくなる。 とくに音楽に関しては、好きなものを繰り返し聞くことですっかり満足してしまう傾向があるために、積極的に情報収集をすることもしない。つまり、いまどんなバンドがいるか、とか、どんな曲がはやってるか、なんて、知らなくても全然かまわない、っていうことなのだ。 だから、おそらくポーキュパイン・ツリーなんていうバンドも、教えてもらうことがなかったら、聞くことはなかったはずだ(これも、幸福な出会いのひとつだ)。だっ
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