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衆院選
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アップル嫌いの自分が我を殺してでもApple TV+に契約せざるを得なかったのはマイケル・ムーアのドラマ『フォー・オール・マンカインド』のおかげだけれど、それを上回るネームバリューで始まったのが、21年秋の『ファウンデーション』だった。言わずと知れたアイザック・アシモフのSF小説の映像化だ。 小説が最初に書かれたのは70年以上前。20世紀後半のSF作品における”量子力学"のような感じで、"原子力"が万能のエネルギー源として出てきたり、社会の指導層が男性に偏ってたりしてるわけで、そんな設定のアップデートは当然なされてる。古典的な葉巻型宇宙船が、中心に特異点(最近観測された実際のブラックホールのイメージ)を抱えた「葉巻カッター型」超光速船になっていたのはちょっと笑った。 しかし何よりのアップデートは、原作では年代記のように進んでいく序盤の展開に映像作品としてのドラマ性を加えるために、主役である
4月のあたまの休日。昼から銀座で外せない用事があったので、ちょっと無理して銀座ピカデリーで『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(ドルビーシネマ版)』を観てきた。久々の銀座はまるで別の街だった。地下街はリノベーションが完了し、マリオン周辺も再開発され、新しい映画館ができてる。 『逆襲のシャア』も、劇場で観ると確かに別物だった。富野由悠季監督のファンだからビデオや配信で何度も観ているのだけれど、高画質・高音質の環境では、演技も演出も段違いの明晰さで心に入ってくる。 そこで思い知ったのは、この作品は10年続いたシャアとアムロの物語の完結編であると同時に、クェス・パラヤの映画であったということだ。なるほど彼女は物語の狂言回しであり、トリックスターでもある。しかし同時に、彼女は成長する主人公であり、監督と視聴者の代弁者でもあった。 女性キャラの見事な造形 ドルビーシネマ版でまず感じ入ったのが、女性キャラ
第二次大戦中に実際に起こった英軍の救出作戦を描いた『ダンケルク』。すごい。本物のスピットファイアすごい。ユンカースの爆撃音すごい。人を満載にしたV級駆逐艦(に装ったシュルクーフ級駆逐艦)の画面いっぱいの巨体、すごいすごいすごい! ああ、プラモデルで作った10センチ足らずの駆逐艦HMASヴァンパイアも、実際はこんなに大きかったのか……。ボートダビットの厚み、備え付けられたロープの太さ。ああ、そうだったのか、そうだったのか! 理解! 圧倒的理解! そんなわけでノーランの写実主義的な戦場にすっかり魅入られて忘れちゃいがちだけど、これ映画作品としては、ウンコがきっかけなんですね物語の。で、物語の始まりは写実的でありながら幻想的。 完全に無人となったダンケルクの街。古くから続く美しい街並み。ところが家には人の気配もなく、水すら出ない、まるでディズニーランドのつくりもの。そんな不思議の世界でリアルな便
テッド・チャンの小説『あなたの人生の物語』を基に、異星人とのコンタクトとコミュニケーションをこの上なく真摯に描いた『メッセージ』。これはある意味、スルメのような映画だ。見どころは物語のクライマックスで訪れるSF的な衝撃だけじゃない。むしろそのあとだ。物語全体を思い返し(あるいはもう一度観て)、その各所にちりばめられた美しい映像を理解することで、驚きと感動が心に染み入んでくる。 映画という媒体をフルに使ったSF的感動と、その感動を繰り返し咀嚼できるという点で、この映画のありようは『2001年』にも近しいと言えるんじゃなかろうか。ただ、やっていることは続編『2010年』に近い。感動の核心は、異なる存在とのコンタクトそのものにあるのではなく、コンタクトして、何が得られたか、何を理解したかにあるのだから。 注:物語の流れそのものには触れないけど、SFネタの核心部分をガッチリ書くので、気になる方は映
『攻殻機動隊』の映画版。カットカットではすごく「らしい」絵が見られるのに、全体を通して、何でこんなぼんやりとした印象なんだろう。思い至ったのは、美術のディレクションだ。 優秀なアーティストによって過剰なまでに装飾された近未来都市やサイバースペース。でもそこからは、『攻殻機動隊』を『攻殻機動隊』たらしめる、トリビアルな情報が伝わってこないのだ。映画の世界が、「なぜそうなったのか」が伝わってこない。リアルじゃないんだ。 あらすじ 家出少女が自分探しする。 感想 いやほんと、物語はどうでもいいんだ。テーマもどうでもいい。どうでもいいっていっちゃ悪いけど、ありがちなテーマも、なんだかしっくりこない物語の運びも、アニメ版にだっておおもとの漫画にだってあったわけ。 でも、その背景となる世界に関して言えば、原作漫画はもとより、複数のアニメ・TVシリーズとも(『イノセンス』であっても)、それは単なる「近未
趣味のもの以外は必要なものなのだから、買って良かったのどうのって考えはあまりしないのだけれど、今年買った“グリルプレス付き”グリルパンは肉を焼く上で革命的だった。1枚肉がぺろんぺろんと焼けるのなんの。 よく食べに行くお店の人に、ステーキとかチキンソテーとかグリルパンがあるとラクですよと言われて買ったものの、想像以上だ。鶏もも肉1枚が、短時間で、要領もほとんど要らず、皮はサクっと中身はジューシーに焼けてしまう。こんなバカみたいな形容詞使いたくないんだが。 しかしポイントは、プロの指摘しなかったこのグリルプレスにある。あったりまえだけど、押し付けると、ちゃんとむらなく火が通るんだなあ。両面に塩コショウを適当にふって、まず皮のない面を1分ほど押し焼きして、そしたらひっくり返して押し焼きして、まあ5分ぐらいでしょうか、いいかな? ま、こんなもんかな? と思ったところであげると、思った通りのこんなも
泣けなかったのだ。映画が悪いんじゃない。たまたま自分のメンタルが凄まじく低調で、感情が希薄になるレベルにまで落ちていたのだ。まあそれが持ち直してきたのでこれを書いてるんだけど、その時は映画を最後まで冷静に観て、なぜこの映画は人を感動させるんだろうなんてことをていた。一方で、情動がない分、こまやかにに表現された世界に対するロジカルな理解というか、納得感を得た。 巨大な戦争の中で続いていく、ちいさな暮らしを描写したこの作品に、ハリウッド映画のような分かりやすい物語の構造は見えづらい。けれど分解してみれば、きちんと物語の軸がある。 戦争という状況を抜いてしまえば、これはシンプルなメロドラマだ。流されて嫁いだ主人公すずが、自分の生活を作り、愛に確信を得ていく物語。結末で、その愛が運命であることが語られる(ここだけファンタジーになるのが巧い)。あとで原作を読んだけれど、そちらではメロドラマとしての性
先日ラトビアに1年ほど住んでいた人と話す機会があったのだけれど、思いがけず感動したので書き残しておく。ラトビアではなく隣国エストニアのことだ。 ラトビアについては首都がリガだということぐらいしか憶えてなかったので、話題に苦慮し、とりあえずおなじバルト三国ということで、「隣国はすごくITが進んでるんですよねえ」と話を振ったら、その静かな人は、少しだけ興奮した口調で語り始めた。 私もいちおうはIT業界的なところに腰をかけている身なので、エストニアがIT先進国だという情報は入っていた。SkypeなどITベンチャーが多く、IT教育も充実、電子政府制度が発達して投票も納税も国民IDでぜんぶOKという国。マイナンバーの話題がかまびすしい頃、日本もエストニアを手本にせよという話はよく聞いた。 でも、なぜそうなったと思いますか? そんなこと問われるまで思いも至らなかったので、優秀なエンジニアがいたからとか
『シン・ゴジラ』。自分も静岡の再放送ウルトラシリーズで育ち『ゴジラVSビオランテ』信者となった、いっぱしの怪獣ファンだったから、観た後は「ごめん……! 疑っててごめん……!」と東宝方面に頭を下げるぐらいの大絶賛だったわけ。泣いたもの。本格上陸したゴジラを仰ぎ見るシーンで、突然涙が吹きこぼれてきた。怪獣のいる光景に言いようのない感銘を受けて。自分でも驚いた。 (以降、多少のネタバレあります。この程度のネタバレなら面白さの本質は変わらないと思いたい) 本当に恐い怪獣 打ちのめされたのは、その容赦ない破壊描写、怪獣の恐ろしさ。初代ゴジラの恐怖は、戦後30年以上経って生まれた身としては想像するしかない。だけどこの映画は、5年前の大震災を知る我々には、本当の恐怖となって迫ってくる。押し寄せる瓦礫の向こうに見えるゴジラの姿は、まさに津波だ。 初めてゴジラを観る人には、正真正銘の恐怖と嫌悪を抱かせるので
様々な動物たちが入り乱れて楽し気な『ズートピア』。ふたを開けてみたらこの映画、ものすっごい変化球だった! 犯罪捜査ミステリから、なんとハードな差別問題を描き出す。そしてこれ、れっきとしたSF、思考実験としてのSFなのだ。 なにがSFって、そもそもほとんどの動物アニメで不文律だった「肉食獣も草食獣も仲良く暮らしている」という世界観に思い切りメスを入れたところ。その理由を「進化・文明の発展の結果、食物連鎖が解消された」と説明し(科学的正確さでなく、「ロジックがある」ことが重要だ)、さらにそこに2段目の「もしも」を設定する。 もしも、草食獣と肉食獣の共存関係が崩れたら……? その結果描かれるのは、社会に渦巻く偏見と差別だ。 物語の背後から現れる、偏見と差別 映画の中で、警官ウサギのジュディと相棒のキツネのニックは、「ウサギだから非力」「キツネだから狡猾」という偏見や、偏見が負わせた心の傷と闘いな
カトリック教会の小児性愛スキャンダルを暴いた、2002年のボストン・グローブ誌の取材チームの活躍を描く映画『スポットライト』。事件がどれだけ酷いものかは語りつくされていると思うんで、「物語」としての感想を書くと、びっくりしたのは、編集局長マーティー・バロンを演じるリーヴ・シュレイバーの存在感! 主役を張るマイケル・キートン(調査記事チームデスク ロビー)やマーク・ラファロ(同記者 マイク)の活躍より、彼のインパクトに目を奪われた。 報道だけでなくビジネス全般に共通する物語 この映画、新聞業界を舞台にしてはいるけれど、その骨格は業界にとらわれない、いわゆるサラリーワーカーのビジネスストーリーになってる。とあるビジネスユニットのリーダーとスタッフたちが、ある案件をどうやってモノにし、育て、華々しい成果を上げるに至るかを描いてるわけ。 そのユニットの上長として、彼らに案件とモチベーションを与え、
たとえばドラマ『クリミナル・マインド』なんかそうだけど、異常犯罪・猟奇犯罪をテーマにしたサスペンス・ドラマはたいてい、警察VS犯人、事件が解決するまでを描く。事件の「被害者」は、実のところ脇役でいることが多い。ところが、この映画はその逆を行く。 主役は被害者。この映画では犯人も脇役。警察なんてほとんど出てこない。描かれるのは、ふたりの被害者と、彼女/彼が閉じ込められた「部屋」だ。それは誘拐犯の部屋だけじゃない。事件が解決し、誘拐犯から解放されたあとの、自宅の部屋も意味する。 高校生の頃に誘拐され、6年にわたり監禁されている女性ジョイ(ブリー・ラーソン)と、5歳になったばかりの子供ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)。映画の語り手/視点も二人の間を行き来し、ふたりは不可分の存在であることが示される。 それが後半になると、依存関係は分断し、また苦しみが続く。はじめてジョイ以外の人間と接するジャ
長らく(20年ほど)海外ドラマ漬けのテレビライフを送ってきたんだけど、その視聴の軸足が、いよいよ放送電波からネット配信に移ってきたかも、と感じている。スカパー! の海外ドラマ系チャネルやBS放送から、Hulu, Netflix, Amazon プライム・ビデオに。 私も去年ぐらいまでは、ネット配信は、放送で観れなかった番組をPCやスマホで観る、補完ツールだととらえていた。でも、この1年でネット配信でしか観られない、最新・高品位な海外ドラマがどかっと増えた。 そのうえ、Amazon Fire TVなどを介せば、AmazonだけでなくHuluもNetflixも‟簡単に”テレビに繋げて、HDや4K画質でドラマを観られる。これでネット配信は、完全に「テレビ」になる。テレビを観るとき、放送を観るか、ネット配信を観るか、フェアに選べる時代になったわけ。 で、デカいのが契約料金のインパクトだ。 衛星放送
『ブレイキング・バッド』のスピンオフである『ベター・コール・ソウル』。スピンオフは大ゴケすることも多いので、おっかなびっくり観始めたんだけれど、いやびっくりした。これ、オリジナルシリーズよりも好みだ。ジミーというテレビの向こうのダメ人間に、テレビの前のダメ人間もすっかり感情移入してしまった。 シリーズは第6話を真ん中の折り返しにして、おおむね前半はジミーが必死で案件を取ろうとする横領事件、後半は老人ホームの搾取に関する弁護を描く。ジミーが弁護士としてどう振る舞い、どうあるべきなのかを悩む、キャリアの物語だ。ジミーの根っからの小悪党的マインドと、ついつい人に親切にしてしまう彼の善意。そのあいだで揺れ動く姿が、物語の見どころとなっている。 なんやかんやと失敗を繰り返し、裏切りにあい、小さな成功や信頼の獲得も経験したジミー。最終話のギリギリまで揺れ動いた彼の心は、最後の最後で、すとん落ち着く。そ
Netflixでおそるおそる観た『フラーハウス』。第1話を見終わったところで、思いがけず感動している自分に気づいた。懐かしさにじゃなくて、新しい設定の妙味に、だ。 新世代の物語 番組のテイストは、20年前と一部も変わらない。よくぞここまで大胆に「懐古」を突き通したと思う。誰もが顔を知っているという前提で、タナー一家の面々が、すっかり老け顔のドヤ顔で次々と登場、ほとんど筋らしい筋もなくハグしたりモノマネしたり歌ったり。ところが、このベッタベタのほのぼのを見ているうちに、次第に状況が見えてくる。 一家は親たちも子供たちもそれぞれ仕事で成功しており、家を売りに出してそれぞれバラバラに生活しようとしている。その最後のお別れパーティで久々に再会した一家(+キミー)は、シングルマザーとなったDJが3人の息子の子育てに不安を感じているのを知ることになり……。 そうして、第1話の最後に、新たな『フラーハウ
あらすじ スカイフォール事件によって本部の崩壊した英国MI6 秘密情報部は政治的な窮地に追い込まれていた。MI5 保安局との合併、ダブルオーセクションの閉鎖が取りざたされる中、007は先代Mの残した言葉からある犯罪者を追い、ひとりメキシコにいた……。 感想 前作あっての楽しさ、前作から感じる異質さ 楽しく愉快なジェームズ・ボンドが帰ってきた。初っ端から忍びなれど忍ばない! をフルスロットルでやってのける爆笑のロングテイク・アクションでたいへんニコニコした気持ちにさせて、その後もお決まりのウィットの利いたジョークとアクションが数珠つなぎ。ストレートなアドベンチャーが展開される。 でも考えてみれば、前作『スカイフォール』だって、出鱈目なアクションとジョークがたっぷりだったはずなのだ。それでも「帰ってきた」と思えてしまうのは、やっぱりスカイフォールの後半のあの展開と、ボンドの内面に切り込むテーマ
ゲイツ様が興され今なお栄光の道を進み続けるMicrosoftは、今回麗しくも完全なSurface Pro4とSurface Bookを我らにお示しになった。ところが、Surface Bookのインパクトからか、Surface Pro4を中途半端なデバイスだと書いている、たいへん不遜な記事やコメントが多いんじゃないかと思う。なかでもとりたてておかしいと思うのは、Surface Pro4を「セカンドマシンとして良い」と言っている記事だ。いったい誰のセカンドマシンだというのだ! Surface Proはメインマシン 私はSurface Pro3 Core i7モデルを使っているけれど、店頭でSurface Pro4に触れてみたところ、ローエンドであるi3モデルでも恐ろしく滑らかに描画されるスピードに畏怖を覚えた。経済的な合理性をかなぐり捨ててその場で万札まとめてビックカメラのレジにねじ込もうと思
なんだかもやもやしている。たいへん面白かった映画『ジュラシック・ワールド』で、字幕翻訳の戸田奈津子氏が「また誤訳をした!」というツイートが、何件かRTされてきた。言われているのはクライマックスの「歯が足りない」という字幕だ。 これ、誤訳なんだろうか? このシーンをきちんと考えると、むしろこれがベストの翻訳だと思えるのだ。Webでは戸田氏のつくられたイメージが強すぎて、誤訳でないものまで誤訳だと思われている節がある。ここ数年の彼女の翻訳は、かつてのものとは様変わりしているのに。 以下、シーンの詳細を描くので一部ネタバレです。 場面背景と誤訳の指摘 問題の箇所はクライマックスシーンにある。 ヒロインと子供たちが凶悪な新種の恐竜に追いつめられる。パークの建物に身を隠したところで、子供はこう言う。 "We Need more teeth"*1 それを聴き、ヒロインは起死回生の策をひらめき、ある恐竜
『コングレス 未来学会議』は、原作の『泰平ヨンの未来学会議』を驚くほど忠実に映画化している。主人公は独り者の宇宙飛行士、泰平氏から、女優ロビン・ライト(本人役!)に変えられているし、ほぼ全編アニメーションになっているけれど、レムの描いた世界のニュアンス、そしてテーマをきっちり拾ってる。その結末は原作とはある意味正反対だけれど、その軸となっている部分がブレてないから、物語はとりとめもない展開なのに、すごく腑に落ちるのだ。その軸ってのは、たぶんすごく根源的な、「自由意志とはなにか」みたいなものだと思う。 自分がじぶんでいられない世界 原作は、いま読み返すと『マトリックス』や『インセプション』の原点(のひとつ)みたいな物語だ。コンピューターやバーチャルリアリティーが普及する前の小説だから、向精神薬の複雑な効果によって、現実を上書きする虚構世界を表現している。ドラッグを吸ってしまった泰平氏は、意志
『マッドマックス 怒りのデスロード』はいろいろ驚きのある映画だったけれど、一番驚いたのは、女性の解放という物語の骨格でなく、主人公マックスのキャラクターだった。メル・ギブソン版マックスのマッドは「怒りでなにをしでかすかわからない」ぐらいの意味だったけれど、今回のトム・ハーディ版マックスは違う。文字通り、「臨床的に気が狂ってる」マックスだ。彼は精神病患者なのだ。 マックスはどう狂っているのか 前評判では「喋らない」「目立たない」「主役はフュリオサ」と言われていたマックス。ところが実際映画が始まってみると、ウォーボーイズにあっさり捕まる彼の行動や表情は、「寡黙なヒーロー」と言うにはどこか違っていた。 ゲージに入れられたマックスの心ここにあらずという表情。敵車のフロントに縛り付けて命の危機にあるのに「俺のクルマ!」と叫ぶ執着心。口枷を外そうとコリコリコリコリとヤスリを削る反復運動。トム・ハーディ
近未来アメリカ。テクノロジーで変容した都市と犯罪。感情を持つアンドロイドと、片足と記憶を失った人間の警官。これだけで十分に胸のときめくSF設定を背負った『オールモスト・ヒューマン / ALMOST HUMAN』だったのに、その結果は第1シーズンを持ちこたえることすらできなかった。残念だと思うと同時に、さもありなんと思う気持ちもある。第6話まで観て、ひどいもどかしさを覚えたからだ。 ドラマに何が足りなかったのかというと、それは不足ではなく、過剰だったのだと思う。観る者を引き付けるためのSFのギミックと、クワーキーで息もつかせぬシナリオ展開、そしてアクション。それが過剰で、アンバランスで、逆に観る者の心を劇の中に引き込めなかった。そんな風に理解している。 例えば第5話『暗殺』で、アンドロイド・ドリアンは、身内の警官を助けるためにマフィアを拷問する。犯罪者とはいえ人間をこんな風に傷つける人造人間
『ハウス・オブ・カード ~野望の階段~』は、同名小説およびイギリスBBCのミニシリーズを翻案したアメリカのテレビシリーズ。ジョージ・クルーニー主演映画『スーパーテューズディ』の原作者、ボー・ウィリモンが再びワシントン政治の神髄を描く。 エピソードガイド レビューリンク 1話 / 2話 / 3話 / 4話 / 第1話あらすじ 民主党の大統領候補ギャレット・ウォーカーの参謀として彼を勝利に導き、国務長官の座を約束されたはずの下院議員フランシス(フランク)・J・アンダーウッドは、自分が選んだ大統領首席補佐官リンダ・ヴァスケスから、逆に国務長官候補から外されたことを伝えられる。彼は、信頼する妻のクレア、腹心のダグ・スタンパーと共に、自分を裏切ったホワイトハウスの者たちへの復讐を開始する。 一方、ワシントンヘラルド紙の新人記者ゾーイ・バーンズは、手柄を得るためにフランクに近づく。フランクは彼女を利用
アメリカの社会問題を20年にわたり描き続けた、警察+検察の1話完結型ドラマ『ロー&オーダー (Law & Order)』の全エピソード 20シーズン456話を、Twitterを使ってすべてレビュー(あらすじ&感想)するプロジェクト。ドラマは設定を知らなくても何話からでも楽しめるので、レビューを参考にぜひご覧ください。 全シーズン・全話エピソードガイド&レビュー 各エピソードのレビューは、おおむね140文字でまとめています。 作品の簡単な筋書きと、テーマ、見どころ、感想がかかれています。 5点満点の評価がついています。 一部結末にまで踏み込んだレビューも書いていますが、結末がわかっても感動のポイントは変わりません。これから観るかたも、よいエピソードを選ぶ指針として役立ててください。 シーズン 放送年度 話数 総評点 平均 シーズン1 1990 22 81 / 110 3.68 シーズン2 1
えー、様々な想いがあるんですが、1点に集中して書きます。 『スター・トレック イントゥ・ダークネス』は2009年の『スター・トレック』の続編となるリブート・シリーズ第2作。今回も60年代~2000年代まで続いた“旧シリーズ”(この表現が適切かどうか…)の様々な設定を巧く取り込みながら、23世紀を舞台としたアクション大作に仕立てている。 ただ、前作と大きく違うのは、アクションの裏に、旧シリーズと同じく明確な社会的テーマとSF性を込めてきたことだと思う。それは架空の未来世界を通して描く、9.11のようなテロの起こる社会への視点。その根幹にあるのは、「もしも“人間と認められない人間”がいたら、私たちはそれに、どのように関わっていくだろうか」というSF的発想だ。 それを表現するのが、今回の敵役、作られた超人であるジョン・ハリソンと、地球人と異星人のハーフ、スポックだ。二人は、“人間”である主人公、
『パシフィック・リム』は、太平洋から次々と現れ沿岸を襲う100mはあろうかという巨大怪獣(Kaiju)と、人類文明の破滅を防ぐため開発された巨大ロボットの闘いの物語だ。 とても面白くなるとは思えないと、思ったんだけど 正直、気に入らなかったのだ。だって怪獣好きだから。一体ならまだしも怪獣VSロボットって、日本の特撮やアニメでなんとか様式美的に許されてるジャンルだ。映像の密度の高い=求められる“現実感”が段違いの米国映画でやって、こちらが白けずに映画世界に引き込まれるだけの映像になるのか、と。 事前の情報を見ると、ロボットは実写としてリアリティーが出るとは思えない80mなんて設定だし、デザインもダサい、戦闘シーンはガチャガチャうるさく状況がわかりづらい。コックピットも役者の会話劇とアクションを補うために無理やり複座・モーションコントロールにしたようなもので、安っぽいじゃないか! ネットでは日
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